上 下
645 / 794
学院編 14

473 悪役令嬢は薔薇風呂に入る

しおりを挟む
ハーリオン侯爵夫人ソフィアは、暗闇の中で文机を探し当てた。小さな光魔法球一つで照らせる範囲は僅かだ。引き出しを開けて奥に隠しておいた紙を取り出す。
「……何か、書くものを……」
一度手紙を書いてから、室内にあった筆記用具は全て片づけられてしまった。どうにかして夫と子供達に自分の無事を知らせたい。何かないかと魔法球を向けると、バシバシと音がして点滅し始める。
「もたないわ」
室内には魔法を弱める結界が張ってあり、貴族の中では高い魔力を持っているソフィアでも、小さな光魔法球を出すだけで精一杯だ。無理に魔法を使えば倒れてしまう。
「……はあ」
溜息をつき、ベッドのある方向へと歩き出す。高い天井付近にある小さな明かり取りの窓から月光が射しこむが、何の助けにもならない。

不意に部屋のドアが開いた。
廊下の明かりが室内の調度品を照らし、ソフィアは眩さに目を閉じた。
「……こんばんは」
「!」
入口に立っていたのは金髪を後ろできっちりと結った女性だ。魔導士のローブを着て、手にはトレイを持っている。
「まだ眠っていなかったの?」
「……ええ」
「そう。……今日はあなたに、いい知らせをもってきたわ」
「私に?」
「手紙を書きたいのでしょう?いいわよ、ほら」
ずかずかと室内に入り、トン、と文机の上にトレイを置いた。
「大学図書館であなたの娘に会ったわ。結構な魔力の持ち主みたいね。ちょっと遊んであげたわ」
「う、嘘、そんな……」
「私が届けてあげるから、あの子に手紙を書きなさいな。親友のところで世話になっているからしばらく帰りたくないってね」
「し、親友!?」
ソフィアの声が上ずる。
「あら、大昔はそうだったでしょ?あなたが私に退屈な王太子を押しつけて、私のアーニーを掠め取るまでは」
「押しつけてなどいないわ!あれは、ステファン様があなたを……んっ」
首元にトレイを押しつけられ、ソフィアは身体を丸めて咳き込んだ。
「許さないわ。あなたも、アーネストも。……私の苦しみの上に築き上げた幸せなんて、全部壊してやるんだから!」
魔導士はトレイをソフィアに叩きつけると、瞳の奥に魔力を燃え立たせ、美しい顔を悪魔のように歪めて部屋を出て行った。
「ま、待って、クレム!」
バン!
魔法で閉じられたドアは、どんなに押しても内側から開くことはなかった。

   ◆◆◆

「んぶ、ぐ、は、放して!」
力ずくで青年をよける。身体が離れると、彼は途端に泣きそうな顔をした。憂い顔の美青年は見た目の破壊力が凄いとジュリアは思った。
「姉様……僕のこと、嫌いになった?」
吐息交じりの艶っぽい低い声が耳をくすぐる。声フェチのアリッサが聞いたら膝から崩れ落ちてしまいそうだ。
「そんなわけないよ。ってか、ほら」
階段の手すりに身を隠すようにして、キースが二人の様子を窺っていた。顔を真っ赤にして何かぶつぶつ呟いている。
「キース、私の浮気現場を目撃したと思ってる?」
「ち、違うんですか?」
「これ、うちの弟だから」
「ええっ?確か、クリス君は五歳ですよね?」
やれやれと肩をすくめて、青年は軽くウインクをした。きらきらと光が舞い、みるみるうちに幼児の姿になる。
「お、おおお?」
「ね、分かった?」
何度も瞬きを繰り返し、キースは信じられないものを見たと呟いた。

「ジュリア姉様、マリナ姉様は?」
「こっちを出発してから結構経つよ。クリスが来たってことは、着いてないのか……」
「うん。帰ってくるって聞いたから、僕、ずっと待ってたのに。……我慢できなくて転移魔法で来ちゃった」
無邪気に笑う弟と対照的に、五歳児の魔法の能力に脱帽したキースが頽れている。
「来ちゃったって……王都からここまで、転移魔法で?」
「うん!」
「すっごい遠いよ?ジョンには言った?」
「言ってないよ。あ、皆心配するかなあ?」
ジュリアが指示をするまでもなく、使用人達が王都の邸へ伝令を出す。
「クリス、聞いて。マリナは魔法陣でどこかに飛ばされたみたいなんだ。アリッサは寝込んでるし、エミリーは海の向こう。助けに行けるのは私達だけだ」
「姉様……うん、僕、頑張る!」
両手を握り、クリスは大きな瞳を輝かせた。
「待ってください、ジュリアさん。クリス君を連れて敵陣に乗り込むつもりですか?いくらなんでも危なすぎます!アリッサさんを残して……」
ジュリアはにっこり笑ってキースの肩を叩いた。
「来てくれて助かった。アリッサをよろしくね」
「え、ジュリアさん!?」
血相を変えたキースを残し、ジュリアとクリスは魔法陣のある建物へと駆け出した。

   ◆◆◆

「リオネル、……私、グランディアに戻りたい」
「本気で言ってるの?」
リオネルが持つ別邸で、最上級の料理を堪能したエミリーは、薔薇の花びらを浮かべたバスタブに入りながら呟いた。別邸は完全にプライバシーが守られていて、普段は王子様らしくしていなければいけないリオネルも、ここでは女の子に戻って寛いでいた。
「……いけない?」
「戻ったら、シナリオの強制力で死ぬかもしれないのに?」
「強制力……そんなの、ないと思う」
ざばぁっ。
「どういうこと?説明してよ!」
裸のリオネルに抱きつかれ、エミリーは心底迷惑そうな顔をした。前世で温泉に行った時も、姉達とは時間をずらして大浴場に行ったものだった。
「シナリオなんて、どこにあるっていうの?……これから起こる事態だって、誰かが引き金を引かなきゃ起きないと思う」
「うーん。引き金を引く誰かがいるってこと?神様とか?」
「悪役令嬢が破滅するのは、ヒロインに細かい嫌がらせを積み重ねて、攻略対象に少しずつ嫌われていったからだと思う。……そう。全部、積み重ねなの」
リオネルは頭に折りたたんだタオルを乗せ、腕組みして首を傾げた。
「四姉妹は悪いことをしてきたの?」
「していないつもりだけど、分からない」
「些細な失敗を誰かが誇張して吹聴したり、良かれと思ってやったことが裏目に出たりして、悪い方に転んでいないとも限らないじゃない。知らないところで恨みを買っていたらお手上げだよね?」
「恨み……」
紫の瞳が眇められる。
「あの人……私達に敵意を持っていた」
「あの人って?」
「図書館で会ったの。リオネルのお兄さんっぽい人と一緒にいた。金髪の魔導士。……先生みたいだった」
「クレムか。……素性は知らないけど、グランディア出身だそうだから。ハーリオン家と何かあっても不思議はないよね。あんまり考えこむとのぼせそうだから、そろそろ出ようよ」
リオネルはお湯から出て手早く着替えを始めた。
「大変だ、リオネル!」
「ちょ!入って来ないでよ!」
ドアを開けてルーファスが飛び込んできた。すぐにリオネルが顔面めがけてタオルを放った。
「ぶ」
「着替え中だから出てって!」
「それどころじゃねえってば!ここにエミリーを匿ってることがバレた!踏み込まれる前に安全な場所に連れて行かないと」
濡れた髪を絞り、風魔法で一気に乾かすと、地味なドレスにローブを羽織る。
「……準備はできた。行こう」
魔力の気配がふわりと揺らめき、ルーファスがごくりと喉を鳴らした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない

陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」 デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。 そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。 いつの間にかパトロンが大量発生していた。 ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?

