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学院編 14
504 悪役令嬢は何度も頭を下げる
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「どうか、お話しさせていただけませんか?」
王宮内にある内政官の詰所で、マリナは丁寧に頭を下げた。
グランディア王国では、政策の最終決定権は国王のステファン四世にあるが、彼の命令を具体化するのはオードファン宰相と優秀な内政官達である。オードファン宰相自身も、王立学院を卒業して内政官となり、当時王太子だったステファンを補佐しながら政治を学んでいった。内政官になるためには、登用試験を受けるほかに、十代前まで遡って血縁を調べられるという噂である。したがって、平民で十代前の先祖まで遡れる者は稀であり、実質貴族以外は門前払いされているのである。
「しかし……これは既に国王陛下自らがお決めになったことです。宰相閣下にお伝えしても同じように仰ると思います。決定は覆りません」
「そこを何とか……」
応対に出た若い内政官は、しつこい来訪者に手を焼き、部屋の奥にいた先輩格の内政官に視線で助けを求めた。年かさの内政官はマリナの顔を見るなり、挨拶もなしに切り出した。
「……この際、はっきりと仰ったらどうなのです?ハーリオン家は領民のために銅貨一枚も払いたくないと」
「なっ……!違いますわ!私達はあらゆる手を尽くしてまいりました。フロードリンに救援物資を持ち込み、コレルダード郊外の治水工事だってあれから多額の私財を投じております。王家に御負担いただいた分は、領主として我がハーリオン家がお返しするものと存じます。ですが、もう……」
明らかな悪意を感じてマリナが言葉に詰まると、若い内政官が眉を寄せて手を差し伸べようとしたが、先輩に視線で圧されて動きを止めた。
「これだけの資金を調達できる見込みが立たないのです。残るは王都の一等地に建つ邸と、各地の領主館、そしてビルクール海運が事業で使っている大型船だけなのですわ。使用人の身の振り方が決まったら、いずれ近いうちに邸は売りに出します。調度品の類も、値段がつくものは全て。……皆さんは誤解をされているのではありませんか?ハーリオン家が領民から搾り取れるだけ搾り取って私腹を肥やしていると」
「違うという証拠はないのですよ?ハーリオン家が関与していなかったという証拠もない。我々はまだ、ハーリオン侯爵がどこかに財産を隠していると見ているのです」
「そんな……父は何も……」
「事が露見する前に外国、アスタシフォンへ逃亡したのは何故です?ああ、そうか。資産の隠し場所は、何も国内とは限りませんね」
「誤解です!父は逃げてなどおりません。お願いですから、オードファン宰相様と話す機会を与えてくださいませんか」
一歩引いて再び深く頭を下げた。侯爵令嬢のプライドなどどうでもいい。父母が不在の間、自分にできることはこれくらいしかない。不当な請求と言ってもいいこの命令に背くことは、王の意思に反することだ。罰を受けても致し方ない。
「何度仰られても、私共の判断で宰相閣下にお取次ぎすることはできかねます。まあ、あなたがここへ乗り込んでくるとは意外でしたよ。てっきり、王太子殿下に泣きついてとりなしてもらおうとするのかと」
――令嬢は何もできないと思っているのね。セドリック様の愛人扱いする気なら、こちらにも考えがあるわ。
下げていた頭をゆっくりと上げる。青いリボンを留めた銀髪がさらりと後ろに流れた。
「私が殿下にお話しすればよろしいのね?」
「お会いすることも叶いませんよ?きっと」
「次にお会いしたら、内政官の登用試験について、十分な検討が必要だとお話ししますわ。学生だから、女性だからというだけで、当主代理を軽んじるような人物を任用するのは誤りですと」
「何っ!?」
「最初にお話ししたはずです。私は父ハーリオン侯爵の代理で伺いましたと。内政官は書状に書かれていることが全てだからと聞く耳を持たず、あろうことか貴族の当主を王太子殿下の愛人だと揶揄した。それは、誰に対してもそうなのですか?だとすれば実に残念でなりませんわね」
内政官はわなわなと拳を震わせた。後輩が腕を掴んでいなければ、飛びかかって来そうな気迫だった。
「うるさい!黙れ!この女狐が!」
思いのほか大きな声が出て、部屋にいた他の内政官が驚いて書類から顔を上げた。声は廊下まで響いていたらしい。廊下を歩いていた王宮の兵士が様子を見に顔を出した。
「あなたが根拠のない情報に踊らされて、真実を見極める目をお持ちでないのがよく分かりました。他の方々も、同じ意見だからこそ知らぬふりをしていらっしゃるのでしょう?このようなところに長居は不要ですわね。……では、ごきげんよう」
すっと背筋を伸ばし、ドレスの裾を翻して部屋を出る。堂々とした態度に室内の内政官達は怯えた。マリナがセドリックに告げ口しにいくのではないかと。
廊下の角にさしかかり、マリナの前に人影が見えた。
「何があった?……騒ぎの原因は君か?マリナ」
怪訝そうにこちらを見ているのはレイモンドだ。急いでいるらしく、髪が少し乱れている。
「あら、人を見れば犯人扱いだなんて酷いですわ」
「違うのか?」
「……内政官に話を聞いてもらえず、退出するところですの」
「ほう。珍しいな。君があそこに用事があるとは」
「父宛に来た書状の件で。……既に陛下がお決めになった案件だから、オードファン宰相様にはお会いできないの一点張りで」
「騒ぎになるなら、それだけが原因ではないだろうが……まあいい。要は父に会えればいいのか?」
「あなたが取り次いでくださるのね?」
「内容による」
厳しい言い方ではあるが、レイモンドの表情は優しく、マリナに味方してくれようとしているのが良く分かった。
「王家から求められた領主としての負担……負債を、ビルクールにある大型船で帳消しにしてもらえないかと思って」
「随分大胆な……確かに、あの船はどれも一級品だ。他国に誇る装備があり、性能もすばらしいと聞いている。だが……ううむ」
俯いて考え込む。やはり船ではダメなのだろうか。
「王家直轄領になった時点で、領地に対する投資をするのは王家の義務だ。その領地がもともとどのような状態であったにしろ、国民がまっとうに生活できる国に保つのは国王の仕事であり、権力者に課せられた義務なのだから。そう考えると、陛下がハーリオン侯爵家に対して新たな負担を求めるのは筋違いだ。こんな辻褄の合わない話を父上が了承なさったとは考えにくいが……」
バタバタと人が走っている音がする。王宮の奥へと何人もの兵士が駆けていった。宮廷魔導士の姿も見える。
「何だ?」
「何かあったようですわね」
「向こうは……まさか、セドリックに何か!」
走り出したレイモンドの背中を追い、マリナはドレスの裾を持ち上げて続いた。
王宮内にある内政官の詰所で、マリナは丁寧に頭を下げた。
グランディア王国では、政策の最終決定権は国王のステファン四世にあるが、彼の命令を具体化するのはオードファン宰相と優秀な内政官達である。オードファン宰相自身も、王立学院を卒業して内政官となり、当時王太子だったステファンを補佐しながら政治を学んでいった。内政官になるためには、登用試験を受けるほかに、十代前まで遡って血縁を調べられるという噂である。したがって、平民で十代前の先祖まで遡れる者は稀であり、実質貴族以外は門前払いされているのである。
「しかし……これは既に国王陛下自らがお決めになったことです。宰相閣下にお伝えしても同じように仰ると思います。決定は覆りません」
「そこを何とか……」
応対に出た若い内政官は、しつこい来訪者に手を焼き、部屋の奥にいた先輩格の内政官に視線で助けを求めた。年かさの内政官はマリナの顔を見るなり、挨拶もなしに切り出した。
「……この際、はっきりと仰ったらどうなのです?ハーリオン家は領民のために銅貨一枚も払いたくないと」
「なっ……!違いますわ!私達はあらゆる手を尽くしてまいりました。フロードリンに救援物資を持ち込み、コレルダード郊外の治水工事だってあれから多額の私財を投じております。王家に御負担いただいた分は、領主として我がハーリオン家がお返しするものと存じます。ですが、もう……」
明らかな悪意を感じてマリナが言葉に詰まると、若い内政官が眉を寄せて手を差し伸べようとしたが、先輩に視線で圧されて動きを止めた。
「これだけの資金を調達できる見込みが立たないのです。残るは王都の一等地に建つ邸と、各地の領主館、そしてビルクール海運が事業で使っている大型船だけなのですわ。使用人の身の振り方が決まったら、いずれ近いうちに邸は売りに出します。調度品の類も、値段がつくものは全て。……皆さんは誤解をされているのではありませんか?ハーリオン家が領民から搾り取れるだけ搾り取って私腹を肥やしていると」
「違うという証拠はないのですよ?ハーリオン家が関与していなかったという証拠もない。我々はまだ、ハーリオン侯爵がどこかに財産を隠していると見ているのです」
「そんな……父は何も……」
「事が露見する前に外国、アスタシフォンへ逃亡したのは何故です?ああ、そうか。資産の隠し場所は、何も国内とは限りませんね」
「誤解です!父は逃げてなどおりません。お願いですから、オードファン宰相様と話す機会を与えてくださいませんか」
一歩引いて再び深く頭を下げた。侯爵令嬢のプライドなどどうでもいい。父母が不在の間、自分にできることはこれくらいしかない。不当な請求と言ってもいいこの命令に背くことは、王の意思に反することだ。罰を受けても致し方ない。
「何度仰られても、私共の判断で宰相閣下にお取次ぎすることはできかねます。まあ、あなたがここへ乗り込んでくるとは意外でしたよ。てっきり、王太子殿下に泣きついてとりなしてもらおうとするのかと」
――令嬢は何もできないと思っているのね。セドリック様の愛人扱いする気なら、こちらにも考えがあるわ。
下げていた頭をゆっくりと上げる。青いリボンを留めた銀髪がさらりと後ろに流れた。
「私が殿下にお話しすればよろしいのね?」
「お会いすることも叶いませんよ?きっと」
「次にお会いしたら、内政官の登用試験について、十分な検討が必要だとお話ししますわ。学生だから、女性だからというだけで、当主代理を軽んじるような人物を任用するのは誤りですと」
「何っ!?」
「最初にお話ししたはずです。私は父ハーリオン侯爵の代理で伺いましたと。内政官は書状に書かれていることが全てだからと聞く耳を持たず、あろうことか貴族の当主を王太子殿下の愛人だと揶揄した。それは、誰に対してもそうなのですか?だとすれば実に残念でなりませんわね」
内政官はわなわなと拳を震わせた。後輩が腕を掴んでいなければ、飛びかかって来そうな気迫だった。
「うるさい!黙れ!この女狐が!」
思いのほか大きな声が出て、部屋にいた他の内政官が驚いて書類から顔を上げた。声は廊下まで響いていたらしい。廊下を歩いていた王宮の兵士が様子を見に顔を出した。
「あなたが根拠のない情報に踊らされて、真実を見極める目をお持ちでないのがよく分かりました。他の方々も、同じ意見だからこそ知らぬふりをしていらっしゃるのでしょう?このようなところに長居は不要ですわね。……では、ごきげんよう」
すっと背筋を伸ばし、ドレスの裾を翻して部屋を出る。堂々とした態度に室内の内政官達は怯えた。マリナがセドリックに告げ口しにいくのではないかと。
廊下の角にさしかかり、マリナの前に人影が見えた。
「何があった?……騒ぎの原因は君か?マリナ」
怪訝そうにこちらを見ているのはレイモンドだ。急いでいるらしく、髪が少し乱れている。
「あら、人を見れば犯人扱いだなんて酷いですわ」
「違うのか?」
「……内政官に話を聞いてもらえず、退出するところですの」
「ほう。珍しいな。君があそこに用事があるとは」
「父宛に来た書状の件で。……既に陛下がお決めになった案件だから、オードファン宰相様にはお会いできないの一点張りで」
「騒ぎになるなら、それだけが原因ではないだろうが……まあいい。要は父に会えればいいのか?」
「あなたが取り次いでくださるのね?」
「内容による」
厳しい言い方ではあるが、レイモンドの表情は優しく、マリナに味方してくれようとしているのが良く分かった。
「王家から求められた領主としての負担……負債を、ビルクールにある大型船で帳消しにしてもらえないかと思って」
「随分大胆な……確かに、あの船はどれも一級品だ。他国に誇る装備があり、性能もすばらしいと聞いている。だが……ううむ」
俯いて考え込む。やはり船ではダメなのだろうか。
「王家直轄領になった時点で、領地に対する投資をするのは王家の義務だ。その領地がもともとどのような状態であったにしろ、国民がまっとうに生活できる国に保つのは国王の仕事であり、権力者に課せられた義務なのだから。そう考えると、陛下がハーリオン侯爵家に対して新たな負担を求めるのは筋違いだ。こんな辻褄の合わない話を父上が了承なさったとは考えにくいが……」
バタバタと人が走っている音がする。王宮の奥へと何人もの兵士が駆けていった。宮廷魔導士の姿も見える。
「何だ?」
「何かあったようですわね」
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