僕たちの中から一人『消えた』、あの夏の日

木立 花音

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第三章「高橋都」

【目撃者】

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 涼子の祖母だという老婦人の家は、町外れにある小さな一軒家だった。
「よく来てくれたわねえ」と僕たちを出迎えた彼女に促されて、和風な佇まいのリビングに通される。
 各々がソファに座ったのを確認したのち、その老婦人は「ちょっと待っててね」と言い残し部屋を出ていった。
 待つこと数分。飲み物と、一枚の写真を手に老婦人は戻ってくる。テーブルの上に置かれた写真に目を落とし、「これは?」と会話の口火を切ったのは真人だ。好奇心旺盛な彼らしい。
 写真の中央に映っているのは、三十代半ばほどの婦人と、傍らに立っている柔和な面持ちの男性。撮られたのは何十年も前なのだろう。デジカメなどで撮ったものとは解像度が違うようだったし、なにより彼女の姿が若い。

「カッコいいでしょう? これが、私の夫なのよ。もう三十年近く前に亡くなっているから、夫だった、と言ったほうが適切かしら」

 涼子から聞かされていたので知っていたが、不幸話なので返す言葉を慎重に選ぶ。結局、「はい」と相槌を打つに留めた。

「仕事熱心な人だったからね。病の発見が遅れてしまったのよ。彼が隠していた体調不良が露見したときにはもう手遅れで、病巣が複数の臓器に転移してしまっていた。若いからむしろ病気の進行が早くて、そこからはあっと言う間。治療の甲斐もなく呆気なく逝ってしまったわ」
「そうだったんですね。お悔み申し上げます」

 ありがとう、と言って老婦人は遠い目をした。しんみりとした空気を誤魔化すように、僕たちに紅茶を勧めた。

「自分で言うのもなんだけど、私たちは仲の良い夫婦だったの。それだけに、夫を亡くしたあとの喪失感もすごくてね。何もやる気が起きなくて、ただぼんやりと毎日を送っていた。生きながらにして、死んでいるような状態だった」

 僕も、父を亡くしているので彼女の気持ちはよくわかる。
 正直、そんなに仲の良い父だったとは思わない。愛されていたという実感も薄い。それでも、たった一人の身内なのだ。行き場のない、がらんどうの心を抱えたのは確かだ。

「しばらく、引きこもるような生活を続けていた。とはいえ、いつまでもそうしてはいられないと、思い立って遠くまで歩いてみたの。風の吹くまま気の向くまま。商店街を歩き、海を眺め、それから神社に足を向けた。そうして歩いているうちに気づいたんだけど、どの場所にもあの人と過ごした日々の記憶が残っているのよね」

 当時のことを思い出しているのか。その染み込んでくるような語り口調に、光莉が鼻をすする音が聞こえた。

「一度記憶がよみがえってくると、そこからは止め処がなくなった。楽しかった記憶ばかりじゃないわ。中には、彼と喧嘩をした日の記憶もある。けどそれは、過ぎ去ってしまえばすべてが宝物のようで、どれもが光り輝いて見えてきたのね。でも――光り輝いている記憶は、同時に重くもある。神社の境内にたどり着いたところで、心が押しつぶされそうになって動けなくなってしまった」

 神社の境内、というワードで、いよいよ核心に触れるんだろうな、と思う。だが、肝心の夏南の姿はない。
 アイツめ。どこかに隠れやがったな。

「丁度その時だったわ。『こんにちは』と知っているような口ぶりで声をかけてくる男性がいたの。顔を上げる前からわかった。亡くなったあの人の声だって。不思議なこともあるものよね。間違いなくあの人は死んだはずなのに、そこにいたのは紛れもなくあの人だったのよ」

 あらかじめ準備しておいた青色の手帳を涼子が広げた。メモを取りながら「それで」と老婦人に質問をする。

「おばあちゃんの誕生日に、悠久の木がある場所に行って願ったと聞きました。おじいちゃんが、戻って来ますようにと。それは、間違いないんですか?」

「うーん」と秒針が半周するほどの間思案したのち、「たぶんそうだと思うんだけど」と、歯切れ悪く老婦人が答えた。

「たぶん?」
「ええ。悠久の木に行ったこと自体はあるんだけど、もう、ずっと昔のことだしねえ。そう記憶してはいるものの、前後の記憶があやふやで、なんとも言えないのよ」
「そうですか。あの、こんな言い方は失礼ですが、人違いだったということは?」
「それもないわねえ。もちろん最初は人違いじゃないかと疑ってかかったわ。でも、彼の特徴は、どこ一つとっても間違いなくあの人のものだったもの」
「わかりました」

 一先ず納得した、という体で涼子が頷いた。彼女の反応を確認し、老婦人が続きを話した。

「再会を喜び合った私たちは、二人そろって家に戻った。そこから始まった約一ヶ月の日々は、それこそ夢のような毎日だったわ。……おそらく」
「おそらく?」

 そこに不穏なワードが混じっていたことに、思わず僕は尋ね返した。徐々にあやふやになっていた彼女の話が、いよいよ陽炎のように揺らいだ。

「そうなの。確かにあの人と私は、たぶん、一ヶ月ほどの期間を楽しくこの家で過ごしたはずだったのよ。それなのに、気がつけば私はまた一人になっていて、あの人の姿も消えてしまっていた」

『確かに』と『たぶん』。 真逆の意味を持つ単語が一文中に登場してくるあたりをみても、記憶が錯綜さくそうしている事実がうかがえる。
 死んだ人間が戻ってきた、と主張している人物の話は初めて聞いたが、なるほど、そういう感覚なのか、と思う。彼らはみな、夢物語のような話をするのだ。木に願ったかどうかすら曖昧な者。どういった日々を過ごしたのか、殆ど覚えていない者。話が漠然としていて、つかみどころがないのだ。
 確たる証拠がない。
 因果関係が認められない。
 当人の話ですらこれなのだから、悠久の木の伝承にかこつけた創作だと言われるのも無理はない。
 それでも僕は信じたいと思った。夏南の顔を立てるわけでもないが、こんな美しい思い出を、一笑に付すのはいささかもったいない。

「近所の人に聞いても、あの人の姿を見たという人は誰もいない。すっかり私は頭のオカしい人扱い。でもね」

 そこで老婦人はいったん言葉を切った。遠い日の記憶に思いを馳せているのだろう。気持ちここにあらずという風に、遠い目をした。

「私は確かに覚えているの。あの楽しい日々は確かにあったと、そう信じたいの。まあ、どっちでもいいんだけどね。いずれにしても、彼と過ごした日々は私にとって美しい思い出なのだから」

 最後に使った『確かに』という表現に、彼女の本音が滲んで見えた。「これで年寄りの昔話はおしまい」と崩した相好は、ちょっと寂しい笑みだった。

「つまらない話だったわね」
「いえ、そんなことはありません。貴重なお時間を取って頂きまして、ありがとうございました」

 間違いなくこれは本心だ。誰かを思う気持ちが美しくないはずもないのだから。
 もし、本当にどんな願いでも叶うとしたら、僕は何を祈るのだろう。もう一度父親に会いたいと願うのだろうか。
 それはないな、と答えを導いた人でなしの自分を見つめ、心の醜さに嘆息した。
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