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学院編 14
514 悪役令嬢の切なる願い
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マリナがオードファン宰相と面会する時間を得られたのは、リオネル達が魔法陣から旅立った後だった。囚人であるマシューの扱いをどうするか、宰相は事務方に指示した。これからハーリオン侯爵令嬢と会うと告げると、内政官達は一様に気まずい顔をした。
「何か、思い当たるふしがあるようだな」
「いえ……」
「無理な提案を聞く気はないが、話も聞かずに追い返すのはどうかと思うぞ」
「それは……」
若い内政官が口ごもる。後ろにいた先輩格の内政官が進み出た。
「恐れながら」
「何だ」
「閣下は少々、ハーリオン侯爵に甘いのでは?」
侯爵を呼び捨てにしたことに気づき、宰相は眉を上げた。
「私は常に公平に判断しているつもりだが?」
「これまでの調査で、ハーリオン侯爵が数々の悪事を働いていたことは明らかです。帰国すればすぐに逮捕されるでしょう。それなのに……」
「まだ、有罪だとは決まっておらん。そう急かすな。お決めになるのは陛下だ」
陛下と聞いて内政官は黙った。これ以上の切り札はない。
「……確かに、ハーリオン侯爵夫妻は私の友人で、子供達もうちの息子の友人だ。罰を与えるのに多少気持ちが揺らがないわけではない。しかし、私はグランディアのためなら……友情も捨てる覚悟でいる」
一同は息を呑んだ。宰相は室内の内政官達を見つめながら、ドアの外の誰かの気配に耳を欹て、満足げに瞳を細めた。
◆◆◆
「お願いですから、勘弁してください!」
王都中央劇場の奥の奥、雑然とした部屋に悲鳴が響いた。
「観念して、引き受けてくれないか」
「無理です!お、大勢の前で、ダンスなんてぇええ」
カーテンの陰に隠れ、端をぎゅっと掴んで震えている。足首が完全に見えている細身のズボンは膝が擦れている。
「もう少しましなものを着ればいいのに……」
「私はこれが落ち着くんです!いいんです」
説得に失敗してへそを曲げたスタンリーは、カーテンの陰からちらちらとレイモンドを見ている。
「セドリック王太子の影武者が務まるのは君しかいない。ダンスくらい何とでもなる」
「なりません。そのう、私はダンスに自信がなく……お相手の方に恥をかかせてしまうかもしれません」
「構わん。アイリーンをエスコートして会場に入るだけで十分だ」
「アイリーン???お相手はハーリオン侯爵家のマリナ嬢ではないのですか?」
スタンリーはゴシップに疎い。マリナが王太子妃候補から外されたことを知らないのだ。
「ダンスなんて、近くで見たら王太子殿下でないと気づかれてしまいます。特に、アイリーンは随分殿下につきまとっていましたから、私が化粧したところで……」
「ううむ……」
レイモンドは腕組みをして考えた。確かに、スタンリーが言う通りだ。化粧で誤魔化せるものだろうか。魔法で錯覚を起こさせるにも、相手は魔法科の生徒だ。気づかれてしまう。
「視界を遮ることができればいいが」
「それでは……これはどうです?」
カーテンを撥ね退けて、スタンリーは嬉々として部屋の奥へ走っていく。周囲には舞台衣装や小道具が散らかっており、書きかけの脚本が机の上に乱雑に置かれている。
「確か、この辺りに……あった!」
スタンリーは紫色の布の塊を高々と上げた。着丈も袖丈も短い上着が肩の線でほつれた。
「何だ……?」
「ヴェールです!これは確か、『ホウォドン王と七十三人の刺客』で、二十八人目の刺客が身に着けている衣裳です。二十八人目の刺客は外国のお姫様なんですよ。輿入れの日に命を狙ってくるんです」
「つまり、これをアイリーンに被らせるのか」
「結婚式のようなヴェールですから、喜んで被ると思いますよ。ほら、この通り、被ってみると外から顔が見えませんよね」
ヴェールを被り、スタンリーはレイモンドに向かってあかんべーをした。
「私からも外の様子がよく分かりません。紫色に遮られて……おうっ!」
テーブルの端に脇腹を打ち、スタンリーはその場に屈みこんだ。彼の傍らに膝をつき、
「これがあれば、王太子の代役を引き受けてもらえるな?」
とレイモンドは念を押した。
◆◆◆
マリナの説明を聞いたオードファン宰相は渋い顔を一層渋くした。あと二十年もすればレイモンドも彼そっくりの渋い中年になるのだろう。マリナは緊張のあまりどうでもいいことを考えた。
「船、か……」
「はい。お渡しできるものは、もうそれだけなのです」
「ビルクール海運の船は、ハーリオン家の持ち物だと聞いたことはあるが、それを手放してしまっては会社の経営が立ち行かなくなる。分かっているんだね?」
「はい。船を王家に差し上げても、引き続きビルクール海運は事業を続けさせていただきたいのです。従業員の生活を守るためです」
「では、ハーリオン家が船の使用料を払うのか?」
「いいえ。船と会社を……王家の所有にして……」
言葉が途切れ途切れになる。どうしてもその先を言う勇気がない。
――我が家には何もなくなるのよ。
「いずれは、王宮から近い現在の邸も売りに出します。使用人達には、紹介状を持たせて……」
声が震えた。俯きがちになった自分を心の中で叱咤して、マリナはぐっと顔を上げた。
「全てを手放すことが領民への償いになるのでしたら、私共はいくらでも手放します。騒動の原因が誰にあっても、領主として管理不行き届きだったのは真実ですから。ですが……お願いです、公爵様」
マリナは膝をついてオードファン公爵を見つめた。
「信じてください。父は神に誓って、何も悪いことはしていません。母も義兄も、何か面倒事に巻き込まれただけです。きっと無事に戻ります。逃亡など、決して……!」
船の譲渡に関する書類を突き出す。頭を下げると床に涙の雫が落ちた。
「何か、思い当たるふしがあるようだな」
「いえ……」
「無理な提案を聞く気はないが、話も聞かずに追い返すのはどうかと思うぞ」
「それは……」
若い内政官が口ごもる。後ろにいた先輩格の内政官が進み出た。
「恐れながら」
「何だ」
「閣下は少々、ハーリオン侯爵に甘いのでは?」
侯爵を呼び捨てにしたことに気づき、宰相は眉を上げた。
「私は常に公平に判断しているつもりだが?」
「これまでの調査で、ハーリオン侯爵が数々の悪事を働いていたことは明らかです。帰国すればすぐに逮捕されるでしょう。それなのに……」
「まだ、有罪だとは決まっておらん。そう急かすな。お決めになるのは陛下だ」
陛下と聞いて内政官は黙った。これ以上の切り札はない。
「……確かに、ハーリオン侯爵夫妻は私の友人で、子供達もうちの息子の友人だ。罰を与えるのに多少気持ちが揺らがないわけではない。しかし、私はグランディアのためなら……友情も捨てる覚悟でいる」
一同は息を呑んだ。宰相は室内の内政官達を見つめながら、ドアの外の誰かの気配に耳を欹て、満足げに瞳を細めた。
◆◆◆
「お願いですから、勘弁してください!」
王都中央劇場の奥の奥、雑然とした部屋に悲鳴が響いた。
「観念して、引き受けてくれないか」
「無理です!お、大勢の前で、ダンスなんてぇええ」
カーテンの陰に隠れ、端をぎゅっと掴んで震えている。足首が完全に見えている細身のズボンは膝が擦れている。
「もう少しましなものを着ればいいのに……」
「私はこれが落ち着くんです!いいんです」
説得に失敗してへそを曲げたスタンリーは、カーテンの陰からちらちらとレイモンドを見ている。
「セドリック王太子の影武者が務まるのは君しかいない。ダンスくらい何とでもなる」
「なりません。そのう、私はダンスに自信がなく……お相手の方に恥をかかせてしまうかもしれません」
「構わん。アイリーンをエスコートして会場に入るだけで十分だ」
「アイリーン???お相手はハーリオン侯爵家のマリナ嬢ではないのですか?」
スタンリーはゴシップに疎い。マリナが王太子妃候補から外されたことを知らないのだ。
「ダンスなんて、近くで見たら王太子殿下でないと気づかれてしまいます。特に、アイリーンは随分殿下につきまとっていましたから、私が化粧したところで……」
「ううむ……」
レイモンドは腕組みをして考えた。確かに、スタンリーが言う通りだ。化粧で誤魔化せるものだろうか。魔法で錯覚を起こさせるにも、相手は魔法科の生徒だ。気づかれてしまう。
「視界を遮ることができればいいが」
「それでは……これはどうです?」
カーテンを撥ね退けて、スタンリーは嬉々として部屋の奥へ走っていく。周囲には舞台衣装や小道具が散らかっており、書きかけの脚本が机の上に乱雑に置かれている。
「確か、この辺りに……あった!」
スタンリーは紫色の布の塊を高々と上げた。着丈も袖丈も短い上着が肩の線でほつれた。
「何だ……?」
「ヴェールです!これは確か、『ホウォドン王と七十三人の刺客』で、二十八人目の刺客が身に着けている衣裳です。二十八人目の刺客は外国のお姫様なんですよ。輿入れの日に命を狙ってくるんです」
「つまり、これをアイリーンに被らせるのか」
「結婚式のようなヴェールですから、喜んで被ると思いますよ。ほら、この通り、被ってみると外から顔が見えませんよね」
ヴェールを被り、スタンリーはレイモンドに向かってあかんべーをした。
「私からも外の様子がよく分かりません。紫色に遮られて……おうっ!」
テーブルの端に脇腹を打ち、スタンリーはその場に屈みこんだ。彼の傍らに膝をつき、
「これがあれば、王太子の代役を引き受けてもらえるな?」
とレイモンドは念を押した。
◆◆◆
マリナの説明を聞いたオードファン宰相は渋い顔を一層渋くした。あと二十年もすればレイモンドも彼そっくりの渋い中年になるのだろう。マリナは緊張のあまりどうでもいいことを考えた。
「船、か……」
「はい。お渡しできるものは、もうそれだけなのです」
「ビルクール海運の船は、ハーリオン家の持ち物だと聞いたことはあるが、それを手放してしまっては会社の経営が立ち行かなくなる。分かっているんだね?」
「はい。船を王家に差し上げても、引き続きビルクール海運は事業を続けさせていただきたいのです。従業員の生活を守るためです」
「では、ハーリオン家が船の使用料を払うのか?」
「いいえ。船と会社を……王家の所有にして……」
言葉が途切れ途切れになる。どうしてもその先を言う勇気がない。
――我が家には何もなくなるのよ。
「いずれは、王宮から近い現在の邸も売りに出します。使用人達には、紹介状を持たせて……」
声が震えた。俯きがちになった自分を心の中で叱咤して、マリナはぐっと顔を上げた。
「全てを手放すことが領民への償いになるのでしたら、私共はいくらでも手放します。騒動の原因が誰にあっても、領主として管理不行き届きだったのは真実ですから。ですが……お願いです、公爵様」
マリナは膝をついてオードファン公爵を見つめた。
「信じてください。父は神に誓って、何も悪いことはしていません。母も義兄も、何か面倒事に巻き込まれただけです。きっと無事に戻ります。逃亡など、決して……!」
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