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学院編 10 忍び寄る破滅
317 悪役令嬢はローブを濡らす
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ぶわっ……。
エミリーの目の前が白くなった。転移魔法の白い光とは違うようだ。
――何?
バシャン!
ここがどこか考える前に、エミリーは水の中に落ちた。いや、水というより、温かい湯の中だ。次第に視界が明るくなり、バスタブに張った湯の中に立っているのだと理解した。
「キースのところへ転移したはずなのに……?」
生徒会活動が終わって寮に帰ってすぐに、入浴するつもりで湯を張っていたのだろうか。他人の趣味に口を出すつもりはないが、昼風呂とはエミリーの想像を超えていた。どうでもいいが濡れたローブが重い。バスタブから出て絞るしかなさそうだ。靴も靴下もびしょ濡れだ。風魔法で乾燥させないと……。
バスタブの縁に足をかけ、エミリーは重心を移動させた。
「そんな!僕はまだ……!」
ドアの向こう側、恐らく居間にあたる部屋から、キースの切羽詰まった声が聞こえてきた。
――お取込み中か?
「エミリーさんの意思も確認せずに、勝手に決めるなんて酷いです!」
突然自分の名前を呼ばれ、エミリーはビクンと背筋を伸ばした。何事だろうか。ひとまず重いローブを脱いでバスタブに置き、足音を忍ばせて居間の様子を探った。
――誰と話してるの?
薄くドアを開け、隙間からそっと窺う。紫色の髪が見える。キースの後姿の向こうには人影が見えない。どうやら魔導具を使ってテレビ電話のようなことをしているらしい。一般人には到底買えないような高価な品だが、流石は魔導士家系のエンウィ家だ。質の良い魔導具には金は惜しまないのだろう。
「おじい様にも伝えておいてください。僕はエミリーさんに婚約を申し込む資格がありません。試験は……あまりいい点数が取れませんでしたし、そもそも、エミリーさんには他に好きな人が……えっ?」
キースの動きが一瞬止まった。
「それは……本当なのですか?……ですが、幽閉など一時の……いけません、父上。家の繁栄のため?そんなの違います!」
エミリーの位置からは会話が聞こえない。相手は何を言っているのか分からないが、キースの様子から、彼の父親と話しているのだろう。次期魔導師団長と目されている宮廷魔導士だ。キースが宮廷魔導士になったら、祖父であるエンウィ伯爵が退官し、キースの父が魔導師団長になると聞いたような覚えがある。魔導師団長の地位は世襲制ではないが、長いことエンウィ家が事実上世襲してきている。
「父上は、そこまでして魔導師団長になりたいのですか?……信じられません。僕は、誰かを犠牲にして得る地位など汚れていると思います。どうか、考え直し……」
バシュ。
一瞬大きく光が跳ね、通信が途切れたと分かる。魔導具は光属性のもので、使いこなすにも光属性の素養が必要だ。エンウィ家は光属性の者が多いらしく、キースも子供の頃からあの魔導具を使ってきたと言っていた。
――穏やかではないわね。
バスタブにローブを置いたまま、濡れた靴と靴下を脱ぎ、素足になったエミリーはゆっくりと浴室のドアを開けた。
ギイ、と音がし、キースがハッとこちらを見る。
「え、ええ?エミリーさん?どうして……」
「『どうして』は、こっちの台詞」
「男子寮の、浴室から出てくるなんて……」
キースは明らかに混乱していた。ここで問いただしてもいいものだろうか。エミリーはひたひたと床を裸足で歩き、戸惑っている彼の前へと進んだ。
◆◆◆
王立学院内を王太子専用の馬車が疾走する。校舎の前に着くなり、レイモンドはまた自分からドアを開けて外に出た。
「早くしろ」
「せっかちだな、レイ。画家に手紙を書くんだよね?急いでもあまり変わらないよ」
「博物館を出る時に思い出したんだ。さっきの絵を描いた画家のウゴート翁は、学院の生徒の祖父だ」
「ウゴートは貴族だったの?」
「違う。彼自身は平民だが、同じく画家になった彼の娘が、リンド男爵に嫁いでいる」
「リンド男爵?……ええと、あのピアノカバーを被ってる残念な……」
「ああ。ポーリーナだ。学院祭で陛下と王妃様を相手に絵の解説を務め、ピアノカバーを被る癖が直ったのかと思っていたが、やはり今でもカバーを被っている」
レイモンドが用事で隣のクラスに行くと、いつも部屋の隅でもじもじしている黒い塊が目に入った。一度ではないから毎日ああなのかと尋ねたところ、三年二組の生徒は慣れてしまっているようだった。
「ふうん。美人なのにもったいないよね」
「ほう。お前がポーリーナを褒めていたと、後でマリナに教えてやろう」
フッと瞳を細め、レイモンドは意地悪く笑った。
三年二組の教室に行くと、
「ポーリーナなら美術室にいるんじゃないか」
と男子生徒が答えた。
「あ、でも、やめといたほうがいいな。殿下を目の前にして、黒オバケが話せるわけないよ」
クラスメイトは皆口々に諦めろと言った。
「黒オバケ……」
「酷い言われようだな」
感想を言いながら美術室に着いた。ドアを開けると、午後の日差しを浴びて一心不乱にキャンバスに向かう美少女がいた。長くうねる金の髪に、艶めくエメラルドの瞳。長い睫毛が作る陰が彼女の瞳の色を謎めいたものに変えている。
ドアが開いた音に気づき、絵から視線を上げたポーリーナは、セドリックとレイモンドを見て唇を震わせた。
エミリーの目の前が白くなった。転移魔法の白い光とは違うようだ。
――何?
バシャン!
ここがどこか考える前に、エミリーは水の中に落ちた。いや、水というより、温かい湯の中だ。次第に視界が明るくなり、バスタブに張った湯の中に立っているのだと理解した。
「キースのところへ転移したはずなのに……?」
生徒会活動が終わって寮に帰ってすぐに、入浴するつもりで湯を張っていたのだろうか。他人の趣味に口を出すつもりはないが、昼風呂とはエミリーの想像を超えていた。どうでもいいが濡れたローブが重い。バスタブから出て絞るしかなさそうだ。靴も靴下もびしょ濡れだ。風魔法で乾燥させないと……。
バスタブの縁に足をかけ、エミリーは重心を移動させた。
「そんな!僕はまだ……!」
ドアの向こう側、恐らく居間にあたる部屋から、キースの切羽詰まった声が聞こえてきた。
――お取込み中か?
「エミリーさんの意思も確認せずに、勝手に決めるなんて酷いです!」
突然自分の名前を呼ばれ、エミリーはビクンと背筋を伸ばした。何事だろうか。ひとまず重いローブを脱いでバスタブに置き、足音を忍ばせて居間の様子を探った。
――誰と話してるの?
薄くドアを開け、隙間からそっと窺う。紫色の髪が見える。キースの後姿の向こうには人影が見えない。どうやら魔導具を使ってテレビ電話のようなことをしているらしい。一般人には到底買えないような高価な品だが、流石は魔導士家系のエンウィ家だ。質の良い魔導具には金は惜しまないのだろう。
「おじい様にも伝えておいてください。僕はエミリーさんに婚約を申し込む資格がありません。試験は……あまりいい点数が取れませんでしたし、そもそも、エミリーさんには他に好きな人が……えっ?」
キースの動きが一瞬止まった。
「それは……本当なのですか?……ですが、幽閉など一時の……いけません、父上。家の繁栄のため?そんなの違います!」
エミリーの位置からは会話が聞こえない。相手は何を言っているのか分からないが、キースの様子から、彼の父親と話しているのだろう。次期魔導師団長と目されている宮廷魔導士だ。キースが宮廷魔導士になったら、祖父であるエンウィ伯爵が退官し、キースの父が魔導師団長になると聞いたような覚えがある。魔導師団長の地位は世襲制ではないが、長いことエンウィ家が事実上世襲してきている。
「父上は、そこまでして魔導師団長になりたいのですか?……信じられません。僕は、誰かを犠牲にして得る地位など汚れていると思います。どうか、考え直し……」
バシュ。
一瞬大きく光が跳ね、通信が途切れたと分かる。魔導具は光属性のもので、使いこなすにも光属性の素養が必要だ。エンウィ家は光属性の者が多いらしく、キースも子供の頃からあの魔導具を使ってきたと言っていた。
――穏やかではないわね。
バスタブにローブを置いたまま、濡れた靴と靴下を脱ぎ、素足になったエミリーはゆっくりと浴室のドアを開けた。
ギイ、と音がし、キースがハッとこちらを見る。
「え、ええ?エミリーさん?どうして……」
「『どうして』は、こっちの台詞」
「男子寮の、浴室から出てくるなんて……」
キースは明らかに混乱していた。ここで問いただしてもいいものだろうか。エミリーはひたひたと床を裸足で歩き、戸惑っている彼の前へと進んだ。
◆◆◆
王立学院内を王太子専用の馬車が疾走する。校舎の前に着くなり、レイモンドはまた自分からドアを開けて外に出た。
「早くしろ」
「せっかちだな、レイ。画家に手紙を書くんだよね?急いでもあまり変わらないよ」
「博物館を出る時に思い出したんだ。さっきの絵を描いた画家のウゴート翁は、学院の生徒の祖父だ」
「ウゴートは貴族だったの?」
「違う。彼自身は平民だが、同じく画家になった彼の娘が、リンド男爵に嫁いでいる」
「リンド男爵?……ええと、あのピアノカバーを被ってる残念な……」
「ああ。ポーリーナだ。学院祭で陛下と王妃様を相手に絵の解説を務め、ピアノカバーを被る癖が直ったのかと思っていたが、やはり今でもカバーを被っている」
レイモンドが用事で隣のクラスに行くと、いつも部屋の隅でもじもじしている黒い塊が目に入った。一度ではないから毎日ああなのかと尋ねたところ、三年二組の生徒は慣れてしまっているようだった。
「ふうん。美人なのにもったいないよね」
「ほう。お前がポーリーナを褒めていたと、後でマリナに教えてやろう」
フッと瞳を細め、レイモンドは意地悪く笑った。
三年二組の教室に行くと、
「ポーリーナなら美術室にいるんじゃないか」
と男子生徒が答えた。
「あ、でも、やめといたほうがいいな。殿下を目の前にして、黒オバケが話せるわけないよ」
クラスメイトは皆口々に諦めろと言った。
「黒オバケ……」
「酷い言われようだな」
感想を言いながら美術室に着いた。ドアを開けると、午後の日差しを浴びて一心不乱にキャンバスに向かう美少女がいた。長くうねる金の髪に、艶めくエメラルドの瞳。長い睫毛が作る陰が彼女の瞳の色を謎めいたものに変えている。
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