僕たちの中から一人『消えた』、あの夏の日

木立 花音

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第二章「南涼子」

【スタンドバイミー】

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 翌朝。目が覚めると、目のふちから熱い物が零れておちた。
 嫌な夢だった、と夢の余韻をひきずりながら、あの日のことを思い出す。

 光莉の誕生日の翌日、彼女は何事もなかったかのように登校してきた。
 ところが彼女、私から聞いた話を何ひとつ知らないと言ったのだ。そんなはずはない、と重ねて何度か訊ねたが、断固として首を縦に振らない。どうして? と疑問を抱えたまま、今日まで有耶無耶にしてきた。嫌な記憶なのだし、本当は蓋をしておきたかった。しかし、妙な出来事が立て続けに起きた今、これ以上無視してもいられない。この日光莉は死んでいて、不思議な何かが起こり戻ってきていたとしたら? それが、人数が増えたという違和感となって、あの日表に出てきたのだとしたら?
 それでも――。
 怖い。真実を知るのが怖い。子供っぽい性格なのを自覚している。家の人たちは良かれと思って様々してくれるのだろうが、手を掛けすぎることで、性格に悪影響を及ぼすこともあるんだ。だからこうして、厄介ごとを先送りにしようとする。
 なんて。難癖つけて、人のせいにしようとしている時点で滑稽だ。
 自分で決められない。打たれ弱くなる。親のせいにする。
 過保護な親に育てられた子どもの特徴が、全てでているじゃないか私。
 それを自覚していて変えられないのなら、それはつまるところ自分の責任だ。


「よし」

 迎えた土曜日。旅支度と覚悟は、昨日のうちに済ませておいた。親には、『光莉の家に遊びに行くんだ』と嘘を伝えた。真人とイチは、キャンプに行くという名目で家を出るらしいが、反対されるに決まっているので、その嘘私には使えない。こんな時、頭の固い親を持つとほんと困る。
 朝食と着替えを手短に済ませ、仰々しい荷物 (なんせ、帰りのスケジュールは未定だ。最悪のケースを考え、寝袋も準備した。使う機会が無ければいいが)が入ったリュックを背負って家を出る。
 良かった。誰にも見つからなかった
 ホッと胸を撫でおろし自転車にまたがる。山の稜線から伸びた朝日を、背に受けて走り出す。
 風はまだ、少し冷たい。
 件の時越山までは、自転車でなら一時間足らずで着くだろう。問題なのは、むしろ登山道に入ってからだ。徒歩で登るほかないので、一時間できくかどうか。
 待ち合わせ場所であるタバコ屋の姿が見えてくる。待っていたのは、上下ジャージ姿で自転車にまたがった真人とイチ。ここまでは概ね予想通りだが、意外だったのはもう一人の人物だ。

「光莉?」

 そう、光莉までもがそこに居た。

「やあ、おはよう涼子」

 バツが悪そうな顔で俯いた光莉を他所に、イチが手を上げて応じた。

「ていうかさ、光莉なんで徒歩なの? 歩けない距離じゃないけど、そこはさすがに自転車でしょ!?」

 白いブラウスを着てデニムのパンツを履いた光莉は、リュックこそ背負っているものの徒歩なのだ。

「それがさあ」と渋い顔で答えたのは、なぜか光莉ではなくイチだ。
「自転車、失くしたんだって」
「失くした? 自転車を?」
「そう」
「自転車って、そんな消しゴムみたいにほいほい失くすもんだっけ?」
「だよなあ。俺もそう思うんだけど」

 私たちの会話に割り込んできた真人が呵々と笑うと、「だってえ」と光莉が頭を抱えて左右に振った。

「失くしたつもりはないんだけど、乗って行こうと思ったら無かったんだよお。お母さんに聞いても知らないって言うし。ほんと、どこいっちゃったんだろ?」

 天然ここに極まれり、ってか。
 イチはなんとも形容しがたい顔になっているし、これには私も苦い顔になる。

「んで、どうするよ」と真人が言った。
「どうするっていうと?」と私は首を傾げる。
「まさか光莉だけ歩かせるわけにもいかないしさあ、いっそみんなで歩こうかと。そう、相談していたんだけど」
「え、嘘でしょ? そりゃアンタらは運動部だからへっちゃらかもしんないけど、私の身にもなってほしい」

 光莉ほどじゃないにしろ、私だってそこまで体力はない。とはいうものの、やっぱりそれが無難だろうか。

「でも」
「でも?」
「いや、なんでもない」

 言いかけて、口を噤んだ。帰り道ではたぶん一人減るだろうし、自転車足りなくならないよ、とは、さすがに言えるはずもなかった。
 みんな思っているのだ。この中に、異物が混ざっているんじゃないかと。突然ソイツが、本性を現すんじゃないかと。そこまで考えているのは、私だけなんだろうか。
 肩を組んでじゃれ合っているイチと真人を見てそう思う。
 本当にわかるのだろうか。増えたのが誰か。それははたして光莉なのか。そして私は、あの日あった出来事をみんなに話すことになるのだろうか。胸が、痛い。

 相談した結果、通り道にあるイチの家に自転車を全部預けることにした。そこからずっと徒歩になるが、話しながらの旅もきっと楽しいだろう。考え事をする時間も、たっぷり取れるだろうし。
 一番最初の目的地は、私の提案により、母方の祖母の家だ。ここでちょいとばかり、確認しておくべき話があった。

「んじゃ、行きますか」

 強くなり始めた朝日をバックに、愛嬌のあるえくぼを見せてイチが笑う。
「おう」と真人が拳を握り、こうして私たちのちょっとした旅が始まった。
 増えたのが誰かを探る旅。
 同時に誰かを失う旅――。



「増えた奴ってさ、実際この中にいると思う」

 歩きながら、ぼそっと真人が呟いた。早速その話題か、と顔をしかめそうになる。違う話題を求めて辺りを見たが、早朝では通行人もいないし話の種は見つからない。

「どうしてそういう言い方するの? わからないじゃん。そんなの」

 眉根を寄せ、消え入りそうな声で光莉が言う。
 不機嫌そうだと声から感じ取ったのか、光莉に好意を寄せている真人が泡を食う。

「いや、でもさ、ここに来ていない四人。タケシ、ミホ、ミノル、カエデ。アイツらの中に増えた奴はいると思う?」

 そう指摘されると否定する材料がない。四人の間に沈黙が流れた。

「後ろめたい事情があるからこそ、こうして来ているんじゃないの。俺らは」
「俺らって、そういう風に雑にまとめるなよ」

 光莉が黙り込んだのを見て、イチが会話に割り込んだ。言い過ぎたとでも思ったのか、「ごめん」と光莉を気遣うように真人が項垂れる。

「まあ、この旅路の果てに、見えてくるものもあるだろうさ」
「うん。そう、だよね」

 総括した真人の声に、歯切れ悪く光莉が応じた。
 心臓に病があるというハンデを押してまで、光莉が山を目指すのも。真人の話にかみついたのも。やましい隠し事があるからか? そう疑いかけて、思考をそっと水に流した。
 そのとき真人が、「あ」と呟く。視線を泳がせ、怯えたように縮こまる。
 一連の不自然な動きを見て、「どうした?」とイチが声を出す。

「俺さ、この家の爺さん苦手なんだよね。小学生のころ、柿を盗んでよく追いかけられたから」

 塀で囲まれた一軒家がある。庭先には、樹齢何年になるかわからない柿の木も。

「そいつは自業自得でしょ。でも、その時たぶん僕もいたわ。真人と一緒に追いかけられた記憶がある」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
「へー。でも都くんがだなんて、なんか意外だね。あんまり悪ガキってイメージないんだけど」

 光莉が楽しそうに笑うと、これ見よがしにイチが肩をすくめた。

「僕、そんな優等生でもないよ。真人の影響で、結構あくどいことしてた」
「俺のせいみたいに言わないでー」
「ははは」
「なんか、青春みたいでいいよね。昔話とか、バカみたいなことを語り合いながら旅するというか、こういう雰囲気。……そういえば、こんな感じの映画あったよね?」

 うーん、とこめかみに指をあて、目を閉じ眉をひそめた光莉。指を次に唇へ、最後は真っすぐ、指を天に突き上げた。
 ――スタンドバイミー! と大きな声を出した。

「なんか、スタンドバイミーみたいだね」
「ああ。アメリカの青春ドラマ映画だね。確かにシチュエーションは似てるかも」と私が同意する。
「どんな奴だっけ?」

 真人は、小説やら映画をいっさい観ない主義だ。というか活字嫌いなのか。どうやら本気で知らないらしい。

「小説が原作になっているもので、アカデミー賞にもノミネートされたんだよ。男の子四人が、死体探しの旅に出るって奴」

 私の説明に、「歩いてね」と光莉が補足する。「そうそう」

「なるほど。確かに今の状況とピッタリだ。ちょうど四人だし」
「映画と違って、全員男の子じゃないんだけど」

 死体の話なんて嫌だな、と明るい口調で話題をすり替えたのに、空気の読めない真人が「死体探しの旅かあ」と蒸し返した。

「案外、当たらずとも遠からず、かもよ」
「やめろよ」とイチ。
「だってさ。一人増えたってことは、たとえばの話だけど、一度死んだ人間が戻ってきたことで違和感になっているのかもしれないじゃん? だとしたら、死体を発見することで真相がわかるなんてことも――」
「やめてよ!」

 忠告をしてもやめる気配のない真人を見ているうちに、苛々が募って大きな声が出てしまう。真人も真人だが、この程度で叫ぶこともなかったろうにと、大人げない自分に嫌気が差す。
「ごめん」とこっちから謝った。
 私は怖いんだ。もし、本当に光莉の死体が出てきたらと思うと、怖くてしょうがない。
 そうなったとき私は、どんな顔をしたらいいのか。

「なんでもない。ちょっと、私も大人げなかった」
「いや、ごめん。元はと言えば俺のせいだ。縁起でもない話だったな」

 おろおろしながら私と真人を見比べていた光莉だが、淀んだ空気を払拭するように、大袈裟に明るい声を出した。

「そ、そうだ! みんなで悩み事の告白とかしようよ! スタンドバイミーでもさ、そんなシーンが確かあったんだよ!」、と。
「将来への希望を持てない話を打ち明けるシーンとかあったね、そういえば。うん、それも悪くないかも」

 結局、ムードを変えてくれるのは、だいたいいつも光莉とイチだ。なんだろう、私。ひどくみっともない。私の存在意義って、なんだろ。光莉は愛されキャラだ。小学生のとき、一時いっときイジメもあったし、今でも時々陰口は聞く。でもそれは、光莉が嫌な奴だからじゃない。むしろ、純粋すぎて妬み嫉みを集めるせいだ。そんなの全部わかってる。わかっているからこそ、イチに構ってもらえる光莉と、そうじゃない自分を比較するたび、私は惨めな気持ちになる。だから私は、光莉のことを嫌いになるしかなかった。
 そうしないと、自分の存在を否定しそうになるから。
 こんなの、逆恨み以外の何物でもない。

 そこから、今現在抱えている悩み事を、各自が披露していくという流れになった。
 真人の悩みは、実家の仕事を継ぎたくない、ということ。

「決められたレールの上なんて歩けるかよ。そんな人生、真っ平ごめんだぜ。島を出て、俺は必ずビックになるぜ!」

 ところが、「じゃあ、具体的に何になりたいの?」とイチに問われると、とたんに真人は口ごもった。
 どうやら何も考えていないらしい。可笑しいけれど、それもむしろ真人らしいなって思う。
 光莉はこれといって悩みがないらしい。けど、将来の夢は、『お嫁さん』になることなんだとか。そう言えば、昔そんなこと言ってたっけなあ、とぼんやり思う。
「シンプル。でも、なんか光莉らしくていいじゃない」とイチが言うと、分かりやすく光莉が頬を染める。分かりやすすぎて、隣の真人が渋面じゅうめんになった。
 わかってないの。たぶんアンタだけだよイチ。

「鈍感」と呟く。
「ん、なに?」
「なんでもない」
「でも、明日を生きるのだけでも、今は精一杯かな。明日のことなんて、何ひとつわからないし」

 光莉の宣言に、真人が「そうだな」と同意した。文脈から何かを感じ取ったのか、イチは調子を合わせることもなく、無言でただ前を見据えた。
 道の両脇に民家が立ち並んでいる。荒れたアスファルト舗装が、視界の先ずっと続いている。
 それがたとえ、決められたレールの上を歩く人生だとしても、選択肢があるだけきっとマシだ。心臓に病を抱えている光莉にしたら、そもそも道が続いているかどうかすらわからないんだ。
 歩いてきた道が、ある日突然途切れてしまうとしたら。もしくは、歩けなくなってしまうとしたら。
 彼女の立場になって将来の夢を想像してみたが、いまひとつ像は形を結ばない。
 こういう感覚、なんだろうか。
 それゆえの、シンプルな望みなのだろうか。
 けれど、クラスメイトの大半は、過度に光莉を気遣ったりはしない。そうして欲しいと光莉が望んでいるわけでもないし、本音ではみんな、病気のことに触れるのが怖いのだ。
 ただ一人。イチを除けば。

「涼子は?」
「あッ! えっ! 私?」

 唐突にイチに声を掛けられ、心臓が飛び出そうなほど高鳴った。

「順番的に、そうかなって」
「ああ、そうだね。私、私かあ……。私さあ、これといって悩みなんてないんだよね。将来の夢、なんてものも、これといってないし」

「おもんない奴」と真人がからかってきたが、「うるさい」と返しておいた。アンタにはこの間も話したでしょ。

「まあ涼子の家は金持ちだしな。確かに悩みなんてなさそう」
「そんな言い方をされると、それはそれでムカつく」
「ふうん。じゃあ、最後は僕の番か」

 最後に語るのを、望んでいたみたいな声だった。

「僕は、あんまり両親に愛されてなかったんだと思う」

 いきなりだった。いきなりそんな風に、イチが語り始める。衝撃的な内容に、真人が息を呑んだ。私の隣にいた光莉も硬直してる。
 そこからイチは、熱に浮かされたように喋った。たぶん、一息に吐き出したかったんだろうと思う。だから私も口を挟まなかった。
 いや、正しく言えば、挟めなかった。
 彼が抱えていた痛みに比べたら、私の悩みなんてちっぽけで、到底言えるはずなどなかった。
 雨の日。イチと光莉が一緒に帰っていく姿を見た瞬間。
 体育の授業。見学している光莉の姿を、ちらちらとイチが振り返るたび。
 二人の家が比較的近所だ、という他愛もない事実にすら、私の心は醜く昂った。
 あの子のポジションが、私だったらいいのに。
 あの子さえいなかったら、私は幸せになれるのに。
 ありもしない妄想を膨らませた。
 光莉って、たぶんイチのこと好きなんだよ、と真人に吹き込んだのはフラれた腹いせだし、真人を誘惑したのは、自分が魅力的な女だと証明するためだ。
 私は、嫌な女だ。真人にも光莉にも顔向けできない。
 この中で一番心が醜いのは――私なんだ。
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