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閑話 王子様はお菓子泥棒

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「ジュリア、三年の先輩が呼んでるぜ」
クラスメイトに声をかけられ、教室のドアを見るなり、ジュリアは「げ」と顔を強張らせた。
――レイモンド!?ってか、めちゃくちゃ笑顔なんですけど?
怖すぎる。できれば関わり合いになりたくない。アレックスを道連れにしようと見渡したが、課題を職員室に持って行く当番で不在だった。
「……何か用ですか?アレックスならいないよ」
「何だその態度は。丁寧なのか何だか分からないが、まあいい。今日の俺は機嫌が良いからな」
「はあ……」
「少し、話したいんだが」

レイモンドは手近にあった空き部屋、アレックスに怪盗の話をした例の教材室にジュリアを招き入れた。ドアは半分開いている。
「アレックスが言っていた、怪盗のことだが……」
――うげ。アレックスのヤツ、こいつに話したの?嘘だってバレるに決まってんじゃん。
さあっと顔色が青ざめる。レイモンドの眼鏡の奥の緑の瞳が、全てを見透かしているかのように思えてならない。
「か、怪盗ぉ?」
「アリッサが用意した菓子を盗んだ怪盗がいたそうだな」
「うぐ」
「君はその正体を知っている。……違うか?」
「……」
「王族が住まう王立学院の寮は、厳重な警備がされている。一流の怪盗と言えども、やすやすと入り込んで盗みを働けるものではない。一流の……例えば、怪盗レグジーでもな」
ジュリアを見つめ、一挙一動を注意深く観察しながら、レイモンドは口の端をふっと上げて笑った。
――ダメだ。絶対バレてる……!
「……怪盗の……行方を知って……います」
「ほう。それで、アリッサが作った菓子はどこにある?」
「えっ」
「大方、君が食べてしまったのだろう?……怪盗君?」
挙動不審なジュリアを見て、さも愉快だというように、レイモンドは腕組みをしたまま、堪えきれずに声を上げて笑った。

   ◆◆◆

「対策を取っておいて間違いはないか……」
エミリーが前世で何度も何度も、回数を覚えていないほどクリアしたマシューの魔王エンディングに向かうイベントの一つに、デドノア祭のイベントがある。デドノア祭、つまり前世で言うところのハロウィーンは月末で、魔法科と剣技科が毎月末に行っている練習場の大掃除の日である。
「学院には使用人がいるのに、掃除とかあり得ないし」
ぶつぶつ文句を言いながら、エミリーは食堂を後にした。
練習場に感謝する、という名目の元、自宅の掃除もまともにしたことがない生徒達が大掃除をするのである。この日は制服を体操着に着替えるのだ。ダンスくらいしか身体を動かす授業がない王立学院に体操着があるのが不思議だが、その辺りが学園恋愛シミュレーションジャンルならではの設定に思える。
「起こるかどうか……今年じゃないかもしれないけど……」
転移魔法で一度魔法科一年の教室に戻り、アイリーンの机を見る。不自然に膨らんだ布製のバッグが見える。
「……着替え、か」

『とわばら』の主人公は、大掃除で着替えた制服を悪役令嬢に隠される。夜になるまで探して、やっと池の中から見つかったものの、乾かしてもドブの臭いでとても着られたものではない。泣く泣く体操着で帰ろうとする彼女をマシューが呼び止める。
月下に立つ黒いローブの魔法使い。攻略対象がやることでなければ、単なるホラーである。エミリーも何度も「これってどうよ?」と思いつつ、マシューのスチルが美しすぎて許していたのである。
イベントでは、池の水で濡れた体操着の上から、マシューが自分の黒いローブをかけてやるシーンがある。アイリーンは、イベントが起きなかった場合に備えて着替えを準備していた。制服から体操着に着替えたら、自分で制服を池に投げ入れるつもりだろう。やる気満々らしい。
――あいつを止めるのは難しそうね。手を出したらイベントの餌食になる。
悪役令嬢として、ここはなるべく無関係でいたほうがよさそうだ。
――となると……。

教室から出て、人気のない階段下の倉庫前で転移魔法を発動させ、エミリーは魔法科教官室へ急いだ。マシューの部屋を窓から覗き込み、誰もいないことを確認する。
――よし!
魔法で転移させた池の蛙をドアに投げつけると、案の定、捕縛の魔法が発動した。哀れなカエルは手足を広げた体勢のまま空中に浮かんでいる。人間なら宙づりになっている。
――物騒な仕掛けね。ま、いつものことだけど。
ドアに手をかけ、音を立てずにそっと開く。こちらから見える長椅子の背に、無造作に置かれた黒い物体が見える。脱ぎ捨てられたマシューのローブである。
「これを……」
ぐいっと勢いよく引いた。が、それほど重くないはずのローブが持ち上がらない。
――はぁ!?
ローブの右側はエミリーの手の中にある。
「ん……」
左側は、長椅子に横たわる男の下敷きになっていた。
――げ。何でいるのよ!
気怠い表情でこちらを見つめる赤と黒の瞳に囚われる。ローブを掴んでいた腕も、いつの間にか骨ばった指に掴まれていた。
「……エミリー?」
「……ローブを……」
「ローブが、どうかしたのか?」
「ど、どうもしないっ。ま、間違えましたっ!そ、それ、じゃっ……」
掴んでいたローブをマシューの顔を覆うように投げ、エミリーは脱兎の如く逃げ……られなかった。
――身体が動かない。さっきの蛙と同じ……!
「俺がいないと思ったのか?」
「……そう」
「ローブをどうするつもりだった?」
「……何でもいいでしょ」
「黒いローブはいくつも持っている。これ一着盗まれてもどうということはないが……」
その通りだ。エミリーが盗んでも、マシューが別のローブを持っている以上、アイリーンのイベントが成立する可能性は残されている。
「……欲しかったのよ。ローブが」
「お前は侯爵令嬢だ。望めばローブは手に入るだろう?それに、俺のローブでは、丈が……俺の……」
マシューは何か考え込むように口を閉じた。そして、微かに頬を赤らめて、「いや、そんなはずが」「気のせいだろう」などと独り言を漏らした。
「あなたのローブを盗みに来たの。……これでいい?理由を話したんだから自由にしてくれない?」
少し苛立ってエミリーが早口で捲し立てると、マシューはカッと赤い瞳を光らせて、辺りにミントの香りが広がった。魔力がだだ漏れで、動揺しているのがはっきりと分かる。
「エミリー、お前は俺のローブが欲しかったのか?」
「……そう。それ一着じゃなくて、全部ね」
「ぜ、全部!?」
ガタン。よろめいたマシューが後方の書き物机にぶつかる。エミリーにかけられた魔法が解かれた。
「私の手元に置いておきたいの」
床に座り込んだマシューの前に立ち、エミリーは無表情のままじっと彼を見下ろした。
「お願い……」
膝をついて視線の高さを合わせると、辺りに立ち込めたミントの香りが一層濃くなった。

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