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学院編 14
455 少年剣士は宿題に悩む
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「出かけるのか、アレックス」
コートを着た息子に、ヴィルソード侯爵は高速腹筋をしながら声をかけた。エントランスには何もなくて広いからといって、日常のトレーニング場所にするのはどうかと思ったが、アレックスは父に苦言を呈したことはない。見慣れたいつもの光景だ。
「友達の……ところに。一緒に宿題しようって」
「そうか!熱心だな」
「う、うん。アスタシフォン語の宿題がたくさん出てさ」
バイロン先生に大量の宿題を出されたのは自分だけだとは言えない。毎回試験の度に補習を受けるようでは進級できないと言われたこともだ。
「あまり遅くなるなよ」
「分かってるよ。夕食までには戻るから」
従僕に教科書が入った鞄を預け、戸口に停まった馬車に乗ろうとした時、到着した白馬から人が下りた。
「あれ、パーシー?休みなのに何かあったのか?」
ロファン侯爵パーシヴァルは、急いでいても常に爽やか青年である。王宮で新年パーティーが開かれる翌日までは、騎士団の仕事は休みのはずだ。
「ああ、アレックス。お父上は御在宅かな。至急、お伝えしたいことがあるんだが」
「すぐそこで腹筋してるよ」
従僕が中に入っていく。アレックスはパーシヴァルを連れて、父の傍へ戻った。
「どうした?忘れ物か?……っと、パーシー?来るなら言ってくれれば……」
高速腹筋を止め、侯爵は身体を起こして来客を出迎えた。胸のボタンを殆ど留めていない白いシャツは汗だくだ。
「突然申し訳ございません。実は……」
言いかけたパーシヴァルは、ヴィルソード侯爵の表情を見てはっとした。口をつぐんでアレックスを振り返る。
「アレックス、お前は友達と約束があるのだろう?早く行きなさい」
「……うん。行ってくる」
いつになく険しい表情の父が気になる。パーシヴァルの様子も焦っているように見えた。後ろ髪を引かれながらアレックスは馬車に乗った。
◆◆◆
「集中力が途切れっぱなしだ。やる気がない生徒に教えるほど、俺は暇ではないんだが」
暖炉の火が燃え盛る暖かい室内に、レイモンドの冷たい声が響く。ブリザードのように吹き荒れている。
「……すみません」
アレックスは背中を丸めて小さくなった。
「姿勢が悪い。剣も姿勢が大事なのだろう?」
「レイモンドさんは姿勢がいいですよね」
「当然だ。常に堂々と見えるように心掛けている。一国の宰相にならんとする者が、人前で小さくなっていては失笑を買うからな」
「……そう、ですよね……」
「心配事がある、と顔に書いてあるが?」
「えっ!?俺、気づかないうちに顔に書いて……」
ゴシゴシと自分の頬を擦るアレックスに、レイモンドは心底呆れたように溜息をついた。
「アスタシフォン語より先に、グランディア語の勉強が必要だな。……と、何かあったのか?」
「俺のいないところで、二人で何を話してたんだろうって思うと……」
レイモンドは口の端を上げて笑った。
「何だ、そんなことか」
「そんなこと!?だって、俺を除け者にするくらい大事な話なんですよ?」
「あの二人がお前に隠し事ができると思うか?……いや、彼はもしかしたら、お前を出し抜きたいと思っているかもしれないが」
「だしぬく?」
「お前を差し置いて、一番近くにいたいと望んでいる。おそらくな」
「俺より……近くに?」
視線を泳がせて、アレックスはイヤイヤと頭を振った。
「俺は……俺は家族なのに、一番じゃない……」
「誰かから聞いたのか?まあ、新年の神殿は将来を誓い合う恋人同士が多いが、あの二人が一緒だったからといって気にするほどのことはあるまい」
「……ん?」
「レナードがジュリアを襲っているように見えても、人ごみから庇っていただけで……」
「ちょ、レ、レイモンドさんっ!」
「何だ?気安く腕を掴むな」
眼鏡の奥の緑の瞳が険しく光る。
「ジュリアがどうしたんですか?レナードが神殿!?人ごみ?」
「……しまった」
「『しまった』って……」
「俺の早合点だった。気にするな」
「気になります!話してください。ちゃんと話してくれるまで、俺、帰りませんからね!」
◆◆◆
「……これで全部だ。俺が神殿を後にしてから、あの二人がどうしたかは知らないぞ」
「ジュリアが……レナードと……」
「心配するな。あのジュリアに浮気などできる器用さがあるはずがない」
「ジュリアが……」
呆然としているアレックスの肩を叩き、レイモンドは教科書を捲った。
「話は終わった。さあ、宿題に取りかかるとするか」
「気になって進みませんよ!」
「ところで、初めに気にしていた二人とは誰と誰のことだったんだ?」
「あっ……」
「すっかり忘れていたな」
「……パーシー……ロファン侯爵が、父上のところに来たんです。何か、すっごい慌ててて」
「ロファン侯爵か。騎士団を動かす案件が起こったか……。先刻、邸内が騒がしかったのはそれか」
国王の急な呼び出しで、レイモンドの父であるオードファン宰相が出かけて行ったのだろう。アレックスとは入れ違いになった。
「レイモンドさん?」
「急いで宿題を仕上げるぞ。俺達も対策を練る時間が必要だ」
「だったら宿題なんてしている暇がないですよ!俺達も王宮に行かなきゃ」
金の瞳をきらきらさせて、アレックスは教科書を閉じた。
コートを着た息子に、ヴィルソード侯爵は高速腹筋をしながら声をかけた。エントランスには何もなくて広いからといって、日常のトレーニング場所にするのはどうかと思ったが、アレックスは父に苦言を呈したことはない。見慣れたいつもの光景だ。
「友達の……ところに。一緒に宿題しようって」
「そうか!熱心だな」
「う、うん。アスタシフォン語の宿題がたくさん出てさ」
バイロン先生に大量の宿題を出されたのは自分だけだとは言えない。毎回試験の度に補習を受けるようでは進級できないと言われたこともだ。
「あまり遅くなるなよ」
「分かってるよ。夕食までには戻るから」
従僕に教科書が入った鞄を預け、戸口に停まった馬車に乗ろうとした時、到着した白馬から人が下りた。
「あれ、パーシー?休みなのに何かあったのか?」
ロファン侯爵パーシヴァルは、急いでいても常に爽やか青年である。王宮で新年パーティーが開かれる翌日までは、騎士団の仕事は休みのはずだ。
「ああ、アレックス。お父上は御在宅かな。至急、お伝えしたいことがあるんだが」
「すぐそこで腹筋してるよ」
従僕が中に入っていく。アレックスはパーシヴァルを連れて、父の傍へ戻った。
「どうした?忘れ物か?……っと、パーシー?来るなら言ってくれれば……」
高速腹筋を止め、侯爵は身体を起こして来客を出迎えた。胸のボタンを殆ど留めていない白いシャツは汗だくだ。
「突然申し訳ございません。実は……」
言いかけたパーシヴァルは、ヴィルソード侯爵の表情を見てはっとした。口をつぐんでアレックスを振り返る。
「アレックス、お前は友達と約束があるのだろう?早く行きなさい」
「……うん。行ってくる」
いつになく険しい表情の父が気になる。パーシヴァルの様子も焦っているように見えた。後ろ髪を引かれながらアレックスは馬車に乗った。
◆◆◆
「集中力が途切れっぱなしだ。やる気がない生徒に教えるほど、俺は暇ではないんだが」
暖炉の火が燃え盛る暖かい室内に、レイモンドの冷たい声が響く。ブリザードのように吹き荒れている。
「……すみません」
アレックスは背中を丸めて小さくなった。
「姿勢が悪い。剣も姿勢が大事なのだろう?」
「レイモンドさんは姿勢がいいですよね」
「当然だ。常に堂々と見えるように心掛けている。一国の宰相にならんとする者が、人前で小さくなっていては失笑を買うからな」
「……そう、ですよね……」
「心配事がある、と顔に書いてあるが?」
「えっ!?俺、気づかないうちに顔に書いて……」
ゴシゴシと自分の頬を擦るアレックスに、レイモンドは心底呆れたように溜息をついた。
「アスタシフォン語より先に、グランディア語の勉強が必要だな。……と、何かあったのか?」
「俺のいないところで、二人で何を話してたんだろうって思うと……」
レイモンドは口の端を上げて笑った。
「何だ、そんなことか」
「そんなこと!?だって、俺を除け者にするくらい大事な話なんですよ?」
「あの二人がお前に隠し事ができると思うか?……いや、彼はもしかしたら、お前を出し抜きたいと思っているかもしれないが」
「だしぬく?」
「お前を差し置いて、一番近くにいたいと望んでいる。おそらくな」
「俺より……近くに?」
視線を泳がせて、アレックスはイヤイヤと頭を振った。
「俺は……俺は家族なのに、一番じゃない……」
「誰かから聞いたのか?まあ、新年の神殿は将来を誓い合う恋人同士が多いが、あの二人が一緒だったからといって気にするほどのことはあるまい」
「……ん?」
「レナードがジュリアを襲っているように見えても、人ごみから庇っていただけで……」
「ちょ、レ、レイモンドさんっ!」
「何だ?気安く腕を掴むな」
眼鏡の奥の緑の瞳が険しく光る。
「ジュリアがどうしたんですか?レナードが神殿!?人ごみ?」
「……しまった」
「『しまった』って……」
「俺の早合点だった。気にするな」
「気になります!話してください。ちゃんと話してくれるまで、俺、帰りませんからね!」
◆◆◆
「……これで全部だ。俺が神殿を後にしてから、あの二人がどうしたかは知らないぞ」
「ジュリアが……レナードと……」
「心配するな。あのジュリアに浮気などできる器用さがあるはずがない」
「ジュリアが……」
呆然としているアレックスの肩を叩き、レイモンドは教科書を捲った。
「話は終わった。さあ、宿題に取りかかるとするか」
「気になって進みませんよ!」
「ところで、初めに気にしていた二人とは誰と誰のことだったんだ?」
「あっ……」
「すっかり忘れていたな」
「……パーシー……ロファン侯爵が、父上のところに来たんです。何か、すっごい慌ててて」
「ロファン侯爵か。騎士団を動かす案件が起こったか……。先刻、邸内が騒がしかったのはそれか」
国王の急な呼び出しで、レイモンドの父であるオードファン宰相が出かけて行ったのだろう。アレックスとは入れ違いになった。
「レイモンドさん?」
「急いで宿題を仕上げるぞ。俺達も対策を練る時間が必要だ」
「だったら宿題なんてしている暇がないですよ!俺達も王宮に行かなきゃ」
金の瞳をきらきらさせて、アレックスは教科書を閉じた。
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