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乙女ゲーム以前

ありがた迷惑

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愛しいエレナへ

豊かな森を思わせるエメラルドの瞳、降り注ぐ朝日と見紛うばかりの金の瞳。
君に見つめられると僕は、僕でなくなってしまうんだ。
君が僕を拒んでも、僕は君を愛し続けるよ。

愛をこめて ななしのごんべえより

   ◇◇◇

僕の天使エレナへ

昨日のドレスは素敵だったよ。
まるで女神のように神々しく、天使のように可愛らしかった。
僕は君に出会えた奇跡を神に感謝したよ。

愛をこめて ななしのごんべえより

   ◇◇◇

可愛いエレナへ

返事をくれないなんてどうしたんだい?
パーティーに行った僕に、へそを曲げているのかな?
僕は君しか目に入らないよ。他の令嬢なんか要らないんだ。
君だけがいてくれればいい。

愛をこめて ななしのごんべえより

   ◇◇◇

僕の小悪魔エレナへ

今日はずっと君の手紙を待っていたよ。
昨日もずっと、君の手紙を待っていたけれどね。
一昨日も、その前も、君は返事をくれなかった。
君に冷たくされる度に、僕は絶望して、死んでしまいたくなる。
お願いだ。僕に情けをかけてくれないか。

あなたの愛の虜 ななしのごんべえより

   ◇◇◇

「お嬢様、お返事は……」
「お願いバスコ、もう持って来ないで。ノイローゼになりそうよ」
「ですが、先方は御使者を……」
使者なんて追い返せばいい。返事をもらうまで帰って来るなって言われているのね。
「今日は朝から六通目よ?私、手紙を書くのも飽きたの!」
手紙を送って来るなと言ったにもかかわらず、ごんべえはすっかりその気になって、毎日何度も手紙を寄越すようになった。逆効果だった。火に油よ。
『頑なな君の心を融かしたい』って書いていた。うげえええ。
数日無視したら、死ぬとか何とか、アブないことを言い出した。
本気でヤバい。家の前で首をくくられたらスキャンダルだわ。ごんべえがどうなろうと知ったことではないけれど、家族に迷惑をかけたくない。

「そこを何とか……お返事を」
「ねえ、バスコ。あなた、袖の下でも握らされているんじゃ……」
「いい、いいいいいいえ、滅相もございません。私はただ、お嬢様のお幸せを……ぉう、ち、違いました、手紙のお返事をお書きにならないのは失礼になるかと」
怪しい。
何なの、この慌てよう。
「……分かった、書くわ。ただし、使者に渡すのは今日の真夜中にして」
流石にごんべえも寝るだろう。
「このことは、お父様にも相談するわ。私一人では対処できないもの」

   ◆◆◆

変態男ごんべえから送られた多くの手紙を持って、お父様の書斎を訪れた。
「エレナ、どうしたんだい、その手紙は」
「お父様、折り入ってご相談したいことがあります。……実は私、知らない男にしつこく言い寄られているんです」
父は口をぱっくり開けて目を丸くした。正直者でいい人ではあるのだが、こんなに感情が表に出やすいと政争には勝てない。腹芸ができない男は出世できない。裏表がないからこそ、一の権力者である公爵のおじさまと仲良しなのかな。
「知らない、男……」
そうよ、もっと驚いて、お父様。
あなたの十歳の娘は、変態男にストーキングされているのよ。
「これがその手紙です。中を見ると……ほら、私を見ているとあります」
「なんと……。相手に心当たりは?」
「ありません。どこで会ったのかも分かりません。私、怖いんです、お父様。この人は死ぬという言葉を持ち出しました。私と無理心中するつもりかもしれません」
「馬鹿な!」
「ですから、お願いです。人が集まるところには行きたくないのです。先代公爵夫人の誕生日会は欠席させてください」

お父様は何も言えない。
変質者につけ狙われている娘を心配するなら、当然、公爵家のパーティーを欠席してもいいと言うだろう。ごんべえは気持ち悪いが、この際少し役に立ってから消えてもらおう。
「エレナ……この手紙を預かってもいいかい?」
「?」
「私が調べてみようと思う。使いが届けに来るんだね?」
「はい。私の返事を受け取るまで居座るのです。先ほど私が返事を書いて、真夜中に使いの者に渡すよう言いつけました」
「そうか。……ん?使いの者は我が邸内で待っているのか?」
「そうです。関わり合いになりたくないので、会ったことはありませんが」
「分かった。私に任せなさい」
お父様は胸に手を当てて頷いた。
あまり頼りにはならないけど、可愛い娘のためにきっとどうにかしてくれるわ。

   ◆◆◆

お父様の対応は驚くほど速かった。
バスコから聞いたところによると、まず、手紙を持ってくる使いの者を書斎に呼び、どこの邸の者かと尋問したそうだ。使いの者から主の名を聞き出し、即刻馬車で相手の家に乗り込み、娘に近寄るな、近づいたらただではおかないぞと話をつけたと。その時のお父様は、歴戦の勇士も尻込みするような恐ろしさだったと、同行したバスコは感動で震えていた。
ちょっと、信じられない。
あのぼんやりお父様が、毎日お母様に役立たず呼ばわりされているお父様が、趣味のボトルシップ作り以外に能力を発揮していないお父様が、相手をビビらせて?
「旦那様はお嬢様のためなら何でもできるお方ですよ」
とバスコは目を細めていた。そんなもんかな?と思っていたら、当のお父様に書斎に呼ばれた。

「エレナ。私がきっちり話をつけたからね」
「ありがとうございます、お父様」
ぺこりと礼をする。お父様は私の頭をそっと撫でた。
「怖かっただろう……もう、大丈夫だ。だが……」
「何でしょう」
「まだあの男がお前をつけ狙わないとも限らない。今後、人が集まる場所に行く時には、クラウディオと一緒に行くこと。いいね?」
「え゛っ?」
踏まれた蛙のような声が出た。蛙を踏んだことはないけど、多分こんな感じよね。
「どうした?」
「……何でもありません」
嘘だと、冗談だったと言ってくれないかな。
『僕ちんの冗談だっぴょん♪』とか言われて、鼻の穴から万国旗出されても許すから。
「クラウディオはああ見えて鍛えているようだよ。少年であってもお前の傍に誰かいるなら、手紙の男は手出しができない。彼を信頼して、守ってもらうんだよ。いいね?」
「……はい」
声が低くなってしまう。
お父様、解決方法が根本的に間違っています。
頼むからあのツン男に役割なんか与えないで。私の傍に来させないでください。
「公爵家のパーティーには出なさい。クラウディオはお前の傍から離れないから、安心して」
安心なんてできません!
胃が……胃に穴が開いちゃうわ!

   ◆◆◆

あっという間に公爵家のパーティー、つまりクラウディオのおばあ様の誕生会の日になった。先代公爵夫人は、お父様と二人でお邪魔した時に可愛がってくれた方で、お祝いをしたい気持ちはあるのだけれど、クラウディオに会うのが苦痛だった。
「お嬢様、お迎えに馬車が参りました」
「お迎え?お父様と一緒に出かけるんじゃなかったかしら?」
「いいえ。公爵家の馬車が着きました。クラウディオ様がお待ちです」
はあ……。
行き帰りくらいは自由になりたかったのに。
「お父様は?私はお父様と……」
「旦那様は先に行って公爵様とお話をなさりたいそうです。奥様は坊ちゃまとお邸に残られるそうです」
弟が昨日から熱を出して、お母様はパーティーに不参加だ。両親にくっついて歩いて、クラウディオから逃れようとしたのに、これでは計画倒れよ。

覚悟を決めて、客間へ急いだ。
支度に時間を取られてはいないけれど、少しでも遅れれば、またあのツン男が嫌味を言うに決まっている。
侍女がドアを開ける前に深呼吸をする。すー、はー、すー、はー……。
「エレナ」
ギクッ。
声が、後ろから聞こえた気がする。
視線を床に向けたまま顔だけ振り向いた。綺麗に磨かれた上等な靴が目に入る。嫌味なくらいに長い脚、飾り気がないのに高貴に見える上着、差し出された手……。
ん?
手?
長い指先からそのまま視線を上げると、硬い表情のクラウディオが立っていた。
何度瞬きしても、彼は手を差し出したまま固まっている。蝋人形か何かかしら。新しい遊びにしては悪趣味だわ。
「クラウディオ様。わざわざお迎えにきてくださって、ありがとうございます」
視線を合わせずに適当に頭を下げた。
「……」
「……」
何も言わないので頭を上げると、クラウディオはこちらに背中を向けていた。
ちょっと?酷くない?
お礼を言って頭を下げているのに、無視するか、普通?
手だけをこちらに差し出して、
「行くぞ」
と一言。そんなに迎えに来たくないなら、来なくて結構よ!

頭に来たから、手を握って思いっきり引っ張ってみた。肩が外れればいい。
「ぅわっ」
勢いでクラウディオの身体が傾き、ふらつきながらこちらを振り向いた。……と、綺麗な顔が近づく。
「あぶ……んっ!」
ドサッ。
「大丈夫ですか!お嬢様!」
バスコの叫び声がした。
私の上に伸し掛かる重み。それと……。
唇の右端に、柔らかくて温かく湿った何かが当たっている。
何かって、考えたくもない。
「あっ……」
クラウディオは素早く私の上から退いた。首の後ろに回されていた腕が抜け、ガツンと高等部が床に打ち付けられた。痛い。もう少しそっと下ろしてよ。髪もぐちゃぐちゃだわ。
「……」
侍女の手を借りて起き上がる。ドレスの裾を素早く直す。
クラウディオは向こうを向いて立ったまま、何も言わないでいる。
「髪を、整えて参ります」
「……あ、ああ」
まただんまりか。一体、今日のクラウディオはどうなっているのかしら。
「クラウディオ様、あの……先ほどのことですが」
「さ、先ほ……ああ、キ、……キス、のことか」
キスだったって自覚はあるんだ。
前世での経験がなかったら、私もテンパってたところだわ。あれがファーストキスだなんて最悪すぎる。嫌いな奴と事故チューだなんて。
「フン。あんなのは数にも入らないだろう?」
振り返りもしない。人を何だと思っているの?
「したくてしたわけじゃない。……お前はあれを、キスの数に入れるのか?」
悔しい。
こいつ、グーで殴りたいわ。

無言でドレスを持ち上げて部屋に戻り、侍女にたっぷり時間をかけて髪をセットさせた。パーティーが始まる時間が過ぎたら、クラウディオも痺れを切らして先に行くだろう。
……と思ったのが間違いだった。
目いっぱいこだわっておしゃれをして客間に行くと、彼はまだそこにいた。
何でまだいるかなあ?もう始まってるじゃない。おばあ様の誕生会が。
やっと現れた私を見て、一瞬青い瞳を揺らした。
「……時間が、かかったな」
「申し訳ありません。髪の乱れが予想以上でしたので」
「……そ、そうか。俺には時間をかけた意味がないように見えるが」
くっ。
見えないの?この渾身のスーパー盛りヘアが!目ぇ開けてよく見なさいよ。
侍女三人が後れ毛の流れまで計算して完璧に仕上げたのよ?そりゃあ、オレンジの髪なんて綺麗じゃないし、お人形みたいにはならなかった。皆は最高に綺麗だって言って、自信を持たせてくれたのに。
「クラウディオ様の隣に立つには相応しくないのでしょうが、精一杯飾り立てましたの」
「……フン。今晩はお前の隣にいてやる。勘違いするなよ、父上に言われたからだからな」
立ち上がったクラウディオは私に手を差し出し、こちらを見ないで馬車へと歩き出した。
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