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学院編 13 悪役令嬢は領地を巡る
424 悪役令嬢は奴隷になる
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フロードリンの塀の中、自警団と称する黒い一団が拠点にしている建物に男が駆け込んだ。
「先刻捕まえた娘が死にました!」
「何をやっていたんだ!見張りはどうした?」
「指示があるまで傷一つつけるなと言ったはずだ」
「申し訳ありません。牧師の妻と二人で籠めていたので、大丈夫だとばかり……」
「言い訳は無用だ。まったく……ユリシーズに報告に行かせたところだというのに」
自警団のリーダーは木製の椅子に腰を下ろし、入口で立ち尽くしている見張りの男を睨んだ。
「ユリシーズの奴、遅いですね。我々が報告に行った方がよかったのでは?」
「あれでも一応、侯爵が任命した領地管理人だからな。あの方からユリシーズが指示を受けて行うことは全て、ハーリオン侯爵の御意志だ」
「ハーリオン侯爵……」
見張りの男が呟いた。フロードリンに生まれ育ち、ゆったりした時間が流れる工業都市だった頃を知っている彼は、ここ数年の急激な変化に疑問を抱いていた。娘を連れて領地を訪れたハーリオン侯爵は、人の命を軽んじるような人物ではないと思われたのだ。
「どうした?」
「……何でもありません。ただ、ユリシーズの報告は本当に侯爵様へ伝わっているのでしょうか」
「伝わっていないのなら、それはユリシーズの領地管理人としての資質に問題があるのだろう。俺達の知ったことではない」
自警団の黒い一団は笑い声を上げた。見張りの男は軽く礼をすると、部屋を出ようと背中を向けた。
「そう言えば、ユリシーズの奴、捕まえた娘が銀髪で紫の目だと聞いて驚いていたな」
「畏れ多いとか何とか言って」
「ガクガク震えて、あんな調子じゃ報告もうまくいかねえよな」
「違いねえ、ハッハッハ……」
我が物顔で振る舞う自警団の会話を聞きながら、見張りの男は自分の持ち場へと取って返した。
◆◆◆
転移魔法で呼ばれ、ユリシーズはあの男の前に立っていた。自分に指示をする謎の男は、何度会っても顔を覚えられない。言葉の印象は強烈でも、容貌はどんなだったのか思い出せないのだ。
「奴隷を逃がしたそうだな」
「彼らは、労働……」
ダン!
机が叩かれ、ユリシーズは口をつぐんだ。勢いでチェス盤の上の駒がいくつか倒れた。
「ど、どれ、奴隷は……ちょっとした混乱がありまして」
「混乱に乗じて逃げたのか?」
「若い男が挑発してきたようで……見張りがそちらに」
沈黙が流れ、謎の男は何かを思案しているようだった。ユリシーズは彼の表情を窺うことができず不安に駆られた。
「し、しかしですね、その男の仲間を捕らえました」
「一人ではないのか」
「はい……その、男女の二人組のようでした。女の方を捕まえましたので、男が助けに来るのではないかと。娘は部屋に閉じ込めてあります。ま、まだ、町は混乱しておりませんし、何も問題はなく……」
「さっさと吊るせ。塔の上から吊るし、仲間に見せてやるのだ」
「そ、それは……」
捕らえられた少女が銀髪で紫の瞳だと聞き、ユリシーズには彼女がハーリオン侯爵令嬢だという確信があった。領主の娘を吊るすなど考えられない。目の前の男が侯爵の代理人ならば、主の娘を酷い目に遭わせるはずはない。思い切って言うべきだ。
「実は、捕まえた娘が、侯爵様の御令嬢と似ておりまして……。我々には、お嬢様なのか単なる侵入者なのか、判断がつきかねております。ぜひ、侯爵様にフロードリンまでお運びいただき……」
「ならん。侯爵はお忙しい方だからな」
「どうか……そこを何とか」
ユリシーズは諦めなかった。数年顔を合わせていないハーリオン侯爵と、何としても直接会って話をしたい。そのためには捕まえた娘が令嬢であろうとなかろうと関係ない。謎の男に向かって必死に頭を下げた。
「娘が侯爵令嬢かどうか、分かればいいのだな?」
「は、はい……」
男は傍に控えていた執事に小声で何か指示をすると、平伏しているユリシーズを転移魔法で部屋から消した。
◆◆◆
死霊のふりで純朴な見張りを騙し、マリナは三人で建物から離れた場所へ歩いてきた。監禁されていた建物には、黒い一団が愛用しているローブが保管されていて、マリナと牧師夫人は顔を隠し『塀の中の犬』に成りすまして歩いた。
「お、お願いですから、祟るのだけは……」
「塀からの抜け道を教えないと、祟るわよぉ」
ゾンビのポーズで脅してやると、見張りは震えあがった。マリナの胸元にはまだ小ぶりの包丁が刺さったままである。服の中に仕込んだ鶏肉で膨らんだ胸は、不自然な程盛り上がっている。肉が触れる感触が気持ち悪いが、ここで死霊のふりをやめるわけにはいかない。ワインの染みが変色する前に目的を果たさなければ。塀から出られさえすれば何とかなる。マリナはワインに酔い、気が大きくなっていた。
「あそこです」
「塀にしか見えないわよ」
「あの木箱と、向こうに立てかけた板の間は、本当は塀がないんです。だから……あ、ほら、誰か入って来たでしょう?」
見張りが指した方向には、塀の中から人々が現れた。不思議な光景にマリナは目を奪われた。
「通り抜けているわ」
「新しい奴隷みたいですね。コレルダードから来たんだな……」
腰にロープを結ばれ、二十人ほどの男達が俯いて歩いてくる。比較的体格が良い者が多いが、皆一様に疲れ切った顔で、色褪せた粗末な服を着ている。
「きっと無理に連れてきたんだわ……」
牧師夫人が呟いた。彼女の泣きそうな顔から視線を列に戻した時、マリナは声を上げそうになった。
――あれって、ジュリアだわ!
エミリーの魔法の効果で髪の色が茶色になっているが、横顔は間違いなく妹だ。すぐ後ろには、丸眼鏡で印象をがらりと変えたレイモンドが並んでいる。
――コレルダードに行って、二人は捕まってしまったのね!
出口を目前にして、マリナは唇を噛みしめ、隊列に向かって飛び出した。
「先刻捕まえた娘が死にました!」
「何をやっていたんだ!見張りはどうした?」
「指示があるまで傷一つつけるなと言ったはずだ」
「申し訳ありません。牧師の妻と二人で籠めていたので、大丈夫だとばかり……」
「言い訳は無用だ。まったく……ユリシーズに報告に行かせたところだというのに」
自警団のリーダーは木製の椅子に腰を下ろし、入口で立ち尽くしている見張りの男を睨んだ。
「ユリシーズの奴、遅いですね。我々が報告に行った方がよかったのでは?」
「あれでも一応、侯爵が任命した領地管理人だからな。あの方からユリシーズが指示を受けて行うことは全て、ハーリオン侯爵の御意志だ」
「ハーリオン侯爵……」
見張りの男が呟いた。フロードリンに生まれ育ち、ゆったりした時間が流れる工業都市だった頃を知っている彼は、ここ数年の急激な変化に疑問を抱いていた。娘を連れて領地を訪れたハーリオン侯爵は、人の命を軽んじるような人物ではないと思われたのだ。
「どうした?」
「……何でもありません。ただ、ユリシーズの報告は本当に侯爵様へ伝わっているのでしょうか」
「伝わっていないのなら、それはユリシーズの領地管理人としての資質に問題があるのだろう。俺達の知ったことではない」
自警団の黒い一団は笑い声を上げた。見張りの男は軽く礼をすると、部屋を出ようと背中を向けた。
「そう言えば、ユリシーズの奴、捕まえた娘が銀髪で紫の目だと聞いて驚いていたな」
「畏れ多いとか何とか言って」
「ガクガク震えて、あんな調子じゃ報告もうまくいかねえよな」
「違いねえ、ハッハッハ……」
我が物顔で振る舞う自警団の会話を聞きながら、見張りの男は自分の持ち場へと取って返した。
◆◆◆
転移魔法で呼ばれ、ユリシーズはあの男の前に立っていた。自分に指示をする謎の男は、何度会っても顔を覚えられない。言葉の印象は強烈でも、容貌はどんなだったのか思い出せないのだ。
「奴隷を逃がしたそうだな」
「彼らは、労働……」
ダン!
机が叩かれ、ユリシーズは口をつぐんだ。勢いでチェス盤の上の駒がいくつか倒れた。
「ど、どれ、奴隷は……ちょっとした混乱がありまして」
「混乱に乗じて逃げたのか?」
「若い男が挑発してきたようで……見張りがそちらに」
沈黙が流れ、謎の男は何かを思案しているようだった。ユリシーズは彼の表情を窺うことができず不安に駆られた。
「し、しかしですね、その男の仲間を捕らえました」
「一人ではないのか」
「はい……その、男女の二人組のようでした。女の方を捕まえましたので、男が助けに来るのではないかと。娘は部屋に閉じ込めてあります。ま、まだ、町は混乱しておりませんし、何も問題はなく……」
「さっさと吊るせ。塔の上から吊るし、仲間に見せてやるのだ」
「そ、それは……」
捕らえられた少女が銀髪で紫の瞳だと聞き、ユリシーズには彼女がハーリオン侯爵令嬢だという確信があった。領主の娘を吊るすなど考えられない。目の前の男が侯爵の代理人ならば、主の娘を酷い目に遭わせるはずはない。思い切って言うべきだ。
「実は、捕まえた娘が、侯爵様の御令嬢と似ておりまして……。我々には、お嬢様なのか単なる侵入者なのか、判断がつきかねております。ぜひ、侯爵様にフロードリンまでお運びいただき……」
「ならん。侯爵はお忙しい方だからな」
「どうか……そこを何とか」
ユリシーズは諦めなかった。数年顔を合わせていないハーリオン侯爵と、何としても直接会って話をしたい。そのためには捕まえた娘が令嬢であろうとなかろうと関係ない。謎の男に向かって必死に頭を下げた。
「娘が侯爵令嬢かどうか、分かればいいのだな?」
「は、はい……」
男は傍に控えていた執事に小声で何か指示をすると、平伏しているユリシーズを転移魔法で部屋から消した。
◆◆◆
死霊のふりで純朴な見張りを騙し、マリナは三人で建物から離れた場所へ歩いてきた。監禁されていた建物には、黒い一団が愛用しているローブが保管されていて、マリナと牧師夫人は顔を隠し『塀の中の犬』に成りすまして歩いた。
「お、お願いですから、祟るのだけは……」
「塀からの抜け道を教えないと、祟るわよぉ」
ゾンビのポーズで脅してやると、見張りは震えあがった。マリナの胸元にはまだ小ぶりの包丁が刺さったままである。服の中に仕込んだ鶏肉で膨らんだ胸は、不自然な程盛り上がっている。肉が触れる感触が気持ち悪いが、ここで死霊のふりをやめるわけにはいかない。ワインの染みが変色する前に目的を果たさなければ。塀から出られさえすれば何とかなる。マリナはワインに酔い、気が大きくなっていた。
「あそこです」
「塀にしか見えないわよ」
「あの木箱と、向こうに立てかけた板の間は、本当は塀がないんです。だから……あ、ほら、誰か入って来たでしょう?」
見張りが指した方向には、塀の中から人々が現れた。不思議な光景にマリナは目を奪われた。
「通り抜けているわ」
「新しい奴隷みたいですね。コレルダードから来たんだな……」
腰にロープを結ばれ、二十人ほどの男達が俯いて歩いてくる。比較的体格が良い者が多いが、皆一様に疲れ切った顔で、色褪せた粗末な服を着ている。
「きっと無理に連れてきたんだわ……」
牧師夫人が呟いた。彼女の泣きそうな顔から視線を列に戻した時、マリナは声を上げそうになった。
――あれって、ジュリアだわ!
エミリーの魔法の効果で髪の色が茶色になっているが、横顔は間違いなく妹だ。すぐ後ろには、丸眼鏡で印象をがらりと変えたレイモンドが並んでいる。
――コレルダードに行って、二人は捕まってしまったのね!
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