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学院編 13 悪役令嬢は領地を巡る

395 悪役令嬢は領地を巡る フロードリン編1

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エミリーが女子に囲まれたセドリックを捕まえてエスティアに転移する少し前のこと。
市場に慣れているアレックスに先導され、マリナは雑踏の中にいた。侍女のマリアンと、彼女が仕える下級貴族のお坊ちゃんのアランという設定である。
「レイモンドさんの話だと、真ん中にある建物、だったよな?」
「ええ。行けば分かるとか。……絵くらい描いてくれてもよさそうなものなのに」
マリナは腰に手を当てて眉を軽く吊り上げた。
「あー、それさあ、殿下が言ってたんだけど、無理だと思うぞ」
「あら、どうして?」
「ここだけの話だけど、レイモンドさんの弱点は、絵らしい」
「致命的に下手ってこと?」
何でも完璧にこなせる未来の宰相候補にも、苦手なものがあったとは驚きだ。マリナはアリッサから聞かされるデートの話の中で、絵の話題があまり出ないのはそのためかと納得した。
「殿下ははっきり仰らなかったさ。言ったら後が怖いだろ」
「そうね。彼はプライドが高いから。……そういうアレックスはどうなの?」
「俺?……俺は、絵とか……描かないからなあ。見るのもよく分かんねえし」
「少しは知っておいたほうがいいと思うわよ。将来、セドリック様に付いて外国に行って、有名画家の絵の前で恥をかくことになるわ」
「げ。マジか」
「剣技科は美術鑑賞の時間もないものね。……あれ、もしかして?」
マリナが視線を上げた先には、レンガ造りの建物があった。
「ここ、市場の真ん中あたりだぜ。きっとあれだ!」

   ◆◆◆

「王都の市場の中央に、こんなところがあったのか。俺、知らなかったよ」
アレックスは並ぶ魔法陣を前に興奮している。誰でも自由に使える国内最大の魔法陣スポットと言ってもいい。王都と主要都市を繋ぐ魔法陣は、うまく利用すれば一日で遠くまで移動できる。隣と薄い壁で仕切られた部屋に、光を放つ魔法陣がある。個室の大きさがもう少し小さければ、前世の女子トイレのようだとマリナは思った。
「荷物用の魔法陣は別のところにあるようね。こちらは行き来する人専用で、特に通行証は必要ないみたい」
「よっしゃ。さっさと行こうぜ!えっと……マリアンだっけ?」

下級貴族令息の格好をしたアレックスは、古ぼけた服を着ていても堂々として凛々しい。侍女のマリナから着替えが入ったトランクを奪って先に歩いていく。さり気ない心遣いが嬉しかった。
――ジュリアはこういうところが好きなのかしら?
「お一人で行かないでくださいませ、アラン様!」
スカートを持ち上げてマリナはアレックスの背中を追った。目の前の円の中に飛び込んだアレックスが「うおっ!」と声を上げて消える。
「私も覚悟を決めないと!」
瞼を閉じてゆっくりと開け、マリナは思いきって魔法陣に片足を踏み出した。

   ◆◆◆

落とし穴に落ちた経験は数回しかないが、落ちたらかなり痛いのは知っている。マリナは足元にぽっかりと穴が開いて、身体が浮いたような感覚がし、ぎゅっと目を閉じた。

が。
来るべき衝撃は来なかった。
魔法陣の転移先の床に落ちるだろうと予測していたが、床は冷たくなく、硬くもなかった。
「……どいてくれ」
身体の下から、呻くような男の声がした。
――アレックス!?
「ごめんなさい。私が潰してしまったのね!」
ばっと跳ね起き、まだ薄く光っている魔法陣の上に座る。スカートの裾を気にしていると、潰されたアレックスが鼻の頭を掻きながら気まずそうに視線を逸らした。
「……別に、気にすんなよ」
真っ赤になってトランクを拾い、ブツブツと何か呟いている。
「顔に……柔らかくて……」
「アラン?」
「殿下には言えねえな……」
「どうしたの?」
「うわあああ、な、ななな、何でもないっ!気にすんなって、な?それより、街に出ようぜ」
「そうね。行きましょう」

魔法陣のある工業会の建物からフロードリンの街に出ると、マリナはあっと声を上げた。
「何だ?あれ。マリナはここに来たことあるんだろ?」
「ええ。……二年くらい前に、お父様と魔法陣で。その時はあんなものはなかったわ」
マリナが知っているフロードリンは、工場が立ち並んではいたがほのぼのとした地方都市だった。近隣の農村部から運ばれてきた羊毛が幌付き馬車に揺られ、レンガ造りの向上に入っていく。工場の労働者は夕日が射す頃には家路につき、夜の帳が下りる頃には、家庭から夕食の匂いと一家団欒の笑い声がするような、幸福感溢れる街だったのだ。

だが、二人の前には、石積みの上に黒光りする鉄格子がついた塀に囲まれ、モクモクと煙突から煙を上げる工場がある。道路の左右を見ても、どこで塀が終わるのか見当がつかない。
「すっげえ。超でっけえ……」
「二年前には、工業会の向かい側には、個人経営の商店が立ち並んでいたのよ。この道路を行った先に数軒の工場があって、働く人は帰りにお店に寄って……お店はどこへ行ったのかしら」
ハーリオン侯爵はフロードリンの商店街が大好きだった。人とのふれあいで心が温かくなる町だと何度も言っていた。マリナを連れてきたのも、王太子妃になっても民の日々の暮らしを思いやってほしいと考えたからだと、帰り道で聞かされた。マリナは父との思い出が蘇り目頭が熱くなった。
――お父様の大好きな町が変わってしまったのね。
「閉店したか、どっかに移ったのかな。誰かに聞いてみないか。ほら、さっきの魔法陣があったとこ。魔法陣から出たら、見張りのおっさんがいたよな」
そもそも魔法陣の監視員など、二年前はいなかったはずだ。何かがおかしい。
「あの人に訊くのはやめましょう。ジロジロ見られて、何か嫌な感じがしたわ。向こうには古くからの町工場があったはずよ」

   ◆◆◆

かなり歩いてきたのに、鉄格子のある工場の壁は途切れない。
「もうすぐ……もうすぐあると思うわ」
「本当か?二年前のことだし、道、間違ったんじゃないか?」
「この一本道はね、朝日が昇る側には通称『朝日商店街』、夕日が沈む側には『夕日商店街』って呼ばれるそこそこ大きな商店街があったのよ。商店街の傍には住宅街があってね、とっても賑やかで……」
「人影もないな。俺達、魔法陣のとこから誰ともすれ違ってないよな?話を訊くにも、人がいないんじゃなあ。人がいなきゃ、店もやめるよな」
「ちょっと待って。あそこで休憩しましょう」

公園と思しき場所で、古びたベンチに腰掛け、マリナはアレックスが持っている荷物を開けた。中にはアリッサとレイモンドがフロードリンの報告書をまとめたノートがある。それによると、過去五年を見ても、十年のスパンでも、主要産物である毛織物の生産量に変化はない。人口の推移も、店の数も、目立った動きはないようだ。
「おかしいわね……」
「何が?」
アレックスが横からノートを覗く。数字ばかりで「うへぇ」と舌を出す。
「あんなに大きな工場があるなら、毛織物の生産量がグンと上がっているはず。二年前になくて、去年できたとしても、実績には現れて来るわ」
「そうなのか?」
「それに、お父様があれほどの設備投資をした形跡がないの。ほら、ここ。これがうちの……ハーリオン家の持ち出し。こっちが産出額、利益と呼べるのはここね。うち、王家に納めたのがこれくらい」
「ふぅーん」
「……話を聞いてる?」
やる気のないアレックスにマリナは苛立った。
「聞いてるよ。入ってくる金も出て行く金も同じなのに、何か知らないでっけえ建物が立っちまってるってことだろ?」

「そうよ。王宮に上がっている訴えでは、羊毛を横取りされたという話もあるわ。確かに、あの工場ならいくらでも原料は欲しいでしょうね」
「工場でガンガン作ったやつは、どこに持ってってるんだ?数字で見ると儲けは変わんないんだから、安売りでもしてんのか?」
「フロードリンの毛織物は高級品よ。質がよくて、店でもめったに安売りはしないからこそ、高級品だと思われているの。この二年、王都の店でフロードリンの毛織物を安売りした話は聞かないし、第一、そんなことがあったらお父様が気づくでしょう。お父様に内緒で工場を拡大したのも、羊毛を横取りしてでも生産量を増やしているのも、この街の責任者の判断でしていることよ」

この二年、ハーリオン侯爵はフロードリンに行っていない。去年の秋にマリナが王太子妃候補に確定してからというもの、ハーリオン侯爵夫妻は社交の場に引っ張りだこだった。未来の王妃の両親に顔を売っておきたい貴族に次々と声をかけられ、茶会や夜会に行く日々が続いていた。今年は四姉妹が王立学院に入学する準備やら、アリッサとレイモンドの婚約やらで、領地を回る余裕がなかったように思う。執事のジョンを通して指示は出していただろうが、この有様だ。
「なあ。街の責任者はどこにいるんだ?侯爵様の指示でここを仕切ってる奴」
「方向的には、あっちよ。領主館はね」
マリナが細い指先を向けたのは、鉄格子の向こうだった。
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