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閑話 王子様はお菓子泥棒
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薄い雲が三日月を覆い、月明かりが絶えた部屋。
微かな寝息を立てるマリナの傍に、忍び寄る黒い影が一つ。
皮手袋をはめた指を、彼女の美しく輝く銀髪へと伸ばしたその時。
「そこまでだ!」
天井に吊るされたシャンデリアから、金髪の怪盗が華麗に降り立つ。翻ったマントの赤い裏地が、姿を現した月の光に照らされた。
「学院の平和を乱す怪盗め。この僕が相手だ!」
「……っ!」
窓から逃げようとする怪盗のマントが、セドリックの投げたダガーで壁に縫いとめられる。身を捩ってマントが裂け、怪盗は腰から細身の剣を抜いた。
「何っ!?」
騒ぎに目を覚ましたマリナの腕を引き、怪盗は彼女の頬に銀の刃を近づけた。
「やめろ!マリナに手を触れるな!」
「セドリック様っ……!」
にやりと笑った男の白い歯だけが、夜の闇に不気味に光る。
次の瞬間、セドリックは大きく飛び上がった。素早い動きに彼の姿を捉えられず、狼狽えた怪盗がマリナを束縛していた腕を緩めた。
「ハッ!」
セドリックの剣が怪盗の剣と当たる。乾いた金属音が寝室に響く。揉みあっているうちに次第に押され、よろめいたセドリックの肘がテーブルの上の花瓶に当たった。退路がない。
怪盗が斬りこんできた隙に、セドリックは花瓶の花を掴んで投げた。真紅のバラの花びらが舞う。
「形勢逆転!」
怪盗の喉元に剣を寄せ、身体を倒して膝で圧し掛かった。
「ぐうっ……」
◇◇◇
「……はあ。つまり、殿下が勝ったってことですかね?」
「そうだよ、アレックス。正義はいつだって勝つんだよ」
自分の妄想に酔っているセドリックは、夢見心地で返事をした。妄想を語って聞かされたアレックスが、思いっきり飽きているとは思っていない。四姉妹は同じ部屋で寝ていると聞いていたアレックスは、他の三人が気づかないはずはないし、何よりジュリアが怪盗相手に大立ち周りをするに違いないと思った。が、浮かれた王太子には何を言っても無駄だろう。
「マリナは僕の活躍に見とれて、惚れ直すに違いないよ」
「そうですか……ってか、マリナって殿下のことが好きなんですか?」
一年一組の教室のドアを開け、アレックスは堂々と中に入った。
「誰もいませんね。帰ったんじゃないっすか?俺達が掃除をするより先に、普通科は授業が終わったみたいですよ」
振り返ると、黒いマントの王太子が床に頽れていた。
「一年生は授業が早く終わったんだね……。作戦は仕切り直しだよ」
「すみません、殿下。俺、ジュリアを探してる途中なんで、失礼します」
何か長くなりそうな予感がして、アレックスは未来の主君を廊下に残して魔法科へ向かった。
◆◆◆
「おっかしいなあ……この辺だと思ったんだけど」
草むらを掻き分け、生垣の裏を回り、ジュリアは魔法科と剣技科の間にある庭園を捜索していた。自分が持ち出したエミリーの着替え袋は真っ黒で、草むらにあれば目立つ。
「誰かが見つけて、職員室にでも持ってったのかな?……ん?」
どこかから微かに人の話し声がする。ジュリアは脚力だけではなく、視力と聴力にも自信があった。
――見てないか聞いてみよう!
