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学院編 14
466 悪役令嬢は本を横取りされる
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ふわりと浮きあがった本がゆっくりと下りてくる。エミリーは手を伸ばして受け取ろうと身構えた。
――はあっ!?
本は頭の上一メートルのところで、急に直角に方向を変え、誰かの手に収まった。
「ちょっ……!」
大きな掌から男性だと分かる。旅の恥はかき捨てとばかりに、エミリーは本を横取りした犯人を睨んだ。
「ああ、これ、君が読みたかったの?」
目の前には長いローブを着た若い男性が立っていた。金とも薄茶ともとれるような淡い色の髪に、明るい緑の瞳をしている。エミリーはどこかで見た顔だと思いつつ、彼が誰なのか分からなかった。
――すごい、魔力……!
ただ立っているだけで、彼から感じる魔力の波動に圧倒されそうだ。魔力を匂いで感じるエミリーにとって、幸いだったのは彼の魔力が不快な匂いでなかったことだ。さっぱりとしたリンゴの香りがする。
「……別に。適当に取っただけ」
「ふふ。そう、ムッとしなくてもいいじゃない」
――誰のせいでムッとしてると……って、この人、私の表情が分かるの?
「あれ?びっくりしてる?」
「……う」
「本当に表情が変わらないんだね。僕には魔力の波動でバレてるけれど、面白い」
「は?」
「妹が言っていた通りだ。素直じゃないのに可愛らしい」
――あ、新手のナンパ?……ん?妹って言った?
「妹……」
「あの子が留学した時には世話になったね。グランディア語もかなり上達したようだし、なかなか有意義だった」
「はあ……」
グランディア語、と聞いて、エミリーははっとした。自分は先ほどからアスタシフォン語を話していない。彼は最初からグランディア語で話しかけてきたのだ。つまり、自分が誰なのか知っている。リオネルを妹と呼ぶのは、三人の兄王子しかいない。
「急に警戒して……どうしたのかな?」
「あなたは?お名前を伺っても?」
「まずは君から名乗ってくれないかな」
謎の男は腕組みをして、長い睫毛に縁どられた大きな瞳を細めた。美しい唇が弧を描く。顔立ちだけなら女性だと言っても通りそうだ。
「……エミリー・ハーリオン。父は侯爵で、グランディア王立博物館長……」
「僕はオーリー。よろしくね、エミリー」
「私はフルネームを名乗ったのに、愛称しか教えないなんて……」
「追々わかると思うよ。……あ、残念。もう時間切れだ」
彼の背後から体格のいい護衛兵士が四名と、エミリーの父母と同じくらいの年齢の女性が歩いてきた。刺繍の入ったローブを着ているところを見れば、高名な魔導士らしい。髪をオールバックにして後ろで一つに纏め、細い縁の丸眼鏡をかけている。
「殿下。そろそろお戻りに……」
「分かっているよ、クレム先生。あーあ、もう少し魔導士同士交流を深めたかったのになあ」
腕を頭の後ろに組み、オーリーは大袈裟に溜息をついた。
「魔導士……そのお嬢さんが?」
二人の会話は断片的にしか聞き取れない。エミリーはアスタシフォン語をもっと勉強しておけばよかったと思った。
「グランディアから来ているんだよ。ほら、ここの蔵書は魔導士にとって魅力的だからね」
「魔導士の渡航は許可が必要です。現在、グランディアからの留学生はいないはずです」
「そうだった?先生の記憶違いじゃないかな」
「いいえ。私は大学でも教鞭をとっていますから、留学生の魔導士は皆見知っています。彼女には覚えがありません。……いいえ、別の意味で覚えがありますが」
「知っているなら問題はないね。さあ、行こう?」
笑顔で彼女の背中を押したオーリーの手を振り払い、カツカツカツと靴音を鳴らして近づき、魔導士の女性はぐいっとエミリーの顎を上げさせた。
――!!
「銀髪、紫の……あなた、ハーリオン家の血筋ね?」
アスタシフォン語でも、固有名詞の『ハーリオン』は聞き取れた。
「……そうよ」
頭を振って冷たい指先から逃れた。
「ソフィアの娘……。よく似ているわ」
「母のことをご存知なのですか?」
グランディア語で問いかける。貿易業を副業にしている父はともかく、母は国外に出たことは殆どないと聞いている。会う機会があったなら、それはグランディア国内だ。彼女もグランディア語を話せるだろう。
「……知っていると言ったら、何か変わるのかしら?」
「……」
「魔導士の無許可渡航は犯罪よ。あなたは私に取り成しを頼むことはあっても、そんな目つきで睨むなんておかしいわ」
「……あなたから、敵意しか感じないから」
「そうね。あなたからも怒りの炎が立ち上っているのが『見え』るわ」
一瞬睨み合った二人の間に、オーリーが割って入った。
「先生、立ち話はそこまでにして、王宮へ戻りませんか。エミリー、君はしばらくここにいるといいよ」
言われなくてもそのつもりだと言ってやろうとしたが、思うように口が動かない。
――あの女!何か魔法を……!
「またね」
「……」
背を向けて立ち去るオーリーの後ろに、護衛兵士と女魔導士が続く。エミリーを振り返って彼女は顎を上げた。一行の姿が見えなくなった後、耳元で声がした。
『余計なことは、言わない方が身のためよ』
――余計なことも何も、私は何も知らないのに!
「……っ、は、はあっ……あ、ああ、あ」
声が出てほっと胸をなで下ろす。呼吸を整えていると、向こうからキースとノアの話し声がした。
――はあっ!?
本は頭の上一メートルのところで、急に直角に方向を変え、誰かの手に収まった。
「ちょっ……!」
大きな掌から男性だと分かる。旅の恥はかき捨てとばかりに、エミリーは本を横取りした犯人を睨んだ。
「ああ、これ、君が読みたかったの?」
目の前には長いローブを着た若い男性が立っていた。金とも薄茶ともとれるような淡い色の髪に、明るい緑の瞳をしている。エミリーはどこかで見た顔だと思いつつ、彼が誰なのか分からなかった。
――すごい、魔力……!
ただ立っているだけで、彼から感じる魔力の波動に圧倒されそうだ。魔力を匂いで感じるエミリーにとって、幸いだったのは彼の魔力が不快な匂いでなかったことだ。さっぱりとしたリンゴの香りがする。
「……別に。適当に取っただけ」
「ふふ。そう、ムッとしなくてもいいじゃない」
――誰のせいでムッとしてると……って、この人、私の表情が分かるの?
「あれ?びっくりしてる?」
「……う」
「本当に表情が変わらないんだね。僕には魔力の波動でバレてるけれど、面白い」
「は?」
「妹が言っていた通りだ。素直じゃないのに可愛らしい」
――あ、新手のナンパ?……ん?妹って言った?
「妹……」
「あの子が留学した時には世話になったね。グランディア語もかなり上達したようだし、なかなか有意義だった」
「はあ……」
グランディア語、と聞いて、エミリーははっとした。自分は先ほどからアスタシフォン語を話していない。彼は最初からグランディア語で話しかけてきたのだ。つまり、自分が誰なのか知っている。リオネルを妹と呼ぶのは、三人の兄王子しかいない。
「急に警戒して……どうしたのかな?」
「あなたは?お名前を伺っても?」
「まずは君から名乗ってくれないかな」
謎の男は腕組みをして、長い睫毛に縁どられた大きな瞳を細めた。美しい唇が弧を描く。顔立ちだけなら女性だと言っても通りそうだ。
「……エミリー・ハーリオン。父は侯爵で、グランディア王立博物館長……」
「僕はオーリー。よろしくね、エミリー」
「私はフルネームを名乗ったのに、愛称しか教えないなんて……」
「追々わかると思うよ。……あ、残念。もう時間切れだ」
彼の背後から体格のいい護衛兵士が四名と、エミリーの父母と同じくらいの年齢の女性が歩いてきた。刺繍の入ったローブを着ているところを見れば、高名な魔導士らしい。髪をオールバックにして後ろで一つに纏め、細い縁の丸眼鏡をかけている。
「殿下。そろそろお戻りに……」
「分かっているよ、クレム先生。あーあ、もう少し魔導士同士交流を深めたかったのになあ」
腕を頭の後ろに組み、オーリーは大袈裟に溜息をついた。
「魔導士……そのお嬢さんが?」
二人の会話は断片的にしか聞き取れない。エミリーはアスタシフォン語をもっと勉強しておけばよかったと思った。
「グランディアから来ているんだよ。ほら、ここの蔵書は魔導士にとって魅力的だからね」
「魔導士の渡航は許可が必要です。現在、グランディアからの留学生はいないはずです」
「そうだった?先生の記憶違いじゃないかな」
「いいえ。私は大学でも教鞭をとっていますから、留学生の魔導士は皆見知っています。彼女には覚えがありません。……いいえ、別の意味で覚えがありますが」
「知っているなら問題はないね。さあ、行こう?」
笑顔で彼女の背中を押したオーリーの手を振り払い、カツカツカツと靴音を鳴らして近づき、魔導士の女性はぐいっとエミリーの顎を上げさせた。
――!!
「銀髪、紫の……あなた、ハーリオン家の血筋ね?」
アスタシフォン語でも、固有名詞の『ハーリオン』は聞き取れた。
「……そうよ」
頭を振って冷たい指先から逃れた。
「ソフィアの娘……。よく似ているわ」
「母のことをご存知なのですか?」
グランディア語で問いかける。貿易業を副業にしている父はともかく、母は国外に出たことは殆どないと聞いている。会う機会があったなら、それはグランディア国内だ。彼女もグランディア語を話せるだろう。
「……知っていると言ったら、何か変わるのかしら?」
「……」
「魔導士の無許可渡航は犯罪よ。あなたは私に取り成しを頼むことはあっても、そんな目つきで睨むなんておかしいわ」
「……あなたから、敵意しか感じないから」
「そうね。あなたからも怒りの炎が立ち上っているのが『見え』るわ」
一瞬睨み合った二人の間に、オーリーが割って入った。
「先生、立ち話はそこまでにして、王宮へ戻りませんか。エミリー、君はしばらくここにいるといいよ」
言われなくてもそのつもりだと言ってやろうとしたが、思うように口が動かない。
――あの女!何か魔法を……!
「またね」
「……」
背を向けて立ち去るオーリーの後ろに、護衛兵士と女魔導士が続く。エミリーを振り返って彼女は顎を上げた。一行の姿が見えなくなった後、耳元で声がした。
『余計なことは、言わない方が身のためよ』
――余計なことも何も、私は何も知らないのに!
「……っ、は、はあっ……あ、ああ、あ」
声が出てほっと胸をなで下ろす。呼吸を整えていると、向こうからキースとノアの話し声がした。
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