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イノセンシア国立学園高等部

仮面

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「ちょっと、エレナ様!」
「?」
廊下から令嬢とは思えない速さで戻ってきたカルロータ様が、私の袖を引っ張って窓際へ向かう。
「何事なの?」
「ここ数日、中等部に不審者が現れている噂をご存知?」
そう言えば、令嬢達がきゃあきゃあ言っていたなと思い返す。背の高い黒いマントの覆面の男が現れたと。顔は目元のマスクで見えないけれど素敵っぽいとか何とか。馬鹿馬鹿しいと思って遠目に見ていた。
「それがどうかしましたの?」
「その不審者、どうもあなたを狙っているようよ」
「ええっ!?」
クラスの皆に注目されて慌てて口を押さえる。一体どういうわけなのか。
「私、そんな人知らないわ」
「不審者が現れるのは放課後で、決まってあなたの行く先に……って、全校の噂ですわ」
何てことだ。
乙女ゲーム世界にもストーカーがいるなんて。
「信じられないわ……と言うか、信じたくない……」
「あなたがいなくなった後、近くにいた生徒がその不審者と話をしたとか」
「話?」
不審者でも言葉は通じるのね、と安堵している場合ではない。
「昨日見に行った手芸部で、あなたについて聞き出そうとしたそうよ。手芸部の皆様が恋人にプレゼントする品をおつくりになっていたでしょう?それで、あなたが誰にプレゼントするのかって」
「わあ、気持ち悪い……」
「ええ。皆様もそうお思いになって、適当に誤魔化したそうよ」
仲間づくりのために部活にでも入ろうと思って体験入部に行った。カルロータ様好みのマッチョなイケメンを見に行くのにも飽きてきたのだ。
「それで、不審者はどうしたの?皆様にご迷惑は……」
「何もなかったわ。ふらふらと帰っていったと」
「ふらふら?意外と弱いのね」
私でも撃退できるかしら。
「だって、それは驚くでしょう?エレナ様ったら、ハンカチに呪いの文様を刺繍するって……」
「ありのままを教えたの?」
「いいえ。思いを込めて刺繍していると教えたそうよ。作りかけの作品も見たのかしらね」
呪い云々はもちろん冗談で、私は小動物の柄を刺繍していた。見られたとしても問題はないはず。一体何がそんなに衝撃だったのだろう。

不審者について、得られた情報は少ない。情報は少ないのに、目撃談には事欠かなかった。
「見た?」
「見た見たー!あれ、先生に気づかれてたよな」
「廊下の端で捕まってたぜ」
「逃げても無駄だろ。黒マントなんて目立つし」
男子生徒が大笑いしている。バカウケだ。
「ねえ、そのことだけど……」
「エレナさん」
話しかけるより早く、ドアが開いて先生が入ってきた。授業が始まるには少し早い。
「は、はい」
「お話があります。職員室へ来てほしいの」
何だろう。不審者の件で呼び出しかしら。

   ◆◆◆

連れていかれたのは、職員室の隣の応接室だった。学院の関係者はVIPが多いから、すぐ使えるところに豪華な応接室がある。中に入ると、黒い人影が目に入った。
――不審者!
先生の後ろに隠れるようにして身構え、ひと呼吸おいて確認する。
「……え、ええええ?」
声が漏れてしまった。不審者は半分被っていたフードをおろし、仮面とマントを外して項垂れた。
「……ごめんなさい」
「ごめんって……」
何をしているのよ、クラウディオ!
と叫びそうになり、ここが職員室の隣で先生と一緒だったと口をつぐむ。
「あなたの身元を確認するために、エレナに来てもらったのよ。その様子だと、本人に間違いなさそうね。そうでしょう?エレナ。彼はあなたの婚約者の……」
婚約者という単語に、『違います』と答えたくなり、私は長椅子に腰かけて小さくなっているクラウディオを睨んだ。
「はい。確かに彼は、モンタネール公爵家のクラウディオです」
他人のふりをしたくて仕方がない。変な格好で中等部をうろつくとか、公爵家の跡取りがすることかしら?っていうか、これでも乙女が憧れる攻略対象なの?
「共用部分以外は立ち入れないと分かっているわね?」
「……はい」
「ここ数日、あなたと同じ格好の人物が、中等部の校舎に出入りしていたとの証言があるわ。目的は何なの?」
「目的……は……」
クラウディオはびくびくしながらぎゅっと目を閉じた。仮面を取った顔に少し乱れた黒髪が影を作る。
「それは、言えません」
「言えない?」
「はい」
「生徒達からは、不審者……あなたがエレナのことを聞き出そうとしていたと聞いているわ。会いたいなら、共有棟の図書室や、中庭で会えばいいでしょう?」
来ないでくれと言ったのはそっちよね?何を言っているの?
「……図書室には、もう来ないと言っていたから」
「来ないって?誰がそんなことを……」
「君の友達がビビアナに伝えたんじゃないの?」
「知らないわよ。あなたが来るなって言っていたって……」
おかしい。
困惑した青い瞳と視線が絡んだ。
「あなたたち、話し合いが必要みたいね。ちょうど休み時間だし、ここを貸してあげるから、誤解を解いたらいいわ。ね?」
先生は私の肩をぽんと叩いてそっと部屋を出て行った。

   ◆◆◆

どうも話がかみ合わず、私はクラウディオを問い詰めた。私達は互いに、図書室に行かないように言われていたと分かった。
「そうだったのね……ビビアナ様に……」
「うん。僕と一番仲がいいのは、やっぱり妹だから」
編入してそれなりに経つのに、仲のいい友達がいないのはどうかと思うんだけど。
「ビビアナ様に嘘を教えた令嬢が誰か分かればいいのに。私のところにあなたの伝言をしに来た生徒は、本当に知らない子だったのよ」
「誰かが、僕達を会わせないようにしたんだね」
「まあ、予想はつくわ。あなたもでしょう?」
「……うん。僕と君が一緒だと困る、彼女だよね」
メラニア、と二人の声が揃った。クラウディオが一人になる時間を狙って、彼を自分の信奉者に仕立てようとしたのか。あれだけ嫌われたのにめげないな。
「王太子殿下もルカも手強いと思ったんでしょうね。ニコラスはどうなの?」
「休み時間は逃げるように生徒会室に入り浸っているよ。僕も時々」
「そう。……イルデフォンソも一緒ね?」
「うん。廊下には殿下の警護の兵士がいて、用がない生徒は入れないから、メラニアもそうそう入っては来られない。でも、妙だな」
「何が?」
「僕を一人にしたいなら、君だけを図書室に来させないようにすればいい。実際、何度か足を運んだけれど、メラニアを見かけたことはないよ。彼女の狙いは違うところにあるんじゃないかな」
クラウディオの言うことももっともだ。ハーレムエンドの足掛かりとして、クラウディオを落とそうとしているなら、一人になったところを間違いなく狙ってくるだろう。
「殿下やルカの傍に来る回数も、以前よりずっと少ないんだ。諦めたのかもしれないよ?メラニアが諦めてくれさえすれば、君の恐れていた結末も、公爵家の没落もないよね」
ボサボサの頭でふにゃっと笑い、クラウディオは急に真面目な顔になった。
「あの、さ……」
「何」
「僕が中等部に来た理由……」
ああ、そんなのがあったわね。ヒロインが気になってそれどころじゃなかった。
「私と情報交換をしたかった?」
「え?う、うん……そう。いや、そうじゃなくて」
何なのよ。はっきりしないわね。
「知りたかったんだ。君のこと」
不意に心臓が音を立てた。
「な、何を今さら。出会って何年経ったと……」
「分かってる!ごめん。だけど、君が好きなものとか、好きなこととか、す、好きな人とかっ、知りたくて……。君が黄色が好きだってことは知って……」
「だから?知ってどうするの?とにかく、悪目立ちする格好で中等部に潜入して、私のことを聞いて回るとか、気持ち悪いの極みだからやめて。今度やったら……」
苛立つ私を見て、クラウディオは悲しげに目を細め、微かに首を横に振った。
「もう、絶対にしない」
「本当に?」
「うん。しない。だから、教えてくれないかな」
泣きそうな青い瞳が私を見つめた。いたたまれなくてテーブルに目をやれば、クラウディオが外した仮面が転がっている。私に叫ばれるのを恐れ、デレがないツンツンに過剰防衛していた時とは違い、こうして仮面を外した彼は、とても脆く容易く崩れてしまいそうに思えた。
「君を……笑顔にするためにはどうしたらいい?」
そんなの、決まっているじゃない?
どうしようもない婚約者と別れることよ、と言おうとしたのに、何故だか私の口はうまく動かなかった。
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