声のする方へ歩いて行き、人の背丈ほどの低木の間を手で広げた。
「あのー、すいません」
「……!」
肉食獣に捕食されそうになっている兎、もとい、真っ赤になっているアリッサと視線が合う。レイモンドがギロリと睨んだ。
「……君は神出鬼没だな。何にでも首を突っ込む癖は直した方がいいぞ」
「そっちこそ、イチャつくなら時と場所を考えろっての。ねえ、エミリーの着替え袋見なかった?……お!まだお菓子残ってんじゃん!」
低木を回り込み、ジュリアは二人が隣同士に座っている長椅子の端に腰を下ろした。タルトを一つ手に取り、大きな口を開けた。
「……あ、私のことは気にしなくていいから、どうぞ続けて?」
「ジュリアちゃ……」
「ほほう。俺は別に構わない。君の妹が羞恥心から卒倒するかもしれないがな」
「レイ様っ!」
ハンカチを奪い、アリッサは素早く口元を拭くと、残っている菓子が入ったバスケットを掴んで立ち上がった。
「もう!二人とも、意地悪っ……!私、帰りま」
「うわあああああああ!」
「ん?」
「今の誰?」
「私、何も言ってないよぉ?」
ジュリアとアリッサとレイモンドが顔を見合わせた。
「誰か、生徒が襲われているのか?俺は声の主を探す。アリッサはここにいろ。ジュリア、君は誰か先生を呼んできてくれ」
「了解」
「お気をつけて、レイ様!」
レイモンドは薄く笑うと、アリッサの額に口づけた。
「……この続きは、また後で」
◆◆◆
「ぼ、僕じゃありませんよ!誤解ですってば!」
「……信じられない」
「信じてください、コーノック先生!」
目の前の六属性持ち魔導士が、火焔を纏った闇魔法球にバチバチと雷を発生させている。キースは恐怖で涙が流れるのを止められなかった。
「……お前が、エミリーの制服を盗んだのか?」
「ち、ちがいま」
「もう一度聞く。……お前が盗んだのか?」
答える時間をくれ!とキースは叫びたかったが、赤い左目を光らせたマシューは、漂う魔力で威圧してくる。あの魔法球をこれ以上近づけられたら……。
「エミリーさんが探していると思って、転移魔法を……」
「お前の転移魔法では、正確な位置に転移することなどできない。どうして見つけた?」
「偶然、偶然です!今日はうまくいったんで……」
「……信じられない」
「僕はやってませんってば!制服を持ち出したのはジュリアさんで、どこかでなくしたって言うからっ……」
掌を上に向け、目を細めたマシューの背後から、鋭く声が響いた。
「コーノック先生!?」
水色の髪を乱して走ってきたレイモンドの姿を視界に捉え、キースは脱力してその場に膝をついた。
微かな寝息を立てるマリナの傍に、忍び寄る黒い影が一つ。
皮手袋をはめた指を、彼女の美しく輝く銀髪へと伸ばしたその時。
「そこまでだ!」
天井に吊るされたシャンデリアから、金髪の怪盗が華麗に降り立つ。翻ったマントの赤い裏地が、姿を現した月の光に照らされた。
「学院の平和を乱す怪盗め。この僕が相手だ!」
「……っ!」
窓から逃げようとする怪盗のマントが、セドリックの投げたダガーで壁に縫いとめられる。身を捩ってマントが裂け、怪盗は腰から細身の剣を抜いた。
「何っ!?」
騒ぎに目を覚ましたマリナの腕を引き、怪盗は彼女の頬に銀の刃を近づけた。
「やめろ!マリナに手を触れるな!」
「セドリック様っ……!」
にやりと笑った男の白い歯だけが、夜の闇に不気味に光る。
次の瞬間、セドリックは大きく飛び上がった。素早い動きに彼の姿を捉えられず、狼狽えた怪盗がマリナを束縛していた腕を緩めた。
「ハッ!」
セドリックの剣が怪盗の剣と当たる。乾いた金属音が寝室に響く。揉みあっているうちに次第に押され、よろめいたセドリックの肘がテーブルの上の花瓶に当たった。退路がない。
怪盗が斬りこんできた隙に、セドリックは花瓶の花を掴んで投げた。真紅のバラの花びらが舞う。
「形勢逆転!」
怪盗の喉元に剣を寄せ、身体を倒して膝で圧し掛かった。
「ぐうっ……」
◇◇◇
「……はあ。つまり、殿下が勝ったってことですかね?」
「そうだよ、アレックス。正義はいつだって勝つんだよ」
自分の妄想に酔っているセドリックは、夢見心地で返事をした。妄想を語って聞かされたアレックスが、思いっきり飽きているとは思っていない。四姉妹は同じ部屋で寝ていると聞いていたアレックスは、他の三人が気づかないはずはないし、何よりジュリアが怪盗相手に大立ち周りをするに違いないと思った。が、浮かれた王太子には何を言っても無駄だろう。
「マリナは僕の活躍に見とれて、惚れ直すに違いないよ」
「そうですか……ってか、マリナって殿下のことが好きなんですか?」
一年一組の教室のドアを開け、アレックスは堂々と中に入った。
「誰もいませんね。帰ったんじゃないっすか?俺達が掃除をするより先に、普通科は授業が終わったみたいですよ」
振り返ると、黒いマントの王太子が床に頽れていた。
「一年生は授業が早く終わったんだね……。作戦は仕切り直しだよ」
「すみません、殿下。俺、ジュリアを探してる途中なんで、失礼します」
何か長くなりそうな予感がして、アレックスは未来の主君を廊下に残して魔法科へ向かった。
◆◆◆
「おっかしいなあ……この辺だと思ったんだけど」
草むらを掻き分け、生垣の裏を回り、ジュリアは魔法科と剣技科の間にある庭園を捜索していた。自分が持ち出したエミリーの着替え袋は真っ黒で、草むらにあれば目立つ。
「誰かが見つけて、職員室にでも持ってったのかな?……ん?」
どこかから微かに人の話し声がする。ジュリアは脚力だけではなく、視力と聴力にも自信があった。
――見てないか聞いてみよう!
声のする方へ歩いて行き、人の背丈ほどの低木の間を手で広げた。
「あのー、すいません」
「……!」
肉食獣に捕食されそうになっている兎、もとい、真っ赤になっているアリッサと視線が合う。レイモンドがギロリと睨んだ。
「……君は神出鬼没だな。何にでも首を突っ込む癖は直した方がいいぞ」
「そっちこそ、イチャつくなら時と場所を考えろっての。ねえ、エミリーの着替え袋見なかった?……お!まだお菓子残ってんじゃん!」
低木を回り込み、ジュリアは二人が隣同士に座っている長椅子の端に腰を下ろした。タルトを一つ手に取り、大きな口を開けた。
「……あ、私のことは気にしなくていいから、どうぞ続けて?」
「ジュリアちゃ……」
「ほほう。俺は別に構わない。君の妹が羞恥心から卒倒するかもしれないがな」
「レイ様っ!」
ハンカチを奪い、アリッサは素早く口元を拭くと、残っている菓子が入ったバスケットを掴んで立ち上がった。
「もう!二人とも、意地悪っ……!私、帰りま」
「うわあああああああ!」
「ん?」
「今の誰?」
「私、何も言ってないよぉ?」
ジュリアとアリッサとレイモンドが顔を見合わせた。
「誰か、生徒が襲われているのか?俺は声の主を探す。アリッサはここにいろ。ジュリア、君は誰か先生を呼んできてくれ」
「了解」
「お気をつけて、レイ様!」
レイモンドは薄く笑うと、アリッサの額に口づけた。
「……この続きは、また後で」
◆◆◆
「ぼ、僕じゃありませんよ!誤解ですってば!」
「……信じられない」
「信じてください、コーノック先生!」
目の前の六属性持ち魔導士が、火焔を纏った闇魔法球にバチバチと雷を発生させている。キースは恐怖で涙が流れるのを止められなかった。
「……お前が、エミリーの制服を盗んだのか?」
「ち、ちがいま」
「もう一度聞く。……お前が盗んだのか?」
答える時間をくれ!とキースは叫びたかったが、赤い左目を光らせたマシューは、漂う魔力で威圧してくる。あの魔法球をこれ以上近づけられたら……。
「エミリーさんが探していると思って、転移魔法を……」
「お前の転移魔法では、正確な位置に転移することなどできない。どうして見つけた?」
「偶然、偶然です!今日はうまくいったんで……」
「……信じられない」
「僕はやってませんってば!制服を持ち出したのはジュリアさんで、どこかでなくしたって言うからっ……」
掌を上に向け、目を細めたマシューの背後から、鋭く声が響いた。
「コーノック先生!?」
水色の髪を乱して走ってきたレイモンドの姿を視界に捉え、キースは脱力してその場に膝をついた。
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