498 / 794
学院編 10 忍び寄る破滅
326 少年剣士は父の筋トレを妨害する
しおりを挟む
【アレックス視点】
父上の姿を探し、居間と寝室を覗いて、最後に書斎に飛び込む。
思った通り、父上は書斎で胸に青銅製の馬の置物を抱えて、秒速腹筋を繰り返していた。自分でどうにもならないことが起こると、父上は普段よりきつい練習をして忘れようとするのだ。今まさにそういう状況なのだろう。
「父上、戻りました」
「はっ、ふん!ふん!くぅっ!」
「父上、お話は……」
「はっ、はっ、はっ……」
「父上!いい加減にしてください!」
馬の置物を奪いテーブルの上に置いた。思ったより重く、片手で持つと痺れそうだった。父上はあれほど筋肉があるのに、こんな負荷をかけて訓練する意味があるのだろうか。
「アレックス……」
起き上がって俺を見つめる父上の瞳は、何故か既に潤んでいる。嫌だ、悪い予感しかしない。
「パーシーに会って、皆がハーリオン家の領地へ向かうと聞きました。何が起こっているんですか?騎士団が直接行って調べなければならないほどのことなんですか」
「……俺じゃない。騎士団に指示を出したのは、……そりゃあ俺だが、行けと命じたのは国王陛下だ。ステフ……陛下もフレディの奴も、アーネストを犯人扱いしやがってよぅ」
「父上は違うと考えているんですね」
「当たり前だ。俺はアーネストから直接話を聞くまでは、白黒つけらんねえと思ってる。売ったらいけない品物?をアスタシフォンに持ってって売ったからって、知らないでやってたらどうする?王太子殿下とレイモンド、それにお前と魔導師団長のところの孫が、それぞれ娘と婚約したからって、どうして権力を欲しがってる証拠になるんだ?あいつは何度、要職に就くよう説得されても折れなかったんだぞ。俺は納得できないんだ」
ダン!
勢いよく叩いた机の上で、インク瓶が転がって染みを作った。手紙を書くことがなく殆ど使われていないからか、インクは乾いており零れた量はほんの少しだ。
「陛下はマリナを王太子殿下の婚約者、じゃなくて妃候補か?それから外すと言った。フレディの奴も、息子にアリッサとの婚約を考え直せと手紙を書くと言っていた。考え直せってことは、まあ、婚約解消しろと迫っているようなもんだろうな。そんで、俺に……」
父上はぐっと拳を握った。このまま振り下ろしたら、また何かが壊れる気がする。
「ハーリオン家が騎士団や軍を影響下に置くのはよろしくないとか言いやがって、お前とジュリアの婚約を解消しろと」
――婚約を、解消?
俺は何度か頭の中で繰り返してみた。よく分からない。
「驚くのも無理はない。俺だって考えられなかった。お前達は小さい頃から仲が良かったし、これ以上の縁組などあり得ないだろう。俺は反対したよ。だがな……魔導師団長のエンウィ家のように、結婚相手は魔導士に限るってわけでもないし、うちは騎士を妻にしなくてもいい。アンジェラは騎士じゃないしな。そこを突かれた形だ」
「父上、俺は……」
「俺は断れなかったんだ。お前をブリジット様の婚約者にしてやるから、ジュリアとの婚約は解消しろと言われては……」
――嘘だろう?
