上 下
601 / 794
学院編 13 悪役令嬢は領地を巡る

429 悪役令嬢は騎士に怯える

しおりを挟む
アイリーン・シェリンズは憂鬱だった。何もない空間が白く光り、勿体ぶった態度の執事が現れた時、内心吐きそうな気持ちになった。
「……また、お呼びなのかしら?」
「シェリンズ嬢、お忙しいとは存じますが……」
寮の部屋はとても狭く、ビジネスホテルの部屋のような空間はベッドと机と洋服かけでいっぱいだ。そこに二人の人間が立っているのだから、必然的に距離が近くなる。若い執事が頭を下げようとした瞬間、彼を除けたアイリーンはベッドに倒れた。
「お加減が悪いのですか?」
「何でもないわよ。狭いだけ」
ぶっきらぼうに言って軽く睨んでやる。そこそこの美少女が睨んでも効果はないのか、執事はにこにこと彼女の手を引いて立たせた。
「それでは、参りましょうか。旦那様がお呼びですので」
アイリーンの返事も聞かずに、執事は転移魔法を発動させた。

   ◆◆◆

「私に、その町に行けと?」
アイリーンは言葉少なに正面の彼を見た。何度会っても後から正確に顔を思い出せない。何となく美形だったように思うものの、それすらも自分の作り上げた幻想ではないかと思えてくる。薄暗い室内は意図的に光魔法球を減らしていた。いくつかは点滅していて、魔力が尽きそうになっている。
「そうだ」
相手の男は短く答えた。
「フロードリン?なんて聞いたこともないわ」
「有名な工業都市だが……男爵家程度では、かの地の織物を買うこともなかったか」
カチン。
アイリーンは掌に光魔法を纏わせた。
「貧乏男爵家で悪かったわね」
現世の父はうだつが上がらない男ではあったが、とりたてて褒めるところもない地味な母共々嫌な人間ではない。
「そう怒るな。……今回の件が片付いたら、結婚式を挙げさせてやる」
「誰の?結婚式なんて……」
薄闇の向こうで、男がクックッと笑う声がした。
「勿論、王太子セドリックと……君のだ」
「まさか……」
「フロードリンに現れた娘は銀髪だそうだ。……領地を視察していたマリナ・ハーリオンは『偶然』起こった労働者の暴動で命を落とすんだ」
「なっ……!」
「マリナの最期に立ち会ったとでも言って、王太子に髪の一房でも持ち帰ってやればいい。ついでに彼女が遺言で君と王太子の結婚を望んでいたとでも」
「無理だわ。私の言葉なんか王太子は信じないし、マリナは王都に……」
カタ。
何かが机に落ちた。アイリーンが目を凝らすと、男はチェス盤の上のクイーンを掴みそっと口づけた。
「君は言われた通りにすればいい。……送ってやれ」
「畏まりました」
「あっ」
何か言い出そうとしたアイリーンの背中に手を当てると、執事は呪文を呟いた。

   ◆◆◆

お忍びの王太子と自称弟子を連れて、王都の市場へ魔法陣で転移した時、アリッサとエミリーは物々しい雰囲気に気づいた。
「……何かあったみたいだね」
セドリックが耳打ちする。魔法陣が設置された建物の外を、隊列を成した騎士達が歩いている。
「騎士みたいですね」
「……私達が王都を出たから?」
「それはないと思う。邸にいるようにジョンが偽装してくれたんだよね?」
「勿論」
窓から外を見たアリッサが震えあがった。
「皆さん、とても厳しいお顔をしていたわ」
「……事件発生?」
「市場には商店主が資金を出し合って雇っている警備隊がいるんだよ。ほら、ジュリアとアレックスが攫われた事件の後から。警備隊は騎士団と交流があるし、騎士がいてもおかしくないよ」
「それにしては、数が多すぎません?二十人以上いましたよ」
外を見に行ったセドリック少年が戻ってきて人数を報告した。
「何か話していたようだね」
「中にエラそうな若い人がいて、フローなんとかがどうって言ってました」
「フロー?」
「フロードリンのことかも。どうしよう、エミリーちゃん……」
「僕達が行ったエスティアと同様、フロードリンもコレルダードも、何か問題が起きているのは間違いないよ。騎士団が乗りこんだら、問題だらけの状況が明らかになる」
「……ハーリオン侯爵の不手際だと糾弾されるくらいには?」
「うん。急ごう。彼らが町に入る前に、フロードリンに行くんだ」
再度窓の外を一瞥し、セドリックは三人の肩を押して、魔法陣のある部屋へと急いだ。

   ◆◆◆

窓のない部屋で、マリナはぼんやりと天井を見つめていた。
両手首は紐を結ばれ、それぞれ左右のベッドの脚へと繋がれている。脚は自由になるが、動かそうとしても動かない。瞼は動かせても唇までは思うようにならない。
――痺れ薬かしら?それとも、魔法?
働かない頭で思いつくのはそれくらいだ。酒は抜けてきていて、身体が動かないのは酒のせいではない。一度脱走を図った自分を許すはずもなく、黒い集団――塀の中の犬は自分を一人で閉じ込めたのだろう。両手の自由が奪われたまま、どれほどの時間こうしていればいいのか。
――トイレに行きたい。
次にマリナが思ったことはそれだった。むしろ、それしか思わなかった。
アルコール度数が高いワインをがぶ飲みし、以降はトイレに行っていない。逃げ出すだけで精一杯だ。これが夏なら汗をかいて発散することもあるが、今は冬である。フロードリンは雪が殆ど降らず気候が穏やかな場所だが、汗をかくほど暑くはならない。
――トイレに行きたい。どうしよう、死活問題だわ。
敵のアジトから抜けられなければどうにもならないが、粗相をしてしまうのは、何より自分のプライドが許さない。
「誰か!誰かいませんか!」
――声が、出たわ!
ドアの方向へ声をかけた。反応はない。見張りがいるのかいないのか、いても返事をしないのか分からない。
「お願い!いたら返事をして!」
悲痛の叫びに応えてドアを開けた男が、廊下へ顔を向けて手招きをしている。
――何……?他に誰かいるの?
対格の良い彼の背後から現れたのは、ふわふわしたピンク色の巻き毛を持つ誰からも愛されるはずのヒロインだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない

陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」 デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。 そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。 いつの間にかパトロンが大量発生していた。 ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?

婚約破棄をいたしましょう。

見丘ユタ
恋愛
悪役令嬢である侯爵令嬢、コーデリアに転生したと気づいた主人公は、卒業パーティーの婚約破棄を回避するために奔走する。 しかし無慈悲にも卒業パーティーの最中、婚約者の王太子、テリーに呼び出されてしまうのだった。

転生したら攻略対象者の母親(王妃)でした

黒木寿々
恋愛
我儘な公爵令嬢リザベル・フォリス、7歳。弟が産まれたことで前世の記憶を思い出したけど、この世界って前世でハマっていた乙女ゲームの世界!?私の未来って物凄く性悪な王妃様じゃん! しかもゲーム本編が始まる時点ですでに亡くなってるし・・・。 ゲームの中ではことごとく酷いことをしていたみたいだけど、私はそんなことしない! 清く正しい心で、未来の息子(攻略対象者)を愛でまくるぞ!!! *R15は保険です。小説家になろう様でも掲載しています。

婚約破棄ですか。ゲームみたいに上手くはいきませんよ?

ゆるり
恋愛
公爵令嬢スカーレットは婚約者を紹介された時に前世を思い出した。そして、この世界が前世での乙女ゲームの世界に似ていることに気付く。シナリオなんて気にせず生きていくことを決めたが、学園にヒロイン気取りの少女が入学してきたことで、スカーレットの運命が変わっていく。全6話予定

【完結】死がふたりを分かつとも

杜野秋人
恋愛
「捕らえよ!この女は地下牢へでも入れておけ!」  私の命を受けて会場警護の任に就いていた騎士たちが動き出し、またたく間に驚く女を取り押さえる。そうして引っ立てられ連れ出される姿を見ながら、私は心の中だけでそっと安堵の息を吐く。  ああ、やった。  とうとうやり遂げた。  これでもう、彼女を脅かす悪役はいない。  私は晴れて、彼女を輝かしい未来へ進ませることができるんだ。 自分が前世で大ヒットしてTVアニメ化もされた、乙女ゲームの世界に転生していると気づいたのは6歳の時。以来、前世での最推しだった悪役令嬢を救うことが人生の指針になった。 彼女は、悪役令嬢は私の婚約者となる。そして学園の卒業パーティーで断罪され、どのルートを辿っても悲惨な最期を迎えてしまう。 それを回避する方法はただひとつ。本来なら初回クリア後でなければ解放されない“悪役令嬢ルート”に進んで、“逆ざまあ”でクリアするしかない。 やれるかどうか何とも言えない。 だがやらなければ彼女に待っているのは“死”だ。 だから彼女は、メイン攻略対象者の私が、必ず救う⸺! ◆男性(王子)主人公の乙女ゲーもの。主人公は転生者です。 詳しく設定を作ってないので、固有名詞はありません。 ◆全10話で完結予定。毎日1話ずつ投稿します。 1話あたり2000字〜3000字程度でサラッと読めます。 ◆公開初日から恋愛ランキング入りしました!ありがとうございます! ◆この物語は小説家になろうでも同時投稿します。

悪役令嬢の居場所。

葉叶
恋愛
私だけの居場所。 他の誰かの代わりとかじゃなく 私だけの場所 私はそんな居場所が欲しい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ※誤字脱字等あれば遠慮なく言ってください。 ※感想はしっかりニヤニヤしながら読ませて頂いています。 ※こんな話が見たいよ!等のリクエストも歓迎してます。 ※完結しました!番外編執筆中です。

シナリオ通り追放されて早死にしましたが幸せでした

黒姫
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢に転生しました。神様によると、婚約者の王太子に断罪されて極北の修道院に幽閉され、30歳を前にして死んでしまう設定は変えられないそうです。さて、それでも幸せになるにはどうしたら良いでしょうか?(2/16 完結。カテゴリーを恋愛に変更しました。)

ヒロインではないので婚約解消を求めたら、逆に追われ監禁されました。

曼珠沙華
恋愛
「運命の人?そんなの君以外に誰がいるというの?」 きっかけは幼い頃の出来事だった。 ある豪雨の夜、窓の外を眺めていると目の前に雷が落ちた。 その光と音の刺激のせいなのか、ふと前世の記憶が蘇った。 あ、ここは前世の私がはまっていた乙女ゲームの世界。 そしてローズという自分の名前。 よりにもよって悪役令嬢に転生していた。 攻略対象たちと恋をできないのは残念だけど仕方がない。 婚約者であるウィリアムに婚約破棄される前に、自ら婚約解消を願い出た。 するとウィリアムだけでなく、護衛騎士ライリー、義弟ニコルまで様子がおかしくなり……?

処理中です...