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学院編 14
491 悪役令嬢は作戦に疑念を抱く
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マリナとクリスが王都の邸宅に着いたとき、二人は邸内の異様な雰囲気に怯えた。
「姉様……」
クリスの小さな手がぎゅっとマリナのスカートを掴んだ。大きな紫色の瞳が潤んでいる。
「大丈夫よ、クリス。いつもより少し、暗いだけだから」
魔法の転移先にしたのは、障害物がない玄関ホールだ。天井からシャンデリアが下がり華やかな雰囲気だったはずだが、夜とはいえあまりに暗い。
「マリナ様!クリス様!」
声がした方を向くと、暗闇に包まれた廊下から誰かが走ってくる。リリーが手に光魔法球のランプを持ち、二人に向かって頭を下げた。
「リリー。これはどうしたことなの?」
「ご不便をおかけして申し訳ございません。実は、光魔法球の買い置きが不足しておりまして。普段使わない場所は、魔法球の数を減らそうと……」
「まあ……」
マリナは絶句した。領地からの収入が減り、邸の管理の人員も減っていることは承知していたが、そこまでとは思っていなかった。
「掃除は昼の明るいうちに済ませておりますから。……その、こう申しては何なのですけれど、旦那様と奥様がいらっしゃらない今、お邸を訪ねて来られるお客様も殆ど……」
「ええ。来るのは私達の友達くらいなものね」
四姉妹には友達と呼べる友達がいない。レイモンドやアレックスも、ハーリオン侯爵家へ出入りしないように釘を刺されている。侍女の前で精一杯見栄を張り、マリナは虚しい気持ちになった。
◆◆◆
リリーに促されて父の書斎に入り、眠そうなクリスを乳母に託した。待っていた執事のジョンが暗い顔で出迎え、用意していた書類を手渡すと、マリナは無言で読み始めた。
「そう……」
「いかがいたしましょうか」
領地の収支報告書を捲り、一ページ進むたびに溜息をつく。執事のジョンは目尻の皺を深くして、当主代理を心配そうに見つめた。
「どこも赤字経営だったというわけね」
「はい。既に王家直轄領になっているコレルダードとフロードリンは、領地からの収益が殆どないようですね」
「フロードリンは、あの大規模な工場への投資が原因でしょうね。コレルダードは……思い当たらないのだけれど?」
「治安の悪化で領民が他に流れたと聞いております。高い年貢を課したのも一因です。先祖代々の農地を手放して、別の土地へ移った者も多いとか。年貢を納める者が減れば、余計に負担が重くなります」
「完全に悪循環ね」
「はい。ですが、集めた年貢がどこに消えたのか……」
「侯爵家への報告はこのとおりですものね。誰かが中間搾取しているとしか考えられないわ。フロードリンのように、お父様の代理人を名乗る人物が私腹を肥やしているのかしら」
「お邸の周辺を巡回している騎士に聞いた話ですが、騎士団が調査を進めているものの、なかなか真相が明らかにならないようです。コレルダードにいたならず者達を問い詰めても、曖昧な情報ばかりで黒幕にはたどり着けない。捕まえたのは下っ端ばかりで話にならないと」
「ジュリアが戦った相手も、下っ端だったみたいね」
「それで、本来は街の治安維持や美化、川の治水工事に使われるはずだった資金が消えて、それらが置き去りになっているのです」
テーブルの上の手紙を見つめ、マリナはまた溜息をついた。王宮からの書状には、領主としてハーリオン家が負担すべき分について、細やかに書かれてあった。直轄領となる前から壊れていた橋の架け替えや、転移魔法陣を設置している建物の修繕は、ハーリオン家の負担で行うとある。つまり、これは立替払いの請求書だった。
「はあ……まるで言いがかりね。王家のなさりようはあんまりだわ。確かに、お父様には領地を管理する責任があったけれど……」
「私もそう思います。王立図書館に参りまして、過去に領地を王家直轄領として召し上げられた例を調べたところ、ここまで厳しい処分が下った例はございませんでした。古い時代の話になりますが、王太子の暗殺を企てた貴族でさえ、その縁者に管理費用を払わせたとは書かれておりませんでした。陛下はハーリオン侯爵家に対して、とりわけ厳しい処分をなされたのではないかと存じます」
手元の数字に目を走らせ、マリナはふとジュリアの話を思い出した。レイモンドの話では、彼のオードファン公爵家とアレックスのヴィルソード侯爵家は、故意にハーリオン家から遠ざかるようにしているのだという。息子と娘を婚約させて親しくしている王家・オードファン家・ヴィルソード家が距離を置き、ハーリオン侯爵家を孤立させる作戦なのだ。
――これも、うちを孤立させる作戦の一つかしら?
それにしては、請求額が大きすぎる。邸の明かりを節約したくらいでは、どうにも埋め合わせができない金額だ。
「期日までに、王家に納めることとあるわ。ジョンが私を呼んだということは、払うお金がない……そうなのね?」
「はい。私が存じております侯爵様の財産……金貨では支払えません」
「宝石やドレスを換金しても?」
「お嬢様方の古いドレスは、既に売り払ってしまいました。亡き大奥様が集められた絵画や、先代様の陶器のコレクションも、引き取り手があるものは全て……」
「そうだったわね。フロードリンの領民に食料を送り、残りはお邸を辞めていく皆に手当として渡したのだったわ」
祖父母が誇るコレクションは、マニアックすぎてあまりお金にならなかったのである。祖母が「きっと有名になるから」と集めた新進気鋭の画家の絵は二束三文で買い取られ、祖父が「高名な職人のものに違いない」と古物商から買い取った壺や皿は大半がよくできた偽物だった。ジョンから報告を受け、落胆したのを鮮明に思い出した。
「マリナお嬢様?」
「ごめんなさい。少しぼうっとしていたわ」
「このような折にお話しするのは気が引けるのですが……私に少々心当たりがございます」
「本当に?」
瞳を輝かせて見つめるマリナを前に、ジョンは口元の髭を撫でて唇を噛んだ。
「姉様……」
クリスの小さな手がぎゅっとマリナのスカートを掴んだ。大きな紫色の瞳が潤んでいる。
「大丈夫よ、クリス。いつもより少し、暗いだけだから」
魔法の転移先にしたのは、障害物がない玄関ホールだ。天井からシャンデリアが下がり華やかな雰囲気だったはずだが、夜とはいえあまりに暗い。
「マリナ様!クリス様!」
声がした方を向くと、暗闇に包まれた廊下から誰かが走ってくる。リリーが手に光魔法球のランプを持ち、二人に向かって頭を下げた。
「リリー。これはどうしたことなの?」
「ご不便をおかけして申し訳ございません。実は、光魔法球の買い置きが不足しておりまして。普段使わない場所は、魔法球の数を減らそうと……」
「まあ……」
マリナは絶句した。領地からの収入が減り、邸の管理の人員も減っていることは承知していたが、そこまでとは思っていなかった。
「掃除は昼の明るいうちに済ませておりますから。……その、こう申しては何なのですけれど、旦那様と奥様がいらっしゃらない今、お邸を訪ねて来られるお客様も殆ど……」
「ええ。来るのは私達の友達くらいなものね」
四姉妹には友達と呼べる友達がいない。レイモンドやアレックスも、ハーリオン侯爵家へ出入りしないように釘を刺されている。侍女の前で精一杯見栄を張り、マリナは虚しい気持ちになった。
◆◆◆
リリーに促されて父の書斎に入り、眠そうなクリスを乳母に託した。待っていた執事のジョンが暗い顔で出迎え、用意していた書類を手渡すと、マリナは無言で読み始めた。
「そう……」
「いかがいたしましょうか」
領地の収支報告書を捲り、一ページ進むたびに溜息をつく。執事のジョンは目尻の皺を深くして、当主代理を心配そうに見つめた。
「どこも赤字経営だったというわけね」
「はい。既に王家直轄領になっているコレルダードとフロードリンは、領地からの収益が殆どないようですね」
「フロードリンは、あの大規模な工場への投資が原因でしょうね。コレルダードは……思い当たらないのだけれど?」
「治安の悪化で領民が他に流れたと聞いております。高い年貢を課したのも一因です。先祖代々の農地を手放して、別の土地へ移った者も多いとか。年貢を納める者が減れば、余計に負担が重くなります」
「完全に悪循環ね」
「はい。ですが、集めた年貢がどこに消えたのか……」
「侯爵家への報告はこのとおりですものね。誰かが中間搾取しているとしか考えられないわ。フロードリンのように、お父様の代理人を名乗る人物が私腹を肥やしているのかしら」
「お邸の周辺を巡回している騎士に聞いた話ですが、騎士団が調査を進めているものの、なかなか真相が明らかにならないようです。コレルダードにいたならず者達を問い詰めても、曖昧な情報ばかりで黒幕にはたどり着けない。捕まえたのは下っ端ばかりで話にならないと」
「ジュリアが戦った相手も、下っ端だったみたいね」
「それで、本来は街の治安維持や美化、川の治水工事に使われるはずだった資金が消えて、それらが置き去りになっているのです」
テーブルの上の手紙を見つめ、マリナはまた溜息をついた。王宮からの書状には、領主としてハーリオン家が負担すべき分について、細やかに書かれてあった。直轄領となる前から壊れていた橋の架け替えや、転移魔法陣を設置している建物の修繕は、ハーリオン家の負担で行うとある。つまり、これは立替払いの請求書だった。
「はあ……まるで言いがかりね。王家のなさりようはあんまりだわ。確かに、お父様には領地を管理する責任があったけれど……」
「私もそう思います。王立図書館に参りまして、過去に領地を王家直轄領として召し上げられた例を調べたところ、ここまで厳しい処分が下った例はございませんでした。古い時代の話になりますが、王太子の暗殺を企てた貴族でさえ、その縁者に管理費用を払わせたとは書かれておりませんでした。陛下はハーリオン侯爵家に対して、とりわけ厳しい処分をなされたのではないかと存じます」
手元の数字に目を走らせ、マリナはふとジュリアの話を思い出した。レイモンドの話では、彼のオードファン公爵家とアレックスのヴィルソード侯爵家は、故意にハーリオン家から遠ざかるようにしているのだという。息子と娘を婚約させて親しくしている王家・オードファン家・ヴィルソード家が距離を置き、ハーリオン侯爵家を孤立させる作戦なのだ。
――これも、うちを孤立させる作戦の一つかしら?
それにしては、請求額が大きすぎる。邸の明かりを節約したくらいでは、どうにも埋め合わせができない金額だ。
「期日までに、王家に納めることとあるわ。ジョンが私を呼んだということは、払うお金がない……そうなのね?」
「はい。私が存じております侯爵様の財産……金貨では支払えません」
「宝石やドレスを換金しても?」
「お嬢様方の古いドレスは、既に売り払ってしまいました。亡き大奥様が集められた絵画や、先代様の陶器のコレクションも、引き取り手があるものは全て……」
「そうだったわね。フロードリンの領民に食料を送り、残りはお邸を辞めていく皆に手当として渡したのだったわ」
祖父母が誇るコレクションは、マニアックすぎてあまりお金にならなかったのである。祖母が「きっと有名になるから」と集めた新進気鋭の画家の絵は二束三文で買い取られ、祖父が「高名な職人のものに違いない」と古物商から買い取った壺や皿は大半がよくできた偽物だった。ジョンから報告を受け、落胆したのを鮮明に思い出した。
「マリナお嬢様?」
「ごめんなさい。少しぼうっとしていたわ」
「このような折にお話しするのは気が引けるのですが……私に少々心当たりがございます」
「本当に?」
瞳を輝かせて見つめるマリナを前に、ジョンは口元の髭を撫でて唇を噛んだ。
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