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学院編 14

484 悪役令嬢は同行者を困らせる

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はあ、とエイブラハムの溜息が聞こえた。鏡の中に移る自分にげんなりしている。
「どうしたの?すっごいかっこいいのに」
「褒めていただいてうれしいですよ。でも、俺は……」
髭を剃り、髪を綺麗になでつけたエイブラハムは、急遽用意した一張羅に身を包み、まるでどこかの貴族令息のようだ。
「こういう服装は好きじゃないんですよ」
「だったら脱げよ!」
ジュリアが先ほどから散々彼を褒めるので、アレックスは面白くなかった。つい、物言いが刺々しくなる。
「この格好なら、アリッサについていっても怪しまれないよね。うちの従者より立派だもん」
「ええ。用心棒には立派すぎるわね」
腕組みをしてマリナが頷く。スタイリングを指示したプロデューサーとして鼻が高いのだ。
「あの……エイブラハムは、私と一緒に行ってくれる?」
「はい。喜んでアリッサ様にお供しますよ」
恭しく礼をする。普段の彼からは想像できないほど、所作が洗練されていて、アリッサは不覚にも見とれてしまった。
――はっ!いけない!
顔を上げたエイブラハムと視線がぶつかる。小さく首を傾げた彼がふっと笑った。
「おや?」
「な、何でもありません。レイ様といるときも、きちんとした身なりをすればいいのにと思っただけです」
「そりゃあどうでしょうね。坊ちゃんは案外、汚い格好の俺の方が好きみたいですよ?」
「そうなんですか?」
アリッサがきょとんとした顔で訊ねた。
「アリッサ様が俺に見とれちゃったら困るんじゃないですか?……さっきみたいに」
にやり。歯を見せて笑うといつもの彼に戻る。
「見とれてなんかいないもん」
アリッサの声が次第に小さくなる。ジュリアが手を叩いて笑う隣で、アレックスはまだ渋い顔をしていた。

   ◆◆◆

「……店、ではないようだな」
木製の扉を開けて中を覗き、ルーファスはエミリーに同意を求めた。中は装飾もない殺風景な石の階段が上階へ続いているだけだ。
「上がってみるか?」
エミリーは無言で頷いた。神経を研ぎ澄ませてみても、禍々しい魔力の気配はしない。
「……普通の家、かな?」
踊り場で折り返して見えたのは、二階の部屋のドアだった。どうやら一般的な集合住宅のようだ。別のドアから住人らしい老人が顔を見せた。
「お向かいさんなら出かけたぞ」
「はあ」
「何だ?違うのか?あの別嬪さんに用事じゃないのか?」
老人は歯の抜けた口でくちゃくちゃ音を立てながら、階段の上から二人をじろじろと見た。
「別嬪さんか……」
「多分、あの人のことね」
「実は、俺達……あの人の」
「あの人とうちの父がただならぬ関係に」
「お、おい!」
ルーファスがぐいっとエミリーの袖を引き、小声で「何言ってるんだよ!」と止めた。仲間がいるかもしれないと考えたのだが、話を聞きだせない。
「ん?お嬢ちゃん、今何と?」
「すみません。妹は興奮すると訳の分からないことを言うので。……向かいの家の女性は、どなたかと暮らしているのですか?」
「ほほー。男がいるかどうかかな?あの人も隅に置けんのう」
鼻の下を伸ばし、楽しそうに目尻に皺を寄せて、老人はよろよろと階段を下りてきた。そして、ルーファスのすぐ傍に立って彼の耳元に顔を寄せた。
「ここだけの話じゃが……」
ごくり。
ルーファスの喉仏が動いた。エミリーは表情を変えずに二人を見守る。
「同居人は、女のようじゃぞ」
「女?」
「ああ。わしゃあ、こう見えても耳はいいんじゃ。夜中に言い争う声が聞こえたぞ」
「喧嘩か?同居人を見たことは?」
「さあ。いつからだったか、わしの知らんうちに暮らし始めたようじゃ」
「それまでは一人で住んでいたのか?」
「家を借りたのはつい最近で……一人で暮らしていたのかどうかも思い出せん」
「最近って、いつの話?」
「なあに、ひと月も経っておらんなあ。こんな町じゃ珍しい、謎の別嬪さんだと噂でもちきりだったよ。……ところで、お前さん達の父さんとあの人が?」
「いいえ、気にしないでください。妹の被害妄想なんで」
浮気調査に見せかけたエミリー渾身の聞き出し作戦をなかったことにしたいらしい。ルーファスは部屋のドアへと近づいた。
その途端、中からガタガタと大きな音がした。
「何だ?」
「お留守なんですよね?」
「ああ。今しがた出かけたところじゃ。同居人は知らんが」
ノックをしかけて躊躇う。煮え切らないルーファスを押しのけ、エミリーは勢いよくドアを叩いた。
「……?」
「どうした?」
「このドア、鍵がかかってる」
「鍵くらいかけるだろ」
「魔法の鍵。……感じない?」
言われて初めて、ルーファスがドアに触れた。目を閉じてそっと手を引っ込めた。中からは何度も大きな物音がしている。部屋の模様替えでもしているのか。
「外からは普通の鍵と合わせて鍵をかけているみたいだな。外側は当然だが、内側から開けられないようにしているのはおかしくないか?」
「やっと気づいたの?」
「悪かったな。鈍感で。……まさか、お前……」
ルーファスの顔色が青ざめた。エミリーは無表情のまま、ドアに耳を当てた。バタンガタンと物音が続いている。
「何をしているんだ?」
「閉じ込められているなら、逃げようとしているに決まっているじゃない」
「また人助けするつもりか?余計なことに首を突っ込むなよ」
「……」
五感では感じ取れない何かが、エミリーを駆り立てていく。このドアを開けなければいけない、そんな気がしてくるのだ。
「魔法で鍵がかかってるんだろ?鍵穴に魔力を通しても無駄だぞ。どうやって開けるんだ?」
ルーファスと老人を振り返ると、エミリーは口の端を上げて呟いた。
「……物理破壊」

指先を鍵穴に当て、土魔法で壊そうと考えた。その前にドアを強くノックする。
「誰かいるの?このドアを壊すから、離れてて」
「……その声は、エミリー!?」
中から聞きなれた女性の声が聞こえた。しばらくぶりに聞いた母の声に、エミリーは目頭が熱くなった。
「……お母様?」
「どうして……」
「……助ける!」
鍵穴に流れ込んだ土魔法が、鉄でできたドアノブや鍵を変形させ、蝶番が力を失くすと、木製のドアがこちら側に倒れてきた。
「おっと」
ルーファスが支えて廊下に倒す。彼がエミリーを振り返った時、既に親子はひしと抱き合っていた。
「お母様、お母様!」
「エミリー。こんなところで会えるなんて」
ハーリオン侯爵夫人の頬に一筋の涙が伝った。

   ◆◆◆

「普通科きっての魔法使いと言われた私を閉じ込めようなんて、ふふん」
腰に手を当てたハーリオン侯爵夫人は、軟禁されていたとは思えない溌剌とした表情で娘を見た。
「しばらくおとなしく閉じ込められていたのがよかったのね。クレムは昨日、私がいた奥の部屋の鍵をかけ忘れたのよ」
「……その時に出ればよかったじゃん」
「彼女が別の部屋にいたのよ。でもね、鍵穴に無効化の魔法をかけておいたの」
「……魔法の鍵がかけられない?」
「そうよ。だから、クレムが出かけた隙を狙って、部屋から出ていこうとしたのだけれど、案の定外から鍵がかかっていたわ。魔法でない、普通の鍵がね」
「だからガタガタしてたのか」
ルーファスが納得した顔で手を叩く。
「どうやって出たの?」
「物理破壊よ」
「……似た者親子かよ」
肩を竦めるルーファスに優雅に微笑み、ハーリオン侯爵夫人は考え込んだ。
「あなた達、これからどうするつもりなの?」
「……私達、追われてるの」
「まあ。誰に?」
「第二王子と第三王子の関係者に」
エミリーは王子の名前を思い出せなかった。
「リオネルのところに戻っても、待ち構えている連中の網にかかるだけだ。向こうが捜索を諦めるまで、どこかに隠れているしかないな」
「あてはあるの?」
「侯爵夫人には、クレムが容易に手出しできない場所にいていただきましょう。エミリーも」
「どこ?」
黙ってルーファスが指した先には、尖塔が高くそびえる王宮があった。
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