643 / 794
学院編 14
471 悪役令嬢はヘアピンを落とす
しおりを挟む
「お、おおおお、お嬢様、……俺、じゃなかった、私がっ、頑張ります」
魔法陣で王都に帰還するマリナについてきたのは、先ほどの新米従者だった。領主館には若い使用人が少なく、ある程度の荷物を背負って歩けるのは彼だけだったのだ。
「期待しているわ。ええと……名前は?」
「グラントリーって言います。あ、皆にはグランって呼ばれてます」
「よろしくね。グラン」
「はい!」
グランは少し癖のあるオレンジ色の髪を揺らし、大きな口の端を上げ、笑顔の見本のような顔でマリナに微笑んだ。日に焼けた肌とそばかすのある頬、曇りのない空色の瞳が印象的だ。年の頃はマリナとそう変わらないように見える。
「グランは、王都に行ったことはあるかしら?」
「え、と……実は、ないんです……す、すみませんっ!」
「謝ることはないわ。ビルクールと王都は遠いもの。特別な用事がなければ行くことはないでしょう?」
「そうなんですよ。俺、子供の頃からビルクールに住んでるんで、王都はよく分からないんです。お嬢様の足手まといになったら……」
明るい笑顔が少しだけ影を帯びた。
「気にすることはないわ。市場の魔法陣から先は、うちの馬車に乗って帰れるのだし、道を知らなくてもいいの」
「助かりました。お迎えが来るのなら、俺はお嬢様が馬車に乗ったのを見届けて、ビルクールに戻ればいいんですね」
「そうねえ。ジュリアとアリッサが残るから、領主館に人手があった方がいいわ」
話をしながら、ビルクールの魔法陣に着いた。王都へ商品を運んでいる魔法陣の隣に、人間を運ぶための魔法陣がある。建物の中に描かれた魔法陣は、石の床に文字を彫ったもので、何度使っても消えることはない。夜も遅く、室内が薄暗い。グランは足を止めた。
「……これっすか?」
「そうよ。怖がらないで。この円の中に入るだけでいいの。ついてきて」
「えっ……あのう……」
「どうしたの?」
「魔法、なんですよね?」
グランは尻込みしていた。半歩進んでは戻り、頭を振って目を閉じた。
「皆使っている魔法陣よ。何もおかしいところは……」
円の縁から緑色の光が天井に向かって伸びている。どこも欠けておらず、不審な点はないように見える。もじもじしているグランを説得しようと、マリナが息を吸い込んだ瞬間、髪を留めていたピンがカツンと床に落ち、魔法陣が強く光った。
「!」
「うわっ!」
魔法陣の光が赤に変わり、一層強く輝き始める。マリナは魔法に詳しくない自分の知識をフル稼働して考えた。誰かがここへ転移してくるのだ。顔を合わせたくない相手かもしれない。
「グラン、廊下へ出ましょう」
「ぉえ?は、はい!」
二人はしばらく廊下に留まっていたが、誰も部屋から出てくる気配はなかった。恐る恐る魔法陣の部屋を覗くと、元通りに緑色の光を発しながらそこにあった。
「……何だったのかしら」
「お嬢様、さっき、何か落としませんでした?」
マリナは自分の髪が乱れているのに気づき、はっと手で撫でた。
「ここにつけていたピンがないわ。端に青い薔薇をあしらったものよ」
「おかしいですね。落ちていませんよ?ピンだけ、王都にとんでっちゃったとか?」
「いいえ。貨物運搬用とは違って、これは……ほら、この注意書きにもあるでしょう?人がいないと発動しないって」
「うーん。……お嬢様、ちょっと待っててください」
背負ってきた荷物を魔法陣の外側の床に下ろし、グランは自分の上着のポケットから、くしゃくしゃになったハンカチを取り出した。
「……ハンカチくらい洗いなさいよ」
「すみません。ま、こういうのにはいいかなって」
言うが早いが、汚れたハンカチを魔法陣の中央目がけて放り投げた。音を立てずにハンカチは床に落ちる。
「……あれ?」
「何も起こらないのよ。人がいないと」
「そうなんですか?……お嬢様のハンカチ、一枚使ってみてもいいですか?」
「いいわよ」
マリナがハンカチを渡し、グランは先ほどと同じようにハンカチを投げた。折りたたまれた美しい刺繍入りのハンカチは、空中を優雅に舞って石の床に着地する。
「あ」
と声を上げるより早く、一瞬で光に包まれて消えた。
「ハンカチだけ?」
「お嬢様の物だけ、飛んでってる?」
「まさか。行きましょう、グラン。王都で弟が待っているの」
荷物を背負ったグランの腕をしっかり掴み、マリナは魔法陣へ一歩を踏み出した。
◆◆◆
「……」
身体が痛い。冷たい空間に投げ出された時に、強か打ち付けたのだろう。
「……グラン?」
荷物の下敷きになったグランは、顔を顰めてやっと起き上がった。彼の上から荷物を退かすと、眉を下げて情けなく笑った。
「王都、ですか?」
「いいえ。……こんな場所、初めて来たわ」
足元には先ほどと同じように魔法陣が描かれているが、王都の市場にあるような床に彫られたものではない。白い大きな布に最近描かれたと分かる簡易なもので、よれないように隅を釘で床に打ちつけてある。釘が打てるということは、床は木でできているのだ。室内なのに暗くて寒い。
「魔法陣が壊れていたのかもしれないわ」
「ここ、物置か何かですか?奥にも部屋が続いていますね」
「暗くて見えないわ。グラン、何か灯りになるものを持っているかしら?」
「はい。ロミーさんが持たせてくれました。ちょっと待ってください。すぐに用意します」
背負った荷物の中から、グランは革製の小さな巾着袋を取り出した。手を入れて球体を取り出す。一度強く握ると、倍の大きさになって光り始めた。
「光魔法球です。どうぞ」
掌に乗せても熱くない。指先でつまんで部屋の奥に向けて掲げた。
「……これは……」
天蓋にフリルがついた深緑色ベッド、猫脚の机に化粧台、天板の中央に花の彫り模様をあしらった小さなテーブル……どれをとっても可愛らしい意匠の物ばかりだ。
――アリッサが好きなものに似ているわ!
魔法陣に落としたピンはアリッサから借りたものだ。ハンカチはアリッサが刺繍をしてプレゼントしてくれた。二つとも、元の持ち主はアリッサだ。今着ているドレスは、自分には派手で似合わないからとアリッサがマリナに寄越したものだ。
――魔法陣はアリッサの何かに反応するように作られていた?
室内を歩き回り、この部屋が何なのか考える。どれもよくない想像しかできない。
「誰かが……アリッサを……ここに?」
さらに奥へ進もうとした時、背後からグランの悲鳴が聞こえた。
魔法陣で王都に帰還するマリナについてきたのは、先ほどの新米従者だった。領主館には若い使用人が少なく、ある程度の荷物を背負って歩けるのは彼だけだったのだ。
「期待しているわ。ええと……名前は?」
「グラントリーって言います。あ、皆にはグランって呼ばれてます」
「よろしくね。グラン」
「はい!」
グランは少し癖のあるオレンジ色の髪を揺らし、大きな口の端を上げ、笑顔の見本のような顔でマリナに微笑んだ。日に焼けた肌とそばかすのある頬、曇りのない空色の瞳が印象的だ。年の頃はマリナとそう変わらないように見える。
「グランは、王都に行ったことはあるかしら?」
「え、と……実は、ないんです……す、すみませんっ!」
「謝ることはないわ。ビルクールと王都は遠いもの。特別な用事がなければ行くことはないでしょう?」
「そうなんですよ。俺、子供の頃からビルクールに住んでるんで、王都はよく分からないんです。お嬢様の足手まといになったら……」
明るい笑顔が少しだけ影を帯びた。
「気にすることはないわ。市場の魔法陣から先は、うちの馬車に乗って帰れるのだし、道を知らなくてもいいの」
「助かりました。お迎えが来るのなら、俺はお嬢様が馬車に乗ったのを見届けて、ビルクールに戻ればいいんですね」
「そうねえ。ジュリアとアリッサが残るから、領主館に人手があった方がいいわ」
話をしながら、ビルクールの魔法陣に着いた。王都へ商品を運んでいる魔法陣の隣に、人間を運ぶための魔法陣がある。建物の中に描かれた魔法陣は、石の床に文字を彫ったもので、何度使っても消えることはない。夜も遅く、室内が薄暗い。グランは足を止めた。
「……これっすか?」
「そうよ。怖がらないで。この円の中に入るだけでいいの。ついてきて」
「えっ……あのう……」
「どうしたの?」
「魔法、なんですよね?」
グランは尻込みしていた。半歩進んでは戻り、頭を振って目を閉じた。
「皆使っている魔法陣よ。何もおかしいところは……」
円の縁から緑色の光が天井に向かって伸びている。どこも欠けておらず、不審な点はないように見える。もじもじしているグランを説得しようと、マリナが息を吸い込んだ瞬間、髪を留めていたピンがカツンと床に落ち、魔法陣が強く光った。
「!」
「うわっ!」
魔法陣の光が赤に変わり、一層強く輝き始める。マリナは魔法に詳しくない自分の知識をフル稼働して考えた。誰かがここへ転移してくるのだ。顔を合わせたくない相手かもしれない。
「グラン、廊下へ出ましょう」
「ぉえ?は、はい!」
二人はしばらく廊下に留まっていたが、誰も部屋から出てくる気配はなかった。恐る恐る魔法陣の部屋を覗くと、元通りに緑色の光を発しながらそこにあった。
「……何だったのかしら」
「お嬢様、さっき、何か落としませんでした?」
マリナは自分の髪が乱れているのに気づき、はっと手で撫でた。
「ここにつけていたピンがないわ。端に青い薔薇をあしらったものよ」
「おかしいですね。落ちていませんよ?ピンだけ、王都にとんでっちゃったとか?」
「いいえ。貨物運搬用とは違って、これは……ほら、この注意書きにもあるでしょう?人がいないと発動しないって」
「うーん。……お嬢様、ちょっと待っててください」
背負ってきた荷物を魔法陣の外側の床に下ろし、グランは自分の上着のポケットから、くしゃくしゃになったハンカチを取り出した。
「……ハンカチくらい洗いなさいよ」
「すみません。ま、こういうのにはいいかなって」
言うが早いが、汚れたハンカチを魔法陣の中央目がけて放り投げた。音を立てずにハンカチは床に落ちる。
「……あれ?」
「何も起こらないのよ。人がいないと」
「そうなんですか?……お嬢様のハンカチ、一枚使ってみてもいいですか?」
「いいわよ」
マリナがハンカチを渡し、グランは先ほどと同じようにハンカチを投げた。折りたたまれた美しい刺繍入りのハンカチは、空中を優雅に舞って石の床に着地する。
「あ」
と声を上げるより早く、一瞬で光に包まれて消えた。
「ハンカチだけ?」
「お嬢様の物だけ、飛んでってる?」
「まさか。行きましょう、グラン。王都で弟が待っているの」
荷物を背負ったグランの腕をしっかり掴み、マリナは魔法陣へ一歩を踏み出した。
◆◆◆
「……」
身体が痛い。冷たい空間に投げ出された時に、強か打ち付けたのだろう。
「……グラン?」
荷物の下敷きになったグランは、顔を顰めてやっと起き上がった。彼の上から荷物を退かすと、眉を下げて情けなく笑った。
「王都、ですか?」
「いいえ。……こんな場所、初めて来たわ」
足元には先ほどと同じように魔法陣が描かれているが、王都の市場にあるような床に彫られたものではない。白い大きな布に最近描かれたと分かる簡易なもので、よれないように隅を釘で床に打ちつけてある。釘が打てるということは、床は木でできているのだ。室内なのに暗くて寒い。
「魔法陣が壊れていたのかもしれないわ」
「ここ、物置か何かですか?奥にも部屋が続いていますね」
「暗くて見えないわ。グラン、何か灯りになるものを持っているかしら?」
「はい。ロミーさんが持たせてくれました。ちょっと待ってください。すぐに用意します」
背負った荷物の中から、グランは革製の小さな巾着袋を取り出した。手を入れて球体を取り出す。一度強く握ると、倍の大きさになって光り始めた。
「光魔法球です。どうぞ」
掌に乗せても熱くない。指先でつまんで部屋の奥に向けて掲げた。
「……これは……」
天蓋にフリルがついた深緑色ベッド、猫脚の机に化粧台、天板の中央に花の彫り模様をあしらった小さなテーブル……どれをとっても可愛らしい意匠の物ばかりだ。
――アリッサが好きなものに似ているわ!
魔法陣に落としたピンはアリッサから借りたものだ。ハンカチはアリッサが刺繍をしてプレゼントしてくれた。二つとも、元の持ち主はアリッサだ。今着ているドレスは、自分には派手で似合わないからとアリッサがマリナに寄越したものだ。
――魔法陣はアリッサの何かに反応するように作られていた?
室内を歩き回り、この部屋が何なのか考える。どれもよくない想像しかできない。
「誰かが……アリッサを……ここに?」
さらに奥へ進もうとした時、背後からグランの悲鳴が聞こえた。
0
お気に入りに追加
751
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない
陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」
デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。
そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。
いつの間にかパトロンが大量発生していた。
ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?
婚約破棄をいたしましょう。
見丘ユタ
恋愛
悪役令嬢である侯爵令嬢、コーデリアに転生したと気づいた主人公は、卒業パーティーの婚約破棄を回避するために奔走する。
しかし無慈悲にも卒業パーティーの最中、婚約者の王太子、テリーに呼び出されてしまうのだった。
転生したら攻略対象者の母親(王妃)でした
黒木寿々
恋愛
我儘な公爵令嬢リザベル・フォリス、7歳。弟が産まれたことで前世の記憶を思い出したけど、この世界って前世でハマっていた乙女ゲームの世界!?私の未来って物凄く性悪な王妃様じゃん!
しかもゲーム本編が始まる時点ですでに亡くなってるし・・・。
ゲームの中ではことごとく酷いことをしていたみたいだけど、私はそんなことしない!
清く正しい心で、未来の息子(攻略対象者)を愛でまくるぞ!!!
*R15は保険です。小説家になろう様でも掲載しています。
婚約破棄ですか。ゲームみたいに上手くはいきませんよ?
ゆるり
恋愛
公爵令嬢スカーレットは婚約者を紹介された時に前世を思い出した。そして、この世界が前世での乙女ゲームの世界に似ていることに気付く。シナリオなんて気にせず生きていくことを決めたが、学園にヒロイン気取りの少女が入学してきたことで、スカーレットの運命が変わっていく。全6話予定
【完結】死がふたりを分かつとも
杜野秋人
恋愛
「捕らえよ!この女は地下牢へでも入れておけ!」
私の命を受けて会場警護の任に就いていた騎士たちが動き出し、またたく間に驚く女を取り押さえる。そうして引っ立てられ連れ出される姿を見ながら、私は心の中だけでそっと安堵の息を吐く。
ああ、やった。
とうとうやり遂げた。
これでもう、彼女を脅かす悪役はいない。
私は晴れて、彼女を輝かしい未来へ進ませることができるんだ。
自分が前世で大ヒットしてTVアニメ化もされた、乙女ゲームの世界に転生していると気づいたのは6歳の時。以来、前世での最推しだった悪役令嬢を救うことが人生の指針になった。
彼女は、悪役令嬢は私の婚約者となる。そして学園の卒業パーティーで断罪され、どのルートを辿っても悲惨な最期を迎えてしまう。
それを回避する方法はただひとつ。本来なら初回クリア後でなければ解放されない“悪役令嬢ルート”に進んで、“逆ざまあ”でクリアするしかない。
やれるかどうか何とも言えない。
だがやらなければ彼女に待っているのは“死”だ。
だから彼女は、メイン攻略対象者の私が、必ず救う⸺!
◆男性(王子)主人公の乙女ゲーもの。主人公は転生者です。
詳しく設定を作ってないので、固有名詞はありません。
◆全10話で完結予定。毎日1話ずつ投稿します。
1話あたり2000字〜3000字程度でサラッと読めます。
◆公開初日から恋愛ランキング入りしました!ありがとうございます!
◆この物語は小説家になろうでも同時投稿します。
悪役令嬢の居場所。
葉叶
恋愛
私だけの居場所。
他の誰かの代わりとかじゃなく
私だけの場所
私はそんな居場所が欲しい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※誤字脱字等あれば遠慮なく言ってください。
※感想はしっかりニヤニヤしながら読ませて頂いています。
※こんな話が見たいよ!等のリクエストも歓迎してます。
※完結しました!番外編執筆中です。
シナリオ通り追放されて早死にしましたが幸せでした
黒姫
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢に転生しました。神様によると、婚約者の王太子に断罪されて極北の修道院に幽閉され、30歳を前にして死んでしまう設定は変えられないそうです。さて、それでも幸せになるにはどうしたら良いでしょうか?(2/16 完結。カテゴリーを恋愛に変更しました。)
ヒロインではないので婚約解消を求めたら、逆に追われ監禁されました。
曼珠沙華
恋愛
「運命の人?そんなの君以外に誰がいるというの?」
きっかけは幼い頃の出来事だった。
ある豪雨の夜、窓の外を眺めていると目の前に雷が落ちた。
その光と音の刺激のせいなのか、ふと前世の記憶が蘇った。
あ、ここは前世の私がはまっていた乙女ゲームの世界。
そしてローズという自分の名前。
よりにもよって悪役令嬢に転生していた。
攻略対象たちと恋をできないのは残念だけど仕方がない。
婚約者であるウィリアムに婚約破棄される前に、自ら婚約解消を願い出た。
するとウィリアムだけでなく、護衛騎士ライリー、義弟ニコルまで様子がおかしくなり……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる