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第三章:彼女の真実に触れる十数日間
白木沢帆夏の真実
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──白木沢帆夏。
何故俺は、彼女の名前を忘れていた!? 背後から真冬が叫んでいる声が聞こえてくるが、呼びかけにも応える事なく逢坂部は、民宿の中に駆け込んだ。
靴を乱暴に脱ぎ受付から鍵を受け取ると、階段を駆け上がって勢いもそのままに自分の部屋の中へと飛び込む。
和室の隅に置かれていた旅行鞄を引き寄せ一息に開けると、一番底に押し込まれていたスクラップブックを取り出した。
そこに収められているものは、逢坂部賢梧の名前を全国区で有名にした事故の詳細。当時報道された週刊誌や新聞の記事などを、切り抜き一纏めにしておいたものだ。決して忘れてはならない記憶だが、望んで何度も目を通したい類の記録でもなかった。
それでも今、確認しておかなければダメなんだ。
震える指先で、慎重にページを捲っていく。
『多数のスキー客を乗せた観光バスが、市道の急カーブを曲がり切れずに二十メートル崖下まで転落。乗客八名が死亡し、二十四名が負傷した』
違う、そこじゃない。
『負傷した二十四名のうちの一人、白木沢帆夏さん(十九)は、現在も意識不明の重体が続いており――』
ドクン……心臓が強く脈打った。
『どういうつもりですか。身体目的ですか。それともお金ですか?』
『撮影が目的なのであれば、もっとオススメの絶景スポットがあるのさ。行ってみます?』
『私たちは、一夏の恋を謳歌する存在。たとえどんなに惹かれあっても、行く末には必ず別れが訪れます。だから、私たちは惹かれ合うべきではないのです。これは――警告ですよ』
『人生というものは、良いことばかりは続きません。時には波風も立ちますし、人との付き合いもそうです。周囲に居るのは味方ばかりじゃありません。ネガティブな囁き声も、聞こえてくることでしょう。それでも頑張って、前を向いて生きていくしかないんですよ』
『……だから知ってますよ。あなたが――何を抱え、そして思い悩んでいるのかも』
『逢坂部さん、好きです』
『私のこと、幸せにして下さいね。私の将来の夢って、お嫁さんになることなんです。なんだか小学生みたいで、可笑しいでしょ? でも……こんな、ささやかな夢くらいだったら、きっと叶いますよね?』
『わかった、待ってる。それまで私達は親友だね? 絶対に迎えに来てね? 私、頑張って二年間生きるから。約束……ちゃんと守ってね?』
『早速、親友にお願いです……私のこと、抱いて欲しいの。私の初めて、貰って?』
白木沢帆夏。噛み締めるように呟いたその単語は、彼の心中で驚くほどの輝きを解き放つ。
スクラップブックを片付け、宮古市に滞在を始めた日から付け始めた日記のページを捲るうちに、頭の隅にこびりついてた記憶の断片が次々と剥がれ落ち、点在していた情報の幾つかが線となって繋がり始める。
そうだよ。何故、忘れていたんだ!?
俺が起こしてしまったバス事故で、唯一人重傷状態から回復していない少女――白木沢帆夏のことを。
路線バスから降りるときに、毎朝欠かさず声掛けをしてくれた彼女のことを。
奥浄土ヶ浜のバス停で出会った、不思議な少女のことを。
一緒に花火を楽しんで、二人でホテルに泊まった彼女のことを。
夕焼けが照り返す海で、唇を重ねた彼女のことを。
こんなどうしようもない俺の事を、好きだと告げてくれた彼女のことを!
何故だ?――何故、忘れていた! 答えろ、逢坂部賢梧!!
ならば……彼女は何処に行った!? 確かにこの部屋の布団で愛を囁きあい、身体を重ね合った帆夏は何処に消えてしまった?
そして、本物の彼女は――今、何処に居る?
