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学院編 14
485 悪役令嬢は固い意志で臨む
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ベイルズ商会の建物は、キースを助けるためにエミリーが小規模な爆発を起こしたため、崩れる危険があるとして別の建物に移っていた。近くにあった倉庫を事務所にした部屋は、天井が高くて寒かった。
「このような場所で申し訳ありませんね」
マクシミリアンは抑揚のない声で言った。丁寧な物腰だが申し訳ないと思っているようには見えない。
「寒くないか、アリッサ」
「うん。平気。ありがとう、アレックス君」
とは言ったものの、アリッサは膝掛を持って来ればよかったと後悔した。膝を揃えて摩っている様子を見たエイブラハムが、すかさずコートを脱いでアリッサの膝にかけた。
「……どうぞ。アリッサ嬢」
「そんな、あなたが寒くなってしまいます」
「この程度の寒さ、私の生まれ故郷に比べれば大したことはありません。何より室内ですしね」
普段の適当執事は影を潜め、伊達眼鏡をかけた姿は見た目だけはどこかの素敵な紳士である。先ほどからマクシミリアンがしきりにエイブラハムを気にしている。横目で見たり、咳払いをしたり、苛立っているのがよく分かった。
――どうしよう。先輩、怖い……。でも、頑張らなきゃ!
「あの……」
折り入って話があると告げ、他の者を部屋に入れないようにしてもらったが、手短に用件を済ませないと、ベイルズ準男爵が挨拶をしに入ってくる可能性がある。アリッサはぐっと膝の上で拳を握った。
「今日は、大事なお話があります」
「何でしょう?」
「ビルクールの……禁輸品のことです」
「ああ、王都から調査が入った件ですか。あの船の積荷に当商会の焼印があったというなら……」
「いいえ。もう、王宮は……陛下は全てご存知です」
マクシミリアンは動きを止め、アリッサの瞳をじっと見つめた。
「……どういうことでしょうか?陛下は何をご存知なのか」
「あなた方の悪事の証拠を既に手に入れていらっしゃいます」
「悪事?」
ハッ、と馬鹿にしたように笑い、マクシミリアンは突然足を崩して横柄な態度になった。アレックスはぎょっとしている。
「そんなもの、嘘だろう?」
「嘘じゃないぞ!そ、その証拠に、俺がお前を捕まえに来たんだからな!」
――違う!アレックス君。逮捕する話じゃないのに!
勇み足のアレックスを見ると、「やったぜ」という顔で頷き返された。アリッサは軽く眩暈がした。
「アレックス君は、騎士……見習い候補です。フロードリンやコレルダードの事態収拾に忙しい騎士に代わって、お父様の騎士団長様の命を受けてビルクールに来ています。徽章がその証です。……それで、私から提案があります」
「何だ?言ってみろよ」
「法に触れる行為をやめて、ベイルズ準男爵様にはご勇退いただいて、あなたがベイルズ商会を立て直すのです」
「俺が……?」
「全ての責任は、現社長であるあなたのお父様にあると、陛下はお考えです。あなたや従業員達は、ベイルズ準男爵の指示に逆らえなかっただけだと」
「……」
沈黙が流れる。アリッサの言うこともあながち嘘ではないのだろう。マクシミリアンは父の指示に従ってアリッサに近づき、積荷の検査の時も隠蔽工作をしたのだから。
「ちょっといいかな?」
静けさを打ち破って、エイブラハムが手を挙げた。
「……何だ?」
「君、初対面の、それも年上に向かって、それはないんじゃないかな?」
「名乗らない奴に礼儀正しくする必要はない」
「まあまあ。そう言わずに。私はアスタシフォンやグランディアの珍しい物を集めて、イノセンシアで売って商売にしているんだよ。大口の取引はしないけれど、そこそこ儲かっている方でね。グランディアには貴重な工芸品が多くあるから、あちこち見て回っているんだ」
「……ビルクールでは見たことがないが。本当に商人なのか?」
――ぎく。鋭いわ。
アリッサの隣のエイブラハムは動じず、笑顔でそうだと答えた。平気で嘘をつくのはどうかと思うが、ここは彼の演技に乗るしかない。
「言った通り、私は各地を回るのに忙しくてね。代わりにイノセンシアやアスタシフォンへ届けてくれる提携先を探していたんだ。それで、海運会社を営んでいるハーリオン侯爵様のお邸を訪ねたのだが、生憎お留守だったんだ。商売のことはお父上でないと判断できないから、こちらのアリッサ嬢が貴殿を紹介すると言われてね」
「……」
マクシミリアンの視線は鋭く、エイブラハムを頭から爪先まで見て値踏みしているのが分かった。本当に裕福な商人なのか疑っているようだ。
――これで取引に乗ってきたら、エイブラハムはどうするつもりなのかしら?
「そのお話は、あなたが品物をお持ちになったら考えましょう」
丁寧な物言いに戻ったものの、態度は元に戻らない。アリッサを見つめて口の端を上げた。
「俺を商売に縛り付けて、学院から遠ざけようというのか?」
「両立は……難しいとは思います。でも……」
目を伏せて深呼吸して、アリッサは顔を上げてマクシミリアンを見つめた。
「私は、先輩が囚われの身になるのを見たくないんです。事が重大なだけに、準男爵様は隠居だけでは済まない可能性が高いようです。先輩も共犯と見做されれば、間違いなく収監されるでしょう。……そんなの、嫌なんです」
アリッサの頭の中に、学院を去ったフローラの顔が浮かんだ。自分達が幸せになるために、他人を不幸にしていいのか。ずっともやもやしていたものに答えが出た。
――今度は、絶対悲しませない。
「お願いです。ベイルズ商会を正しい道に戻してください」
「それが望みか?」
「いいえ。先輩に不幸になってほしくないんです!」
空間にアリッサの声が響いた。しばらくして、マクシミリアンがくすくすと笑い出した。次第に笑い声が大きくなり、最後は爆笑し始めた。
「……お、おい」
「先輩?」
「いやあ。お嬢様は能天気で羨ましいよ。俺を不幸にしたくないって?」
「はい」
間髪おかずに返すと、マクシミリアンは椅子から立ち上がってアリッサの前に進み出た。腰を屈めて長い指先で銀髪を撫で、
「……お前に出会ったことが、一番の不幸だよ」
と囁き、身体を起こすと何も言わずに部屋を出て行った。
「このような場所で申し訳ありませんね」
マクシミリアンは抑揚のない声で言った。丁寧な物腰だが申し訳ないと思っているようには見えない。
「寒くないか、アリッサ」
「うん。平気。ありがとう、アレックス君」
とは言ったものの、アリッサは膝掛を持って来ればよかったと後悔した。膝を揃えて摩っている様子を見たエイブラハムが、すかさずコートを脱いでアリッサの膝にかけた。
「……どうぞ。アリッサ嬢」
「そんな、あなたが寒くなってしまいます」
「この程度の寒さ、私の生まれ故郷に比べれば大したことはありません。何より室内ですしね」
普段の適当執事は影を潜め、伊達眼鏡をかけた姿は見た目だけはどこかの素敵な紳士である。先ほどからマクシミリアンがしきりにエイブラハムを気にしている。横目で見たり、咳払いをしたり、苛立っているのがよく分かった。
――どうしよう。先輩、怖い……。でも、頑張らなきゃ!
「あの……」
折り入って話があると告げ、他の者を部屋に入れないようにしてもらったが、手短に用件を済ませないと、ベイルズ準男爵が挨拶をしに入ってくる可能性がある。アリッサはぐっと膝の上で拳を握った。
「今日は、大事なお話があります」
「何でしょう?」
「ビルクールの……禁輸品のことです」
「ああ、王都から調査が入った件ですか。あの船の積荷に当商会の焼印があったというなら……」
「いいえ。もう、王宮は……陛下は全てご存知です」
マクシミリアンは動きを止め、アリッサの瞳をじっと見つめた。
「……どういうことでしょうか?陛下は何をご存知なのか」
「あなた方の悪事の証拠を既に手に入れていらっしゃいます」
「悪事?」
ハッ、と馬鹿にしたように笑い、マクシミリアンは突然足を崩して横柄な態度になった。アレックスはぎょっとしている。
「そんなもの、嘘だろう?」
「嘘じゃないぞ!そ、その証拠に、俺がお前を捕まえに来たんだからな!」
――違う!アレックス君。逮捕する話じゃないのに!
勇み足のアレックスを見ると、「やったぜ」という顔で頷き返された。アリッサは軽く眩暈がした。
「アレックス君は、騎士……見習い候補です。フロードリンやコレルダードの事態収拾に忙しい騎士に代わって、お父様の騎士団長様の命を受けてビルクールに来ています。徽章がその証です。……それで、私から提案があります」
「何だ?言ってみろよ」
「法に触れる行為をやめて、ベイルズ準男爵様にはご勇退いただいて、あなたがベイルズ商会を立て直すのです」
「俺が……?」
「全ての責任は、現社長であるあなたのお父様にあると、陛下はお考えです。あなたや従業員達は、ベイルズ準男爵の指示に逆らえなかっただけだと」
「……」
沈黙が流れる。アリッサの言うこともあながち嘘ではないのだろう。マクシミリアンは父の指示に従ってアリッサに近づき、積荷の検査の時も隠蔽工作をしたのだから。
「ちょっといいかな?」
静けさを打ち破って、エイブラハムが手を挙げた。
「……何だ?」
「君、初対面の、それも年上に向かって、それはないんじゃないかな?」
「名乗らない奴に礼儀正しくする必要はない」
「まあまあ。そう言わずに。私はアスタシフォンやグランディアの珍しい物を集めて、イノセンシアで売って商売にしているんだよ。大口の取引はしないけれど、そこそこ儲かっている方でね。グランディアには貴重な工芸品が多くあるから、あちこち見て回っているんだ」
「……ビルクールでは見たことがないが。本当に商人なのか?」
――ぎく。鋭いわ。
アリッサの隣のエイブラハムは動じず、笑顔でそうだと答えた。平気で嘘をつくのはどうかと思うが、ここは彼の演技に乗るしかない。
「言った通り、私は各地を回るのに忙しくてね。代わりにイノセンシアやアスタシフォンへ届けてくれる提携先を探していたんだ。それで、海運会社を営んでいるハーリオン侯爵様のお邸を訪ねたのだが、生憎お留守だったんだ。商売のことはお父上でないと判断できないから、こちらのアリッサ嬢が貴殿を紹介すると言われてね」
「……」
マクシミリアンの視線は鋭く、エイブラハムを頭から爪先まで見て値踏みしているのが分かった。本当に裕福な商人なのか疑っているようだ。
――これで取引に乗ってきたら、エイブラハムはどうするつもりなのかしら?
「そのお話は、あなたが品物をお持ちになったら考えましょう」
丁寧な物言いに戻ったものの、態度は元に戻らない。アリッサを見つめて口の端を上げた。
「俺を商売に縛り付けて、学院から遠ざけようというのか?」
「両立は……難しいとは思います。でも……」
目を伏せて深呼吸して、アリッサは顔を上げてマクシミリアンを見つめた。
「私は、先輩が囚われの身になるのを見たくないんです。事が重大なだけに、準男爵様は隠居だけでは済まない可能性が高いようです。先輩も共犯と見做されれば、間違いなく収監されるでしょう。……そんなの、嫌なんです」
アリッサの頭の中に、学院を去ったフローラの顔が浮かんだ。自分達が幸せになるために、他人を不幸にしていいのか。ずっともやもやしていたものに答えが出た。
――今度は、絶対悲しませない。
「お願いです。ベイルズ商会を正しい道に戻してください」
「それが望みか?」
「いいえ。先輩に不幸になってほしくないんです!」
空間にアリッサの声が響いた。しばらくして、マクシミリアンがくすくすと笑い出した。次第に笑い声が大きくなり、最後は爆笑し始めた。
「……お、おい」
「先輩?」
「いやあ。お嬢様は能天気で羨ましいよ。俺を不幸にしたくないって?」
「はい」
間髪おかずに返すと、マクシミリアンは椅子から立ち上がってアリッサの前に進み出た。腰を屈めて長い指先で銀髪を撫で、
「……お前に出会ったことが、一番の不幸だよ」
と囁き、身体を起こすと何も言わずに部屋を出て行った。
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