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【贈り物をしましょうか?】
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――カノンは十四歳になっていた。
魔法学院を辞めたあと、家事の合間を利用して、カノンは薬草学の勉強を始めた。
魔法の実技はなかなか上手くいかなかったけれど、学力には自信があった。何よりも、蓄えた知識は自分を裏切らない。
そんなある日のことだった。モンスターを討伐する任務の最中に、コノハがひどい怪我をしたと彼女は耳にする。
先日できたばかりの小瓶を一つ握りしめ、カノンは鈴蘭亭へと急いで向かった。調合したばかりの軟膏があれば、コノハの怪我も早く治るはずだった。「カノン凄いね」と褒めてくれる親友の顔が脳裏に浮かぶ。
足取りも軽やかに、鈴蘭亭の前までたどり着く。入口からそっと中を覗き込んでみたのだが、店内にいた親友は、怪我している様子もなくとても元気そうだ。
コノハの隣に居た顔も名前も知らない小人族の神官が、「もう無茶をしないように」と彼女を咎める声が聞こえてきた。
そうか……治癒の魔法、とカノンは失念していた事実に思い至る。冒険者だったら、どんな怪我でもたちどころに治してしまうんだ。
渡しそびれた小瓶を鏡台の引き出しに仕舞いこむと、薬草学の本も書棚に片づけた。
◇
夕食時のピークを過ぎると、鈴蘭亭の客足も次第に鈍くなる。
それでも、夜はこれからだと言わんばかりにエール酒のジョッキを傾ける冒険者らで、テーブル席の多くが埋まっていた。そんな中、窓際一番奥にあるテーブルで、シャンはおさげの髪を弄びながらひとり考え事にふけっていた。
窓の外に向ける顔は物憂げ。目はうつろで、焦点が定まっていない。
時折、夕食を運んでいるリリアンがシャンの側を通りかかるが、軽い目配せをするのみで話しかけることはなかった。
気持ちが沈んでいる原因が、自分らの方にあれば、まだ良いのですが。
交錯させた視線で、二人はそんな言葉を交わしていた。
半刻ほど時間が過ぎたころ、リンとオルハの両名が戻ってくる。
「すまん、遅くなった……って、くらっ!? ……ん、どうした? お前らしくもない」
いつになく無表情なシャンを茶化しかけたリンだったが、あまりの反応の薄さに発言を差し替えた。二言目に疑問が口をついて出るほどには、彼女の顔は沈んで見えた。
神妙な面持ちで、リンとオルハが両脇に席をとる。
シャンはリンの問いかけに答えず、質問で返した。
「そちらはどうでした?」
「指輪を持っていた少女の身元なら判明したよ。名前はカノン・コダチで、年齢は十四歳。三日後に控えた誕生日がくると、十五歳になるらしい。寝込みがちな母親と、建設業のアルバイトで生計を立てている兄との三人暮らし。怪しい男らと一緒にいたという情報もあるし、やはり盗賊団との繋がりはありそうだ。家はお世辞にも裕福ではないようだし、金に困ってのことだろうか?」
カノン・コダチ……と、告げられた名前を呻くようにシャンが反芻した。
「なるほど……。残念ですが、やはりあの娘で間違いないんですね。指輪の形状も間違いなかったし、覚悟はしていましたが」
「会ったのか?!」
「ええ。会ったというか、なんというか……大変だったんですから」
シャンは深いため息をつくと、先ほど街角であった事の顛末を、順序だてて説明していった。
「……それでコノハは、部屋に閉じこもってしまったのねえ」
手すりの隙間から、二階に至る階段の上を見据えて、オルハがそう呟いた。
「それからもう一つ」とリンが、手元の羊皮紙に書いたメモに視線を落としながら補足する。「三日後の夜に、盗賊団が取り引きをするという情報がある」
「本当ですか? 取り引き現場を抑えることができれば、盗賊団を一網打尽に出来るかもしれないですね」
「ああ。取り引き場所にカノンとやらも来てくれると、指輪も取り戻せて一石二鳥なんだがな。最悪、彼女が居なかったとしても、住所も名前も割れているんだから、大きな問題はなさそうだけど」
一瞬だけ顔を綻ばせたシャンだったが、直ぐにその笑みを引き取ると、渋い顔で首を振った。
「……ところが、問題大有りなんですよね」
シャンとコノハが、神殿で調べてきた情報によると、指輪の名称は『感情増幅の指輪』。その名の通り、所持している人物の感情を増幅させる効果を持った呪いのアイテムだ。
「感情、か。それのどこが呪いになるんだよ?」
「増幅させるのは、良い感情ばかりではないということです」
元々は、所有者に自信を持たせるという目的で作られた品なのだろう、とシャンが説明を始めた。
しかし、妬み・嫉みといった負の感情を暴発させる者がむしろ多かったため、ついた別名が『嫉妬の指輪』
「所有者は強い高揚感を得られるため、手放せなくなるという事例も過去にあったのだとか。しかし、それは呪いの力なので危険です。最終的には良心の全てを指輪に食い尽くされて、精神が崩壊してしまうぞ、と司祭様に脅されて来ましたよ」
普段、皮肉屋であるシャンが不貞腐れている理由がそれか、とリンはひとり納得していた。
「つまり、カノンとやらがコノハに暴言を吐いたのも、指輪の影響って訳か」
「そういうことです」
「呪いの効果じゃあ、そりゃあひどい暴言にもなるわけだ。流石のコノハも、耐えられんかったか」
ええ、と言いながらシャンは苦い表情で天井を見上げる。恐らくその視線の先に、コノハが居るのだろう。
「でもさ、どうして彼女がそんな危険なアイテムを持っていたんだろうな。盗賊団とどこで繋がりが?」
腕を組み、しばし黙考したリンであったが、やがてひとつの可能性に行き着いた。
「そうか、人身売買。シャン。そのカノンって子。もしかしてわりと見た目いい?」
「あー……ですかねえ。身なりがアレだったのであまりそう見えませんでしたが、目鼻立ちは整っていました。磨けば確かに光りそう」
「それかな? かたや金銭。かたや人売り。目的は違えと、双方の利害関係が一致していた可能性はある。どちらにしても、その子危ないな。こいつはうかうかしてられないぞ」
「そうですね。あとはコノハがいつ立ち直ってくれるかですが、こればっかりは。暴言が少女の本心でなかったことだけが、不幸中の幸いですが」
そう言って、結論付けようとした二人の会話に、ここまで無言を貫いていたオルハが割り込んだ。
「……それはちょっと違うわねえ。負の感情を増幅させるだけだから、彼女の胸の内には、確かに妬みも嫉みも存在しているんですよ?」
確かめるような彼女の口調に、それもそうか、と二人は苦々しい顔になってしまう。
「……シャンはコノハの事、どう思っているかしら?」
オルハが突然話題を変える。いぶかしむような目を向けながらも、シャンは答えた。
「バカですね」、と。
「……身も蓋もないわね~。いや、そうではなくて……」
「ああ、良くも悪くも真っ直ぐですね。彼女は性格も明るいし、誰にでも同じように接する。でも、その強い意志を持った言葉は、後ろめたいことを抱えている人には、時としてプレッシャーになるでしょうね。案外と彼女、気の利かないところがありますから」
口に含んでいたエール酒を、リンが盛大に噴き出した。
「なんなんですか、汚いですね!」
「いや、シャンの口から、『気の利かない』なんて台詞が出てくるとは思ってなかったから……。ある意味、どんな喜劇よりも面白い」
失礼ですね、と憤ったシャンとリンとの間で口論が始まるなか、突然オルハが立ち上がった。
「どこへ行くんですか?」
「……ん~、ちょっと、コノハのところにかしらね」
「今はまだ止めておいた方が良いのでは?」
「……むしろ、今だからよお」
柔らかい口調で、されど、聞く耳は持たない、と言わんばかりに背を向けたオルハを、シャンは見送ることしかできない。
二人のやり取りを見守っていたリンは、感心したように呟いた。
「いやほんと。時々、あいつすげーよなって思うよ」
◇
コノハは一人で二階の客室にいた。
喪に服するように布団に突っ伏したまま、いったん何分経ったのだろう、とコノハは思う。
誰ひとりとして、様子を見に来てくれないことを寂しいと思ったり。でも、今はまだ誰とも話したくないし、このままで良いやと思ったり。複雑な感情が泡沫のように浮かんでは消えていく。そうして自分のことに考えを巡らしていないと、頭がどうにかなりそうだった。
そのとき、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。
濡れた目元を慌てて拭い、「どうぞ」と扉の向こうにいるであろう人物に声をかけた。
「……突然ごめんなさいねえ」
部屋にやって来たのはオルハだった。彼女はベッドのすぐ側に椅子を持ってきて腰かけると、やさしい口調で囁くように語り始める。
「……いつも元気なコノハがこんな時間から部屋にこもってしまうなんて。少々疲れてしまいましたか?」
戸惑うように視線を左右に泳がせたのち、コノハは頷こうとして、けれど、慌てたように言葉を紡いだ。
「そういうわけでもないんだけど、ちょっとショックな出来事があって……」
彼女は困ったように笑みを浮かべて、それからキュッときつく唇をかみしめた。
どんなときでも嘘を憚る真っ直ぐな性根。本当にコノハらしいわね、とオルハは思う。
「シャンから、事情を聞いてきたんでしょ?」
「……ん~そうねえ。事情というのが何を指すのか私は知りませんが、シャンとリンが話をしている内容なら、小耳に挟んだかもしれませんねえ」
カーテンの隙間から差し込んでいる月明かりを見つめ、オルハが言った。彼女が敢えて遠まわしな表現をしてくれていることを、コノハは痛いほど理解していた。
「……今日、お友達に会ったんですってね」
オルハが話の核心に触れると、コノハの心臓がぞくりと震えた。
「うん……」
「……三日後は、彼女の誕生日だそうですよ」
「知ってる」
「……覚えていたんですか。それは、とても良い事ですね~」
「でも、もう関係ないよ。私は、カノンに嫌われてるから。そう、ハッキリ言われたから」
拗ねた口調でそう呟き、抱えた膝の間にコノハは顎を埋めた。
「……そうなの。あなたも、彼女の事が嫌いになってしまったのかしら?」
「そんな訳ない! カノンは、私にとって……大事な親友だと思っているから……」
次第に小さくなっていく語尾に、コノハの不安な心が滲み出ているようだった。
「……コノハは、彼女のことを助けたいと思っているのよねえ?」
コノハは無言で頷いた。
「……人の心というものはですね」
まるで、歌うように穏やかな口調で、オルハが話し始める。
それが、自分に向けられた言葉なのかわからず聞き流していたコノハが、引き寄せられるように顔を上げた。抱えていた膝を解放して、ベッドサイドに腰掛けた。
「……とても弱くて脆いものなのです。直接悪意をぶつけられると、容易く折れてしまいますし、時には好意だと思ってかけた言葉ですらも、重荷になってしまうのです。ですから、言葉も好意も、常に真っ直ぐぶつけてしまってはダメなのです。時として、変化球が必要となるケースもあるんですよ」
うん、過去のことを思い出しているのか、胸を押さえながらコノハが頷く。
「私ね」とひどく擦れた声でコノハが言った。「冒険者になれたとき、真っ先にカノンに報告しに行ったの。嬉しかったから、立派になった自分の姿を見てもらいたくて……」
ええ、と頷きながら、オルハは続きを促した。
「でも、それがカノンには重圧になっていたのかな? 私……彼女に喜んでもらえるって思ったから頑張ってたのに。二人で一緒に冒険者になれたらって思ったから、頑張ってきたのに。……そりゃ、ちょっとは自慢したいって気持ちがあったのも確かなんだけど」
「……誰も祝福してくれませんでしたか? コノハが冒険者になったとき?」
「え? うん……どうだろ? そんなことは無いと思うけど」
「ならば、あなたがした報告自体は、間違いではないのです」とオルハは言った。
「……でも。言葉というのは色んな側面があるものなんです。先ほども言ったように、好意が真っ直ぐに届くうちは良いのです。ですが……そうじゃないとき。たとえば相手の心が沈んでいるときにかけられる明るい台詞は、人の心を抉ってしまう場合もあるのです。もう一つ例を挙げましょうか? 病気で奥様を亡くして塞ぎこむご主人に、どんな言葉をかけたら喜んでもらえると思いますか?」
「えっと、それは……」
うーん、と首を傾げて真面目に考え込む彼女の瞼の下は、もうすっかり乾いていた。
「難しいかなあ……。励ます言葉か慰める言葉なら、直ぐにでも思いつくんだけど……」
それから、ハッとした顔で弾かれるように顔を上げた。
「やっぱり私が悪いのかな? 冒険者になれていない彼女の心を、抉ってしまったのかな? 」
「……そうかもしれませんねえ。でもそれは、受け取る側の問題でもありまして、決してコノハだけが悪いわけではありません。極論を言ってしまえば、二人とも悪くないのかもしれません。そういった難しい事情を抱えているのが、人の心なのですよ」
でもね、と更にオルハは続ける。
「……だからといって、怖気づいてはダメですよ? 声をかけるのを止めてしまっては、心に届くことはなくなってしまいます。あなたが声をかけなければ、親友を救い出すことはできなくなってしまいます。助けたいのでしょう? お友だちのことを?」
「うん……」
「……しかし、一番難しいのが否定の言葉なのも事実。なんで、あなたはそうなの? どうして、そんな悪いことをするの? それは、間違っていることなんだよ。それらが全て正しい言葉だったとしましょう。……でも、否定の言葉というのは、どういった伝え方をしても、相手に上手く届かなかったりするものなのです。反発する感情も、同時に生まれてしまいますから、ね」
「じゃあ、どうすれば良いの……?」
「……贈り物をしましょうか」
コノハは「あ」と思い出したように、ぽん、と手のひらの上で拳を打った。
「そうか、誕生日か。プレゼントを贈れば良いのかな」
「……それも悪くないですねえ。でも贈り物は、目に見えるものでなくても良いのですよ」
不思議そうな顔でコノハが首を傾げる。難しく考えてしまってるのですね? と笑いながら、オルハは彼女の頭を優しく撫でた。
「……お友だちに、あなたの気持ちをぶつけましょう。今までの感謝を伝えましょう。彼女の弱さも強さもひっくるめて全部受け止めて、あなたが支えてあげるんですよ」
一度乾いたはずのコノハの瞳からは、再び涙が溢れてきていた。
「……辛かったのですね。でも、ひとつ痛みを覚えたことによって、あなたはもっと強くなれますから」
そう言って、オルハがそっとコノハを抱きしめた。
「……ねえ、オルハ。私、買い物しに行きたい」
「……プレゼントですね? わかりました。一緒に探しに行きましょうか」
コノハはうん、と頷き立ち上がると、軽やかな足取りで部屋の扉を開けた。その瞬間、聞き耳を立てていたであろう二人が部屋の中に雪崩れ込んでくる。
「あ、あはは……。俺たちもその買い物、付き合うぜ!」
バツが悪そうに親指を立てる二人に、コノハは笑顔で応えていた。
魔法学院を辞めたあと、家事の合間を利用して、カノンは薬草学の勉強を始めた。
魔法の実技はなかなか上手くいかなかったけれど、学力には自信があった。何よりも、蓄えた知識は自分を裏切らない。
そんなある日のことだった。モンスターを討伐する任務の最中に、コノハがひどい怪我をしたと彼女は耳にする。
先日できたばかりの小瓶を一つ握りしめ、カノンは鈴蘭亭へと急いで向かった。調合したばかりの軟膏があれば、コノハの怪我も早く治るはずだった。「カノン凄いね」と褒めてくれる親友の顔が脳裏に浮かぶ。
足取りも軽やかに、鈴蘭亭の前までたどり着く。入口からそっと中を覗き込んでみたのだが、店内にいた親友は、怪我している様子もなくとても元気そうだ。
コノハの隣に居た顔も名前も知らない小人族の神官が、「もう無茶をしないように」と彼女を咎める声が聞こえてきた。
そうか……治癒の魔法、とカノンは失念していた事実に思い至る。冒険者だったら、どんな怪我でもたちどころに治してしまうんだ。
渡しそびれた小瓶を鏡台の引き出しに仕舞いこむと、薬草学の本も書棚に片づけた。
◇
夕食時のピークを過ぎると、鈴蘭亭の客足も次第に鈍くなる。
それでも、夜はこれからだと言わんばかりにエール酒のジョッキを傾ける冒険者らで、テーブル席の多くが埋まっていた。そんな中、窓際一番奥にあるテーブルで、シャンはおさげの髪を弄びながらひとり考え事にふけっていた。
窓の外に向ける顔は物憂げ。目はうつろで、焦点が定まっていない。
時折、夕食を運んでいるリリアンがシャンの側を通りかかるが、軽い目配せをするのみで話しかけることはなかった。
気持ちが沈んでいる原因が、自分らの方にあれば、まだ良いのですが。
交錯させた視線で、二人はそんな言葉を交わしていた。
半刻ほど時間が過ぎたころ、リンとオルハの両名が戻ってくる。
「すまん、遅くなった……って、くらっ!? ……ん、どうした? お前らしくもない」
いつになく無表情なシャンを茶化しかけたリンだったが、あまりの反応の薄さに発言を差し替えた。二言目に疑問が口をついて出るほどには、彼女の顔は沈んで見えた。
神妙な面持ちで、リンとオルハが両脇に席をとる。
シャンはリンの問いかけに答えず、質問で返した。
「そちらはどうでした?」
「指輪を持っていた少女の身元なら判明したよ。名前はカノン・コダチで、年齢は十四歳。三日後に控えた誕生日がくると、十五歳になるらしい。寝込みがちな母親と、建設業のアルバイトで生計を立てている兄との三人暮らし。怪しい男らと一緒にいたという情報もあるし、やはり盗賊団との繋がりはありそうだ。家はお世辞にも裕福ではないようだし、金に困ってのことだろうか?」
カノン・コダチ……と、告げられた名前を呻くようにシャンが反芻した。
「なるほど……。残念ですが、やはりあの娘で間違いないんですね。指輪の形状も間違いなかったし、覚悟はしていましたが」
「会ったのか?!」
「ええ。会ったというか、なんというか……大変だったんですから」
シャンは深いため息をつくと、先ほど街角であった事の顛末を、順序だてて説明していった。
「……それでコノハは、部屋に閉じこもってしまったのねえ」
手すりの隙間から、二階に至る階段の上を見据えて、オルハがそう呟いた。
「それからもう一つ」とリンが、手元の羊皮紙に書いたメモに視線を落としながら補足する。「三日後の夜に、盗賊団が取り引きをするという情報がある」
「本当ですか? 取り引き現場を抑えることができれば、盗賊団を一網打尽に出来るかもしれないですね」
「ああ。取り引き場所にカノンとやらも来てくれると、指輪も取り戻せて一石二鳥なんだがな。最悪、彼女が居なかったとしても、住所も名前も割れているんだから、大きな問題はなさそうだけど」
一瞬だけ顔を綻ばせたシャンだったが、直ぐにその笑みを引き取ると、渋い顔で首を振った。
「……ところが、問題大有りなんですよね」
シャンとコノハが、神殿で調べてきた情報によると、指輪の名称は『感情増幅の指輪』。その名の通り、所持している人物の感情を増幅させる効果を持った呪いのアイテムだ。
「感情、か。それのどこが呪いになるんだよ?」
「増幅させるのは、良い感情ばかりではないということです」
元々は、所有者に自信を持たせるという目的で作られた品なのだろう、とシャンが説明を始めた。
しかし、妬み・嫉みといった負の感情を暴発させる者がむしろ多かったため、ついた別名が『嫉妬の指輪』
「所有者は強い高揚感を得られるため、手放せなくなるという事例も過去にあったのだとか。しかし、それは呪いの力なので危険です。最終的には良心の全てを指輪に食い尽くされて、精神が崩壊してしまうぞ、と司祭様に脅されて来ましたよ」
普段、皮肉屋であるシャンが不貞腐れている理由がそれか、とリンはひとり納得していた。
「つまり、カノンとやらがコノハに暴言を吐いたのも、指輪の影響って訳か」
「そういうことです」
「呪いの効果じゃあ、そりゃあひどい暴言にもなるわけだ。流石のコノハも、耐えられんかったか」
ええ、と言いながらシャンは苦い表情で天井を見上げる。恐らくその視線の先に、コノハが居るのだろう。
「でもさ、どうして彼女がそんな危険なアイテムを持っていたんだろうな。盗賊団とどこで繋がりが?」
腕を組み、しばし黙考したリンであったが、やがてひとつの可能性に行き着いた。
「そうか、人身売買。シャン。そのカノンって子。もしかしてわりと見た目いい?」
「あー……ですかねえ。身なりがアレだったのであまりそう見えませんでしたが、目鼻立ちは整っていました。磨けば確かに光りそう」
「それかな? かたや金銭。かたや人売り。目的は違えと、双方の利害関係が一致していた可能性はある。どちらにしても、その子危ないな。こいつはうかうかしてられないぞ」
「そうですね。あとはコノハがいつ立ち直ってくれるかですが、こればっかりは。暴言が少女の本心でなかったことだけが、不幸中の幸いですが」
そう言って、結論付けようとした二人の会話に、ここまで無言を貫いていたオルハが割り込んだ。
「……それはちょっと違うわねえ。負の感情を増幅させるだけだから、彼女の胸の内には、確かに妬みも嫉みも存在しているんですよ?」
確かめるような彼女の口調に、それもそうか、と二人は苦々しい顔になってしまう。
「……シャンはコノハの事、どう思っているかしら?」
オルハが突然話題を変える。いぶかしむような目を向けながらも、シャンは答えた。
「バカですね」、と。
「……身も蓋もないわね~。いや、そうではなくて……」
「ああ、良くも悪くも真っ直ぐですね。彼女は性格も明るいし、誰にでも同じように接する。でも、その強い意志を持った言葉は、後ろめたいことを抱えている人には、時としてプレッシャーになるでしょうね。案外と彼女、気の利かないところがありますから」
口に含んでいたエール酒を、リンが盛大に噴き出した。
「なんなんですか、汚いですね!」
「いや、シャンの口から、『気の利かない』なんて台詞が出てくるとは思ってなかったから……。ある意味、どんな喜劇よりも面白い」
失礼ですね、と憤ったシャンとリンとの間で口論が始まるなか、突然オルハが立ち上がった。
「どこへ行くんですか?」
「……ん~、ちょっと、コノハのところにかしらね」
「今はまだ止めておいた方が良いのでは?」
「……むしろ、今だからよお」
柔らかい口調で、されど、聞く耳は持たない、と言わんばかりに背を向けたオルハを、シャンは見送ることしかできない。
二人のやり取りを見守っていたリンは、感心したように呟いた。
「いやほんと。時々、あいつすげーよなって思うよ」
◇
コノハは一人で二階の客室にいた。
喪に服するように布団に突っ伏したまま、いったん何分経ったのだろう、とコノハは思う。
誰ひとりとして、様子を見に来てくれないことを寂しいと思ったり。でも、今はまだ誰とも話したくないし、このままで良いやと思ったり。複雑な感情が泡沫のように浮かんでは消えていく。そうして自分のことに考えを巡らしていないと、頭がどうにかなりそうだった。
そのとき、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。
濡れた目元を慌てて拭い、「どうぞ」と扉の向こうにいるであろう人物に声をかけた。
「……突然ごめんなさいねえ」
部屋にやって来たのはオルハだった。彼女はベッドのすぐ側に椅子を持ってきて腰かけると、やさしい口調で囁くように語り始める。
「……いつも元気なコノハがこんな時間から部屋にこもってしまうなんて。少々疲れてしまいましたか?」
戸惑うように視線を左右に泳がせたのち、コノハは頷こうとして、けれど、慌てたように言葉を紡いだ。
「そういうわけでもないんだけど、ちょっとショックな出来事があって……」
彼女は困ったように笑みを浮かべて、それからキュッときつく唇をかみしめた。
どんなときでも嘘を憚る真っ直ぐな性根。本当にコノハらしいわね、とオルハは思う。
「シャンから、事情を聞いてきたんでしょ?」
「……ん~そうねえ。事情というのが何を指すのか私は知りませんが、シャンとリンが話をしている内容なら、小耳に挟んだかもしれませんねえ」
カーテンの隙間から差し込んでいる月明かりを見つめ、オルハが言った。彼女が敢えて遠まわしな表現をしてくれていることを、コノハは痛いほど理解していた。
「……今日、お友達に会ったんですってね」
オルハが話の核心に触れると、コノハの心臓がぞくりと震えた。
「うん……」
「……三日後は、彼女の誕生日だそうですよ」
「知ってる」
「……覚えていたんですか。それは、とても良い事ですね~」
「でも、もう関係ないよ。私は、カノンに嫌われてるから。そう、ハッキリ言われたから」
拗ねた口調でそう呟き、抱えた膝の間にコノハは顎を埋めた。
「……そうなの。あなたも、彼女の事が嫌いになってしまったのかしら?」
「そんな訳ない! カノンは、私にとって……大事な親友だと思っているから……」
次第に小さくなっていく語尾に、コノハの不安な心が滲み出ているようだった。
「……コノハは、彼女のことを助けたいと思っているのよねえ?」
コノハは無言で頷いた。
「……人の心というものはですね」
まるで、歌うように穏やかな口調で、オルハが話し始める。
それが、自分に向けられた言葉なのかわからず聞き流していたコノハが、引き寄せられるように顔を上げた。抱えていた膝を解放して、ベッドサイドに腰掛けた。
「……とても弱くて脆いものなのです。直接悪意をぶつけられると、容易く折れてしまいますし、時には好意だと思ってかけた言葉ですらも、重荷になってしまうのです。ですから、言葉も好意も、常に真っ直ぐぶつけてしまってはダメなのです。時として、変化球が必要となるケースもあるんですよ」
うん、過去のことを思い出しているのか、胸を押さえながらコノハが頷く。
「私ね」とひどく擦れた声でコノハが言った。「冒険者になれたとき、真っ先にカノンに報告しに行ったの。嬉しかったから、立派になった自分の姿を見てもらいたくて……」
ええ、と頷きながら、オルハは続きを促した。
「でも、それがカノンには重圧になっていたのかな? 私……彼女に喜んでもらえるって思ったから頑張ってたのに。二人で一緒に冒険者になれたらって思ったから、頑張ってきたのに。……そりゃ、ちょっとは自慢したいって気持ちがあったのも確かなんだけど」
「……誰も祝福してくれませんでしたか? コノハが冒険者になったとき?」
「え? うん……どうだろ? そんなことは無いと思うけど」
「ならば、あなたがした報告自体は、間違いではないのです」とオルハは言った。
「……でも。言葉というのは色んな側面があるものなんです。先ほども言ったように、好意が真っ直ぐに届くうちは良いのです。ですが……そうじゃないとき。たとえば相手の心が沈んでいるときにかけられる明るい台詞は、人の心を抉ってしまう場合もあるのです。もう一つ例を挙げましょうか? 病気で奥様を亡くして塞ぎこむご主人に、どんな言葉をかけたら喜んでもらえると思いますか?」
「えっと、それは……」
うーん、と首を傾げて真面目に考え込む彼女の瞼の下は、もうすっかり乾いていた。
「難しいかなあ……。励ます言葉か慰める言葉なら、直ぐにでも思いつくんだけど……」
それから、ハッとした顔で弾かれるように顔を上げた。
「やっぱり私が悪いのかな? 冒険者になれていない彼女の心を、抉ってしまったのかな? 」
「……そうかもしれませんねえ。でもそれは、受け取る側の問題でもありまして、決してコノハだけが悪いわけではありません。極論を言ってしまえば、二人とも悪くないのかもしれません。そういった難しい事情を抱えているのが、人の心なのですよ」
でもね、と更にオルハは続ける。
「……だからといって、怖気づいてはダメですよ? 声をかけるのを止めてしまっては、心に届くことはなくなってしまいます。あなたが声をかけなければ、親友を救い出すことはできなくなってしまいます。助けたいのでしょう? お友だちのことを?」
「うん……」
「……しかし、一番難しいのが否定の言葉なのも事実。なんで、あなたはそうなの? どうして、そんな悪いことをするの? それは、間違っていることなんだよ。それらが全て正しい言葉だったとしましょう。……でも、否定の言葉というのは、どういった伝え方をしても、相手に上手く届かなかったりするものなのです。反発する感情も、同時に生まれてしまいますから、ね」
「じゃあ、どうすれば良いの……?」
「……贈り物をしましょうか」
コノハは「あ」と思い出したように、ぽん、と手のひらの上で拳を打った。
「そうか、誕生日か。プレゼントを贈れば良いのかな」
「……それも悪くないですねえ。でも贈り物は、目に見えるものでなくても良いのですよ」
不思議そうな顔でコノハが首を傾げる。難しく考えてしまってるのですね? と笑いながら、オルハは彼女の頭を優しく撫でた。
「……お友だちに、あなたの気持ちをぶつけましょう。今までの感謝を伝えましょう。彼女の弱さも強さもひっくるめて全部受け止めて、あなたが支えてあげるんですよ」
一度乾いたはずのコノハの瞳からは、再び涙が溢れてきていた。
「……辛かったのですね。でも、ひとつ痛みを覚えたことによって、あなたはもっと強くなれますから」
そう言って、オルハがそっとコノハを抱きしめた。
「……ねえ、オルハ。私、買い物しに行きたい」
「……プレゼントですね? わかりました。一緒に探しに行きましょうか」
コノハはうん、と頷き立ち上がると、軽やかな足取りで部屋の扉を開けた。その瞬間、聞き耳を立てていたであろう二人が部屋の中に雪崩れ込んでくる。
「あ、あはは……。俺たちもその買い物、付き合うぜ!」
バツが悪そうに親指を立てる二人に、コノハは笑顔で応えていた。
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他サイトでも公開しています。
R15は保険です。
表紙は写真ACより転載しています。
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