581 / 794
学院編 13 悪役令嬢は領地を巡る
409 悪役令嬢は領地を知る コレルダード編3
しおりを挟む
ジュリアとレイモンドが食事を注文して間もなく、宿屋の外が騒がしくなった。
「何だ?」
「さあ?」
顔を見合わせる。レイモンドが近くにいた男に尋ねようとすると、ドアが開いて若い男が転がり込んできた。頬が腫れ、唇から血を流している。
「た、助け……」
剣技科の練習で少しの傷には慣れているジュリアでも、駆け寄るのを一瞬躊躇うくらいだった。スカートを捲り、床に倒れている彼の元へ走り寄る。
「おい、ジュリ……!」
レイモンドが止める声も届かない。
「女将さん、何か冷やすもの……濡らしたおしぼりとかない?」
「オシボリ?」
「あ、えっと……布だよ、布」
困惑する女将の隣で、常連らしい男がにやにやと笑いながらジュリアを見る。
「姉ちゃん、そいつを手当てしようってのか?無駄無駄。いつも殴られてんだからよ」
「いつも?だったら余計に……」
反論しようと身構えたジュリアのスカートが引かれた。倒れていた若い男が身体を起こし、諦めた表情でジュリアを見上げていた。
「……ありがとう、姉ちゃん」
よく見ればまだほんの少年だ。剣技科の大人びた同級生を見慣れているせいか、ジュリアと同じか、もっと幼く見える。
「どこ行きやがった、あのクソガキ!」
ドアが大きな音を立てて蹴破られ、少年はビクリと肩を震わせて振り返った。
「何なのよ、あいつ……」
剣技科生徒のジェレミーを一回り大きくしたような男が店内を見回し、床に蹲る少年を見つけた。淡い色の瞳が細められる。
「こんなところにいたのか。……姉ちゃんが心配しているぞ?」
大きな手が少年の肩に伸び、力任せに立たせようとする。
「ちょっと、あんた!やめなよ!」
ジュリアが声を上げ、男をキッと睨んだ。
「怪我してるんだから、手荒な真似は……」
「何だぁ?この威勢のいい姉ちゃんは。……はあん、そうか。そんなに俺に雇われたいのか?」
「雇う?フン、お断りだよ。私にはパトロ……」
パトロンがいる、と言いかけたジュリアの顎を男の無骨な手が掴む。細い顎に指が食い込んだ。
「いいな。なかなかの別嬪じゃないか。アントニアより若そうだな」
放せ、と言おうとするが、口が動かせない。ジュリアは男を睨むだけで精一杯だった。
「おい」
「あ?何だ?」
視線だけ動かすと、視界に不機嫌そうなレイモンドが見えた。
「他人の物を掠め取るつもりか」
「何だよ、てめえ」
腕組みをしたレイモンドは男に負けていなかった。体格では勝てないが、オーラが威嚇している。男はレイモンドを殴ろうと、ジュリアから手を離した。
――チャンス!
拳を作って指を鳴らし、男がレイモンドに殴りかかった瞬間、ジュリアは近くにあったダイニングテーブルの椅子を持ち上げ、脳天目がけて降り下ろした。レイモンドに交わされてバランスを失った男は、椅子の直撃を受けて床に倒れた。
「やった!」
「姉ちゃん、逃げて!」
「え、どうし……」
少年に尋ねたジュリアの背後から大きな影が伸びて床に広がった。
◆◆◆
ゆっくりと目を開けると、温かい色合いの魔法球が見えた。レイモンドは自分のいる場所が分からなかった。
「……ん?」
「ああ、あんた、気が付いたのかい」
はきはきとした嗄れ声が聞こえる。
「あなたは……宿屋の」
宿屋の女将はすまなそうに眉尻を下げ、目元に皺をつくりながら笑った。
「悪かったね。あんたがあの男に蹴られた後、あたしらもあの子を取り返したかったんだけど……」
あの子、と聞いてレイモンドは青ざめた。
自分はジュリアと行動を共にしていたのだ。この場に彼女がいないということは、あの男に気に入られて連れ去られたのに違いない。
「か、彼女は……?」
ジュリアの危機に自分は意識を失っていたのか。なんて不甲斐ないんだろうと、レイモンドは自分を責めた。
「あの子なら、多分……」
女将は言葉を濁した。薄汚れた壁へ視線を彷徨わせる。
「アントニアのところじゃないか?大通りから少し入った裏通りで店をやっているんだよ。あいつはあの子とアントニアを入れ替えるつもりみたいだった」
