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イノセンシア国立学園高等部
トラブル発生
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注文したものが届くまでの間、私達はメラニアの様子を探ることにした。他の恋人達がそうしているように、クラウディオは隣に座って『愛のミラクルクリームパンケーキ~二人で味わう蜜の味~』を私に食べさせようと考えているらしかった。
「その……もう少し、詰めてもいいか?」
この店の席は、所謂ファミレスのようなボックス席になっている。一人一人別々の椅子ではないから、密着度は自由自在である。周りを見れば、彼女の膝に甘えている男もいる。ここが公衆の面前だという意識さえ、恋人を前にすれば吹っ飛んでしまうのか。
「い、いいです、よ?」
「近づいた方が、小声で話せるだろう」
ああ、そういうことか。
緊張して損した。
……ん?緊張?
何、クラウディオ相手に挙動不審になってるのよ、私。
「……っ!」
彼が近づいた瞬間、肩と膝が触れた。
「あ、こ、これは……」
「いちいち謝らないでくださいね」
「う、分かった。……しかし、ニコラスがああもそっけない態度を取るなんて」
耳を澄ませば、メラニアが(散々盛った)自分の話を繰り返しているのが聞こえた。ニコラスは笑顔こそ見せているけれど、相槌は「へえ」「ふうん」「そうなんだ」の三つを繰り返している。
「そうなんだ、にあれほどバリエーションがあるとは……」
クラウディオは思わず呟いた。友人のコミュニケーションスキルにただただ感心しているといった様子だ。
「ニコラスが何も語らないのをいいことに、メラニアの独壇場ですね」
「先ほどから同じ話をしているな」
「あれがニコラスの好感度を上げ……コホン。ニコラスに好かれる内容だと思い込んでいるんでしょう。……妬けますか?」
横目でちらりとクラウディオを見た。一瞬、至近距離で視線が絡み合った。
「……どう、だろう」
「分からないんですか?」
ゲームの中では、ある程度の好感度を持つ攻略対象が二人以上いて、他の好感度が一定以下のときに、嫉妬イベントが起こるはずだ。メラニアに心酔している(?)クラウディオが、ニコラスといる彼女を見て嫉妬してもおかしくはない。
「何と言うか、……そうだ。観察している気持ちだ。飼い猫が玩具と戯れるのを眺めているような……」
どっちが猫でどっちが玩具かは聞かないことにした。とにかく、クラウディオは嫉妬していない。ニコラスの好感度が低いからかしら?
「メラニアを振り向かせたいとは思いません?どう見てもこれ、ニコラスとデートですよね。あなたは彼女と仲がいい。好きなんですよね?メラニアが」
「……俺、は……」
クラウディオが眉間に皺を寄せ、考え始めた。すると、私達の前にごてごてした甘そうなパンケーキが置かれた。
「お待ちどうさまでした!『愛のミラクルクリームパンケーキ~二人で味わう蜜の味~』です。♪君っ、のハートに、甘~く~、とろける~魔法を、かっけって~♪」
店員は突然歌いだした。ビクッと身体を震わせたクラウディオは、さらに私に寄ってくる。
「ちょ、近すぎます」
「すまない。あまりに奇抜な演出で……。市井の店は皆こうなのか?」
「この店独自じゃないですか。あ、すいません、歌はそのへんで……」
苦笑いを浮かべて歌を短く切り上げてもらい、私達は座席の背もたれに身体を隠した。
「……はあ、目立つのは避けたいのに」
「そうか、これか」
メニューを指すと、クラウディオは満足げに頷いた。
「初めてご来店のカップルには特別サービスがあると書いてある」
「そんなの知りませんよ。ああ、メラニアに気づかれていませんように……」
恐る恐る窺えば、ニコラスがうまいこと興味を引いてくれたらしい。メラニアは瞳を輝かせて彼の話にうなずいている。ゲームのとおりなら、ここでちょっとだけニコラスの生い立ちに触れる話が聞けるのだ。
「彼に同情しているそぶりを見せて……個別ルートに入るフラグは避ける……シナリオのとおりね」
「個別ルートとは?」
耳元で低い声で囁くな。心臓がもたないじゃない。
「気にしないでください。こちらの話です」
務めて冷静に返せば、クラウディオは不満そうに唇をへの字にした。
「気になるだろう。君は俺を応援しているものとばかり思っていたが、メラニアとニコラスの仲を取り持とうとしているのか?」
「どうしてそうなるんです」
「……分からない。そうだったらいいという俺の思い込みかもしれない」
「は?」
「君と待ち合わせをして、一緒に店に入って、……ち、近い距離で話をして」
「?」
「どうも、心臓がうるさくて敵わない」
「え……」
それって、クラウディオが私を意識しているってこと?
一気に頬が熱を帯びる。
「い、いやいやいや、気のせいですよ。だって、あなたはメラニアが」
「そそ、そう、だな。……俺は、メラニアのことが……うっ」
顔をしかめ、クラウディオが呻く。
「おかしいな……彼女のことを考えると、頭痛がする」
「気のせいです」
「……そうだな。どれ、せっかくだ。食べてみよう」
話を逸らすかのようにフォークを手に取り、ごてごてとクリームが乗ったパンケーキにざくりと刺した。そのまま私に「あーん」としようとして、軽く口を開き、クラウディオは私の冷たい視線に怯んだ。
「切らないんですか?」
「き、切るとも!つい、忘れただけだ」
「忘れたんですね……」
思いっきり動揺してるじゃない。
「こ、こういうことは初めてだからな、うん」
一人で納得してるんじゃないわよ。
手が震えてカトラリーがカチャカチャと音を立てている。普段の優雅な彼とは大違いだ。
「私が切りましょうか」
「それだと、俺が君に食べさせてもらうことになる」
「何か問題でも?」
他のカップルはそうしているのに。
「君に、『あーんして』なんて言われたら……うっ」
赤くなってもじもじするクラウディオに内心舌打ちをし、彼からフォークとナイフを奪い取ると、私はてきぱきとパンケーキを刻んだ。大きな口を開けなくても入る大きさに。
「……はい、どうぞ?」
彼の口元に突き出してやると、少し恨めしそうな顔をした。
「……あーん、と言わないのか?」
「言ってほしいんですか?恋人でもないのに?」
自分で言って少しだけ胸が痛んだ。
「あなたの恋人はメラニアでしょう?」
「……そう、だな」
眉尻を下げ、彼は小声で「すまなかった」と零した。
◆◆◆
それから無言でパンケーキを食べた。店内の甘ったるい空気をよそに、私達は黙々と口を動かしながら、メラニアとニコラスの会話を盗み聞きした。やがて、ニコラスがさりげなく次の場所へ移動しようと提案した。
「どこに行くのぉ?」
「さあな」
「ねえ、教えてよ」
「俺のお気に入りの場所。お前も気に入ると思うぜ?」
メラニアがくすっと笑う声がした。
この後、シナリオに従えば、ニコラスはヒロインを馬に乗せて見晴らしがよい丘に連れ出す。馬を取りに行くために、一度実家の別邸に立ち寄る流れだ。ゲームでははっきりと出てこないけれど、事情があってニコラスはララサバル侯爵家の別邸で暮らしている。怪しい組織から離脱できないで、侯爵様に追い出されたって話だったんだけど……。
「クラウディオ様、行きましょう」
「ああ。二人が店を出たら、少し間を置いて追うぞ」
真面目な顔で頷く。その口元にパンケーキについていた生クリームが見える。
「……どうかしたか?」
無言で自分の口元を指し示し、ついているぞと口パクで伝える。
「ああ、君の口紅が取れかかっているな」
そうじゃないっての!
「安心しろ。そのままでも十ぶ……むぶっ」
手近にあったナプキンでさっと拭ってやると、クラウディオは口元を手で覆ったまま背中を向けた。
「な、何を……」
「追いかけないと見失いますよ」
彼の背中を押して椅子から追い出し、私は二人が消えた出口を見つめた。
◆◆◆
「き、君は、ああいうことに慣れているのか」
「何のことです?」
「お、男の口元を拭くとか」
「ああ……」
メラニアとニコラスを追っているはずなのに、クラウディオの関心事はそれなのか。
大丈夫かな。作戦通りにいくかしら。
「他の方の真似をしただけです」
「そ、そうか。てっきりイヴァン殿に……」
まだその名前が出てくる!?
「言ったはずです。イヴァン様とはああいう店に行ったことはないんです」
「……悪かった。傷を抉るような真似をして」
一歩踏み出すクラウディオの腕を引く。私に触れられる度にびくびくするのは、いい加減やめてほしい。
「……待って」
「どうした?」
「様子がおかしいわ。道順が違う?」
クラウディオは上着の胸元から、王都の地図の簡略版を取り出した。こうしていると、地方から王都に出てきた風に見える。地図の道は赤い線でなぞってある。ビビアナ様と考えたコースだ。
「メラニアはあえて、細い路地を選んで進もうとしている。ニコラスは表通りを行き、いくらでも人目につくように考えているのだが」
「人目がないところで、彼をどうにかしようとしているんでしょうね」
「どうにか?」
「ええ、どうにか、です」
「ニコラスは優男に見えて、実は屈強な騎士だ。相当な手練れでもない限り、彼をどうにかすることなどできるわけがない」
それがどうにかできちゃうから困るんでしょうが。
「ビビアナ様が気づいて予防線を張ってくれているといいけど……。行きましょう」
「しかし……」
クラウディオは二人が消えた街角をちらりと見て口ごもる。近道ではあるが、酒場が多くあまり治安がいいとは言えない地域だ。
「このまま、メラニアがニコラスとくっついてもいいんですか?あなたの恋人でしょう?」
「……そうだ、俺は……メラニアが……」
何処を見ているか分からない青い瞳が揺れた。
◆◆◆
歩くこと数分。
私は自分の選択を呪い始めた。
どうして、こんなところについてきてしまったのか。
メラニアとニコラスの姿を見失った。そのうえ、猛烈な客引きに悩まされているのだ。
「け、結構だ」
「そんなこと言わずに。うちはいい部屋あるよ」
「だから、入らないと言っているだろう」
「まあまあ、いいから上がっておくれよ」
客引きの男が私の腕を引く。彼の店は堂々とした連れ込み宿のようだ。
「きゃっ」
「やめるんだ」
「きっとお嬢さんも気に入るぜ?地図なんか持って、あんたら旅のもんだろ?」
「それは……」
「普通の宿屋に泊まるより安いぜ?ちょっと、いい声がするかもしんねえけどな」
男はにやりと笑う。下卑た笑いに言わんとしていることが読めた。
「いい声、とは?」
「クラウディオ様、聞かなくてもいいですから!」
「そこは旦那が頑張るところじゃないか」
「俺が?」
まだ意味が分かっていないらしい。
「若いんだから真昼間からそういうのも悪くないだろ?さっきも、あんたらくらいの歳のが二組入っていったぜ」
二組?もしかして……。
「あの、その二組に、ピンクの長い髪の女の子と、オレンジの髪の男……」
「ああ、なんだ、あんたら知り合いなのか?男の方がやけに後ろを気にしていたから、何かと思ったんだよな」
間違いない。メラニアとニコラスだ。
「入りましょう、クラウディオ様」
「えっ?」
驚いた彼は、客引きの男に聞こえないように私の耳に手をかざして呟いた。
「いかがわしい店ではないのか?」
「店がいかがわしいというより、中で行われている行為がそれかと」
クラウディオの頬がぱっと赤く染まる。多分私も真っ赤だろうな。
「君は俺とこの店に入ってもいいのか?未婚の女性が……」
「変装しているじゃないですか。それより、ニコラスが心配です。メラニアがこんな場所に連れ込むなんて想定外です」
「分かった。行こう」
私の手をそれとなく引く。彼の横顔が緊張で強張っている。
「……君の名誉を傷つける真似はしない。信じてくれ」
頷いた私の肩を抱くようにしながら、上着でそっと隠そうとする。彼に優しく背中を押されて、自分の足が竦んでいたと気づかされた。いつも以上に早口になってしまうのも、この状況に緊張している証拠だ。
「さ、さっさと二人を見つけ出しましょう」
「ふっ……そうだな」
上ずった私の声に苦笑して、クラウディオは宿の扉を押した。
「その……もう少し、詰めてもいいか?」
この店の席は、所謂ファミレスのようなボックス席になっている。一人一人別々の椅子ではないから、密着度は自由自在である。周りを見れば、彼女の膝に甘えている男もいる。ここが公衆の面前だという意識さえ、恋人を前にすれば吹っ飛んでしまうのか。
「い、いいです、よ?」
「近づいた方が、小声で話せるだろう」
ああ、そういうことか。
緊張して損した。
……ん?緊張?
何、クラウディオ相手に挙動不審になってるのよ、私。
「……っ!」
彼が近づいた瞬間、肩と膝が触れた。
「あ、こ、これは……」
「いちいち謝らないでくださいね」
「う、分かった。……しかし、ニコラスがああもそっけない態度を取るなんて」
耳を澄ませば、メラニアが(散々盛った)自分の話を繰り返しているのが聞こえた。ニコラスは笑顔こそ見せているけれど、相槌は「へえ」「ふうん」「そうなんだ」の三つを繰り返している。
「そうなんだ、にあれほどバリエーションがあるとは……」
クラウディオは思わず呟いた。友人のコミュニケーションスキルにただただ感心しているといった様子だ。
「ニコラスが何も語らないのをいいことに、メラニアの独壇場ですね」
「先ほどから同じ話をしているな」
「あれがニコラスの好感度を上げ……コホン。ニコラスに好かれる内容だと思い込んでいるんでしょう。……妬けますか?」
横目でちらりとクラウディオを見た。一瞬、至近距離で視線が絡み合った。
「……どう、だろう」
「分からないんですか?」
ゲームの中では、ある程度の好感度を持つ攻略対象が二人以上いて、他の好感度が一定以下のときに、嫉妬イベントが起こるはずだ。メラニアに心酔している(?)クラウディオが、ニコラスといる彼女を見て嫉妬してもおかしくはない。
「何と言うか、……そうだ。観察している気持ちだ。飼い猫が玩具と戯れるのを眺めているような……」
どっちが猫でどっちが玩具かは聞かないことにした。とにかく、クラウディオは嫉妬していない。ニコラスの好感度が低いからかしら?
「メラニアを振り向かせたいとは思いません?どう見てもこれ、ニコラスとデートですよね。あなたは彼女と仲がいい。好きなんですよね?メラニアが」
「……俺、は……」
クラウディオが眉間に皺を寄せ、考え始めた。すると、私達の前にごてごてした甘そうなパンケーキが置かれた。
「お待ちどうさまでした!『愛のミラクルクリームパンケーキ~二人で味わう蜜の味~』です。♪君っ、のハートに、甘~く~、とろける~魔法を、かっけって~♪」
店員は突然歌いだした。ビクッと身体を震わせたクラウディオは、さらに私に寄ってくる。
「ちょ、近すぎます」
「すまない。あまりに奇抜な演出で……。市井の店は皆こうなのか?」
「この店独自じゃないですか。あ、すいません、歌はそのへんで……」
苦笑いを浮かべて歌を短く切り上げてもらい、私達は座席の背もたれに身体を隠した。
「……はあ、目立つのは避けたいのに」
「そうか、これか」
メニューを指すと、クラウディオは満足げに頷いた。
「初めてご来店のカップルには特別サービスがあると書いてある」
「そんなの知りませんよ。ああ、メラニアに気づかれていませんように……」
恐る恐る窺えば、ニコラスがうまいこと興味を引いてくれたらしい。メラニアは瞳を輝かせて彼の話にうなずいている。ゲームのとおりなら、ここでちょっとだけニコラスの生い立ちに触れる話が聞けるのだ。
「彼に同情しているそぶりを見せて……個別ルートに入るフラグは避ける……シナリオのとおりね」
「個別ルートとは?」
耳元で低い声で囁くな。心臓がもたないじゃない。
「気にしないでください。こちらの話です」
務めて冷静に返せば、クラウディオは不満そうに唇をへの字にした。
「気になるだろう。君は俺を応援しているものとばかり思っていたが、メラニアとニコラスの仲を取り持とうとしているのか?」
「どうしてそうなるんです」
「……分からない。そうだったらいいという俺の思い込みかもしれない」
「は?」
「君と待ち合わせをして、一緒に店に入って、……ち、近い距離で話をして」
「?」
「どうも、心臓がうるさくて敵わない」
「え……」
それって、クラウディオが私を意識しているってこと?
一気に頬が熱を帯びる。
「い、いやいやいや、気のせいですよ。だって、あなたはメラニアが」
「そそ、そう、だな。……俺は、メラニアのことが……うっ」
顔をしかめ、クラウディオが呻く。
「おかしいな……彼女のことを考えると、頭痛がする」
「気のせいです」
「……そうだな。どれ、せっかくだ。食べてみよう」
話を逸らすかのようにフォークを手に取り、ごてごてとクリームが乗ったパンケーキにざくりと刺した。そのまま私に「あーん」としようとして、軽く口を開き、クラウディオは私の冷たい視線に怯んだ。
「切らないんですか?」
「き、切るとも!つい、忘れただけだ」
「忘れたんですね……」
思いっきり動揺してるじゃない。
「こ、こういうことは初めてだからな、うん」
一人で納得してるんじゃないわよ。
手が震えてカトラリーがカチャカチャと音を立てている。普段の優雅な彼とは大違いだ。
「私が切りましょうか」
「それだと、俺が君に食べさせてもらうことになる」
「何か問題でも?」
他のカップルはそうしているのに。
「君に、『あーんして』なんて言われたら……うっ」
赤くなってもじもじするクラウディオに内心舌打ちをし、彼からフォークとナイフを奪い取ると、私はてきぱきとパンケーキを刻んだ。大きな口を開けなくても入る大きさに。
「……はい、どうぞ?」
彼の口元に突き出してやると、少し恨めしそうな顔をした。
「……あーん、と言わないのか?」
「言ってほしいんですか?恋人でもないのに?」
自分で言って少しだけ胸が痛んだ。
「あなたの恋人はメラニアでしょう?」
「……そう、だな」
眉尻を下げ、彼は小声で「すまなかった」と零した。
◆◆◆
それから無言でパンケーキを食べた。店内の甘ったるい空気をよそに、私達は黙々と口を動かしながら、メラニアとニコラスの会話を盗み聞きした。やがて、ニコラスがさりげなく次の場所へ移動しようと提案した。
「どこに行くのぉ?」
「さあな」
「ねえ、教えてよ」
「俺のお気に入りの場所。お前も気に入ると思うぜ?」
メラニアがくすっと笑う声がした。
この後、シナリオに従えば、ニコラスはヒロインを馬に乗せて見晴らしがよい丘に連れ出す。馬を取りに行くために、一度実家の別邸に立ち寄る流れだ。ゲームでははっきりと出てこないけれど、事情があってニコラスはララサバル侯爵家の別邸で暮らしている。怪しい組織から離脱できないで、侯爵様に追い出されたって話だったんだけど……。
「クラウディオ様、行きましょう」
「ああ。二人が店を出たら、少し間を置いて追うぞ」
真面目な顔で頷く。その口元にパンケーキについていた生クリームが見える。
「……どうかしたか?」
無言で自分の口元を指し示し、ついているぞと口パクで伝える。
「ああ、君の口紅が取れかかっているな」
そうじゃないっての!
「安心しろ。そのままでも十ぶ……むぶっ」
手近にあったナプキンでさっと拭ってやると、クラウディオは口元を手で覆ったまま背中を向けた。
「な、何を……」
「追いかけないと見失いますよ」
彼の背中を押して椅子から追い出し、私は二人が消えた出口を見つめた。
◆◆◆
「き、君は、ああいうことに慣れているのか」
「何のことです?」
「お、男の口元を拭くとか」
「ああ……」
メラニアとニコラスを追っているはずなのに、クラウディオの関心事はそれなのか。
大丈夫かな。作戦通りにいくかしら。
「他の方の真似をしただけです」
「そ、そうか。てっきりイヴァン殿に……」
まだその名前が出てくる!?
「言ったはずです。イヴァン様とはああいう店に行ったことはないんです」
「……悪かった。傷を抉るような真似をして」
一歩踏み出すクラウディオの腕を引く。私に触れられる度にびくびくするのは、いい加減やめてほしい。
「……待って」
「どうした?」
「様子がおかしいわ。道順が違う?」
クラウディオは上着の胸元から、王都の地図の簡略版を取り出した。こうしていると、地方から王都に出てきた風に見える。地図の道は赤い線でなぞってある。ビビアナ様と考えたコースだ。
「メラニアはあえて、細い路地を選んで進もうとしている。ニコラスは表通りを行き、いくらでも人目につくように考えているのだが」
「人目がないところで、彼をどうにかしようとしているんでしょうね」
「どうにか?」
「ええ、どうにか、です」
「ニコラスは優男に見えて、実は屈強な騎士だ。相当な手練れでもない限り、彼をどうにかすることなどできるわけがない」
それがどうにかできちゃうから困るんでしょうが。
「ビビアナ様が気づいて予防線を張ってくれているといいけど……。行きましょう」
「しかし……」
クラウディオは二人が消えた街角をちらりと見て口ごもる。近道ではあるが、酒場が多くあまり治安がいいとは言えない地域だ。
「このまま、メラニアがニコラスとくっついてもいいんですか?あなたの恋人でしょう?」
「……そうだ、俺は……メラニアが……」
何処を見ているか分からない青い瞳が揺れた。
◆◆◆
歩くこと数分。
私は自分の選択を呪い始めた。
どうして、こんなところについてきてしまったのか。
メラニアとニコラスの姿を見失った。そのうえ、猛烈な客引きに悩まされているのだ。
「け、結構だ」
「そんなこと言わずに。うちはいい部屋あるよ」
「だから、入らないと言っているだろう」
「まあまあ、いいから上がっておくれよ」
客引きの男が私の腕を引く。彼の店は堂々とした連れ込み宿のようだ。
「きゃっ」
「やめるんだ」
「きっとお嬢さんも気に入るぜ?地図なんか持って、あんたら旅のもんだろ?」
「それは……」
「普通の宿屋に泊まるより安いぜ?ちょっと、いい声がするかもしんねえけどな」
男はにやりと笑う。下卑た笑いに言わんとしていることが読めた。
「いい声、とは?」
「クラウディオ様、聞かなくてもいいですから!」
「そこは旦那が頑張るところじゃないか」
「俺が?」
まだ意味が分かっていないらしい。
「若いんだから真昼間からそういうのも悪くないだろ?さっきも、あんたらくらいの歳のが二組入っていったぜ」
二組?もしかして……。
「あの、その二組に、ピンクの長い髪の女の子と、オレンジの髪の男……」
「ああ、なんだ、あんたら知り合いなのか?男の方がやけに後ろを気にしていたから、何かと思ったんだよな」
間違いない。メラニアとニコラスだ。
「入りましょう、クラウディオ様」
「えっ?」
驚いた彼は、客引きの男に聞こえないように私の耳に手をかざして呟いた。
「いかがわしい店ではないのか?」
「店がいかがわしいというより、中で行われている行為がそれかと」
クラウディオの頬がぱっと赤く染まる。多分私も真っ赤だろうな。
「君は俺とこの店に入ってもいいのか?未婚の女性が……」
「変装しているじゃないですか。それより、ニコラスが心配です。メラニアがこんな場所に連れ込むなんて想定外です」
「分かった。行こう」
私の手をそれとなく引く。彼の横顔が緊張で強張っている。
「……君の名誉を傷つける真似はしない。信じてくれ」
頷いた私の肩を抱くようにしながら、上着でそっと隠そうとする。彼に優しく背中を押されて、自分の足が竦んでいたと気づかされた。いつも以上に早口になってしまうのも、この状況に緊張している証拠だ。
「さ、さっさと二人を見つけ出しましょう」
「ふっ……そうだな」
上ずった私の声に苦笑して、クラウディオは宿の扉を押した。
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ファンタジー
女伯グリゼルダはもう不惑の歳だが、過去に起こしたスキャンダルが原因で異性から敬遠され未だに独身だった。
二十二年前、グリゼルダは恋仲になった王太子と結託して彼の婚約者である公爵令嬢を陥れようとした。
けれど、返り討ちに遭ってしまい、結局恋人である王太子とも破局してしまったのだ。
ある時、グリゼルダは王都で開かれた仮面舞踏会に参加する。そこで、トラヴィスという年下の青年と知り合ったグリゼルダは彼と恋仲になった。そして、どんどん彼に夢中になっていく。
だが、ある日。トラヴィスは、突然グリゼルダの前から姿を消してしまう。グリゼルダはショックのあまり倒れてしまい、気づいた時には病院のベッドの上にいた。
グリゼルダは、心配そうに自分の顔を覗き込む執事にトラヴィスと連絡が取れなくなってしまったことを伝える。すると、執事は首を傾げた。
そして、困惑した様子でグリゼルダに尋ねたのだ。「トラヴィスって、一体誰ですか? そんな方、この世に存在しませんよね?」と──。
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