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【ありがとうって、何度でも言うよ】
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様々な映像が、断片的に見えた。
細長い雲が、茜色に色づいた空。街の石畳に伸びたふたつの影法師。俯いてしまった私に、差し伸べられた親友の手のひら。
暑い夏の日。二人で肩を並べて魔法書を読みふける日々。筆記試験の結果が張り出されて、胸を張って見せる私。それなのに、杖を握りしめたまま、再び俯く私。
先に卒業していったのは親友で。
彼女に賛辞を送りながらも、もう自分と比べなくても良いんだと、心の片隅で安堵している私。そのくせ、今まで以上に授業に身が入らなくなる私。
心配して、時々様子を見に来る彼女。なんとなく、顔を合わせるのが辛くて、居留守を使ってしまう私。
コノハが忙しくなって来られなくなると、薄情な友だちだよね、と他人に憤る私。
いつも――いつも、そうだった。
コノハはただひたすらに、真っすぐに、私に手を差し伸べてくれていた。
学習塾で、友人が出来ず俯いていたあの時も。魔法の勉強をしたいんだ、と彼女に告白し、一緒に学校に通おうよ? と誘ったあの日も。彼女は他意のない笑顔を返してくれた。
それなのに。
それなのに私は、自分と親友を勝手に比較しては、劣等感に苛まれていたんだ。
黒装束を着た怪しい男たちの後ろを歩いているときも、本音を言うと不安だった。
私だってやれるんだ、という高揚感の裏で、心細い気持ちをずっと隠していた。
だからこそ、鈴蘭亭の前を通りかかったとき、私の視線は暖かい店内に誘われ、足はその場に縫い留められた。
本当は、声を掛けて欲しかった。
本当は、彼女と一緒に、冒険がしたかった。
コノハは私の憧れであり目標だったし、同時に私の、自慢の親友だったから……。
本当は、大好きだった。
彼女の赤い髪も。鮮やかなエメラルドグリーンの瞳も。明るくて、物怖じしない性格も。誰に対しても、別け隔てなく接する真っ直ぐな性根も。
全てが自分と正反対である彼女の存在そのものが、私は大好きだった。
だからこそ。
彼女と違って何も持っていない自分のことが、どうしても許せなかった。
黒い髪も。黒い瞳も。暗くて、他人に心を開けない性格も。卑怯で、嘘つきで、短絡的で、嫉妬深い自分が。
全部、全部、大嫌いだった。
そんなことはわかってる。わかっているのに、変えられない自分のことがまたもどかしい。
彼女と自分を、比較するたび嫌になった。目を背け、耳を塞いでいれば、自分の弱さを知らずにいられる。何も知らずにいれば、ずっと暖かい世界に身を委ねていられる。
全てのことから逃げ続けていた自分のことが、ひどく滑稽だと今ならば思う。
嫌いだったのはコノハじゃない。弱い自分の心なんだ。
◇
次第に、視界に光が戻ってくる。知らない天井が見える――。
壁も天井も、清潔感あふれる白だ。壁際には棚が二つ並んでいて、薬品が入った小瓶と、包帯などの医療品が所せましと置いてある。
薬品の幾つかは、カノンが知っている物だった。それでここが、病院の一室なんだと気が付く。
「目が覚めた?」
抑揚のない女性の声が聞こえ、カノンの意識は完全に覚醒した。その瞬間、胸が苦しくなって激しく咳き込んだ。
身じろぎすれば、自分が寝台の上に横たわっているのだと、おぼろげながらに理解できた。
「ここは……?」
上半身だけを起こすと、そう訊ねてみた。寝台から少し離れた場所で椅子に座っていた白衣の女性が、書き物をしていた手を休めてこちらを向いた。
「神殿の中にある診療所よ。気分はどう?」
「少し頭が重いですが、そんなに悪くはないです」
置かれている状況が見えてくるうちに、犯した過ちのことを思い出した。
差し延べられた悪意ある手に、自身を委ねてしまったこと。
良くない感情が増幅されて、心無い言葉でコノハを傷つけてしまったこと……。
「……あれから、何日経っているんでしょう?」
「友人に連れられて、あなたがこの診療所にやって来たのが、昨日の夜明け前。……だから、そうね。一日と少しというところかしらね」
彼女の言葉で理解した。やはり、自分をここまで運んでくれたのはコノハなんだろうと。
「あの……。私、友達にひどい事を言ってしまって……それで……」
「嫉妬というものはね、勝手に生まれて、勝手に育つ化け物のようなもの。私たちヒトに与えられた欠点の一つ」
その白衣を着た女性──見た目から判断すると、彼女がこの病院の医師なのだろう──は、特段表情を変えることもなく、やはり抑揚の無い声で言った。
「自分が犯した罪から、目を背けてはいけない。ちゃんと向き合い、そして償いなさい。妬み嫉みの感情を一度知ったあなたにならば、それが出来るはず」
鼻の奥がツーンと痛んだ。たぶん私は、誰かに自分の事を許して欲しかったんだ、とカノンは思う。
「……はい。……それから、手当てをして頂いて、ありがとうございました」
不思議な気持ちだった。素直に感謝の言葉が言えたのは、いつ振りだろうか?
「礼には及ばないわ。医師として、当たり前のことをしたまでだから。それに、正当な対価なら頂いているし」
「対価って何ですか……って、うわっ」
改めて自分の格好を見下ろして驚いた。
カノンが着ていた服は、フリルの付いた可愛らしいデザインの白いブラウスと、赤と黒のチェック柄が鮮やかなミニスカート。
――わわ、スカート短い……。
咄嗟に、スカートの裾を掴んで軽く引っ張った。
「雨に濡れてしまっていたからね。風邪をひかないように、着替えをさせてもらったの」
そう言うと白衣の女性は、目尻を下げてイタズラに笑ってみせた。
「服を脱がせたついでに、あなたの体を隅々まで調べさせてもらったわ」
「えっ……」と怯えた声をカノンが出すと、女性は「冗談よ」と軽口を叩いた。次第に笑みを引き取ると、スッとまた無表情に戻ってしまう。なんだか取っ付き難い人だな、と思った。
「これは、あなたの洋服なのですか?」
「まさか!」と女性は憤慨してみせた。「……そんな派手な服、私が着ると思う? というか、似合うはずもないじゃない」
やっぱりこれ、派手なのか。カノンはちょっと恥ずかしくなってしまう。じゃあ誰の服なんだろう、という疑問は、一先ず喉の奥に押し込めた。
「すいません。そういう意味ではなかったのですが。でも、こんな派手な服は、私にも似合わないと思います……」
自嘲気味にカノンが呟くと、白衣の女性は彼女の方にじ~……っと視線を注ぎ、やがて僅かに口角をあげた。
「そうでもないわよ。私がもし男だったなら、なかなか絶景だと思うかも」
女性の言葉の意味を悟り、カノンは慌てて膝を閉じた。羞恥心に苛まれて耳まで真っ赤になってしまう。
「大丈夫よ。私は医師だから、そういうの全然見慣れているし」
「私は全然大丈夫じゃないです……」
「年齢のわりに、お洒落には疎いのかしら? なかなか似合ってると私は思うけど。……あなたぐらいの年頃の女の子は、そういう服をどんどん着るべきだわ」
「あれから盗賊団はどうなったんでしょうか?」
意を決して本題を切り出すと、女性はスッと瞳を細めた。
「あなたと一緒にいた連中なら、一人だけ取り逃してしまったようね。あなた以外、全員帝国の出身者だったから、もう国外に逃れたのかもしれないけどね」
帝国、という言葉に、改めて自分が犯した罪の大きさをカノンは感じた。
「ごめんなさい。私が不用意に逃げたせいですね」
「関係ないわよ、そんなの。むしろ私の方こそごめんね。本当はなるべく早く、親御さんのところに戻してあげたかったんだけど、ちょっと調べなくてはならないことがあって」
「私が麻薬を常習していないか、確かめたんですね?」
へえ、と女性が感嘆の声を漏らした。
「あれが麻薬の原料だと、ちゃんと気づいていたのね?」
「はい。薬草学の勉強をしていた時期があったもので。それで、薄々とは勘付いてたんです。でもあの時は、感情を上手くコントロールできてなくて……。私、きっとどうかしてたんだと思います」
懐から煙草を取りだすと、火を点けながら女性が言った。
「あなたが良ければなんだけど、ここで働いてみる? 事情を色々聞いたけれど、お金が必要なのでしょう?」
「えっ……はい。でも」
「私なら、一向に構わないわよ。あなた、薬に詳しいみたいだし、ちょうど優秀な助手が一人欲しいと思っていたところなのよね」
「ありがとうございます。――前向きに、考えさせて頂きます」
どうしてだろう、とカノンは首を傾げる。また自然に感謝の言葉が言えた。今日は、不思議な魔法でもかかっているのかな?
「カノン!!」
そのとき騒々しく病室のドアが開かれると、扉の陰からコノハが姿を現した。
「良かった、あのまま意識が戻らなかったらどうしようかと思った――」
二歩、三歩とこちらに歩み寄って来たコノハだが、カノンが居るベッドまで残り数歩のところで足が止まる。まれで、見えない壁かなにかに怯えたように。
それが、自身が彼女に付けた心の傷であることを、カノンは痛切に理解していた。
だから――最後の距離は、自分の方から詰めてみる。ベッドから立ち上がって腕を伸ばすと、友人の首に絡めるようにして抱きついた。
「カ、カノン!?」
困惑したように、コノハがもう一度カノンの名前を呼んだ。
「私ね――冒険者の仲間たちからも、無神経で空気の読めない奴だっていつも言われてるの。だからさ――良いことだと思って掛けた言葉も、逆にカノンの重荷になっていたのかもしれないね。……もしそうだったら、ほんとにゴメンね」
言葉を紡いだのは、コノハの方からだった。カノンは彼女を強く抱きしめたまま、無心で首を横に振った。
「ううん、そんなこと無いよ。むしろ悪いのは、私の方だから」
絡めていた腕をいったん解くと、コノハを正面から見つめる。
ずっとカノンの憧れだった、エメラルドグリーンの瞳が見える。大丈夫。私は逃げない。気持ちを伝える方法を、私はもう、知っているのだから。カノンは大好きな親友の名前を呼んだ。
「私ね。本当は、コノハのことが大好き。大好き……! だからね、ごく自然に自分の姿と重ね合わせて、比較してしまったの。そんな弱い自分のことが情けなくて、悔しかったの」
うん、とコノハが涙混じりの声で頷いた。
「こんな私でも……。もう一度、友達になってくれますか?」
ずっと──ずっと我慢し続けてた涙が溢れだしてくると、そこからは止め処がなくなった。カノンの視界はすっかり滲んでしまって、親友がどんな顔をしているのか見えなくなってしまう。
親友の姿を視界に留めたくて涙を拭おうとしたとき、コノハがカノンを抱きしめた。
「こちらこそ、ヨロシクお願いします。これからも、友だちでいてね……カノン」
親友の気持ちが暖かくて、嬉しかった。嬉しいはずなのに、涙が全然止まらない。
「それから……。遅くなったけれども、それ、私からの誕生日プレゼント」
コノハが、カノンが着ているブラウスとスカートを交互に指差した。
「これ、コノハが選んだ服なの?」
「うん、どうかな?」
「もう~、こんな派手な洋服なんか選んじゃって。……それともなに? 私の持っている服は、センスが悪いとでも言いたいの?」
「そうだよ!」
即答したあとコノハは、逡巡する仕草をしばし見せたが、気を取り直したようにこう続けた。
「だって、カノンはそんなに可愛いんだから、もっと可愛らしくて素敵な服を着ないと台無しなんだよ! その証拠に……ほら」
真面目な顔から一転、コノハはからかいの表情を浮かべると、そっと手鏡を差し出してくる。
鏡の中に映りこんだ自分の姿に、カノンは思わず息を呑んだ。
肩口で綺麗に切り揃えた髪は、緩やかなウェーブを描きながらうなじへと流れている。眉は細く整えられ、深海を思わせる紫紺の瞳は、目じりまでしっかりと化粧で縁取りされ、強い意思を感じさせる輝きを放っていた。
頬紅は少し強めの自己主張。対照的に唇には、淡い色の紅が差されていた。
「これが、私?」
「そうだよ。化粧をしてくれたのは、オルハさんだけどね」
自分の姿がなんだか凄く恥ずかしくて、くすぐったくて。直視できずに俯いてしまう。こんな時のリアクションの返し方を、彼女は知らない。でも──とカノンは思う。思った言葉が、自然と口をついて出た。
「あはは、嬉しい。ありがとうね、コノハ……」
カノンはもう一度、親友の体を抱き寄せる。
そのありがとうは、決して魔法なんかじゃなくて。
心からのありがとうなんだと、カノンはそう――思った。
~麻薬と少女と呪いの指輪 END~
~後書きのようなもの~
自分が常日頃考えていることのひとつに、登場人物の死に頼らず感動させたい、というのがあります。
部活動をテーマにした青春物語であればこれも容易なのですが、なかなかに難しいですよね。
そんな中でこの作品は、上記のテーマをある程度かたちにできた部分があります。
とは言え、この物語を現実世界の設定で描けたら尚良かったとは思うのですが。主人公の心変わりや立ち直りの部分に別の切っ掛けが必要になる分、難易度が上がってしまうんですよね。書ける気がしませんorz
ゆえに、ヒューマンドラマって難しいよな、と考えさせられます。
PS:ちなみに、アリアンロッドRPGというゲームで実際に行ったセッションの内容を文章化したものです。但し、こんなに上手くいったセッションではなく、かなりの脚色(笑)が入っています。
2020/1/10 華音
細長い雲が、茜色に色づいた空。街の石畳に伸びたふたつの影法師。俯いてしまった私に、差し伸べられた親友の手のひら。
暑い夏の日。二人で肩を並べて魔法書を読みふける日々。筆記試験の結果が張り出されて、胸を張って見せる私。それなのに、杖を握りしめたまま、再び俯く私。
先に卒業していったのは親友で。
彼女に賛辞を送りながらも、もう自分と比べなくても良いんだと、心の片隅で安堵している私。そのくせ、今まで以上に授業に身が入らなくなる私。
心配して、時々様子を見に来る彼女。なんとなく、顔を合わせるのが辛くて、居留守を使ってしまう私。
コノハが忙しくなって来られなくなると、薄情な友だちだよね、と他人に憤る私。
いつも――いつも、そうだった。
コノハはただひたすらに、真っすぐに、私に手を差し伸べてくれていた。
学習塾で、友人が出来ず俯いていたあの時も。魔法の勉強をしたいんだ、と彼女に告白し、一緒に学校に通おうよ? と誘ったあの日も。彼女は他意のない笑顔を返してくれた。
それなのに。
それなのに私は、自分と親友を勝手に比較しては、劣等感に苛まれていたんだ。
黒装束を着た怪しい男たちの後ろを歩いているときも、本音を言うと不安だった。
私だってやれるんだ、という高揚感の裏で、心細い気持ちをずっと隠していた。
だからこそ、鈴蘭亭の前を通りかかったとき、私の視線は暖かい店内に誘われ、足はその場に縫い留められた。
本当は、声を掛けて欲しかった。
本当は、彼女と一緒に、冒険がしたかった。
コノハは私の憧れであり目標だったし、同時に私の、自慢の親友だったから……。
本当は、大好きだった。
彼女の赤い髪も。鮮やかなエメラルドグリーンの瞳も。明るくて、物怖じしない性格も。誰に対しても、別け隔てなく接する真っ直ぐな性根も。
全てが自分と正反対である彼女の存在そのものが、私は大好きだった。
だからこそ。
彼女と違って何も持っていない自分のことが、どうしても許せなかった。
黒い髪も。黒い瞳も。暗くて、他人に心を開けない性格も。卑怯で、嘘つきで、短絡的で、嫉妬深い自分が。
全部、全部、大嫌いだった。
そんなことはわかってる。わかっているのに、変えられない自分のことがまたもどかしい。
彼女と自分を、比較するたび嫌になった。目を背け、耳を塞いでいれば、自分の弱さを知らずにいられる。何も知らずにいれば、ずっと暖かい世界に身を委ねていられる。
全てのことから逃げ続けていた自分のことが、ひどく滑稽だと今ならば思う。
嫌いだったのはコノハじゃない。弱い自分の心なんだ。
◇
次第に、視界に光が戻ってくる。知らない天井が見える――。
壁も天井も、清潔感あふれる白だ。壁際には棚が二つ並んでいて、薬品が入った小瓶と、包帯などの医療品が所せましと置いてある。
薬品の幾つかは、カノンが知っている物だった。それでここが、病院の一室なんだと気が付く。
「目が覚めた?」
抑揚のない女性の声が聞こえ、カノンの意識は完全に覚醒した。その瞬間、胸が苦しくなって激しく咳き込んだ。
身じろぎすれば、自分が寝台の上に横たわっているのだと、おぼろげながらに理解できた。
「ここは……?」
上半身だけを起こすと、そう訊ねてみた。寝台から少し離れた場所で椅子に座っていた白衣の女性が、書き物をしていた手を休めてこちらを向いた。
「神殿の中にある診療所よ。気分はどう?」
「少し頭が重いですが、そんなに悪くはないです」
置かれている状況が見えてくるうちに、犯した過ちのことを思い出した。
差し延べられた悪意ある手に、自身を委ねてしまったこと。
良くない感情が増幅されて、心無い言葉でコノハを傷つけてしまったこと……。
「……あれから、何日経っているんでしょう?」
「友人に連れられて、あなたがこの診療所にやって来たのが、昨日の夜明け前。……だから、そうね。一日と少しというところかしらね」
彼女の言葉で理解した。やはり、自分をここまで運んでくれたのはコノハなんだろうと。
「あの……。私、友達にひどい事を言ってしまって……それで……」
「嫉妬というものはね、勝手に生まれて、勝手に育つ化け物のようなもの。私たちヒトに与えられた欠点の一つ」
その白衣を着た女性──見た目から判断すると、彼女がこの病院の医師なのだろう──は、特段表情を変えることもなく、やはり抑揚の無い声で言った。
「自分が犯した罪から、目を背けてはいけない。ちゃんと向き合い、そして償いなさい。妬み嫉みの感情を一度知ったあなたにならば、それが出来るはず」
鼻の奥がツーンと痛んだ。たぶん私は、誰かに自分の事を許して欲しかったんだ、とカノンは思う。
「……はい。……それから、手当てをして頂いて、ありがとうございました」
不思議な気持ちだった。素直に感謝の言葉が言えたのは、いつ振りだろうか?
「礼には及ばないわ。医師として、当たり前のことをしたまでだから。それに、正当な対価なら頂いているし」
「対価って何ですか……って、うわっ」
改めて自分の格好を見下ろして驚いた。
カノンが着ていた服は、フリルの付いた可愛らしいデザインの白いブラウスと、赤と黒のチェック柄が鮮やかなミニスカート。
――わわ、スカート短い……。
咄嗟に、スカートの裾を掴んで軽く引っ張った。
「雨に濡れてしまっていたからね。風邪をひかないように、着替えをさせてもらったの」
そう言うと白衣の女性は、目尻を下げてイタズラに笑ってみせた。
「服を脱がせたついでに、あなたの体を隅々まで調べさせてもらったわ」
「えっ……」と怯えた声をカノンが出すと、女性は「冗談よ」と軽口を叩いた。次第に笑みを引き取ると、スッとまた無表情に戻ってしまう。なんだか取っ付き難い人だな、と思った。
「これは、あなたの洋服なのですか?」
「まさか!」と女性は憤慨してみせた。「……そんな派手な服、私が着ると思う? というか、似合うはずもないじゃない」
やっぱりこれ、派手なのか。カノンはちょっと恥ずかしくなってしまう。じゃあ誰の服なんだろう、という疑問は、一先ず喉の奥に押し込めた。
「すいません。そういう意味ではなかったのですが。でも、こんな派手な服は、私にも似合わないと思います……」
自嘲気味にカノンが呟くと、白衣の女性は彼女の方にじ~……っと視線を注ぎ、やがて僅かに口角をあげた。
「そうでもないわよ。私がもし男だったなら、なかなか絶景だと思うかも」
女性の言葉の意味を悟り、カノンは慌てて膝を閉じた。羞恥心に苛まれて耳まで真っ赤になってしまう。
「大丈夫よ。私は医師だから、そういうの全然見慣れているし」
「私は全然大丈夫じゃないです……」
「年齢のわりに、お洒落には疎いのかしら? なかなか似合ってると私は思うけど。……あなたぐらいの年頃の女の子は、そういう服をどんどん着るべきだわ」
「あれから盗賊団はどうなったんでしょうか?」
意を決して本題を切り出すと、女性はスッと瞳を細めた。
「あなたと一緒にいた連中なら、一人だけ取り逃してしまったようね。あなた以外、全員帝国の出身者だったから、もう国外に逃れたのかもしれないけどね」
帝国、という言葉に、改めて自分が犯した罪の大きさをカノンは感じた。
「ごめんなさい。私が不用意に逃げたせいですね」
「関係ないわよ、そんなの。むしろ私の方こそごめんね。本当はなるべく早く、親御さんのところに戻してあげたかったんだけど、ちょっと調べなくてはならないことがあって」
「私が麻薬を常習していないか、確かめたんですね?」
へえ、と女性が感嘆の声を漏らした。
「あれが麻薬の原料だと、ちゃんと気づいていたのね?」
「はい。薬草学の勉強をしていた時期があったもので。それで、薄々とは勘付いてたんです。でもあの時は、感情を上手くコントロールできてなくて……。私、きっとどうかしてたんだと思います」
懐から煙草を取りだすと、火を点けながら女性が言った。
「あなたが良ければなんだけど、ここで働いてみる? 事情を色々聞いたけれど、お金が必要なのでしょう?」
「えっ……はい。でも」
「私なら、一向に構わないわよ。あなた、薬に詳しいみたいだし、ちょうど優秀な助手が一人欲しいと思っていたところなのよね」
「ありがとうございます。――前向きに、考えさせて頂きます」
どうしてだろう、とカノンは首を傾げる。また自然に感謝の言葉が言えた。今日は、不思議な魔法でもかかっているのかな?