「アントニアとは?」
「あの男……ニール・ボウベルの愛人だよ。可哀想に、恋人はフロードリンに送られて、あいつはアントニアを手に入れたんだ。言うことを聞かなければ、ブルーノを殺すと言われてね。うちの店に転がり込んできた男の子はアントニアの弟さ。ボウベルのところからアントニアを連れ出そうとして、いつも失敗してあの通りさ」
女将の瞳が潤む。
「俺の連れは、そんな悪い男に連れ去られたのか?」
「言っておくけど、誰に訴え出ても無駄だよ。領主様はボウベルの横暴を許していなさるんだから」
「いや、まさか」
ふるふると首を振り、女将は一つ溜息をついた。
「あたしらはね、もう諦めてるんだよ。ハーリオン侯爵様は、コレルダードをお見捨てになったのさ」
◆◆◆
ボウベルに連れ去られそうになり、レイモンドが蹴とばされて気を失ったのを見たジュリアは、男の肩に担がれて暴れた。ヒールのある靴で腹と胸を蹴り、背中を拳で何度も叩いて抵抗したが、腹を殴られて気絶した。
目が覚めた時は、暗い空間に転がっていた。
遠くに小さな魔法球の光が一つ。それ以外は闇が支配する冷たい部屋だ。手足の自由が利かない。指先で触ってみるとどうやら紐で縛られている。
「くっ……」
膝を折り曲げて腿につけたナイフを取ろうと試みるも、手首が背中側で纏められており、腿までは届きそうにない。
――一人じゃなかったらよかったのに。
アレックスと二人、市場で誘拐された時のことを思い出し、今の心細さに震えた。レイモンドは大丈夫だろうか。自分は帰れるのだろうか。行方が分からなくなれば、姉妹は必死に自分を探すだろう。勿論、アレックスも。
ぎゅっと瞳を閉じると、目尻から床へと涙が伝った。
「何だ?」
「さあ?」
顔を見合わせる。レイモンドが近くにいた男に尋ねようとすると、ドアが開いて若い男が転がり込んできた。頬が腫れ、唇から血を流している。
「た、助け……」
剣技科の練習で少しの傷には慣れているジュリアでも、駆け寄るのを一瞬躊躇うくらいだった。スカートを捲り、床に倒れている彼の元へ走り寄る。
「おい、ジュリ……!」
レイモンドが止める声も届かない。
「女将さん、何か冷やすもの……濡らしたおしぼりとかない?」
「オシボリ?」
「あ、えっと……布だよ、布」
困惑する女将の隣で、常連らしい男がにやにやと笑いながらジュリアを見る。
「姉ちゃん、そいつを手当てしようってのか?無駄無駄。いつも殴られてんだからよ」
「いつも?だったら余計に……」
反論しようと身構えたジュリアのスカートが引かれた。倒れていた若い男が身体を起こし、諦めた表情でジュリアを見上げていた。
「……ありがとう、姉ちゃん」
よく見ればまだほんの少年だ。剣技科の大人びた同級生を見慣れているせいか、ジュリアと同じか、もっと幼く見える。
「どこ行きやがった、あのクソガキ!」
ドアが大きな音を立てて蹴破られ、少年はビクリと肩を震わせて振り返った。
「何なのよ、あいつ……」
剣技科生徒のジェレミーを一回り大きくしたような男が店内を見回し、床に蹲る少年を見つけた。淡い色の瞳が細められる。
「こんなところにいたのか。……姉ちゃんが心配しているぞ?」
大きな手が少年の肩に伸び、力任せに立たせようとする。
「ちょっと、あんた!やめなよ!」
ジュリアが声を上げ、男をキッと睨んだ。
「怪我してるんだから、手荒な真似は……」
「何だぁ?この威勢のいい姉ちゃんは。……はあん、そうか。そんなに俺に雇われたいのか?」
「雇う?フン、お断りだよ。私にはパトロ……」
パトロンがいる、と言いかけたジュリアの顎を男の無骨な手が掴む。細い顎に指が食い込んだ。
「いいな。なかなかの別嬪じゃないか。アントニアより若そうだな」
放せ、と言おうとするが、口が動かせない。ジュリアは男を睨むだけで精一杯だった。
「おい」
「あ?何だ?」
視線だけ動かすと、視界に不機嫌そうなレイモンドが見えた。
「他人の物を掠め取るつもりか」
「何だよ、てめえ」
腕組みをしたレイモンドは男に負けていなかった。体格では勝てないが、オーラが威嚇している。男はレイモンドを殴ろうと、ジュリアから手を離した。
――チャンス!
拳を作って指を鳴らし、男がレイモンドに殴りかかった瞬間、ジュリアは近くにあったダイニングテーブルの椅子を持ち上げ、脳天目がけて降り下ろした。レイモンドに交わされてバランスを失った男は、椅子の直撃を受けて床に倒れた。
「やった!」
「姉ちゃん、逃げて!」
「え、どうし……」
少年に尋ねたジュリアの背後から大きな影が伸びて床に広がった。
◆◆◆
ゆっくりと目を開けると、温かい色合いの魔法球が見えた。レイモンドは自分のいる場所が分からなかった。
「……ん?」
「ああ、あんた、気が付いたのかい」
はきはきとした嗄れ声が聞こえる。
「あなたは……宿屋の」
宿屋の女将はすまなそうに眉尻を下げ、目元に皺をつくりながら笑った。
「悪かったね。あんたがあの男に蹴られた後、あたしらもあの子を取り返したかったんだけど……」
あの子、と聞いてレイモンドは青ざめた。
自分はジュリアと行動を共にしていたのだ。この場に彼女がいないということは、あの男に気に入られて連れ去られたのに違いない。
「か、彼女は……?」
ジュリアの危機に自分は意識を失っていたのか。なんて不甲斐ないんだろうと、レイモンドは自分を責めた。
「あの子なら、多分……」
女将は言葉を濁した。薄汚れた壁へ視線を彷徨わせる。
「アントニアのところじゃないか?大通りから少し入った裏通りで店をやっているんだよ。あいつはあの子とアントニアを入れ替えるつもりみたいだった」
「アントニアとは?」
「あの男……ニール・ボウベルの愛人だよ。可哀想に、恋人はフロードリンに送られて、あいつはアントニアを手に入れたんだ。言うことを聞かなければ、ブルーノを殺すと言われてね。うちの店に転がり込んできた男の子はアントニアの弟さ。ボウベルのところからアントニアを連れ出そうとして、いつも失敗してあの通りさ」
女将の瞳が潤む。
「俺の連れは、そんな悪い男に連れ去られたのか?」
「言っておくけど、誰に訴え出ても無駄だよ。領主様はボウベルの横暴を許していなさるんだから」
「いや、まさか」
ふるふると首を振り、女将は一つ溜息をついた。
「あたしらはね、もう諦めてるんだよ。ハーリオン侯爵様は、コレルダードをお見捨てになったのさ」
◆◆◆
ボウベルに連れ去られそうになり、レイモンドが蹴とばされて気を失ったのを見たジュリアは、男の肩に担がれて暴れた。ヒールのある靴で腹と胸を蹴り、背中を拳で何度も叩いて抵抗したが、腹を殴られて気絶した。
目が覚めた時は、暗い空間に転がっていた。
遠くに小さな魔法球の光が一つ。それ以外は闇が支配する冷たい部屋だ。手足の自由が利かない。指先で触ってみるとどうやら紐で縛られている。
「くっ……」
膝を折り曲げて腿につけたナイフを取ろうと試みるも、手首が背中側で纏められており、腿までは届きそうにない。
――一人じゃなかったらよかったのに。
アレックスと二人、市場で誘拐された時のことを思い出し、今の心細さに震えた。レイモンドは大丈夫だろうか。自分は帰れるのだろうか。行方が分からなくなれば、姉妹は必死に自分を探すだろう。勿論、アレックスも。
ぎゅっと瞳を閉じると、目尻から床へと涙が伝った。
0
お気に入りに追加
751
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない
陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」
デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。
そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。
いつの間にかパトロンが大量発生していた。
ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?
転生したら攻略対象者の母親(王妃)でした
黒木寿々
恋愛
我儘な公爵令嬢リザベル・フォリス、7歳。弟が産まれたことで前世の記憶を思い出したけど、この世界って前世でハマっていた乙女ゲームの世界!?私の未来って物凄く性悪な王妃様じゃん!
しかもゲーム本編が始まる時点ですでに亡くなってるし・・・。
ゲームの中ではことごとく酷いことをしていたみたいだけど、私はそんなことしない!
清く正しい心で、未来の息子(攻略対象者)を愛でまくるぞ!!!
*R15は保険です。小説家になろう様でも掲載しています。
婚約破棄をいたしましょう。
見丘ユタ
恋愛
悪役令嬢である侯爵令嬢、コーデリアに転生したと気づいた主人公は、卒業パーティーの婚約破棄を回避するために奔走する。
しかし無慈悲にも卒業パーティーの最中、婚約者の王太子、テリーに呼び出されてしまうのだった。
婚約破棄ですか。ゲームみたいに上手くはいきませんよ?
ゆるり
恋愛
公爵令嬢スカーレットは婚約者を紹介された時に前世を思い出した。そして、この世界が前世での乙女ゲームの世界に似ていることに気付く。シナリオなんて気にせず生きていくことを決めたが、学園にヒロイン気取りの少女が入学してきたことで、スカーレットの運命が変わっていく。全6話予定
【完結】死がふたりを分かつとも
杜野秋人
恋愛
「捕らえよ!この女は地下牢へでも入れておけ!」
私の命を受けて会場警護の任に就いていた騎士たちが動き出し、またたく間に驚く女を取り押さえる。そうして引っ立てられ連れ出される姿を見ながら、私は心の中だけでそっと安堵の息を吐く。
ああ、やった。
とうとうやり遂げた。
これでもう、彼女を脅かす悪役はいない。
私は晴れて、彼女を輝かしい未来へ進ませることができるんだ。
自分が前世で大ヒットしてTVアニメ化もされた、乙女ゲームの世界に転生していると気づいたのは6歳の時。以来、前世での最推しだった悪役令嬢を救うことが人生の指針になった。
彼女は、悪役令嬢は私の婚約者となる。そして学園の卒業パーティーで断罪され、どのルートを辿っても悲惨な最期を迎えてしまう。
それを回避する方法はただひとつ。本来なら初回クリア後でなければ解放されない“悪役令嬢ルート”に進んで、“逆ざまあ”でクリアするしかない。
やれるかどうか何とも言えない。
だがやらなければ彼女に待っているのは“死”だ。
だから彼女は、メイン攻略対象者の私が、必ず救う⸺!
◆男性(王子)主人公の乙女ゲーもの。主人公は転生者です。
詳しく設定を作ってないので、固有名詞はありません。
◆全10話で完結予定。毎日1話ずつ投稿します。
1話あたり2000字〜3000字程度でサラッと読めます。
◆公開初日から恋愛ランキング入りしました!ありがとうございます!
◆この物語は小説家になろうでも同時投稿します。
シナリオ通り追放されて早死にしましたが幸せでした
黒姫
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢に転生しました。神様によると、婚約者の王太子に断罪されて極北の修道院に幽閉され、30歳を前にして死んでしまう設定は変えられないそうです。さて、それでも幸せになるにはどうしたら良いでしょうか?(2/16 完結。カテゴリーを恋愛に変更しました。)
悪役令嬢の居場所。
葉叶
恋愛
私だけの居場所。
他の誰かの代わりとかじゃなく
私だけの場所
私はそんな居場所が欲しい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※誤字脱字等あれば遠慮なく言ってください。
※感想はしっかりニヤニヤしながら読ませて頂いています。
※こんな話が見たいよ!等のリクエストも歓迎してます。
※完結しました!番外編執筆中です。
ヒロインではないので婚約解消を求めたら、逆に追われ監禁されました。
曼珠沙華
恋愛
「運命の人?そんなの君以外に誰がいるというの?」
きっかけは幼い頃の出来事だった。
ある豪雨の夜、窓の外を眺めていると目の前に雷が落ちた。
その光と音の刺激のせいなのか、ふと前世の記憶が蘇った。
あ、ここは前世の私がはまっていた乙女ゲームの世界。
そしてローズという自分の名前。
よりにもよって悪役令嬢に転生していた。
攻略対象たちと恋をできないのは残念だけど仕方がない。
婚約者であるウィリアムに婚約破棄される前に、自ら婚約解消を願い出た。
するとウィリアムだけでなく、護衛騎士ライリー、義弟ニコルまで様子がおかしくなり……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる