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学院編 14

515 悪役令嬢と重ねられた魔法

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リオネルに連れられ、ハーリオン侯爵が滞在している部屋へ入った瞬間、マシューは身震いして手で肩を何度も撫でた。
「……一度、出ていいか?」
「構わないよ!っていうか、やっぱり嫌な感じがするんだ?」
部屋を出て、マシューはドアの前を行ったり来たりし、壁を撫でて唸った。
「ここを通ると発動する仕組みか。なかなか手が込んでいるな」
隣に立ってエミリーも同じように壁に触れた。
「触ると嫌なにおいがきつくなる」
「ああ。俺も酷い悪寒がする。どうやら、侯爵はこの部屋から出られないようにされていて、中に入る人物によって部屋にかけられた魔法が発動する」
「お父様は話せなかった。座ったまま、動かないで」
「そうなるように魔法がかかったんだろう。実際、さっき俺達が入った時、侯爵は何かをしていた。突然行動の自由を奪われて床に倒れていた」
「お父様、倒れてたの?」
「見えなかったの?エミリー。あ、侍女が起こしてたから大丈夫だよ」
「……!」
エミリーは深呼吸をすると再び部屋に入った。

侍女二人に支えられ、ハーリオン侯爵は長椅子に腰かけたところだった。エミリーに視線を向けることもない。
――自分の意志がないみたい……可哀想なお父様。
吐きそうなほどのクレムの魔力のにおいが、部屋の中に満ちて淀んでいる。エミリーは侯爵に近づくと、跪いてそっと手を握った。
「お父様……」
魔力を発しないように気をつけながら、父の表情をじっと見つめる。微かに瞳が動き、左の方向を見た。
「……何か、あるのね?」
ゆっくりと手を彼の膝の上に置き、視線の方向を振り向く。そこには小さな文机があった。引き出しや脚の側面に薔薇の彫り模様がある。蜂蜜色の明るい色調の家具は、アスタシフォンの特産品だと聞いたことがある。
上には何もない。引き出しを開けると書きかけの手紙が出てきた。他にも二通、封筒に入れるだけになっている手紙がある。
――一通は……国王陛下に宛てて。もう一通はお母様に。書きかけの一通は……。
文面を読み、エミリーはぎゅっと唇を噛んだ。
「私達に……?」
五人の実子と養子のハロルドに宛てて、一人一人を気遣う文面だ。エミリーはそっと手紙を折りたたみ、
「必ず届けるから」
と告げて部屋の外の面々を呼び寄せた。

   ◆◆◆

馬を休ませるためか、馬車のスピードが落ちた。間もなく車輪が軋む音がして、御者が馬車を停めた。
「……アリッサ、どうする?」
「様子を見に来ちゃうかな?」
「多分。ひと暴れするには武器がねえとな」
アレックスが悔しそうに歯ぎしりした。ロディスの街で戦った時に、アレックスの剣は奪われてしまったのだ。
――こんなとき、ジュリアちゃんなら戦うわね。マリナちゃんなら?レイ様ならどうするかしら。
「武器……そうね。まだあるわ」
「?」

幌が後ろから捲られ、二人の顔に光が当たった。冬の白い太陽の光だ。
「お?気が付いたか」
「お前らを連れて行けば、俺達はたんまり褒美をもらえる。ま、王都までしばらくこのままだな」
男の一人がにやにや笑いながら、無精ひげの生えた顎を撫でた。
「あら、そうかしら?」
アリッサは舞台役者のように凛とした声で問いかけた。背を向けていた男がぎょっとして振り返る。
「何だ?」
「わたくしは何度も、人違いだと言いましたわ。アスタシフォンに入国したばかりだとも」
「それがどうした」
「わたくしは王宮にいる父に会いに来たのです。我が父は国王陛下のお招きで、王宮に滞在しているのですわ」
「な……!」
男はたじろいだ。アレックスが隣で成り行きを見守っている。
「この意味がお分かりになるかしら?あなた方はわたくしを港町の町娘ごときと見誤った挙句、自由を奪って狭く埃だらけの馬車に押し込めた。……わたくしがこのことを父に伝えれば、すぐに国王陛下のお耳に入るでしょうね。あなた方は職を追われて……」
「お、おい!」
男は御者席にいる仲間を呼びに行った。
「アリッサ……今の……」
「武器はなくても、じわじわと言葉で戦うの。うまくいかなかったら、ごめんね?」
すぐに男達が戻ってきた。アリッサは深呼吸して鋭く彼らを見据えた。

   ◆◆◆

「全員、部屋から出て、なるべく離れてほしい」
しばらく考えた後、マシューが口を開いた。
「この部屋にかけられた魔法を解く。侯爵にかけられた隷属の魔法を解くのはその後だ。ある程度の反動は予想できるが、俺の敵ではない」
言い切って微笑む。エミリーは自信満々な彼の様子にぼうっとなった。
――無敵すぎて、かっこいい……!
「……エミリー。手錠のせいで別行動ができないが、魔法防御の結界を張れば……」
「任せて」
――守ってみせる。マシューに怪我なんてさせないんだから!
彼の背中を押して部屋の中央に立った。振り返ってマシューが囁く。
「危険なんだぞ。分かっているのか?」
「うん」
「俺はお前を危険な目に遭わせたくない」
「そう?……でも、うちのお父様を助けるためでしょ」
「……それでもだ。分かった。俺から離れるなよ」
言い終わらないうちに肩を抱かれる。皆が部屋から出てドアを閉めたのを確認し、マシューは呪文をはっきりと声に出して唱え始めた。同時にエミリーは二人と父の周囲に魔法の衝撃を和らげる結界を張った。
「……!」
呪文の詠唱が終わり、眩暈がしそうなほど濃い魔力の気配が広がる。水風船を割った時のように、一瞬で何かが弾け飛んだ。マシューの大きな身体がビクッと揺れ、エミリーを抱きしめる腕に力が籠った。
「……よし!」
「終わったの?」
荒い息づかいの彼を見上げると、微かにこめかみの辺りに汗がにじんでいる。エミリーが張った結界の上から、彼自身も結界を張っていたのだろう。クレムが何度も上塗りした魔法を一度に解いたのだ。魔力の消耗は大きい。
「部屋の魔法は解けた。侯爵はこの部屋から出られるだろう。問題は隷属の魔法が、何を指示しているかだが……連れ出した瞬間に自分を……という可能性もなくはない」
「連れ出さない方がいいのね。お母様を連れて来られればいいけど……」
「やめておけ。お前の二の舞になったらどうする」
マシューの頭の中には、エミリーがドウェインに隷属の魔法をかけられ、自分を殺させようとした時のことが蘇った。ドウェインの魔法に対抗したエミリーは一時的に仮死状態になってしまったのだ。魔力が高いエミリーでも撥ね返せないのに、魔導士ではないハーリオン侯爵は抵抗するのは困難だろう。
「隷属の魔法は無効化できないの?」
「より強い魔法をかければ抑え込めるかもしれない。やってみるか?」
赤と黒の瞳が愉しげに輝き、低い囁きはエミリーを期待させるに十分だった。
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