まだ四歳かそこらのブリジット様を俺の婚約者に?王女を降嫁させるとなれば、他の縁談を断らなければならない。陛下はそこまでして、俺とジュリアを別れさせたいのか。
「アーネストが悪事を働いた証拠なんて、どこを探しても出てこないだろうさ。俺はあいつの無実を証明するために、騎士団を動かすことに決めた。だが、ハーリオン家への疑惑とお前の結婚は別の問題だ。アーネストが罰を受けても受けなくても、お前を王女の夫にと陛下が決めたのなら、お前はジュリアと婚約解消し、ブリジット様と婚約することになる」
「俺の意思は関係ないのですか?ジュリアと俺は、ずっと一緒にいようって……」
「諦めろ、アレックス。……俺だって辛い」
絞り出すような掠れた声。父上は大きな手で顔を覆い、肩を震わせていた。
◆◆◆
王立学院の自室に戻るまで、俺はどこを歩いていたか分からない。廊下で誰かに声をかけられたが、無視してしまった気がする。景色がぼんやりして、音がざわざわとしか聞こえなくて、何もできず、何もする気が起きなかった。
ジュリアと一緒に過ごしたこの七年間を、全部なかったことにしろと言うのだろうか。父上は騎士団長で、我が家は侯爵家だ。国王陛下の命令に背けるわけがない。
「お帰りなさいませ、坊ちゃん」
エレノアが俺を促して椅子に座らせた。彼女が紅茶を用意している間に、ふとテーブルを見ると、見覚えのない一冊の本が置いてある。
「『愛の逃避行~最果ての地に祝福の鐘は鳴る~』?小説か?」
題名を読み上げた俺の前を、本が高速で通過し、ぱっとエレノアのエプロンに隠される。
「申し訳ございません。少し時間があると思い、読んでおりましたので……」
真っ赤になって俯いた。どうやら女性向けの恋愛小説のようだ。
「隠さなくてもいいよ。エレノアは働きすぎだから、俺がいない間に読書でもして休んでほしい」
「ありがとうございます」
愛の逃避行か。どんな話なのだろう?何故かとても気になった。
「ねえ、エレノア。その本、どんな話なの?」
「これは……その……」
「恥ずかしがらないで教えてよ」
「結婚を反対された騎士と令嬢が、駆け落ちして二人だけで最果ての地リングウェイを目指すのです。そこには誰でも結婚が許される教会があって……」
「誰でも?」
食い気味に問いかけると、エレノアは後ろに引いた。
「ええ、誰でもいいそうです。本当にそういう教会があるのか、私は存じませんが」
「そうか……いざとなったら……」
「坊ちゃん?」
「何でもない。疲れたから少し部屋で休むよ」
立ち上がって奥の部屋に行き、使われていない書棚を眺める。地理の本を開いてグランディア北部の地名に目を走らせる。
――あった。リングウェイだ。
物語に出てきた最果ての地は確かに地図にある。それだけを確認して、俺は棚に本を戻した。
父上の姿を探し、居間と寝室を覗いて、最後に書斎に飛び込む。
思った通り、父上は書斎で胸に青銅製の馬の置物を抱えて、秒速腹筋を繰り返していた。自分でどうにもならないことが起こると、父上は普段よりきつい練習をして忘れようとするのだ。今まさにそういう状況なのだろう。
「父上、戻りました」
「はっ、ふん!ふん!くぅっ!」
「父上、お話は……」
「はっ、はっ、はっ……」
「父上!いい加減にしてください!」
馬の置物を奪いテーブルの上に置いた。思ったより重く、片手で持つと痺れそうだった。父上はあれほど筋肉があるのに、こんな負荷をかけて訓練する意味があるのだろうか。
「アレックス……」
起き上がって俺を見つめる父上の瞳は、何故か既に潤んでいる。嫌だ、悪い予感しかしない。
「パーシーに会って、皆がハーリオン家の領地へ向かうと聞きました。何が起こっているんですか?騎士団が直接行って調べなければならないほどのことなんですか」
「……俺じゃない。騎士団に指示を出したのは、……そりゃあ俺だが、行けと命じたのは国王陛下だ。ステフ……陛下もフレディの奴も、アーネストを犯人扱いしやがってよぅ」
「父上は違うと考えているんですね」
「当たり前だ。俺はアーネストから直接話を聞くまでは、白黒つけらんねえと思ってる。売ったらいけない品物?をアスタシフォンに持ってって売ったからって、知らないでやってたらどうする?王太子殿下とレイモンド、それにお前と魔導師団長のところの孫が、それぞれ娘と婚約したからって、どうして権力を欲しがってる証拠になるんだ?あいつは何度、要職に就くよう説得されても折れなかったんだぞ。俺は納得できないんだ」
ダン!
勢いよく叩いた机の上で、インク瓶が転がって染みを作った。手紙を書くことがなく殆ど使われていないからか、インクは乾いており零れた量はほんの少しだ。
「陛下はマリナを王太子殿下の婚約者、じゃなくて妃候補か?それから外すと言った。フレディの奴も、息子にアリッサとの婚約を考え直せと手紙を書くと言っていた。考え直せってことは、まあ、婚約解消しろと迫っているようなもんだろうな。そんで、俺に……」
父上はぐっと拳を握った。このまま振り下ろしたら、また何かが壊れる気がする。
「ハーリオン家が騎士団や軍を影響下に置くのはよろしくないとか言いやがって、お前とジュリアの婚約を解消しろと」
――婚約を、解消?
俺は何度か頭の中で繰り返してみた。よく分からない。
「驚くのも無理はない。俺だって考えられなかった。お前達は小さい頃から仲が良かったし、これ以上の縁組などあり得ないだろう。俺は反対したよ。だがな……魔導師団長のエンウィ家のように、結婚相手は魔導士に限るってわけでもないし、うちは騎士を妻にしなくてもいい。アンジェラは騎士じゃないしな。そこを突かれた形だ」
「父上、俺は……」
「俺は断れなかったんだ。お前をブリジット様の婚約者にしてやるから、ジュリアとの婚約は解消しろと言われては……」
――嘘だろう?
まだ四歳かそこらのブリジット様を俺の婚約者に?王女を降嫁させるとなれば、他の縁談を断らなければならない。陛下はそこまでして、俺とジュリアを別れさせたいのか。
「アーネストが悪事を働いた証拠なんて、どこを探しても出てこないだろうさ。俺はあいつの無実を証明するために、騎士団を動かすことに決めた。だが、ハーリオン家への疑惑とお前の結婚は別の問題だ。アーネストが罰を受けても受けなくても、お前を王女の夫にと陛下が決めたのなら、お前はジュリアと婚約解消し、ブリジット様と婚約することになる」
「俺の意思は関係ないのですか?ジュリアと俺は、ずっと一緒にいようって……」
「諦めろ、アレックス。……俺だって辛い」
絞り出すような掠れた声。父上は大きな手で顔を覆い、肩を震わせていた。
◆◆◆
王立学院の自室に戻るまで、俺はどこを歩いていたか分からない。廊下で誰かに声をかけられたが、無視してしまった気がする。景色がぼんやりして、音がざわざわとしか聞こえなくて、何もできず、何もする気が起きなかった。
ジュリアと一緒に過ごしたこの七年間を、全部なかったことにしろと言うのだろうか。父上は騎士団長で、我が家は侯爵家だ。国王陛下の命令に背けるわけがない。
「お帰りなさいませ、坊ちゃん」
エレノアが俺を促して椅子に座らせた。彼女が紅茶を用意している間に、ふとテーブルを見ると、見覚えのない一冊の本が置いてある。
「『愛の逃避行~最果ての地に祝福の鐘は鳴る~』?小説か?」
題名を読み上げた俺の前を、本が高速で通過し、ぱっとエレノアのエプロンに隠される。
「申し訳ございません。少し時間があると思い、読んでおりましたので……」
真っ赤になって俯いた。どうやら女性向けの恋愛小説のようだ。
「隠さなくてもいいよ。エレノアは働きすぎだから、俺がいない間に読書でもして休んでほしい」
「ありがとうございます」
愛の逃避行か。どんな話なのだろう?何故かとても気になった。
「ねえ、エレノア。その本、どんな話なの?」
「これは……その……」
「恥ずかしがらないで教えてよ」
「結婚を反対された騎士と令嬢が、駆け落ちして二人だけで最果ての地リングウェイを目指すのです。そこには誰でも結婚が許される教会があって……」
「誰でも?」
食い気味に問いかけると、エレノアは後ろに引いた。
「ええ、誰でもいいそうです。本当にそういう教会があるのか、私は存じませんが」
「そうか……いざとなったら……」
「坊ちゃん?」
「何でもない。疲れたから少し部屋で休むよ」
立ち上がって奥の部屋に行き、使われていない書棚を眺める。地理の本を開いてグランディア北部の地名に目を走らせる。
――あった。リングウェイだ。
物語に出てきた最果ての地は確かに地図にある。それだけを確認して、俺は棚に本を戻した。
0
お気に入りに追加
751
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない
陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」
デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。
そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。
いつの間にかパトロンが大量発生していた。
ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?
婚約破棄をいたしましょう。
見丘ユタ
恋愛
悪役令嬢である侯爵令嬢、コーデリアに転生したと気づいた主人公は、卒業パーティーの婚約破棄を回避するために奔走する。
しかし無慈悲にも卒業パーティーの最中、婚約者の王太子、テリーに呼び出されてしまうのだった。
転生したら攻略対象者の母親(王妃)でした
黒木寿々
恋愛
我儘な公爵令嬢リザベル・フォリス、7歳。弟が産まれたことで前世の記憶を思い出したけど、この世界って前世でハマっていた乙女ゲームの世界!?私の未来って物凄く性悪な王妃様じゃん!
しかもゲーム本編が始まる時点ですでに亡くなってるし・・・。
ゲームの中ではことごとく酷いことをしていたみたいだけど、私はそんなことしない!
清く正しい心で、未来の息子(攻略対象者)を愛でまくるぞ!!!
*R15は保険です。小説家になろう様でも掲載しています。
婚約破棄ですか。ゲームみたいに上手くはいきませんよ?
ゆるり
恋愛
公爵令嬢スカーレットは婚約者を紹介された時に前世を思い出した。そして、この世界が前世での乙女ゲームの世界に似ていることに気付く。シナリオなんて気にせず生きていくことを決めたが、学園にヒロイン気取りの少女が入学してきたことで、スカーレットの運命が変わっていく。全6話予定
【完結】死がふたりを分かつとも
杜野秋人
恋愛
「捕らえよ!この女は地下牢へでも入れておけ!」
私の命を受けて会場警護の任に就いていた騎士たちが動き出し、またたく間に驚く女を取り押さえる。そうして引っ立てられ連れ出される姿を見ながら、私は心の中だけでそっと安堵の息を吐く。
ああ、やった。
とうとうやり遂げた。
これでもう、彼女を脅かす悪役はいない。
私は晴れて、彼女を輝かしい未来へ進ませることができるんだ。
自分が前世で大ヒットしてTVアニメ化もされた、乙女ゲームの世界に転生していると気づいたのは6歳の時。以来、前世での最推しだった悪役令嬢を救うことが人生の指針になった。
彼女は、悪役令嬢は私の婚約者となる。そして学園の卒業パーティーで断罪され、どのルートを辿っても悲惨な最期を迎えてしまう。
それを回避する方法はただひとつ。本来なら初回クリア後でなければ解放されない“悪役令嬢ルート”に進んで、“逆ざまあ”でクリアするしかない。
やれるかどうか何とも言えない。
だがやらなければ彼女に待っているのは“死”だ。
だから彼女は、メイン攻略対象者の私が、必ず救う⸺!
◆男性(王子)主人公の乙女ゲーもの。主人公は転生者です。
詳しく設定を作ってないので、固有名詞はありません。
◆全10話で完結予定。毎日1話ずつ投稿します。
1話あたり2000字〜3000字程度でサラッと読めます。
◆公開初日から恋愛ランキング入りしました!ありがとうございます!
◆この物語は小説家になろうでも同時投稿します。
悪役令嬢の居場所。
葉叶
恋愛
私だけの居場所。
他の誰かの代わりとかじゃなく
私だけの場所
私はそんな居場所が欲しい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※誤字脱字等あれば遠慮なく言ってください。
※感想はしっかりニヤニヤしながら読ませて頂いています。
※こんな話が見たいよ!等のリクエストも歓迎してます。
※完結しました!番外編執筆中です。
シナリオ通り追放されて早死にしましたが幸せでした
黒姫
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢に転生しました。神様によると、婚約者の王太子に断罪されて極北の修道院に幽閉され、30歳を前にして死んでしまう設定は変えられないそうです。さて、それでも幸せになるにはどうしたら良いでしょうか?(2/16 完結。カテゴリーを恋愛に変更しました。)
ヒロインではないので婚約解消を求めたら、逆に追われ監禁されました。
曼珠沙華
恋愛
「運命の人?そんなの君以外に誰がいるというの?」
きっかけは幼い頃の出来事だった。
ある豪雨の夜、窓の外を眺めていると目の前に雷が落ちた。
その光と音の刺激のせいなのか、ふと前世の記憶が蘇った。
あ、ここは前世の私がはまっていた乙女ゲームの世界。
そしてローズという自分の名前。
よりにもよって悪役令嬢に転生していた。
攻略対象たちと恋をできないのは残念だけど仕方がない。
婚約者であるウィリアムに婚約破棄される前に、自ら婚約解消を願い出た。
するとウィリアムだけでなく、護衛騎士ライリー、義弟ニコルまで様子がおかしくなり……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる