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第六章「彼女がいなくなって」

【走れ! 振り向くな!】

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 料金所をくぐって車が高速道路に入る。順調に、走り続けた。
 車内の空気が湿っぽくならないようにとの気遣いだろう。木田がカーステレオで音楽を流してくれた。
 それはいい。
 アニソンだった。
 しかもこれ魔法少女ものだ。

「心にー、愛と勇気があればー」

 歌うのかよ。

「だからモテないのよ」と朝香が吐き捨てた。
「うるせー! お前にはこの曲の良さなんてわからないだろうけどな」

 すまない。僕にもわからない。
 そうか。モテないのか。じゃあなぜ二股なんてできていたんだ? 木田が押しの強いアプローチを繰り返すので、女の子のほうがしぶしぶ折れてきたと、そういうことなのか?
 心当たりはあった。ここ数日で、木田に対するイメージがずいぶんと変わった。

 二時間ほど車を走らせてから、一度トイレ休憩を挟むことにした。
 サービスエリアに入って木田の車がゆっくりと止まる。駐車場はそこそこ混んでいた。乗用車とトラックが結構な数停まっている。
 車から降りるとき、木田が朝香に小突かれていた。会話の内容は聞こえなかったが、どうせデリカシーのないことでも言ったのだろう。
 やっぱりこいつモテないのかも。そんなことを考えながら木田と歩き始める。
 トイレに入ると、用を足しながら木田が訊いてくる。

「ぶっちゃけた話、乃蒼ちゃんを呼べる算段はあるのか?」
「はっきり言うとない。ないが、やってみるしかないだろう。根拠はないが、応えてくれるという無駄な自信だけはあるよ」

 なるほど、と木田が顔を正面に向けた。

「人生って、そんなもんだよな。どんなに準備万端にして挑んだとしても、どう転ぶかはそのときになってみないとわからない。わからないが、なるべく良い方向に物事が転ぶよう、準備はしておく。そんなもんかもな。当たって砕けろだ。頑張っていこうぜ」

 僕の肩を軽く叩いて木田がトイレから出ていった。
 さてと、と僕も続こうとしたところで、木田が慌ててトイレの中まで走って戻ってくる。「なんだ、その歳で残尿感か?」と茶化そうとしてやめた。
 木田は、全力疾走でもしてきたあとみたいに肩で息をしていて、普段の堂々としている様子が微塵もない。これほどまでに動揺している姿は見たことがなかった。

「どうした?」
「どうする……くそ、どうする……?」
「落ち着けって。何があったのか話してくれ」

 何に動揺しているのかわからないので、ひそめた声で話しかけた。

「……あいつらが、サービスエリアの駐車場にいたんだよ」
「あいつらって誰だよ?」
「特殊情報処理研究室の人間だよ。見間違いではない。あいつらは、独特の形をしたバッジを胸の辺りに付けているからな。俺の母さんも付けていた奴だ。見間違えるはずがねえ」

 言われてみると確かに。木田さんは複雑な形状をしたバッジを胸に付けていた。それが今日なくなっていたのは、つまりそういうことなのだ。

「いや、大丈夫だろ。あいつらが追っているのは……」

 そこまで言って気がついた。

「もしかして僕なのか」
「そういうこった」

 木田さんの動きが陽動であると、おそらく勘づかれたのだ。
 木田がトイレの入り口から顔だけを出して外を見る。
 僕も木田の隣に並んでトイレの外を見た。自動販売機が並んでいるスペースがあって、その奥に、売店と休憩室に通ずる自動ドアが二つある。その脇に、建物からの出口があった。人の姿はまばらだ。女性が一人と子供連れ。それっぽい男の姿はない。いないか? と問うと木田は無言で首肯した。
 近づく誰かの足音がないか、懸命に耳を澄ませる。その男たちと鉢合わせることなく、まずはこの建物から出る必要がある。

「朝香は?」

 彼女もトイレに行っているはず。大丈夫だろうか。

「朝香はあいつらに認知されていないと思うから、問題ない。俺の車も多分車種が割れてはいないと思うから、車に乗れさえすればなんとか」

 トイレの出口から、建物の出口までは約二十メートル。売店、もしくは休憩室の中に男たちがいた場合、建物を出る際に目撃される危険がある。
 いくら警戒をしても足りないほどの緊張感に、うっすらと手のひらに汗をかいた。

「よし、行こう」

 木田の声に頷きトイレを出る。足早に出口である自動ドアまで向かう。
 ひと目を引いては困るので、駆け出すことはしなかった。
 木田の後ろに続いて自動販売機コーナーを抜ける。売店と休憩室の脇を通り過ぎるときに、内部をチラ見したがそれらしき姿はなかった。少し安堵しながら自動ドアをくぐった。
 外に出て、一気に視界が開ける。だが、解放感にひたっている余裕はなかった。まずい、と呟き木田は僕の手を引くと、目の前に複数並んでいる分別式ゴミ箱の陰にしゃがんで隠れた。
 駐車場にはスーツ姿の男が二人いた。たぶん、あれが特殊情報処理研究室の人間だ。

「あれがそうか」
「そうだ」

 木田が息をひそめながら、駐車場の先をちらちらと確認している。

「長濱、お前車運転できたっけ?」
「いや、できるけど……まさか?」
「そう、そのまさかだ。万が一のときは俺があいつらを食い止めるから、お前一人だけでも福岡に行け」
「ダメだ。それじゃあ……」

 お前はどうするんだ、という言葉は遮られた。有無を言わさぬ迫力があった。

「ダメじゃねえ。世界の命運がかかってんだよ。お前の肩によ」

 よし、と木田は呟き、自分が着ていたパーカーを脱いで僕に羽織らせた。

「ポケットに車のキーが入っている。最悪の場合はそれで。フードを被れ、それで顔は見えなくなる。三秒後に出るぞ、いいな」

 三、二、一、GO!
 木田の合図と同時に飛び出した。走ることはせず、それでも目いっぱい歩調を上げて車まで小走りで向かう。
 行ける、と思ったそのとき、しかし「待て!」と声をかけられた。

「くそ、見つかった! 走れ!」

 男たちがこちらを指差している。明らかに気づかれている。あと少しだったのに、と歯がみしている暇はない。全力疾走に移行した。朝香はどこにいるだろう。もし捕まったなら、僕はどうなってしまうのか。いや、僕のことはどうでもいい。乃蒼が殺されてしまったら、彼女を救えなくなってしまったら。
 捕まればすべてがおしまいだ。
 人とぶつかりかけて、それを必死で避けながらなおも走る。
 息が上がる。乱れた呼吸に背後から響いた怒声が重なる。気がつくと、隣を走っていたはずの木田がいない。

「木田?」

 肩越しに後ろを見ると、男二人ともみ合っている木田の背中が見えた。そのうちの一人が木田を押しのけてこちらに向かってくる。

「止まるな! 走れーーーー!!」

 木田……! すまない。彼を置いてはいけないとの考えが一瞬脳裏を過ったが、すぐ棄却した。ここで立ち止まってしまったら、覚悟を決めてくれた彼に申し訳が立たないから。
 歯が欠けてしまうんじゃないかと思うほどに強く歯がみした。
 迷いを断ち切って全力で走る。
 勢いもそのままに車に飛び乗ると、朝香はすでに助手席に座っていた。

「どげんしたと? そんなに急いで」

 朝香が目を丸くしたが、構うことなく車のエンジンをかけて発進させる。

「危ないからつかまっていて」
「どげなこと? 木田は? ねえ!」
「いいから!」

 アクセル操作が乱暴すぎて、スキール音が激しく立った。
 僕、ほとんどペーパードライバーなんだよな。いけるか?
 不安な心に蓋をして車を走らせる。サービスエリアを出て本線に合流した。
 ここでようやく安堵の息を吐いた。

「どげなこと? ちゃんと説明してくれる?」

 落ち着いたところで朝香がもう一度言った。

「ああ、そうだな。サービスエリアの中に、特殊情報処理研究室の人間がいたんだ。乃蒼を消そうとしている奴らの一味だ」
「ええっ!?」
「あいにく僕が見つかってしまい追いかけられたが、木田がおとりになって僕を逃がしてくれたんだ」
「そっか、そげなことやったんだ。じゃあ、木田はどうなってしまうん?」
「人が多い場所だ。さすがに殺されるとかそんなことはあり得ないだろう。けど、もしかしたら、この車のナンバーくらいは覚えられたかもしれない」

 どこにでもある大衆車。色は黒、と平凡な見た目なのは不幸中の幸いか。ナンバーを覚えられていなければ、そうそう見つかりはしないだろう。
 バックミラーをちらと見る。今のところ、追ってくる車の姿もない。

「木田のことは心配だけれど、とにかく行くしかなかね」
「ああ」
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