47 / 794
ゲーム開始前 2 暴走しだした恋心
35 悪役令嬢はスコーンをこぼす
しおりを挟む
半年後。王宮の中庭にて。
定期的に招かれ、今日も王太子セドリックとお茶を飲むマリナである。アレックスが緊張した面持ちで傍らに付き添い、ジュリアは話を聞かずにお菓子を食べあさっている。
――十二歳の令嬢が口の端にクッキーのカスをつけていると知ったら、お母様が卒倒するわね。
マリナは残念な妹を憐みの目で見つめた。それから王太子に向き直り
「この間のドレス、王妃様の反応はいまいちでしたね」
と手短に感想を述べた。
マリナのドレスを着せて王妃に見せて喜ばれて以来、セドリックは仕立て屋にドレスを注文し、それを着せに来るようマリナを誘っている。いちいち誘わなくてもいいのに。王宮にはたくさんの侍女がいるのだから。
「うん。母上はこのところ、随分とお疲れのようだから。先日も眩暈がしてお倒れになられたんだ」
「心配ですわね。どこかお悪いのでは……」
「そのう……、お腹に僕の弟か妹がいるから。父上はとても心配されて、公務のない時間は常に母上に付き添っておられるんだ。」
王が始終べったりと貼りついていたのでは、ドレスを着て見せる機会もないだろう。
「では、なかなかドレス姿をお見せできませんね」
「うん。昨日もマリナがいないときに、侍女にドレスを着せてもらって、母上のお部屋に行ったんだ。そうしたら」
自分がいない時にも女装しているのか、とマリナは呆れて王太子を見た。
「母上はあまり喜ばれなかったし、僕も、なんだか……」
「殿下?」
言いよどんだセドリックは、覗き込んだマリナの瞳をじっと見つめた。
「……君に着せてもらうほうがいいって思った」
――何だと?
マリナの顔が引きつった。が、ここは侯爵令嬢の意地で笑顔を死守する。
「私より、侍女の方が慣れていますわよ」
「うん。だけど、なんか違う」
ドレスを着せる際、セドリックの服を脱がすのもマリナの役目になってしまっている。胸元を寛げるときの小さく息を詰める様子や、何気なく指先が肌に触れた瞬間に「ひっ」と声が漏れることがあったが、特段気にせずにいた。
――これはまずい。王太子に変な性癖を植え付けてしまった。
将来の王が変態になっては、婚約破棄がうまくいって没落しなかったとしても、国家の不安要素になってしまう。
考え込んでしまったとセドリックを見れば、長い睫毛が影を落とす青い瞳が、物言いたげにマリナを見つめている。王子の威厳は全く感じさせなかった。
「ねえ、マリナ。お願いがある」
セドリックはマリナの手を取った。この頃アレックスの父である騎士団長に真面目に剣を教わっているため、あどけない容姿と裏腹に彼の手は少し硬い。
「何でしょうか」
「君の手で、僕の服を、脱がせてみてくれないか」
王太子は瞳を期待で輝かせて、真剣にマリナを見ている。
マリナが目を見開いて固まり、ジュリアがぶほっと口に入れていたスコーンを吹き出し、アレックスが紅茶をひっくり返したところで、侍従が何事かと駆け寄ってきたのだった。
◆◆◆
ハーリオン侯爵家、四つ子姉妹の寝室にて。
「やばいね、あれは。……くくっ、はっはっは!」
ジュリアは盛大に笑い転げた。
「笑い事じゃないわよ、ジュリア!」
「ごめんごめん。だって、王子が変態とはね」
四姉妹は、今回明らかになった王太子の性癖について、秘密の会議を開いているところだった。
「女装に目覚めさせたんじゃなかったのか?」
エミリーが怪訝そうに言う。
「私もそう思ってたよ。マリナちゃんが無理やり女装させたって言うから……」
アリッサは大きな熊のぬいぐるみを抱きかかえ、頭に顎を乗せるようにしている。小首を傾げるのもいつも通りだ。
「セドリック殿下にドレスを着せる時、いつも私が一人で着せていたの。先に殿下の衣装を脱がせて。言っとくけど、私だって緊張するんだからね!」
顔を赤くして力説するも、マリナを姉妹たちは楽しそうに眺める。
「王太子様、服脱がせられてドキドキしちゃったんだ……」
「まあ、マリナだってそこいらの令嬢なんか足元にも及ばない美少女なんだよ?まだまだ子供の王子とはいえ、美少女に服脱がされて触られたら……」
「そんな!触るだなんて!」
「触ってないわけがないでしょ。無意識にエッロい触り方したんじゃないの。マリナ、美少年好きじゃん」
ジュリアがにやにや笑う。
エミリーは魔法で天井に、マリナに肌を触られて赤くなる王子の幻影を描き、姉をからかう。
「エミリー!やめなさい!」
マリナがエミリーにクッションを投げつけると、エミリーの集中が途切れて幻影が消えた。
「よかったじゃない、マリナちゃん。ゲームのシナリオとは確実に違ってきているわ。セドリック殿下は婚約者が誰でもよかったはずで、今みたいに望まれて婚約したのではなかったの。それに、殿下はマリナちゃんに触られるのが好きな変態なら、ヒロインが現れても簡単に靡いたりしないと思う」
「マリナが変態王子のお世話役確定、ってことで、今日は解散でいいわね。お疲れー」
エミリーがマリナにクッションを投げ返し、自分のベッドに引き上げる。四つ並んだ天蓋付きのベッドの端がエミリーのベッドである。朝日が差すのが嫌いなエミリーは、部屋の入口に近い位置にベッドがある。さらに闇魔法で周囲だけ暗くして、完全な暗室にして寝るのが好きなのだ。
「おやすみー」
ジュリアが窓際のベッドに移動すると、隣のベッドの主アリッサがランプを消し、姉妹の寝室は闇に包まれた。
マリナはベッドに横になると、寝具を引き被って考えた。
王と王妃は、ゲームシナリオにはない二人目の子ができるくらい仲睦まじい。危惧していたように、四姉妹の母であるソフィアが王の愛妾になることはないだろう。王太子に断罪されてつらい目に遭わせられる理由の一つ、ハーリオン侯爵令嬢が父の愛妾の娘だったからという事実は、これで消滅させられたと思う。しかし……。
「君の手で、僕の服を、脱がせてみてくれないか、か……」
王太子セドリックの真剣な、熱を帯びた眼差しが、マリナの脳裏に何度もフラッシュバックするのだった。
定期的に招かれ、今日も王太子セドリックとお茶を飲むマリナである。アレックスが緊張した面持ちで傍らに付き添い、ジュリアは話を聞かずにお菓子を食べあさっている。
――十二歳の令嬢が口の端にクッキーのカスをつけていると知ったら、お母様が卒倒するわね。
マリナは残念な妹を憐みの目で見つめた。それから王太子に向き直り
「この間のドレス、王妃様の反応はいまいちでしたね」
と手短に感想を述べた。
マリナのドレスを着せて王妃に見せて喜ばれて以来、セドリックは仕立て屋にドレスを注文し、それを着せに来るようマリナを誘っている。いちいち誘わなくてもいいのに。王宮にはたくさんの侍女がいるのだから。
「うん。母上はこのところ、随分とお疲れのようだから。先日も眩暈がしてお倒れになられたんだ」
「心配ですわね。どこかお悪いのでは……」
「そのう……、お腹に僕の弟か妹がいるから。父上はとても心配されて、公務のない時間は常に母上に付き添っておられるんだ。」
王が始終べったりと貼りついていたのでは、ドレスを着て見せる機会もないだろう。
「では、なかなかドレス姿をお見せできませんね」
「うん。昨日もマリナがいないときに、侍女にドレスを着せてもらって、母上のお部屋に行ったんだ。そうしたら」
自分がいない時にも女装しているのか、とマリナは呆れて王太子を見た。
「母上はあまり喜ばれなかったし、僕も、なんだか……」
「殿下?」
言いよどんだセドリックは、覗き込んだマリナの瞳をじっと見つめた。
「……君に着せてもらうほうがいいって思った」
――何だと?
マリナの顔が引きつった。が、ここは侯爵令嬢の意地で笑顔を死守する。
「私より、侍女の方が慣れていますわよ」
「うん。だけど、なんか違う」
ドレスを着せる際、セドリックの服を脱がすのもマリナの役目になってしまっている。胸元を寛げるときの小さく息を詰める様子や、何気なく指先が肌に触れた瞬間に「ひっ」と声が漏れることがあったが、特段気にせずにいた。
――これはまずい。王太子に変な性癖を植え付けてしまった。
将来の王が変態になっては、婚約破棄がうまくいって没落しなかったとしても、国家の不安要素になってしまう。
考え込んでしまったとセドリックを見れば、長い睫毛が影を落とす青い瞳が、物言いたげにマリナを見つめている。王子の威厳は全く感じさせなかった。
「ねえ、マリナ。お願いがある」
セドリックはマリナの手を取った。この頃アレックスの父である騎士団長に真面目に剣を教わっているため、あどけない容姿と裏腹に彼の手は少し硬い。
「何でしょうか」
「君の手で、僕の服を、脱がせてみてくれないか」
王太子は瞳を期待で輝かせて、真剣にマリナを見ている。
マリナが目を見開いて固まり、ジュリアがぶほっと口に入れていたスコーンを吹き出し、アレックスが紅茶をひっくり返したところで、侍従が何事かと駆け寄ってきたのだった。
◆◆◆
ハーリオン侯爵家、四つ子姉妹の寝室にて。
「やばいね、あれは。……くくっ、はっはっは!」
ジュリアは盛大に笑い転げた。
「笑い事じゃないわよ、ジュリア!」
「ごめんごめん。だって、王子が変態とはね」
四姉妹は、今回明らかになった王太子の性癖について、秘密の会議を開いているところだった。
「女装に目覚めさせたんじゃなかったのか?」
エミリーが怪訝そうに言う。
「私もそう思ってたよ。マリナちゃんが無理やり女装させたって言うから……」
アリッサは大きな熊のぬいぐるみを抱きかかえ、頭に顎を乗せるようにしている。小首を傾げるのもいつも通りだ。
「セドリック殿下にドレスを着せる時、いつも私が一人で着せていたの。先に殿下の衣装を脱がせて。言っとくけど、私だって緊張するんだからね!」
顔を赤くして力説するも、マリナを姉妹たちは楽しそうに眺める。
「王太子様、服脱がせられてドキドキしちゃったんだ……」
「まあ、マリナだってそこいらの令嬢なんか足元にも及ばない美少女なんだよ?まだまだ子供の王子とはいえ、美少女に服脱がされて触られたら……」
「そんな!触るだなんて!」
「触ってないわけがないでしょ。無意識にエッロい触り方したんじゃないの。マリナ、美少年好きじゃん」
ジュリアがにやにや笑う。
エミリーは魔法で天井に、マリナに肌を触られて赤くなる王子の幻影を描き、姉をからかう。
「エミリー!やめなさい!」
マリナがエミリーにクッションを投げつけると、エミリーの集中が途切れて幻影が消えた。
「よかったじゃない、マリナちゃん。ゲームのシナリオとは確実に違ってきているわ。セドリック殿下は婚約者が誰でもよかったはずで、今みたいに望まれて婚約したのではなかったの。それに、殿下はマリナちゃんに触られるのが好きな変態なら、ヒロインが現れても簡単に靡いたりしないと思う」
「マリナが変態王子のお世話役確定、ってことで、今日は解散でいいわね。お疲れー」
エミリーがマリナにクッションを投げ返し、自分のベッドに引き上げる。四つ並んだ天蓋付きのベッドの端がエミリーのベッドである。朝日が差すのが嫌いなエミリーは、部屋の入口に近い位置にベッドがある。さらに闇魔法で周囲だけ暗くして、完全な暗室にして寝るのが好きなのだ。
「おやすみー」
ジュリアが窓際のベッドに移動すると、隣のベッドの主アリッサがランプを消し、姉妹の寝室は闇に包まれた。
マリナはベッドに横になると、寝具を引き被って考えた。
王と王妃は、ゲームシナリオにはない二人目の子ができるくらい仲睦まじい。危惧していたように、四姉妹の母であるソフィアが王の愛妾になることはないだろう。王太子に断罪されてつらい目に遭わせられる理由の一つ、ハーリオン侯爵令嬢が父の愛妾の娘だったからという事実は、これで消滅させられたと思う。しかし……。
「君の手で、僕の服を、脱がせてみてくれないか、か……」
王太子セドリックの真剣な、熱を帯びた眼差しが、マリナの脳裏に何度もフラッシュバックするのだった。
0
お気に入りに追加
751
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない
陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」
デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。
そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。
いつの間にかパトロンが大量発生していた。
ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?
婚約破棄をいたしましょう。
見丘ユタ
恋愛
悪役令嬢である侯爵令嬢、コーデリアに転生したと気づいた主人公は、卒業パーティーの婚約破棄を回避するために奔走する。
しかし無慈悲にも卒業パーティーの最中、婚約者の王太子、テリーに呼び出されてしまうのだった。
転生したら攻略対象者の母親(王妃)でした
黒木寿々
恋愛
我儘な公爵令嬢リザベル・フォリス、7歳。弟が産まれたことで前世の記憶を思い出したけど、この世界って前世でハマっていた乙女ゲームの世界!?私の未来って物凄く性悪な王妃様じゃん!
しかもゲーム本編が始まる時点ですでに亡くなってるし・・・。
ゲームの中ではことごとく酷いことをしていたみたいだけど、私はそんなことしない!
清く正しい心で、未来の息子(攻略対象者)を愛でまくるぞ!!!
*R15は保険です。小説家になろう様でも掲載しています。
婚約破棄ですか。ゲームみたいに上手くはいきませんよ?
ゆるり
恋愛
公爵令嬢スカーレットは婚約者を紹介された時に前世を思い出した。そして、この世界が前世での乙女ゲームの世界に似ていることに気付く。シナリオなんて気にせず生きていくことを決めたが、学園にヒロイン気取りの少女が入学してきたことで、スカーレットの運命が変わっていく。全6話予定
【完結】死がふたりを分かつとも
杜野秋人
恋愛
「捕らえよ!この女は地下牢へでも入れておけ!」
私の命を受けて会場警護の任に就いていた騎士たちが動き出し、またたく間に驚く女を取り押さえる。そうして引っ立てられ連れ出される姿を見ながら、私は心の中だけでそっと安堵の息を吐く。
ああ、やった。
とうとうやり遂げた。
これでもう、彼女を脅かす悪役はいない。
私は晴れて、彼女を輝かしい未来へ進ませることができるんだ。
自分が前世で大ヒットしてTVアニメ化もされた、乙女ゲームの世界に転生していると気づいたのは6歳の時。以来、前世での最推しだった悪役令嬢を救うことが人生の指針になった。
彼女は、悪役令嬢は私の婚約者となる。そして学園の卒業パーティーで断罪され、どのルートを辿っても悲惨な最期を迎えてしまう。
それを回避する方法はただひとつ。本来なら初回クリア後でなければ解放されない“悪役令嬢ルート”に進んで、“逆ざまあ”でクリアするしかない。
やれるかどうか何とも言えない。
だがやらなければ彼女に待っているのは“死”だ。
だから彼女は、メイン攻略対象者の私が、必ず救う⸺!
◆男性(王子)主人公の乙女ゲーもの。主人公は転生者です。
詳しく設定を作ってないので、固有名詞はありません。
◆全10話で完結予定。毎日1話ずつ投稿します。
1話あたり2000字〜3000字程度でサラッと読めます。
◆公開初日から恋愛ランキング入りしました!ありがとうございます!
◆この物語は小説家になろうでも同時投稿します。
悪役令嬢の居場所。
葉叶
恋愛
私だけの居場所。
他の誰かの代わりとかじゃなく
私だけの場所
私はそんな居場所が欲しい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※誤字脱字等あれば遠慮なく言ってください。
※感想はしっかりニヤニヤしながら読ませて頂いています。
※こんな話が見たいよ!等のリクエストも歓迎してます。
※完結しました!番外編執筆中です。
シナリオ通り追放されて早死にしましたが幸せでした
黒姫
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢に転生しました。神様によると、婚約者の王太子に断罪されて極北の修道院に幽閉され、30歳を前にして死んでしまう設定は変えられないそうです。さて、それでも幸せになるにはどうしたら良いでしょうか?(2/16 完結。カテゴリーを恋愛に変更しました。)
ヒロインではないので婚約解消を求めたら、逆に追われ監禁されました。
曼珠沙華
恋愛
「運命の人?そんなの君以外に誰がいるというの?」
きっかけは幼い頃の出来事だった。
ある豪雨の夜、窓の外を眺めていると目の前に雷が落ちた。
その光と音の刺激のせいなのか、ふと前世の記憶が蘇った。
あ、ここは前世の私がはまっていた乙女ゲームの世界。
そしてローズという自分の名前。
よりにもよって悪役令嬢に転生していた。
攻略対象たちと恋をできないのは残念だけど仕方がない。
婚約者であるウィリアムに婚約破棄される前に、自ら婚約解消を願い出た。
するとウィリアムだけでなく、護衛騎士ライリー、義弟ニコルまで様子がおかしくなり……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる