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学院編 3 初めてのキスと恐怖の勉強会

81 悪役令嬢は黒衣の男と対峙する

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美しい月夜だとセドリックが言ったのは本当だった。青く輝く月が浮かび、薄い雲がその形をおぼろげにしていた。
マリナは彼の言葉通り、手を引かれて中庭に連れ出されていた。
「……着いたよ」
振り返ったセドリックは、月光を横顔に浴びて美しく佇んでいる。
「震えていたのは、緊張からじゃないよね?」
――!
核心を突く質問にマリナが答えずにいると、彼は畳み掛けてきた。
「王宮に着いて、あの人……エンフィールド侯爵に会ってから、君は様子がおかしくなった。彼と何かあったの?」
腕を引かれて距離が縮まる。つないだままの手の甲にそっと口づけられ、優しく撫でられる。
「教えて。君を困らせているのは、何?」
青い瞳が、全てを知りたいと訴えている。
――話しても、いいの?
エンフィールド侯爵に王宮内で殺されかけたなどと、被害妄想の激しい女の戯言だと思われないだろうか。ハーリオン侯爵家の娘ではあるが、身分は侯爵の方が上である。彼が一言知らないと言えば、こちらが嘘つき呼ばわりされてしまう。セドリックは信じてくれるだろうか。
「私が話すことを、信じてくださいますか?」
揺らぐ感情を殺して静かに問う。
「信じるよ。マリナ」
――本当に?
ゲームの中では悪役令嬢の話を一言も信じなかった王太子なのに?
「……私、あの方に殺されそうになったんです」
「何だって!?」
セドリックがマリナの肩を掴む。
「セドリック様に呼ばれて、王宮に来ていた時でした。廊下で会った私を、空き部屋に……っ!」
強く抱きすくめられて、話の続きを遮られてしまった。少年の頃のセドリックとは違う、力強い腕がマリナの背中と腰に回されている。
「……ごめん」
――どうして謝るの?
「僕が、君を王宮に呼んだから……君を王太子妃にするって言ったから……君が危険な目に遭ったんだね。僕のせいだ」
「セドリック様のせいではありませんわ」
身じろぎすると見下ろすセドリックと視線が絡んだ。
「マリナを守りたい、笑顔にさせたいと思っているのに……」
失敗ばかりだと、美しい王太子は悲しげに自嘲する。
「いいえ……セドリック様が連れ出してくださらなかったら、私……」
彼が無理を言って晩餐会を抜け出させてくれたから、身体の震えが止まっているのだ。マリナを中座させるために、セドリックは皆が呆れるような振る舞いをした。次期国王があれでは、と眉を顰める者もいたのに。
「私のせいで、セドリック様が悪く言われてしまいますわ。申し訳なくて……」
日頃はつれなくしているのに、彼はこうして助けてくれた。マリナは心苦しくて仕方がなかった。
「王太子の我儘はいつものことだ。今日の招待客は、小さい頃から僕を知っている人ばかりだからね。泣き虫我儘王太子がまたやらかしたとでも思うさ」
「そんな……」
「僕の評判なんか気にしなくていいよ、マリナ。……そうだね、どうしても僕にお礼がしたいの?君と僕は婚約者なのに?」
「当たり前です。親しい間柄だからこそ、こういうことはきちんと……」
セドリックはキラキラした笑顔を向けた。
「なら、僕の誕生日に、君を独占する権利をくれないかな」
――一日デートってこと?
「構いませんけど、そんなことで、よろしいんですか?」
「うん。学院は祝日が休みで、僕の誕生日は祝日だからね」
確かにその通りで、この世界の暦では、王族の誕生日は祝日になっている。ステファン国王とアリシア王妃、セドリック王太子、幼いブリジット王女の四人が王家のメンバーであり、誕生日に由来する祝日は年に四日あった。
「祝日には王宮のバルコニーから手を振らなければいけませんわよ」
「うん。それもある。だからね、マリナには前の晩から王宮に泊まってほしいんだ」
――ん?
「どこかに、お出かけ、する、のでは……」
――嫌な予感がするんだけど。
マリナはゆっくりと噛みしめるように言葉を吐いた。
「出かける?どうして?僕の部屋で一日一緒に過ごそう。……折角君を独占できるんだから」
嬉しそうにふにゃりと笑い、セドリックはマリナを抱きしめる腕に力を込めた。
「ええと、その……お部屋はちょっと……」
一日お部屋デートは危険すぎる。マリナに嫌われたくないと言いながらも、セドリックの身体的接触が増えてきているのは事実だ。
「どうするかは話し合って決めようか。必ず僕と一緒に過ごしてくれるね……約束だよ?」
セドリックがマリナの頬に口づけた時、彼の後方の茂みが一瞬揺れ動いた気がした。

   ◆◆◆

――危ない!
咄嗟にジュリアの足が動いていた。
「馬鹿!来るな!」
アレックスの身体を受け止め、転がるようにして彼の前に出た。武器はないが、相手を視線で威嚇する。少しでも時間稼ぎができればいい。
「……っ!」
黒ずくめの男は手元の剣を収めると、風のように走り去り闇にまぎれた。警備員達は男が走り去った方向へ追いかけていった。

剣が地面に落ちた音がして、ジュリアは背中から強く抱きしめられた。
「……アレックス?」
耳に赤い髪が触れる気配がし、肩に彼の頭の重みがかかった。
「嬉しかった……でも、もうやめてくれ、な?」
呻くような囁きにたまらず吹き出すと、
「笑うな!」
と頬をつままれた。
――やられたら、やり返せ、だよね。
すぐにアレックスの首をくすぐる。
「うぅ、やめろってば」
しばらくお互いに頬をつねったり、首をくすぐったりしていたが、ふと、視線を感じた。
「……やっと、気づいたか」
恐る恐る振り向くと、腕組みをして冷たい視線を向けているバイロン先生の姿があった。
「こんな時間に、何をしている?寮の門限は夕食の前だろう。とうに過ぎているぞ。……最近の生徒は、中庭だけでは足らず、こんな校舎裏で逢引するのか」
「あ、逢引!?」
アレックスが声を上げた。ジュリアの脳裏には、スーパーに売られていたひき肉が浮かんだ。
「門限破りだけなら見逃してやらんでもないが、門限を破った理由が問題だな。両侯爵家に連絡し、お越しいただかなくては。処分は、数日の謹慎で済むかどうか……」

――何だって?うちに連絡!?
学校で何か問題を起こして親が呼ばれた経験は、ジュリアの前世にもなかった。自分のために父ハーリオン侯爵が学院に呼ばれるのだ。
「ま、待ってください!」
「アレックス?」
「俺が、ジュリアを誘ったんです。ここで待ち合わせしていたら、黒い服の男が来て、戦う羽目になって……ジュリアが警備員さんを呼びに行かなかったら、俺はやられていたかもしれないんです」
バイロン先生は、怜悧な藍色の瞳で瞬き一つせずにアレックスを見つめていた。
説明が下手な彼なりに、頑張って自分を守ろうとしているのが分かり、ジュリアはぎゅっとアレックスの袖を握った。
「そうか。ではますます問題だな。一人で不審者に立ち向かうなど、危険だとは思わなかったのか。男を追いかけず、二人で警備員を呼びに行ってもよかったはずだ。夜中に乱闘騒ぎを起こすつもりだったのか」
「うっ……」
「言い訳は不要だ。二人ともひとまず職員室に来なさい」
バイロン先生に気づかれないように、ジュリアはアレックスの手に指を絡ませる。驚いたアレックスと視線が合い、声を出さずに小さく笑った。
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