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学院編 3 初めてのキスと恐怖の勉強会

76 悪役令嬢は口を塞がれる

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「すまなかった。謝っても謝りきれない。初めての、あ、相手は、愛する人と……」
言い淀みながら謝ろうとするマシューに、エミリーは苛立って仕方がなかった。口づけだの愛する人だの、よく恥ずかしくもなく言えるものだ。エミリーにも理想はあった。初めてのキスは好きな人と、どこで、こんなふうにと妄想したこともある。
「そうね。謝るって発想が許せない」
「ああ。だから、謝っても謝りきれないと……」
頭の上から悔しそうな声がする。顔の傍で彼の鼓動が早鐘を打っている。

「……ドキドキしてる」
つい口に出してしまった。
「当たり前だ!……お前だって」
「キャッ」
腕を解き身体を離すと、マシューはエミリーの胸に耳を当てた。
――ちょ、この、体勢はっ……。
エミリーは動揺した、が、顔に出なかった。
「ああ……ちゃんと音がする。お前の呼吸も鼓動もしないと分かった時、俺は……」
声が震えた。エミリーの肩と腕を掴んでいたマシューの手から力が抜け、シーツの上に滑り落ちた。支えがなくなったエミリーの身体は、再びベッドに倒れた。
「怖くて仕方がなかった。二度と目を覚まさないのなら、お前に魔法をかけたドウェインも、学院も、全て吹き飛んでしまえばいいと思った」
赤い瞳が光る。

――この顔、見たこと、ある!
エミリーの脳裏にゲームの画面がフラッシュバックした。野外学習でヒロインが悪役令嬢の放った魔獣に襲われて意識を失った場面で、マシューが魔王化しかける時の顔だった。
シトラスミントの香りがきつくなった。マシューの身体から魔力が溢れてきているのだ。
――止めないと!
「ダメ」
なけなしの腹筋を使って起き上がり、エミリーはマシューの首筋に抱きついた。
「怖いこと、言わないで。私が目を覚まさなくても、ここはあなたが生きていく世界、私が愛した世界なの。……吹き飛んでしまえなんて、言ってはダメ!」
マシューの魔力が揺らいだ。温かい波動を感じる。
「エミリー……俺は、怖いんだ」
「怖い?」
「お前を好きだと認めることも、お前を失うことも、全て。自分が自分でなくなるような気がしてしまう。だから……」
「私は死なない」
首に回していた手を緩め、エミリーはマシューの顔を正面から見つめた。
「誰にも負けない最強の魔導士になるわ。あなたが教えてくれるんでしょう?」
羞恥心をひた隠し、渾身の力で言い放つ。きっと顔が真っ赤になっているに違いないとエミリーは思っていたが、実際はほんのり頬が染まっただけだった。

「ああ……そうだな」
マシューは目を細めて、降参だ、と呟いた。大きな骨ばった手がエミリーの頬を撫でた。見つめる黒と赤の瞳は優しく、魔王が持つ狂気は微塵も感じられない。至近距離で見る彼は、やはりエミリーの好みのタイプ、ストライクゾーンど真ん中だ。
――カッコよすぎて直視できない!
視線を逸らした。体内の血液が猛烈な勢いで巡っている気がする。
やがて視線を逸らしても回避できないほど近くにマシューの顔が近づき、
「……好きだ」
と低い声で吐息たっぷりに囁かれた。
――ぐはっ……。
頭の中で警報が鳴り響く。エミリーは恥ずかしさで悶絶しそうだった。彼にこれ以上近づくのは危険だ。ドキドキしすぎて身がもたない。
「あ、あの、マシュー……」
「記憶を上書きさせてくれ」
――上書き?何のこと?
と戸惑っている間に素早く唇が重なった。
互いの魔力が触れ合った唇から一気に流れ込んだ。独特の痺れるような感覚が全身を駆け抜けていく。
「ん……はあ……」
マシューも荒く息をしている。皮膚に触れる感覚で魔力を感じ取る彼は、匂いで感じるエミリーよりも快不快を強く感じるらしい。

ベッドに並んで腰かけ魔力の波動が落ち着くのを待って、マシューはエミリーの手を引き寄せた。小声で呪文を詠唱し、手首に触れると光と共にシャンと金属音がした。
「これ……」
何もない空間から現れたブレスレットがエミリーの手首にはめられていた。シンプルな銀の輪に六つの宝石が等間隔に埋め込まれている。飾り気が全くない。
「攻撃魔法防御、精神干渉魔法防御と、腕輪を外して壊されないように鍵をかけてある」
細い手首に丁度良い大きさのそれは、手首から外そうとしても外れない。
「鍵って……」
「石があるだろう。それぞれに六属性の鍵の魔法をかけてある。鍵を解除するのは同一人物でなければならない」
六属性の魔力を持つ人物は、エミリーの知る限り彼しかいない。エミリーでも鍵は五つしか開けられない。
――外せないってこと?
「ドウェインは軽く脅しておいたが、また何か仕掛けてくるかもしれない。あいつは俺を目の敵にしているからな。教職員と使用人は、寮の部屋にも入って来られる。油断はできない」
目の前で眉間に皺を寄せているマシューも、堂々とエミリーの寝室に入ってきたくらいだ。
「それに、気づいているみたいだ……お前が俺の『特別』だと」
「私を特別扱いしなければいいんですよ、先生?」
『特別』と言われて高鳴る胸を誤魔化すように、エミリーはマシューを見上げた。
「……そんな目で見るなっ」
ストイックな性格で渋い顔ばかりしているマシューが赤くなる様子は見ていて楽しい。内心笑いが止まらない。
「いつもと同じ顔ですよ?」
無表情なのには自信がある。姉妹でババ抜きをして、一番先に勝ち抜けるのは常にエミリーだ。
「うるさい。……からかうなら口を塞ぐぞ」
欲の滲んだ瞳がエミリーを射すくめる。吐息が近づき、キスの予感にエミリーの魔力が震えた。
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