上 下
675 / 794
学院編 14

503 悪役令嬢と優しい指先

しおりを挟む
――頭を撫でてくれているのは……お母様?とても優しい感じがする。
夢の中と現実とを行ったり来たりしながら、ジュリアはゆっくりと瞳を開けた。紗がかかっていた世界が色を帯び、ここは自分の部屋ではないと分かる。
「……おはよう」
「あ……」
優しい手は母のものではなく、隣に寝そべっている男のものだ。
「よく寝てたね」
レナードは瞳を細めて、もう一度滑らかな銀髪を撫でる。結わえていない髪からか、背中まで撫でられ、ジュリアはくすぐったくて小さく笑った。
「……可愛い」
「ふぁっ!?い、いきなり何……」
この男の言う『可愛い』は五割引きで考えてもいい。学院の廊下で、女子生徒と見れば学年問わず賛辞を送るのが彼の常だからだ。
「俺ね、今日は自分に素直になろうと思って。ジュリアちゃんの寝顔を見ながら一晩なんて、こんな幸せな時間はないよね」
「へ、へえ……」
――どう返事をしたらいいのよ?
うっとりと自分を見つめるレナードにジュリアは戸惑いを隠せなかった。女だと知られてからは、アレックスともこんな近距離で寝ていたことはない。柄にもなく恥ずかしくなって顔を手で覆うと、ベッドの支柱に繋がれていた手首が自由になっていると気づいた。少し擦れた痕が見えるものの、傷を覆うように白い布が巻かれている。角にある刺繍を見てレナードのハンカチだと分かった。
「……さて、と。名残惜しいけど、そろそろ時間切れかな」
天蓋のカーテンを開けると、窓から射しこむ朝日に照らされる。木製の掛け時計の針が容赦なく進んでいくのを厳しい表情で見つめ、レナードは衣擦れの音を残してベッドから下りた。
「レナード?どこ、行くの?」
「あれ?心配してくれるんだ?」
レナードが驚いた顔で振り返る。
「そりゃ、心配するよ!……友達だもん」
「ははは。そんな瞳で見られたら揺らいじゃうよ。友達の一線を超えたくなるくらいに」
ギシ。
ベッドが軋んで、ジュリアの上に影が落ちる。
「レ、レナード、あのっ……」
視界にレイピアが見えた。ジュリアが息を呑む音に気づき、レナードがくすくすと笑う。
「これ。隠しておくから。いつものとは使い勝手が違うけど、ジュリアちゃんならうまくやれるでしょ?」
「脱出しろってこと?」
「そ。俺が任務を遂行すれば、ジュリアちゃんは晴れて自由に……なれるはずなんだけど、あいつら信用できないからさ。俺がこの部屋から出てしばらくしたら、夕方になる前には逃げ出して。君が無事かどうか気がかりなままだと、俺も任務に集中できないし?」
「任務って何?さっきから気になって……」
「ひ・み・つ。少し秘密がある方が、俺のこともっと知りたくなるでしょ?」
軽口を叩いてウインクする姿は、普段の彼と何ら変わらない。なのに、時折見せる苦しそうな表情は何なのだろう。
「私、何でも話してくれる方が好きなんだけど?」
「あー、ジュリアちゃんはそっちだったね。でも教えてあげない。あ……キスしてくれたら教えないこともない、かな」
「キ、キス……?」
数秒逡巡して、レナードのシャツの胸元を掴んで引き寄せ、頬に素早く口づけた。
「!」
「こ、これでどーだ!さあ、話してもらおうか!」
腰に手を当ててふんぞり返る。レナードはお腹を抱えて笑い、
「ははは。おっかしー。おかしくて涙出ちゃったよ」
と指先で涙を拭った。

   ◆◆◆

オードファン公爵家では、宰相が渋い顔を一層渋くして息子と向き合っていた。
「そうですか。セドリックが……」
「こんなことは前代未聞だ。病気でもないのに、王族が欠席するなど。朝食の時間に王妃様と喧嘩になり、そのまま自室に引きこもっておられる。自分に内緒でシェリンズ男爵令嬢に淑女教育を施した王妃様を信じられない、鼻高々のアイリーン・シェリンズに会いたくないと」
困り果てた国王自ら、親友である宰相にSOSを送って来たのだ。肝心の王妃は息子とのいざこざを楽しんでいるようで、双方譲らず、事態は膠着状態になっていた。
「まったく……あいつもいつまでも子供だな。踊らないまでも、上座にいるだけでいいのに。余程、アイリーンに会いたくないのでしょう」
アイリーンの名を聞いて、宰相はふと考え込んだ。何か思い当たることがあったのだ。
「そのシェリンズ男爵令嬢だが……レセルバン侯爵の母君、先代公爵夫人のブランシュ様が、恥ずかしくない程度に作法を仕込むと言っていた。あの方はアスタシフォンから嫁いで来られて、苦労してこちらの礼儀作法を身につけた。子供がなんとなく体得するのと違い、言葉で分かり易く教えてくださると聞く。そのような方から学んだ令嬢が、王太子殿下の隣で失態を見せるとは考えにくいが。お前はどう思う?レイモンド」
「どうでしょうね。少なくとも、王立学院にいる時の彼女は、お世辞にも品がいいとは言えませんし、所作も完璧なマリナ嬢を見慣れているセドリック殿下にとっては、何もかもが見苦しく思えるのでしょう」
「確かに、それはあるな……」
少し白髪が混じった水色の髪をくしゃりと乱れさせ、書斎の机に項垂れる。宰相の任に着いてから、父はかなり疲れているようだとレイモンドは思った。
「この際、シェリンズ男爵令嬢の出来不出来は置いておいて、王太子殿下をいかにして部屋から誘い出すか、だが……」
「部屋の前で踊りましょうか?」
宰相は動きを止めてじっと息子を見つめ、二人の間に沈黙が流れた。
「……お前がそんなことを言うとは思わなかったぞ、レイモンド」
「冗談です。今夜の舞踏会では、王太子の役目はダンスだけ。集まった貴族の前で挨拶をするのは国王陛下ですから、貴族達はセドリック王太子をまじまじと見ることはありませんよね?」
「そうだな。ダンスを踊りさえすれば、また部屋に引きこもっていても構わん。ただし、今夜は必ず踊っていただく。セドリック殿下が……王家が、ハーリオン侯爵家以外の令嬢を選んだと印象付けるために。そもそも、あの令嬢を相手に選んだのは殿下ではないのか?」
「誰でもよいなら、こちらとしても都合のいい人物を選んだだけです。……望んでいるのですよ、彼女が酷い失敗をして、大勢の貴族の笑い者になることを。ですが、彼女を公の場で失敗させるのは、別にセドリックでなくてもいい。僕に考えがあります。開始時刻までに必ず、王太子殿下を会場にお連れしますよ」
不敵な笑みを浮かべた我が子に軽く戦慄しつつ、宰相は「頼むぞ」と言って肩を叩いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない

陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」 デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。 そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。 いつの間にかパトロンが大量発生していた。 ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?

婚約破棄をいたしましょう。

見丘ユタ
恋愛
悪役令嬢である侯爵令嬢、コーデリアに転生したと気づいた主人公は、卒業パーティーの婚約破棄を回避するために奔走する。 しかし無慈悲にも卒業パーティーの最中、婚約者の王太子、テリーに呼び出されてしまうのだった。

転生したら攻略対象者の母親(王妃)でした

黒木寿々
恋愛
我儘な公爵令嬢リザベル・フォリス、7歳。弟が産まれたことで前世の記憶を思い出したけど、この世界って前世でハマっていた乙女ゲームの世界!?私の未来って物凄く性悪な王妃様じゃん! しかもゲーム本編が始まる時点ですでに亡くなってるし・・・。 ゲームの中ではことごとく酷いことをしていたみたいだけど、私はそんなことしない! 清く正しい心で、未来の息子(攻略対象者)を愛でまくるぞ!!! *R15は保険です。小説家になろう様でも掲載しています。

婚約破棄ですか。ゲームみたいに上手くはいきませんよ?

ゆるり
恋愛
公爵令嬢スカーレットは婚約者を紹介された時に前世を思い出した。そして、この世界が前世での乙女ゲームの世界に似ていることに気付く。シナリオなんて気にせず生きていくことを決めたが、学園にヒロイン気取りの少女が入学してきたことで、スカーレットの運命が変わっていく。全6話予定

【完結】死がふたりを分かつとも

杜野秋人
恋愛
「捕らえよ!この女は地下牢へでも入れておけ!」  私の命を受けて会場警護の任に就いていた騎士たちが動き出し、またたく間に驚く女を取り押さえる。そうして引っ立てられ連れ出される姿を見ながら、私は心の中だけでそっと安堵の息を吐く。  ああ、やった。  とうとうやり遂げた。  これでもう、彼女を脅かす悪役はいない。  私は晴れて、彼女を輝かしい未来へ進ませることができるんだ。 自分が前世で大ヒットしてTVアニメ化もされた、乙女ゲームの世界に転生していると気づいたのは6歳の時。以来、前世での最推しだった悪役令嬢を救うことが人生の指針になった。 彼女は、悪役令嬢は私の婚約者となる。そして学園の卒業パーティーで断罪され、どのルートを辿っても悲惨な最期を迎えてしまう。 それを回避する方法はただひとつ。本来なら初回クリア後でなければ解放されない“悪役令嬢ルート”に進んで、“逆ざまあ”でクリアするしかない。 やれるかどうか何とも言えない。 だがやらなければ彼女に待っているのは“死”だ。 だから彼女は、メイン攻略対象者の私が、必ず救う⸺! ◆男性(王子)主人公の乙女ゲーもの。主人公は転生者です。 詳しく設定を作ってないので、固有名詞はありません。 ◆全10話で完結予定。毎日1話ずつ投稿します。 1話あたり2000字〜3000字程度でサラッと読めます。 ◆公開初日から恋愛ランキング入りしました!ありがとうございます! ◆この物語は小説家になろうでも同時投稿します。

悪役令嬢の居場所。

葉叶
恋愛
私だけの居場所。 他の誰かの代わりとかじゃなく 私だけの場所 私はそんな居場所が欲しい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ※誤字脱字等あれば遠慮なく言ってください。 ※感想はしっかりニヤニヤしながら読ませて頂いています。 ※こんな話が見たいよ!等のリクエストも歓迎してます。 ※完結しました!番外編執筆中です。

シナリオ通り追放されて早死にしましたが幸せでした

黒姫
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢に転生しました。神様によると、婚約者の王太子に断罪されて極北の修道院に幽閉され、30歳を前にして死んでしまう設定は変えられないそうです。さて、それでも幸せになるにはどうしたら良いでしょうか?(2/16 完結。カテゴリーを恋愛に変更しました。)

ヒロインではないので婚約解消を求めたら、逆に追われ監禁されました。

曼珠沙華
恋愛
「運命の人?そんなの君以外に誰がいるというの?」 きっかけは幼い頃の出来事だった。 ある豪雨の夜、窓の外を眺めていると目の前に雷が落ちた。 その光と音の刺激のせいなのか、ふと前世の記憶が蘇った。 あ、ここは前世の私がはまっていた乙女ゲームの世界。 そしてローズという自分の名前。 よりにもよって悪役令嬢に転生していた。 攻略対象たちと恋をできないのは残念だけど仕方がない。 婚約者であるウィリアムに婚約破棄される前に、自ら婚約解消を願い出た。 するとウィリアムだけでなく、護衛騎士ライリー、義弟ニコルまで様子がおかしくなり……?

処理中です...