婚約破棄をいたしましょう。

見丘ユタ
恋愛
悪役令嬢である侯爵令嬢、コーデリアに転生したと気づいた主人公は、卒業パーティーの婚約破棄を回避するために奔走する。 しかし無慈悲にも卒業パーティーの最中、婚約者の王太子、テリーに呼び出されてしまうのだった。

転生したら攻略対象者の母親(王妃)でした

黒木寿々
恋愛
我儘な公爵令嬢リザベル・フォリス、7歳。弟が産まれたことで前世の記憶を思い出したけど、この世界って前世でハマっていた乙女ゲームの世界!?私の未来って物凄く性悪な王妃様じゃん! しかもゲーム本編が始まる時点ですでに亡くなってるし・・・。 ゲームの中ではことごとく酷いことをしていたみたいだけど、私はそんなことしない! 清く正しい心で、未来の息子(攻略対象者)を愛でまくるぞ!!! *R15は保険です。小説家になろう様でも掲載しています。

婚約破棄ですか。ゲームみたいに上手くはいきませんよ?

ゆるり
恋愛
公爵令嬢スカーレットは婚約者を紹介された時に前世を思い出した。そして、この世界が前世での乙女ゲームの世界に似ていることに気付く。シナリオなんて気にせず生きていくことを決めたが、学園にヒロイン気取りの少女が入学してきたことで、スカーレットの運命が変わっていく。全6話予定

【完結】死がふたりを分かつとも

杜野秋人
恋愛
「捕らえよ!この女は地下牢へでも入れておけ!」  私の命を受けて会場警護の任に就いていた騎士たちが動き出し、またたく間に驚く女を取り押さえる。そうして引っ立てられ連れ出される姿を見ながら、私は心の中だけでそっと安堵の息を吐く。  ああ、やった。  とうとうやり遂げた。  これでもう、彼女を脅かす悪役はいない。  私は晴れて、彼女を輝かしい未来へ進ませることができるんだ。 自分が前世で大ヒットしてTVアニメ化もされた、乙女ゲームの世界に転生していると気づいたのは6歳の時。以来、前世での最推しだった悪役令嬢を救うことが人生の指針になった。 彼女は、悪役令嬢は私の婚約者となる。そして学園の卒業パーティーで断罪され、どのルートを辿っても悲惨な最期を迎えてしまう。 それを回避する方法はただひとつ。本来なら初回クリア後でなければ解放されない“悪役令嬢ルート”に進んで、“逆ざまあ”でクリアするしかない。 やれるかどうか何とも言えない。 だがやらなければ彼女に待っているのは“死”だ。 だから彼女は、メイン攻略対象者の私が、必ず救う⸺! ◆男性(王子)主人公の乙女ゲーもの。主人公は転生者です。 詳しく設定を作ってないので、固有名詞はありません。 ◆全10話で完結予定。毎日1話ずつ投稿します。 1話あたり2000字〜3000字程度でサラッと読めます。 ◆公開初日から恋愛ランキング入りしました!ありがとうございます! ◆この物語は小説家になろうでも同時投稿します。

悪役令嬢の居場所。

葉叶
恋愛
私だけの居場所。 他の誰かの代わりとかじゃなく 私だけの場所 私はそんな居場所が欲しい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ※誤字脱字等あれば遠慮なく言ってください。 ※感想はしっかりニヤニヤしながら読ませて頂いています。 ※こんな話が見たいよ!等のリクエストも歓迎してます。 ※完結しました!番外編執筆中です。

シナリオ通り追放されて早死にしましたが幸せでした

黒姫
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢に転生しました。神様によると、婚約者の王太子に断罪されて極北の修道院に幽閉され、30歳を前にして死んでしまう設定は変えられないそうです。さて、それでも幸せになるにはどうしたら良いでしょうか?(2/16 完結。カテゴリーを恋愛に変更しました。)

ヒロインではないので婚約解消を求めたら、逆に追われ監禁されました。

曼珠沙華
恋愛
「運命の人?そんなの君以外に誰がいるというの?」 きっかけは幼い頃の出来事だった。 ある豪雨の夜、窓の外を眺めていると目の前に雷が落ちた。 その光と音の刺激のせいなのか、ふと前世の記憶が蘇った。 あ、ここは前世の私がはまっていた乙女ゲームの世界。 そしてローズという自分の名前。 よりにもよって悪役令嬢に転生していた。 攻略対象たちと恋をできないのは残念だけど仕方がない。 婚約者であるウィリアムに婚約破棄される前に、自ら婚約解消を願い出た。 するとウィリアムだけでなく、護衛騎士ライリー、義弟ニコルまで様子がおかしくなり……?

処理中です...