上 下
462 / 794
学院編 9 王太子の誕生日

290 悪役令嬢は初デートに挑む

しおりを挟む
王都のほぼ中央に王宮があり、そこから南に真っ直ぐ大通りが伸びている。市街地を囲む城壁までは石畳の整備された道は、西側の市場と東側の工場地帯を結ぶ道路と交差し、その交差点の中央には初代国王の像が置かれた小さい公園がある。待ち合わせと言えば『王様の下で』と言うほど、王都では有名なランドマークだ。
「王様に九時って言ったのに……」
近くの時計塔を眺めて、エミリーは手に持ったバッグをぎゅっと抱きしめた。待ち合わせの時刻はかなり前に過ぎている。マリナが王太子を連れて来ることになっているが、それらしい馬車も人影もない。マシューもどこにいるのか姿が見えない。
――すっぽかされたのかな。
初代国王像の前までは、学院の部屋から転移魔法で移動してきた。マシューも同じように魔法を使うだろう。八時半からずっと立っているが、彼の魔法の気配はしなかった。
「はあ……」
時間に正確なマリナも来ないとなると、何かあったのだろうかと不安になる。普段から外出しないエミリーには、銅像の前で立っているのも苦痛だった。駿馬に跨り堂々と胸を張る初代国王を見上げて、一つ溜息をつくと、エミリーは転移魔法を発動させようとした。

「あれ……?」
一瞬白い光が見えたと思ったが、気のせいだったのだろうか。もう一度無詠唱で魔法を発動させると、すぐに消えた。
「何で?」
「……帰るのか?」
後ろから聞こえた低い声に、エミリーはびくりと身体を震わせた。ふわりとスカートを翻して振り向くと、明るい茶色のコートを着たマシューが立っていた。ミルクたっぷりのコーヒーのような色の服は、真っ黒なローブばかり着ている彼のイメージとは真逆だ。首に巻かれた白いマフラーも、落ち着いた赤のパンツも、エミリーにとっては意外だった。黒髪が後ろで緩く束ねられ、アイボリーと金と茶の糸でできた組紐が結ばれている。
「……」
遅い、と詰ってやろうと思ったが、私服姿に目を奪われ、ただ絶句して見つめてしまう。
「お前の魔法の気配がしたから回ってくれば、帰ろうとしているなんてな」
「か、……帰らないよ。マシュー、来るの遅すぎ」
「像の反対側にいたらしい。どちら側で待つか、打ち合わせればよかったな」
マシューは決してエミリーを批判しない。精一杯お洒落したエミリーを目を細めて見ている。
「……何」
「いや……。……いな」
「え?」
「可愛いな」
「!!!」
真っ赤になって俯いた……つもりだったが、エミリーの表情が変わったのに気づいたのはマシューだけだった。

   ◆◆◆

女子寮の玄関から走り出たジュリアは、肩に通学かばんを引っかけて男子寮へと向かった。
少し歩くとすぐに、こちらに手を振る人物がいる。
「おーい、ジュリア」
「おはよー、アレックス。女子寮に来ないから迎えに来たよ」
女子寮の方が校舎にやや近い。アレックスが女子寮の前でジュリアと合流し、校舎に行くのが最も効率的なのだが、今日はアレックスの出発が遅かった。
「ごめん。出がけにキースも誘ったんだけどさ、あいつ最近部屋から出ねえの」
「風邪でも引いた?」
「試験の結果が悪かったのが、よっぽどこたえたんだな。俺なんか全然気にならなかったぞ」
「少しは気にしたら?追試の数は同じだけど、アレックスは三つとも点数一桁でしょ」
「う……。いいんだよ、今日頑張って勉強するからさ」
任せろと胸を叩いた恋人兼親友兼幼馴染に、ジュリアは言いようのない不安を覚えた。

「教室で勉強するのか?誰もいないだろ」
「図書室はどうかな。問題集も置いてあるし。もしかすると、他に勉強してる人がいて、試験に出そうなところを教えてくれるかもよ」
「お、そりゃいいな。覚えるのが少なくて済む」
初めから全部覚える気がない二人である。試験対策はヤマをかけるしかなかった。

勉強している生徒がいたら集中力を削いでしまうので、そっとドアを開けて図書室に入った。窓から低い太陽が見え、冬の日差しが机を照らしている。周りを見ると生徒の姿は見あたらない。
「誰もいないのか」
「そうみたい。奥の机で勉強しよう?」
「眠くなりそうだな」
「最初から寝る気満々なの?仕方ないな、飽きたら練習場に行こう?」
「お前こそ、剣の練習以外やる気ないんだろ」
「バレた?」
小声で話しながら窓辺の席へと進む。座り心地のよい一人掛けの椅子は、瞬く間に眠りに誘ってきそうだ。
「どれから始める?数学でいい?」
「ああ。どれでも同じだよ。どこが分かんねえのか自分でも分かんねえし」
頭を抱えて机に伏せたアレックスの脳天を教科書でぺしっと叩き、
「ほら、早く起きて。起きないと……」
と言いかけて、ドアの方から誰かが歩いてくる足音に気づいた。

「もう、耐えられないんです!」
「言ったはずだ。君はあの好色爺の言いなりになる必要はなくなったんだ」
「感謝は……しています。借金のカタに慰み者にされるところを救ってくださったのですから。ですが、私は……」
話をしているのは一組の男女だ。ジュリアとアレックスは、目を見合わせて黙り込んだ。聞き耳を立てると二人は何やら揉めているようだった。
「君が私の奴隷になることはないんだ」
「奴隷だなんて!……私は、……何も持っていないんです。この身体の他には」
「……やめなさい」
「私があの男に『味見』をされたから、穢れているから嫌なのですか?」
「君は穢れてなどいない」
「それなら何故、触れてくれないの?」
女の声が涙声になった。ジュリアはそっと椅子を引いて立ち上がり、書棚に置かれた本の隙間から向こう側を見た。棚には背板がなく、二人の様子が見えると思ったのだ。アレックスも同様にしてジュリアの隣に立った。
――ええっ!?
どこかで聞いたことがある声だと思ってはいたが、まさか。
「嘘だろ……」
アレックスは顎が外れそうなほど驚いている。それもそのはず、目の前で抱き合っている二人は、バイロン先生と三年生のグロリアだった。

   ◆◆◆

王太子がマリナの泊まった部屋に夜這いした事実は王と王妃に伝えられ、噂好きの女官長とその部下達から、瞬く間に王宮中に広まった。
国王夫妻は即刻私室にセドリックを呼びつけ、未婚の令嬢を傷物にした彼の振る舞いを咎め、小一時間に渡って反省を促すよう語って聞かせたが、
「これでマリナは僕の妃になると決まりましたね」
と反省どころか喜んでいる始末だ。遠方にいるハーリオン侯爵にも魔法便で連絡が行き、侯爵夫人は着のみ着のままで王宮に駆け付けた。

セドリックがバルコニーで一回目の『おでまし』をしている間、マリナは母と部屋に籠められていた。目の前で般若のようになっている母を躱して出かけられるはずもなく、街に行けなくなったとエミリーに伝えたいが、手段が何もないのが現状である。
「……マリナ」
ビクッ!
マリナは雷に打たれたように背筋を伸ばした。
「はい」
「どういうことなのか、あなたの口から教えて頂戴」
「はい……」
震える唇に喝を入れて、マリナは母を見つめた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない

陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」 デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。 そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。 いつの間にかパトロンが大量発生していた。 ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?

婚約破棄をいたしましょう。

見丘ユタ
恋愛
悪役令嬢である侯爵令嬢、コーデリアに転生したと気づいた主人公は、卒業パーティーの婚約破棄を回避するために奔走する。 しかし無慈悲にも卒業パーティーの最中、婚約者の王太子、テリーに呼び出されてしまうのだった。

転生したら攻略対象者の母親(王妃)でした

黒木寿々
恋愛
我儘な公爵令嬢リザベル・フォリス、7歳。弟が産まれたことで前世の記憶を思い出したけど、この世界って前世でハマっていた乙女ゲームの世界!?私の未来って物凄く性悪な王妃様じゃん! しかもゲーム本編が始まる時点ですでに亡くなってるし・・・。 ゲームの中ではことごとく酷いことをしていたみたいだけど、私はそんなことしない! 清く正しい心で、未来の息子(攻略対象者)を愛でまくるぞ!!! *R15は保険です。小説家になろう様でも掲載しています。

婚約破棄ですか。ゲームみたいに上手くはいきませんよ?

ゆるり
恋愛
公爵令嬢スカーレットは婚約者を紹介された時に前世を思い出した。そして、この世界が前世での乙女ゲームの世界に似ていることに気付く。シナリオなんて気にせず生きていくことを決めたが、学園にヒロイン気取りの少女が入学してきたことで、スカーレットの運命が変わっていく。全6話予定

【完結】死がふたりを分かつとも

杜野秋人
恋愛
「捕らえよ!この女は地下牢へでも入れておけ!」  私の命を受けて会場警護の任に就いていた騎士たちが動き出し、またたく間に驚く女を取り押さえる。そうして引っ立てられ連れ出される姿を見ながら、私は心の中だけでそっと安堵の息を吐く。  ああ、やった。  とうとうやり遂げた。  これでもう、彼女を脅かす悪役はいない。  私は晴れて、彼女を輝かしい未来へ進ませることができるんだ。 自分が前世で大ヒットしてTVアニメ化もされた、乙女ゲームの世界に転生していると気づいたのは6歳の時。以来、前世での最推しだった悪役令嬢を救うことが人生の指針になった。 彼女は、悪役令嬢は私の婚約者となる。そして学園の卒業パーティーで断罪され、どのルートを辿っても悲惨な最期を迎えてしまう。 それを回避する方法はただひとつ。本来なら初回クリア後でなければ解放されない“悪役令嬢ルート”に進んで、“逆ざまあ”でクリアするしかない。 やれるかどうか何とも言えない。 だがやらなければ彼女に待っているのは“死”だ。 だから彼女は、メイン攻略対象者の私が、必ず救う⸺! ◆男性(王子)主人公の乙女ゲーもの。主人公は転生者です。 詳しく設定を作ってないので、固有名詞はありません。 ◆全10話で完結予定。毎日1話ずつ投稿します。 1話あたり2000字〜3000字程度でサラッと読めます。 ◆公開初日から恋愛ランキング入りしました!ありがとうございます! ◆この物語は小説家になろうでも同時投稿します。

悪役令嬢の居場所。

葉叶
恋愛
私だけの居場所。 他の誰かの代わりとかじゃなく 私だけの場所 私はそんな居場所が欲しい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ※誤字脱字等あれば遠慮なく言ってください。 ※感想はしっかりニヤニヤしながら読ませて頂いています。 ※こんな話が見たいよ!等のリクエストも歓迎してます。 ※完結しました!番外編執筆中です。

シナリオ通り追放されて早死にしましたが幸せでした

黒姫
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢に転生しました。神様によると、婚約者の王太子に断罪されて極北の修道院に幽閉され、30歳を前にして死んでしまう設定は変えられないそうです。さて、それでも幸せになるにはどうしたら良いでしょうか?(2/16 完結。カテゴリーを恋愛に変更しました。)

ヒロインではないので婚約解消を求めたら、逆に追われ監禁されました。

曼珠沙華
恋愛
「運命の人?そんなの君以外に誰がいるというの?」 きっかけは幼い頃の出来事だった。 ある豪雨の夜、窓の外を眺めていると目の前に雷が落ちた。 その光と音の刺激のせいなのか、ふと前世の記憶が蘇った。 あ、ここは前世の私がはまっていた乙女ゲームの世界。 そしてローズという自分の名前。 よりにもよって悪役令嬢に転生していた。 攻略対象たちと恋をできないのは残念だけど仕方がない。 婚約者であるウィリアムに婚約破棄される前に、自ら婚約解消を願い出た。 するとウィリアムだけでなく、護衛騎士ライリー、義弟ニコルまで様子がおかしくなり……?

処理中です...