12 / 30
第二章:彼女と別れるまでの十数日間
再会②
しおりを挟む
渋滞を抜け、国道106号線に入ると、途端に車の流れは良くなる。杉林や田園風景、森に囲まれた峠道など様々な景観のなか車を飛ばし、約二時間で盛岡市に入った。
国道沿いのハンバーガーショップで昼食を済ませると、茶封筒の裏に書かれた住所を帆夏が確認して、道案内をして貰いながら交差点を何度か曲がる。中学時代に住んでいた街とは言え、十年もの歳月は街の景観を変え、彼の記憶を風化させていた。高崎美奈子の実家を訪問した経験が無い彼にしてみれば、大半が初めて見る風景だった。
彼女の案内で車を走らせること約三十分。ようやく、高崎家の前に到着する。
水色の壁の、子綺麗な二階建ての一軒家だった。レンガ調の塀の向こうに見える庭には、手入れの行き届いた芝生が植えられ、屋根つきのブランコが置かれていた。入り口の真っ白な鉄柵の脇には赤いポストが置かれ、柵の下には色とりどりの花が植えられた小さな花壇があった。
誰の目から見ても明白であろう、幸せそうな家の姿。
嫌な予感がしていた。ゆえに、高崎家から少し離れた場所に路上駐車させた車の中で、逢坂部は身動きが出来なくなってしまった。
表札だけでも確認しないと。
呼び鈴を鳴らして、とりあえずは用件だけでも告げないと。
せめて美奈子の顔を一目見たい。
様々な思考が脳裏を駆け巡ると同時に、この場所に到達するまでの間に考えていたプランが、砂上の城のように全て崩れ去っていくのを認識していた。何分経っても彼の足は、動く気配を見せなかった。
だが寧ろ、足が竦んで動けなくなったことは、逢坂部にとって幸いだったのかもしれない。
しばらくして、家の横に備えられてあったシャッターが電動で開くと、白い大型セダンが姿を現した。その車はゆっくりとした速度でこちらに向かって来ると、やがてすれ違う。
すれ違い様に、車内を確認してみた。
運転席に座るのは清潔そうな印象の男性。歳は二十代後半から三十代ほどだろうか。そして、彼の隣で喜色を湛える女性。十年の歳月が、その容姿をより洗練したものに変えてこそいたが、間違いなく彼女――高崎美奈子だった。スモークガラスで顔は確認出来なかったが、後部座席には子供の人影も見えた。
綺麗な一軒家。
高そうな車。
仲睦まじい夫婦。
誰の目から見てもわかる、非の打ちどころのない幸せな家族の姿。
とてもじゃないが、疎遠になっていたクラスメイトが話し掛けられる状況じゃない。そして同時に、自分の淡い初恋が完全に終わったという事実を、逢坂部は認識する。
言葉もなく俯いてしまった彼の左手を、帆夏がそっと握った。一瞬身を震わせた後に顔を上げると、蚊のなくような声を搾り出した。
「時間の浪費になる、思い出が台無しになる、折角君が、警告までしてくれたのにな。強がりを言ってここまでやって来たはずなのに、俺は、人並みに傷ついているらしい。実に滑稽な話だろう?」
「傷つくことは、悪いことではないのですよ」と彼女は優しく言った。「誰でも傷つくことは怖いです。でも、それを恐れていては、先には進めません。どうせ、人は傷つくんです。どうせ何かに失敗して、そして躓くんです。でも、良いじゃないですか。そこから皆立ち直って、強くなるんだから。笑って帰りましょう。約束したじゃないですか」
何処か人生を悟ったような帆夏の言葉に、逢坂部の胸が詰まる。齢十九の少女に慰められている自分が恥ずかしくもあり、もの悲しくもあった。込みあげてくる感情が溢れ出し彼が啜り泣きを始めると、帆夏は左手を握ったまま、無言で見守り続けた。
あらためて彼は思う。
今日、一人で来なくて良かったと。帆夏が傍らに居てくれて、本当に救われていると。
そのまま十分ほど俯いたままだった逢坂部だが、やがて目元を拭うと、鬱々とした感情を振り払うように軽く頭を振った。「じゃあ、帰ろうか」
自分でも、引きつった笑顔になっているだろうなと思った。それでも彼女は、努めて自然な笑顔で返してくれた。「帰りは少しゆっくりと行きましょうか」
ゆっくりと、車を発進させた。
帰り道は、帆夏の提案を汲み取って、来るときよりペースを落として車を走らせた。帰りはたっぷりと一時間以上掛けて宮古市に入る。お腹も空いた頃合に、丁度目に付いたラーメン店で、少し早い夕食を済ませた。店を出る頃合には、とっぷりと日が暮れていた。街灯の幾つかは点灯を始め、カーテンの隙間から光が漏れる民家の様子に、暖かい団欒の光景を想像する。
不意に、耐え難い息苦しさを感じた。胸につかえるものを吐き出すように咳払いをしたのち、逃れる様に車の中に滑り込む。ドアを閉め、エンジンを掛けようとした時の事だ。前後の脈絡もなく、帆夏がこんなことを言った。
「これから、花火をしましょうよ?」
逢坂部は思わず、真顔で問い返した。
「──花火、だって?」
「そうだよ」と彼女は首肯する。「だって、車は明日まで返さなくても良いんでしょう? だったら、このまま帰るのは勿体無いじゃないですか? だから、もう少し私と遊んでくださいよ?」
相変わらず、突飛なことを言い出す少女だと彼は思う。だが同時に、それも悪くないだろう、とも。彼女の提案に笑顔で同意を示すと、近場のホームセンターを目指して車を発進させた。
国道沿いのハンバーガーショップで昼食を済ませると、茶封筒の裏に書かれた住所を帆夏が確認して、道案内をして貰いながら交差点を何度か曲がる。中学時代に住んでいた街とは言え、十年もの歳月は街の景観を変え、彼の記憶を風化させていた。高崎美奈子の実家を訪問した経験が無い彼にしてみれば、大半が初めて見る風景だった。
彼女の案内で車を走らせること約三十分。ようやく、高崎家の前に到着する。
水色の壁の、子綺麗な二階建ての一軒家だった。レンガ調の塀の向こうに見える庭には、手入れの行き届いた芝生が植えられ、屋根つきのブランコが置かれていた。入り口の真っ白な鉄柵の脇には赤いポストが置かれ、柵の下には色とりどりの花が植えられた小さな花壇があった。
誰の目から見ても明白であろう、幸せそうな家の姿。
嫌な予感がしていた。ゆえに、高崎家から少し離れた場所に路上駐車させた車の中で、逢坂部は身動きが出来なくなってしまった。
表札だけでも確認しないと。
呼び鈴を鳴らして、とりあえずは用件だけでも告げないと。
せめて美奈子の顔を一目見たい。
様々な思考が脳裏を駆け巡ると同時に、この場所に到達するまでの間に考えていたプランが、砂上の城のように全て崩れ去っていくのを認識していた。何分経っても彼の足は、動く気配を見せなかった。
だが寧ろ、足が竦んで動けなくなったことは、逢坂部にとって幸いだったのかもしれない。
しばらくして、家の横に備えられてあったシャッターが電動で開くと、白い大型セダンが姿を現した。その車はゆっくりとした速度でこちらに向かって来ると、やがてすれ違う。
すれ違い様に、車内を確認してみた。
運転席に座るのは清潔そうな印象の男性。歳は二十代後半から三十代ほどだろうか。そして、彼の隣で喜色を湛える女性。十年の歳月が、その容姿をより洗練したものに変えてこそいたが、間違いなく彼女――高崎美奈子だった。スモークガラスで顔は確認出来なかったが、後部座席には子供の人影も見えた。
綺麗な一軒家。
高そうな車。
仲睦まじい夫婦。
誰の目から見てもわかる、非の打ちどころのない幸せな家族の姿。
とてもじゃないが、疎遠になっていたクラスメイトが話し掛けられる状況じゃない。そして同時に、自分の淡い初恋が完全に終わったという事実を、逢坂部は認識する。
言葉もなく俯いてしまった彼の左手を、帆夏がそっと握った。一瞬身を震わせた後に顔を上げると、蚊のなくような声を搾り出した。
「時間の浪費になる、思い出が台無しになる、折角君が、警告までしてくれたのにな。強がりを言ってここまでやって来たはずなのに、俺は、人並みに傷ついているらしい。実に滑稽な話だろう?」
「傷つくことは、悪いことではないのですよ」と彼女は優しく言った。「誰でも傷つくことは怖いです。でも、それを恐れていては、先には進めません。どうせ、人は傷つくんです。どうせ何かに失敗して、そして躓くんです。でも、良いじゃないですか。そこから皆立ち直って、強くなるんだから。笑って帰りましょう。約束したじゃないですか」
何処か人生を悟ったような帆夏の言葉に、逢坂部の胸が詰まる。齢十九の少女に慰められている自分が恥ずかしくもあり、もの悲しくもあった。込みあげてくる感情が溢れ出し彼が啜り泣きを始めると、帆夏は左手を握ったまま、無言で見守り続けた。
あらためて彼は思う。
今日、一人で来なくて良かったと。帆夏が傍らに居てくれて、本当に救われていると。
そのまま十分ほど俯いたままだった逢坂部だが、やがて目元を拭うと、鬱々とした感情を振り払うように軽く頭を振った。「じゃあ、帰ろうか」
自分でも、引きつった笑顔になっているだろうなと思った。それでも彼女は、努めて自然な笑顔で返してくれた。「帰りは少しゆっくりと行きましょうか」
ゆっくりと、車を発進させた。
帰り道は、帆夏の提案を汲み取って、来るときよりペースを落として車を走らせた。帰りはたっぷりと一時間以上掛けて宮古市に入る。お腹も空いた頃合に、丁度目に付いたラーメン店で、少し早い夕食を済ませた。店を出る頃合には、とっぷりと日が暮れていた。街灯の幾つかは点灯を始め、カーテンの隙間から光が漏れる民家の様子に、暖かい団欒の光景を想像する。
不意に、耐え難い息苦しさを感じた。胸につかえるものを吐き出すように咳払いをしたのち、逃れる様に車の中に滑り込む。ドアを閉め、エンジンを掛けようとした時の事だ。前後の脈絡もなく、帆夏がこんなことを言った。
「これから、花火をしましょうよ?」
逢坂部は思わず、真顔で問い返した。
「──花火、だって?」
「そうだよ」と彼女は首肯する。「だって、車は明日まで返さなくても良いんでしょう? だったら、このまま帰るのは勿体無いじゃないですか? だから、もう少し私と遊んでくださいよ?」
相変わらず、突飛なことを言い出す少女だと彼は思う。だが同時に、それも悪くないだろう、とも。彼女の提案に笑顔で同意を示すと、近場のホームセンターを目指して車を発進させた。
0
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる