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第一章:水瀬茉莉
【転校生は、無口な少女】
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夏休みがあけた最初の日。僕が教室に入ると、ひとつ異変があった。
机の上に頬杖をついて、隣に増えた真新しい席をじっと見つめる。
「転校生、なんだって」
僕が感じた疑問に答えるように、親友である日高徹が、机を指差しながら言った。
「見ればそれは、なんとなくわかる」
「へへ、そっか」
意に介した様子もなく、デカい声で徹が笑う。
あまり勉強は得意じゃないが、スポーツ万能なうえ背も高い彼は、この六年二組の中でも人気者。誰もが羨むカースト上位。そのせいか、いがぐり頭の癖して女の子によくモテる。
「転校生が隣にくるの嫌か? なーんか、不満そうな顔をしてんぞ」
「別に。そんなんじゃないけど」
気のない声で返し、窓の外に目を向けた。
僕が通っている宮崎県日南市の小学校は、海沿いに校舎をかまえている。窓ガラス一枚隔てた先に広がっているのは、目に沁みるほど鮮やかな空と海の青。雲ひとつない空から降り注ぐ太陽の光は今日も強い。
「転校生って男子?」
「うんにゃ、女子だって。見かけた女どもの噂によると、めっちゃ可愛いらしい。そんなわけで、男連中は完全に色めきたってる。まったく興味を示してないのは、翔と稔くらいのもんだぜ」
徹と稔と僕の三人は、四年生のころからずっと同じクラスだ。性格のタイプが其々まったく違うというのに妙に息があうというか、気がつけば僕たちは親友だった。残念なことに僕と稔は、徹と違ってモテないタイプなんだけど。
「ふうん。女子、ねえ……」
自分が思うより、素っ気ない声が出てちょっと驚く。それでもなお徹は、驚いた顔ひとつしない。僕が女の子に興味を示さないのは、なにも今始まったことではないのだから。
嫌な予感が的中したな、と心中で愚痴り、クラスメイトたちの顔を順々に見た。すこしだけ黒くなったそれぞれの顔。だが、顔と名前が一致するのはだいたい半分ほどだろうか。
今度は、教室を支配している喧騒に耳を傾けてみる。楽し気に交わされているわりに、会話の中身はくだらないものだ。夏休みの宿題がどうこうとか、特に興味をそそられることもない、休み中の武勇伝。ゲーム機を突き合わせて熱狂している男子にいたっては、もはやただの奇声でしかない。
つまんないな、と呟きが落ちたそのとき、朝のホームルーム開始を告げるチャイムが鳴った。とたん、教室に満ちていた会話がピタリと止んだ。
「やべ、先生くるな。じゃ、俺戻るから、また休み時間」
ゲームをしていた男子が慌てて机の中に隠し、徹や他の生徒らも一斉に席に着き始める。直後、廊下に二つの足音が響いてきた。
二学期早々にやってくる転校生。
しかも可愛い女の子。
これだけ条件が揃ったならば、普通の男子ならテンションが上がるものなんだろう。徹の反応を見ててもそれはわかる。
でも、僕にはちょいと無理だ。
なぜならば、僕は女の子の顔が見えないから。人に言ってもなかなか信じてもらえないこの不思議な病気の名前は、相貌失認。
相貌失認とは、脳障害からくる失認の一種であり、生まれつきの障害である場合と、頭にけがをしたとか、血管に障害がでたとか、精神的に強いショックを受けたとか。様々な理由によって、後天的に発症するケースがあるらしい。いずれにしても、相貌失認が起こった原因を特定するのは、なかなか難しいのだそうだ。
その症状は、目・鼻・口といった個々のパーツは知覚できるものの、全体として『一つの顔』として認識できないため、顔の区別がつかない、覚えられないというもの。
テレビや映画を観ているとき、登場人物がわからず話のスジがつながらない。
ついさっき会ったばかりの相手でも、場所が変わると誰だか分からなくなる。
相手が誰なのかを顔で見分けにくく、その為、主に声や歩き方、あるいは、大きな鼻といった特徴や服装で判別することになる。日常生活にあまり問題がでない場合もあるが、かなり深刻になる例もあるとか。
ところで僕の場合、一般的な相貌失認とはまったく違う症状がひとつある。
それは──女性の顔だけ覚えられないということ。
だからクラスメイトでも男子は問題ないのだが、女子の方はぼんやりとしか識別できない。
病を自覚した小学校四年生のころから症状は段々と強くなり、今年の春頃にクラスの女の子全員を見分けられなくなってしまった。
この病のせいで、僕は女の子とコミュニケーションを図るのがはっきりいって苦手。
顔がわからないのだから、当然、女の子に対して興味、感心を持つことがない。綺麗なアイドルの写真を見せられても、可愛いクラスのマドンナに目を向けても、違いがいま一つよく分からないのだから、どうとも思わない。こちらから興味を示さないということは、相手からの反応もまた同じなわけで。
交わらない、互いの感情。
これこそが徹いわく、サラサラした頭髪を持つそこそこイケメンであるにもかかわらず、僕が大半の女子に見向きもされない理由であり、また、女の子の転校生を歓迎できない根本的な原因だった。
「あーあ」
まーたつまんないことを考えている、と溜め息がでかかったその時、教室の扉がガラガラと音を立てて開くと、ふくよかな体型をした女性教師が入ってくる。彼女は四十を手前にしていまだ独身であることを、クラスの男子どもによくからかわれていた。
先生は教卓の脇で立ち止まると、廊下の方に向かって声を掛ける。彼女の呼びかけに応え姿を現したのは、赤いランドセルを背負った女の子。
おお、という男子の感嘆の声が、女子が息を呑む音と混ざって聞こえる。
初見から、少し奇妙だな、と感じた。
教室の空気に上手く馴染んでいない、とでもいうべきか。転校生というだけではなく、周囲から浮いている印象を覚えた。
背はそんなに高くない。たぶん、百四十センチもなさそうだ。
パリっとした清潔そうな水色のワンピースから覗くのは、ほっそりとした手足。うなじも細く、というか、全体的に体つきが華奢だ。肌は色白で、どこか不健康そうですらある。睫毛が長い瞳は切れ長。整い過ぎた目鼻立ちは、いっそ造りものめいて白々しい。
確かにこれは、可愛いっていう部類なんだろうね。
──とそこまで考えたところで驚いた。ちょっと待って、それはおかしい、と握りしめた拳に力がこもる。
どうして、この子の顔がはっきり見える!?
少女が耳に掛かった髪をかき上げると、肩口まで伸ばされた波打った黒髪がふわりと舞った。そのまま伏せていた瞳を真横──ようは、窓の外に移した。酷く緊張しているのか表情はどこか硬く、クラスの誰とも目線を合わそうとしない。
数秒の沈黙ののち、思い出したように委員長が号令をかけた。
「起立。きをつけ──礼」
『おはようございます』
みんなの声が揃い、一拍置いてからガタガタと音を立て全員が着席した。
先生は黒板の方に向き直ってチョークを手に取ると、素早く【水瀬茉莉】とだけ書き入れた。
「今日はホームルームに入る前に、転校生を紹介したいと思います。隣の串間市から引っ越して来た、水瀬茉莉さんです。今日からこのクラスの一員となりますので、みなさん仲良くしてあげてくださいね」
当たり障りのない紹介のあと、先生が「ほら自己紹介」と転校生に促すと、窓の外に向けていた視線を正面に戻した。彼女はこくんと頷くと、おずおずと一歩だけ前に進み出た。
しかし、こちらに向いたはずの視線は、今度は床に落とされていた。そこに何か有るのだろうか、と勘繰ってしまうほど、一点だけを凝視し続けた。
気まずい沈黙が、次第に漂う。
全員が固唾を飲んで見守る中、静かに転校生が口を開いた。
「みなせ まつりです。……よろしくおねがいします」
ようやく聞こえた第一声は、風邪でもひいてそうな擦れ声。相変わらず顔は伏せられたままで、表情をうかがい知るのも難しい。
なんてね。女の子の顔が見えない僕が、彼女の表情を気にかけていること自体がなんか笑える。
「結構可愛くない?」
「今、なんて言ったか聞こえた?」
「茉莉って、なんだか難しい漢字だよね」
「六年生になってから転校して来るなんて、ちょっと、変わってんな」
様々な囁き声が、教室中から上がった。
まったくその通りだよね、と僕も思う。どうして、小学校生活も残り半年というこんな微妙な時期に、転校なんてして来たものか。なんとなく、不憫だな、とは感じる。
その後も転校生は、一切の反応を示さない。
「席はそうね……」
と言いながら先生は、教室中を見渡した。やがて、僕の隣にある空席を指差してこう言った。
「茉莉さん。窓際の空いている席に座って下さい。早坂君、よろしくお願いしますね」
最初から決まっていただろうに、と苦笑いをしながら、先生の声に頷いた。
こうして、隣の転校生と比較するとよく分かる。先生の顔、口元を見ていれば笑っていることはわかるものの、それが精々。個人として認識するのが難しいので、隣に別の大人が並ぶと、どちらが先生なのか見分けがつかなくなってしまう。
それが、この病の本質。
なのにどうして、と今度は転校生の顔に視線を戻した。彼女の顔ははっきりと判別できるのか。
転校生は軽めに頷くと、ゆったりとした歩調で歩き始めた。華奢な体には、大きめなランドセルがなんとも不釣合いだ。
「ぼくの名前、早坂翔っていうんだ。これからよろしくね」
転校生が隣にやってきたタイミングで声をかけると、彼女はハッとした表情で僕の方を見た。
見開かれた瞳には、驚きや困惑、様々な感情が浮かんで見えた。
なんで、そんな反応?
驚きから声が出かけたその時、彼女はふい、と視線を逸らすと、何事もなかったかのように席に座った。
開いた口が塞がらない僕を他所に、授業が始まる。
おかしい。確かにいま、目が合ったはずだし、僕の声だってきっと聞こえてた。釈然としない気持ちを抱えたまま、転校生の横顔をじっと見つめる。
確かに彼女は、凄い美人なんだと思う。だが反面、精巧に作られた日本人形みたいに、どこか、他人を寄せ付けない冷たい雰囲気があった。その分だけ、世渡りが上手くなさそう、というか、生きづらそうにも見えた。
なんだか変な女。なんてな、と自分の考えを笑い飛ばした。僕だって、たいがい変わり者のくせに。
生産性のない思考を切り上げて、机の上に教科書を開いた。
だが、この時きっと、僕は既に感じていた。唯一顔が見える女の子である水瀬茉莉に、何か縋るような思いを。
机の上に頬杖をついて、隣に増えた真新しい席をじっと見つめる。
「転校生、なんだって」
僕が感じた疑問に答えるように、親友である日高徹が、机を指差しながら言った。
「見ればそれは、なんとなくわかる」
「へへ、そっか」
意に介した様子もなく、デカい声で徹が笑う。
あまり勉強は得意じゃないが、スポーツ万能なうえ背も高い彼は、この六年二組の中でも人気者。誰もが羨むカースト上位。そのせいか、いがぐり頭の癖して女の子によくモテる。
「転校生が隣にくるの嫌か? なーんか、不満そうな顔をしてんぞ」
「別に。そんなんじゃないけど」
気のない声で返し、窓の外に目を向けた。
僕が通っている宮崎県日南市の小学校は、海沿いに校舎をかまえている。窓ガラス一枚隔てた先に広がっているのは、目に沁みるほど鮮やかな空と海の青。雲ひとつない空から降り注ぐ太陽の光は今日も強い。
「転校生って男子?」
「うんにゃ、女子だって。見かけた女どもの噂によると、めっちゃ可愛いらしい。そんなわけで、男連中は完全に色めきたってる。まったく興味を示してないのは、翔と稔くらいのもんだぜ」
徹と稔と僕の三人は、四年生のころからずっと同じクラスだ。性格のタイプが其々まったく違うというのに妙に息があうというか、気がつけば僕たちは親友だった。残念なことに僕と稔は、徹と違ってモテないタイプなんだけど。
「ふうん。女子、ねえ……」
自分が思うより、素っ気ない声が出てちょっと驚く。それでもなお徹は、驚いた顔ひとつしない。僕が女の子に興味を示さないのは、なにも今始まったことではないのだから。
嫌な予感が的中したな、と心中で愚痴り、クラスメイトたちの顔を順々に見た。すこしだけ黒くなったそれぞれの顔。だが、顔と名前が一致するのはだいたい半分ほどだろうか。
今度は、教室を支配している喧騒に耳を傾けてみる。楽し気に交わされているわりに、会話の中身はくだらないものだ。夏休みの宿題がどうこうとか、特に興味をそそられることもない、休み中の武勇伝。ゲーム機を突き合わせて熱狂している男子にいたっては、もはやただの奇声でしかない。
つまんないな、と呟きが落ちたそのとき、朝のホームルーム開始を告げるチャイムが鳴った。とたん、教室に満ちていた会話がピタリと止んだ。
「やべ、先生くるな。じゃ、俺戻るから、また休み時間」
ゲームをしていた男子が慌てて机の中に隠し、徹や他の生徒らも一斉に席に着き始める。直後、廊下に二つの足音が響いてきた。
二学期早々にやってくる転校生。
しかも可愛い女の子。
これだけ条件が揃ったならば、普通の男子ならテンションが上がるものなんだろう。徹の反応を見ててもそれはわかる。
でも、僕にはちょいと無理だ。
なぜならば、僕は女の子の顔が見えないから。人に言ってもなかなか信じてもらえないこの不思議な病気の名前は、相貌失認。
相貌失認とは、脳障害からくる失認の一種であり、生まれつきの障害である場合と、頭にけがをしたとか、血管に障害がでたとか、精神的に強いショックを受けたとか。様々な理由によって、後天的に発症するケースがあるらしい。いずれにしても、相貌失認が起こった原因を特定するのは、なかなか難しいのだそうだ。
その症状は、目・鼻・口といった個々のパーツは知覚できるものの、全体として『一つの顔』として認識できないため、顔の区別がつかない、覚えられないというもの。
テレビや映画を観ているとき、登場人物がわからず話のスジがつながらない。
ついさっき会ったばかりの相手でも、場所が変わると誰だか分からなくなる。
相手が誰なのかを顔で見分けにくく、その為、主に声や歩き方、あるいは、大きな鼻といった特徴や服装で判別することになる。日常生活にあまり問題がでない場合もあるが、かなり深刻になる例もあるとか。
ところで僕の場合、一般的な相貌失認とはまったく違う症状がひとつある。
それは──女性の顔だけ覚えられないということ。
だからクラスメイトでも男子は問題ないのだが、女子の方はぼんやりとしか識別できない。
病を自覚した小学校四年生のころから症状は段々と強くなり、今年の春頃にクラスの女の子全員を見分けられなくなってしまった。
この病のせいで、僕は女の子とコミュニケーションを図るのがはっきりいって苦手。
顔がわからないのだから、当然、女の子に対して興味、感心を持つことがない。綺麗なアイドルの写真を見せられても、可愛いクラスのマドンナに目を向けても、違いがいま一つよく分からないのだから、どうとも思わない。こちらから興味を示さないということは、相手からの反応もまた同じなわけで。
交わらない、互いの感情。
これこそが徹いわく、サラサラした頭髪を持つそこそこイケメンであるにもかかわらず、僕が大半の女子に見向きもされない理由であり、また、女の子の転校生を歓迎できない根本的な原因だった。
「あーあ」
まーたつまんないことを考えている、と溜め息がでかかったその時、教室の扉がガラガラと音を立てて開くと、ふくよかな体型をした女性教師が入ってくる。彼女は四十を手前にしていまだ独身であることを、クラスの男子どもによくからかわれていた。
先生は教卓の脇で立ち止まると、廊下の方に向かって声を掛ける。彼女の呼びかけに応え姿を現したのは、赤いランドセルを背負った女の子。
おお、という男子の感嘆の声が、女子が息を呑む音と混ざって聞こえる。
初見から、少し奇妙だな、と感じた。
教室の空気に上手く馴染んでいない、とでもいうべきか。転校生というだけではなく、周囲から浮いている印象を覚えた。
背はそんなに高くない。たぶん、百四十センチもなさそうだ。
パリっとした清潔そうな水色のワンピースから覗くのは、ほっそりとした手足。うなじも細く、というか、全体的に体つきが華奢だ。肌は色白で、どこか不健康そうですらある。睫毛が長い瞳は切れ長。整い過ぎた目鼻立ちは、いっそ造りものめいて白々しい。
確かにこれは、可愛いっていう部類なんだろうね。
──とそこまで考えたところで驚いた。ちょっと待って、それはおかしい、と握りしめた拳に力がこもる。
どうして、この子の顔がはっきり見える!?
少女が耳に掛かった髪をかき上げると、肩口まで伸ばされた波打った黒髪がふわりと舞った。そのまま伏せていた瞳を真横──ようは、窓の外に移した。酷く緊張しているのか表情はどこか硬く、クラスの誰とも目線を合わそうとしない。
数秒の沈黙ののち、思い出したように委員長が号令をかけた。
「起立。きをつけ──礼」
『おはようございます』
みんなの声が揃い、一拍置いてからガタガタと音を立て全員が着席した。
先生は黒板の方に向き直ってチョークを手に取ると、素早く【水瀬茉莉】とだけ書き入れた。
「今日はホームルームに入る前に、転校生を紹介したいと思います。隣の串間市から引っ越して来た、水瀬茉莉さんです。今日からこのクラスの一員となりますので、みなさん仲良くしてあげてくださいね」
当たり障りのない紹介のあと、先生が「ほら自己紹介」と転校生に促すと、窓の外に向けていた視線を正面に戻した。彼女はこくんと頷くと、おずおずと一歩だけ前に進み出た。
しかし、こちらに向いたはずの視線は、今度は床に落とされていた。そこに何か有るのだろうか、と勘繰ってしまうほど、一点だけを凝視し続けた。
気まずい沈黙が、次第に漂う。
全員が固唾を飲んで見守る中、静かに転校生が口を開いた。
「みなせ まつりです。……よろしくおねがいします」
ようやく聞こえた第一声は、風邪でもひいてそうな擦れ声。相変わらず顔は伏せられたままで、表情をうかがい知るのも難しい。
なんてね。女の子の顔が見えない僕が、彼女の表情を気にかけていること自体がなんか笑える。
「結構可愛くない?」
「今、なんて言ったか聞こえた?」
「茉莉って、なんだか難しい漢字だよね」
「六年生になってから転校して来るなんて、ちょっと、変わってんな」
様々な囁き声が、教室中から上がった。
まったくその通りだよね、と僕も思う。どうして、小学校生活も残り半年というこんな微妙な時期に、転校なんてして来たものか。なんとなく、不憫だな、とは感じる。
その後も転校生は、一切の反応を示さない。
「席はそうね……」
と言いながら先生は、教室中を見渡した。やがて、僕の隣にある空席を指差してこう言った。
「茉莉さん。窓際の空いている席に座って下さい。早坂君、よろしくお願いしますね」
最初から決まっていただろうに、と苦笑いをしながら、先生の声に頷いた。
こうして、隣の転校生と比較するとよく分かる。先生の顔、口元を見ていれば笑っていることはわかるものの、それが精々。個人として認識するのが難しいので、隣に別の大人が並ぶと、どちらが先生なのか見分けがつかなくなってしまう。
それが、この病の本質。
なのにどうして、と今度は転校生の顔に視線を戻した。彼女の顔ははっきりと判別できるのか。
転校生は軽めに頷くと、ゆったりとした歩調で歩き始めた。華奢な体には、大きめなランドセルがなんとも不釣合いだ。
「ぼくの名前、早坂翔っていうんだ。これからよろしくね」
転校生が隣にやってきたタイミングで声をかけると、彼女はハッとした表情で僕の方を見た。
見開かれた瞳には、驚きや困惑、様々な感情が浮かんで見えた。
なんで、そんな反応?
驚きから声が出かけたその時、彼女はふい、と視線を逸らすと、何事もなかったかのように席に座った。
開いた口が塞がらない僕を他所に、授業が始まる。
おかしい。確かにいま、目が合ったはずだし、僕の声だってきっと聞こえてた。釈然としない気持ちを抱えたまま、転校生の横顔をじっと見つめる。
確かに彼女は、凄い美人なんだと思う。だが反面、精巧に作られた日本人形みたいに、どこか、他人を寄せ付けない冷たい雰囲気があった。その分だけ、世渡りが上手くなさそう、というか、生きづらそうにも見えた。
なんだか変な女。なんてな、と自分の考えを笑い飛ばした。僕だって、たいがい変わり者のくせに。
生産性のない思考を切り上げて、机の上に教科書を開いた。
だが、この時きっと、僕は既に感じていた。唯一顔が見える女の子である水瀬茉莉に、何か縋るような思いを。
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