「あっ……帆夏……」
瞼の裏側が熱い。鼻が詰まる。途端に忘れていた彼女に対する切ない感情が湧きあがると、胸の中に開いていた空洞を暖かく満たしていった。しかし同時に、白木沢帆夏の存在が既に失われた後であることを認識すると、暖かい感情は急速に冷え込んでいった。
胸が締め付けられるように苦しい。膝が小刻みに震えている。脱力したままの両足を叱咤し立ち上がると、部屋を飛び出して再び民宿の階段を駆け下りる。
足がどうしようもなくもつれ途中で転びそうになりつつも、靴を履いて民宿の外に出た。良かった、と彼は安堵した。彼女はまだそこに居てくれた。
「あ、ようやく帰ってきやがった。ねえ、あなた――」
話しかけてきた白木沢真冬の言葉を遮り、彼女の手を握る。「君の双子の姉、白木沢帆夏は、盛岡医科大学病院に、意識不明の状態で入院している。現在も植物状態から脱する目処は立っていない。それで……間違いないか?」
すると彼女は彼を一睨みした後、辛そうに瞳を伏せて俯いた。「その通りだよ。何、忘れてたみたいなリアクションしてるんだよさっきから……」
そこまでを確認すると、まるで走馬燈のように様々な記憶が、映像となって再生された。思い当たる節があった。そう、帆夏は、今朝忽然と居なくなった訳じゃない。
帆夏は最初から居なかったんだ。奥浄土ヶ浜のバス停にも。俺の部屋にも。もちろん、この宮古市にも。彼女は元々存在していなかったんだ。
植物状態。
それは、脳に重い障害を起こしたのち、呼吸や循環などの機能だけを残して生存し続ける状態のことで、別名、遷延性意識障害ともいう。自律神経系は比較的正常に機能しているにも関わらず、運動や感覚系の障害のみならず、精神活動が欠如している状態のことだ。流動食などで栄養の摂取も可能であり、排泄もある。その関係上、一定レベルの介護設備が整った施設でないと受け入れが出来ない。
その余命は平均して三年程度。電気信号器で脊髄や脳に刺激を与える治療法で回復する例もあるようだが、帆夏は半年以上経過した今でも症状が変わっていない。つまり、意識が回復する望みについては、微妙なところだと言える。
「なんてことだ……」
全てを悟った逢坂部賢梧は、地面に両手をついて泣き崩れた。
何故俺は、彼女の名前を忘れていた!? 背後から真冬が叫んでいる声が聞こえてくるが、呼びかけにも応える事なく逢坂部は、民宿の中に駆け込んだ。
靴を乱暴に脱ぎ受付から鍵を受け取ると、階段を駆け上がって勢いもそのままに自分の部屋の中へと飛び込む。
和室の隅に置かれていた旅行鞄を引き寄せ一息に開けると、一番底に押し込まれていたスクラップブックを取り出した。
そこに収められているものは、逢坂部賢梧の名前を全国区で有名にした事故の詳細。当時報道された週刊誌や新聞の記事などを、切り抜き一纏めにしておいたものだ。決して忘れてはならない記憶だが、望んで何度も目を通したい類の記録でもなかった。
それでも今、確認しておかなければダメなんだ。
震える指先で、慎重にページを捲っていく。
『多数のスキー客を乗せた観光バスが、市道の急カーブを曲がり切れずに二十メートル崖下まで転落。乗客八名が死亡し、二十四名が負傷した』
違う、そこじゃない。
『負傷した二十四名のうちの一人、白木沢帆夏さん(十九)は、現在も意識不明の重体が続いており――』
ドクン……心臓が強く脈打った。
『どういうつもりですか。身体目的ですか。それともお金ですか?』
『撮影が目的なのであれば、もっとオススメの絶景スポットがあるのさ。行ってみます?』
『私たちは、一夏の恋を謳歌する存在。たとえどんなに惹かれあっても、行く末には必ず別れが訪れます。だから、私たちは惹かれ合うべきではないのです。これは――警告ですよ』
『人生というものは、良いことばかりは続きません。時には波風も立ちますし、人との付き合いもそうです。周囲に居るのは味方ばかりじゃありません。ネガティブな囁き声も、聞こえてくることでしょう。それでも頑張って、前を向いて生きていくしかないんですよ』
『……だから知ってますよ。あなたが――何を抱え、そして思い悩んでいるのかも』
『逢坂部さん、好きです』
『私のこと、幸せにして下さいね。私の将来の夢って、お嫁さんになることなんです。なんだか小学生みたいで、可笑しいでしょ? でも……こんな、ささやかな夢くらいだったら、きっと叶いますよね?』
『わかった、待ってる。それまで私達は親友だね? 絶対に迎えに来てね? 私、頑張って二年間生きるから。約束……ちゃんと守ってね?』
『早速、親友にお願いです……私のこと、抱いて欲しいの。私の初めて、貰って?』
白木沢帆夏。噛み締めるように呟いたその単語は、彼の心中で驚くほどの輝きを解き放つ。
スクラップブックを片付け、宮古市に滞在を始めた日から付け始めた日記のページを捲るうちに、頭の隅にこびりついてた記憶の断片が次々と剥がれ落ち、点在していた情報の幾つかが線となって繋がり始める。
そうだよ。何故、忘れていたんだ!?
俺が起こしてしまったバス事故で、唯一人重傷状態から回復していない少女――白木沢帆夏のことを。
路線バスから降りるときに、毎朝欠かさず声掛けをしてくれた彼女のことを。
奥浄土ヶ浜のバス停で出会った、不思議な少女のことを。
一緒に花火を楽しんで、二人でホテルに泊まった彼女のことを。
夕焼けが照り返す海で、唇を重ねた彼女のことを。
こんなどうしようもない俺の事を、好きだと告げてくれた彼女のことを!
何故だ?――何故、忘れていた! 答えろ、逢坂部賢梧!!
ならば……彼女は何処に行った!? 確かにこの部屋の布団で愛を囁きあい、身体を重ね合った帆夏は何処に消えてしまった?
そして、本物の彼女は――今、何処に居る?
「あっ……帆夏……」
瞼の裏側が熱い。鼻が詰まる。途端に忘れていた彼女に対する切ない感情が湧きあがると、胸の中に開いていた空洞を暖かく満たしていった。しかし同時に、白木沢帆夏の存在が既に失われた後であることを認識すると、暖かい感情は急速に冷え込んでいった。
胸が締め付けられるように苦しい。膝が小刻みに震えている。脱力したままの両足を叱咤し立ち上がると、部屋を飛び出して再び民宿の階段を駆け下りる。
足がどうしようもなくもつれ途中で転びそうになりつつも、靴を履いて民宿の外に出た。良かった、と彼は安堵した。彼女はまだそこに居てくれた。
「あ、ようやく帰ってきやがった。ねえ、あなた――」
話しかけてきた白木沢真冬の言葉を遮り、彼女の手を握る。「君の双子の姉、白木沢帆夏は、盛岡医科大学病院に、意識不明の状態で入院している。現在も植物状態から脱する目処は立っていない。それで……間違いないか?」
すると彼女は彼を一睨みした後、辛そうに瞳を伏せて俯いた。「その通りだよ。何、忘れてたみたいなリアクションしてるんだよさっきから……」
そこまでを確認すると、まるで走馬燈のように様々な記憶が、映像となって再生された。思い当たる節があった。そう、帆夏は、今朝忽然と居なくなった訳じゃない。
帆夏は最初から居なかったんだ。奥浄土ヶ浜のバス停にも。俺の部屋にも。もちろん、この宮古市にも。彼女は元々存在していなかったんだ。
植物状態。
それは、脳に重い障害を起こしたのち、呼吸や循環などの機能だけを残して生存し続ける状態のことで、別名、遷延性意識障害ともいう。自律神経系は比較的正常に機能しているにも関わらず、運動や感覚系の障害のみならず、精神活動が欠如している状態のことだ。流動食などで栄養の摂取も可能であり、排泄もある。その関係上、一定レベルの介護設備が整った施設でないと受け入れが出来ない。
その余命は平均して三年程度。電気信号器で脊髄や脳に刺激を与える治療法で回復する例もあるようだが、帆夏は半年以上経過した今でも症状が変わっていない。つまり、意識が回復する望みについては、微妙なところだと言える。
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