「カノン!!」
そのとき騒々しく病室のドアが開かれると、扉の陰からコノハが姿を現した。
「良かった、あのまま意識が戻らなかったらどうしようかと思った――」
二歩、三歩とこちらに歩み寄って来たコノハだが、カノンが居るベッドまで残り数歩のところで足が止まる。まれで、見えない壁かなにかに怯えたように。
それが、自身が彼女に付けた心の傷であることを、カノンは痛切に理解していた。
だから――最後の距離は、自分の方から詰めてみる。ベッドから立ち上がって腕を伸ばすと、友人の首に絡めるようにして抱きついた。
「カ、カノン!?」
困惑したように、コノハがもう一度カノンの名前を呼んだ。
「私ね――冒険者の仲間たちからも、無神経で空気の読めない奴だっていつも言われてるの。だからさ――良いことだと思って掛けた言葉も、逆にカノンの重荷になっていたのかもしれないね。……もしそうだったら、ほんとにゴメンね」
言葉を紡いだのは、コノハの方からだった。カノンは彼女を強く抱きしめたまま、無心で首を横に振った。
「ううん、そんなこと無いよ。むしろ悪いのは、私の方だから」
絡めていた腕をいったん解くと、コノハを正面から見つめる。
ずっとカノンの憧れだった、エメラルドグリーンの瞳が見える。大丈夫。私は逃げない。気持ちを伝える方法を、私はもう、知っているのだから。カノンは大好きな親友の名前を呼んだ。
「私ね。本当は、コノハのことが大好き。大好き……! だからね、ごく自然に自分の姿と重ね合わせて、比較してしまったの。そんな弱い自分のことが情けなくて、悔しかったの」
うん、とコノハが涙混じりの声で頷いた。
「こんな私でも……。もう一度、友達になってくれますか?」
ずっと──ずっと我慢し続けてた涙が溢れだしてくると、そこからは止め処がなくなった。カノンの視界はすっかり滲んでしまって、親友がどんな顔をしているのか見えなくなってしまう。
親友の姿を視界に留めたくて涙を拭おうとしたとき、コノハがカノンを抱きしめた。
「こちらこそ、ヨロシクお願いします。これからも、友だちでいてね……カノン」
親友の気持ちが暖かくて、嬉しかった。嬉しいはずなのに、涙が全然止まらない。
「それから……。遅くなったけれども、それ、私からの誕生日プレゼント」
コノハが、カノンが着ているブラウスとスカートを交互に指差した。
「これ、コノハが選んだ服なの?」
「うん、どうかな?」
「もう~、こんな派手な洋服なんか選んじゃって。……それともなに? 私の持っている服は、センスが悪いとでも言いたいの?」
「そうだよ!」
即答したあとコノハは、逡巡する仕草をしばし見せたが、気を取り直したようにこう続けた。
「だって、カノンはそんなに可愛いんだから、もっと可愛らしくて素敵な服を着ないと台無しなんだよ! その証拠に……ほら」
真面目な顔から一転、コノハはからかいの表情を浮かべると、そっと手鏡を差し出してくる。
鏡の中に映りこんだ自分の姿に、カノンは思わず息を呑んだ。
肩口で綺麗に切り揃えた髪は、緩やかなウェーブを描きながらうなじへと流れている。眉は細く整えられ、深海を思わせる紫紺の瞳は、目じりまでしっかりと化粧で縁取りされ、強い意思を感じさせる輝きを放っていた。
頬紅は少し強めの自己主張。対照的に唇には、淡い色の紅が差されていた。
「これが、私?」
「そうだよ。化粧をしてくれたのは、オルハさんだけどね」
自分の姿がなんだか凄く恥ずかしくて、くすぐったくて。直視できずに俯いてしまう。こんな時のリアクションの返し方を、彼女は知らない。でも──とカノンは思う。思った言葉が、自然と口をついて出た。
「あはは、嬉しい。ありがとうね、コノハ……」
カノンはもう一度、親友の体を抱き寄せる。
そのありがとうは、決して魔法なんかじゃなくて。
心からのありがとうなんだと、カノンはそう――思った。
~麻薬と少女と呪いの指輪 END~
~後書きのようなもの~
自分が常日頃考えていることのひとつに、登場人物の死に頼らず感動させたい、というのがあります。
部活動をテーマにした青春物語であればこれも容易なのですが、なかなかに難しいですよね。
そんな中でこの作品は、上記のテーマをある程度かたちにできた部分があります。
とは言え、この物語を現実世界の設定で描けたら尚良かったとは思うのですが。主人公の心変わりや立ち直りの部分に別の切っ掛けが必要になる分、難易度が上がってしまうんですよね。書ける気がしませんorz
ゆえに、ヒューマンドラマって難しいよな、と考えさせられます。
PS:ちなみに、アリアンロッドRPGというゲームで実際に行ったセッションの内容を文章化したものです。但し、こんなに上手くいったセッションではなく、かなりの脚色(笑)が入っています。
2020/1/10 華音
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