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閑話 聖杯の行方

聖杯の行方 10

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「『山頂まであとちょっと』って書いてあるよ!」
いい加減な看板を指して、ジュリアが輝く笑顔で叫んだ。アレックスは文字を辿り、力強くガッツポーズをした。
「よおし、あとちょっと、だな!」
「うん。ちょっとだよ、きっと!」
妙にハイテンションの二人は、これまでの道のりを思えば『ちょっと』が『ちょっと』であることに不安を覚えないではいられなかった。途中、『もう少し』『ほとんど上った』などと曖昧な内容の看板をいくつも見た。どれも具体的に距離を書いていなかった。
「俺らの前に、誰かいるのかな?」
「そう言えば誰も見なかったね」
「とっくに頂上に着いていたりして」
「えー?ここまで上ったのにぃ」
勿体ない、と続けようとすると、アレックスがはははと笑った。
「一着じゃなくても、頂上まで行こうぜ。聞いた話じゃ、上から見る景色は最高だってさ。俺、最高の景色を見てみたいんだ。……ジュリアと一緒に」
快活さが急に鳴りを潜め、熱い視線が注がれる。ジュリアの鼓動が急に速まった。
「私も、見たいな。アレックスと」
「ん。……やっぱ、特別な景色だから……その……」
妙に甘酸っぱい空気が流れ、ジュリアは照れてアレックスの肩を叩いた。
「もしかしたら一番かもしれないし、ここから本気で競争ね。よおぉい、どん!」
勝手にスタートの合図をして走り出す。後ろからアレックスの戸惑う声がした。

俊足を活かして快調に飛ばしていく。森の小道から急に視界が開けた。
「お?」
平坦な場所が草地になっており、少し先に切り立った崖があった。崖の上には神殿らしき建物が立っている。
「やった、神殿発見!優勝いただきぃ」
と喜び、走り出そうと構えて意気込んだものの、ふと気になることがあった。
――あの崖、どうやって登るの?
高さは人の背丈の五倍はありそうだ。二人で肩車をしたところで、どうにもならないだろう。近くまで寄れば何か手段が見つかるかもしれないと、ジュリアは崖の下へ進んだ。すぐにアレックスが追い付いて、二人で崖の上を見上げた。
「すげえな。あんなところに建物があるなんて」
「ねー。どうやって建てたのか気になるよね。ついでに、どうやって登るのかも」
「だよな。中には神官がいるっていうし、呼んだら教えてくれるんじゃないか?」
アレックスの提案を受けて、ジュリアはすぐに行動に移した。手のひらをメガホンのようにして大きく息を吸い込んだ。
「すみませーん、神殿の人ぉー、誰かいませんかー!」
マリナにはよく通る声だと言われ、エミリーにはうるさがられている自慢の声だ。周囲は雑音がなく、神殿までは確実に届いているだろう。
「……反応ねえな」
「おっかしいなー。もう一度……」
叫び始めて五回目、ジュリアに少し疲れが見えた時、神殿の上の方に人影が見えた。
「うるさい!何度も同じことを叫ぶな。聞こえている!」
神経質そうな若い神官だった。様子を見てこいと上司に指示されたのだろうか。随分と苛立った様子だ。
「聞こえてるなら返事してくれてもいいじゃん!ケチ!」
「おい、ジュリア。……すいません。俺達、聖杯争いでここに来たんですけど、神殿にはどうやって行ったらいいんですか?」
「神官以外は神殿に立ち入れない決まりになっている」
「え?話、違うじゃん。聖杯はどうやってもらうの?」
「……」
神官は無言で建物に戻り、しばらくすると何かを持って出てきた。箱に紐がついたものだ。
「今から箱を下ろす。中には貴殿らが神殿に納めるべきものが書かれた札が入っている。各々一枚手に取り、定刻までにその品を持ってくるように」
「借り物競争?」
「何だそれ。……って、またこの山道を登るのかよ?」
「下りなくても探せるものだったらいいね」
するすると箱が下りてきた。躊躇するアレックスを前に、ジュリアは勢いよく箱に手を入れた。
「ひゃっ!」
「どうした?」
「ふ、札が手にくっついてきた……気持ち悪い」
箱の中にカエルやコンニャクやタコが入っているわけではないが、同じようなものである。そろそろと手を引き、手の甲にくっついている札を剥がした。
「『世界一得難き宝』?」
「何だよ、宝探しか」
「アレックスも引いて。ほら」
「ああ、……うひゃっ」
「ね?気持ち悪いでしょ」
アレックスが手を引くと、札には『残念』と書かれていた。
「残念って何だよ」
「おや、それは……ここでも少し人数を絞るからな。まことに残念だが、貴殿はここで失格となる」
「……嘘だろ?」
その場にがくりと頽れ、アレックスは力なく呟いた。
「ねえ、神官さん」
「何か?」
「札に書かれているものを持って来たら、中に入れるの?」
「そうだ。その物と引き換えに、聖杯を渡す」
神官の声が響き、沈黙が訪れた。アレックスは急に不安になって立ち上がり、ジュリアの顔を覗き込んだ。
「……ジュリア?」
固く瞳を閉じ、決意に満ちた眼差しで神殿を見上げる。
――これで、いいんだ。
「神官さん。私、聖杯はもらえない」
「何故だ。札に書かれている物が用意できないからか?」
「ううん」
遠くから見えるように首を振る。銀髪のポニーテールがさらりと揺れた。
「私の宝物は神殿にあげられないよ」
「全く、若いのに欲深なことだな」
くだらないと神官が鼻で笑った。
「そうだよ。私、欲張りだから……ここにいるアレックスも、マリナもアリッサもエミリーも、お父様もお母様もクリスも、リリーやジョンだって……周りのみーんなが、私の世界一の宝物なんだ。誰か一人だって、誰にも渡したくない。何でも願いが叶う聖杯がもらえたとしても、絶対にあげない!」
良く通る声が山頂にこだました。ジュリアは神官から視線を逸らさず、じっと彼を見つめて瞬き一つしなかった。
「……そうか。それがお前の宝か……」
神官の声が重なって聞こえ、それは耳ではないどこかを通って頭の中に響いた。崖の上の神殿が一瞬揺らぎ、そこに立っていたはずの若い神官は忽然と姿を消した。
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