上 下
769 / 794
閑話 星の流れる夜は

星の流れる夜は 5

しおりを挟む
「レイ様、とんだ誤解です!マリナちゃんには元彼なんていません」
「モトカレ?」
聞きなれない言葉に、レイモンドの眼鏡が光った。
帰り道の薔薇園で、アリッサは再びレイモンドから事情聴取をされていた。
「あ、ええと……昔の恋人なんていないんです。ジュリアちゃんの友達の話っていうのも、あの……そう、私の小説のせいで」
「小説?」
「はい。小説だと、『ずっと一緒にいよう』とか『この戦いから戻ってきたら結婚しよう』とかって、主人公の恋人が言いますよね」
「ああ、よくあるな。……大概、一緒にはいられなくなり、戦いから帰って来ないが」
「そうなんです!」
アリッサは弁解しながら胸が痛んだ。前世の話をしないで説明するということは、半分レイモンドを騙していることにはならないか。ジュリアを庇い、マリナに対する誤解を解くためとはいえ、してはいけないことをしているような罪悪感に苛まれた。
「私が、小説だとよくあるよって話をしたから、ジュリアちゃんは覚えていて、アレックス君に言ったんだと思います。恋人になってから日が浅いし、不安だからだと思うんです」
無言でエメラルドの瞳を細めたレイモンドは、二拍おいて、ふうと溜息をついた。
「そうか。……筆頭侯爵家の令嬢に許されざる恋人がいたわけではないのだな」
ぶんぶんと頭を振り、アリッサは懸命に訴える。
「いません!絶対に、いません!」
「ははっ……必死だな」
「だって、レイ様に信じてもらえないのは苦しいです。マリナちゃんだけじゃなくて、私のことも疑っていましたよね?」
ジト目で見ると、レイモンドは眉を上げて視線を逸らした。
「……ひどい」
「拗ねるな。……全く。困った奴だ」
アリッサの顔の高さまで頭を下げ、レイモンドは触れるだけのキスをした。耳朶に触れる位置で低く囁く。
「あんまり可愛いことを言ってくれるな。……歯止めが利かなくなったらどうする?」
あわあわと唇を震わせ、真っ赤になったアリッサを撫で、レイモンドは浮き立つ気持ちを止められなかった。

   ◇◇◇

――ええと、どういうことなの?
エミリーは冷静に現状を分析しようと試みた。
――ここはどこ……って、マシューの部屋のベッドよね。魔法科教官室に呼ばれたと思ったら、すぐに転移してきて。私はエミリー。で、向かいにいるのがマシュー。
ちらりと彼を見る。真っ赤な左目が魔力を帯びて輝いている。恐ろしいほど美しく、見入らずにはいられない。エミリーの両手は頭の上で拘束されている。宙に浮かぶ魔法の輪が両手首を一つにして彼女の自由を奪っていた。
「……訊きたいことがある」
「やっと喋ったわね」
「教室では訊けない。教官室もだ」
「だからって……独身寮に連れ込まなくても」
「連れ込む?その男がしたことに比べたら可愛いものだ」
「……その男って誰?」
エミリーには全く思い当たる節がない。マシューが何故、これほど魔力を滾らせて怒っているのか理解できない。
「お前を虚仮にして他の女を選んだ男がいるのだろう」
「……は?」
「隠しても無駄だ。今朝、男子寮で王太子と側近が話していた。侯爵令嬢が騎士に騙されたと。ヴィルソードから情報を得て、どうやら犯人の目星はついているようだった。侯爵令嬢とはお前のことだろう、エミリー」
――どうしてそうなるのよ!
「……違うわ」
「嘘をつくな。王太子妃候補のマリナにそんな噂が立てばすぐに広まる。ジュリアなら、息子の親友を傷つけた騎士を騎士団長が許すはずがない。公爵令息の婚約者のアリッサは男が近づけないようにしていたと聞いたことがある。お前は……」
「違う」
「婚約者もいない。恋人もいない。騎士が近づく隙があるのはお前だけだ」
――ジュリアの作り話がこんなことになるなんて!
内心絶叫しながら、エミリーはぎゅっと唇を引き結びマシューを睨んだ。
「……だったら何?」
「な……!」
「私が恋愛するのが面白くないの?あなたの許可が必要なの?」
「……ああ。不満だ」
マシューは戸惑い、絞り出すように言って口をつぐんだ。少なからずダメージを受けたらしい。
――私を魔法で縛ったこと、後悔させてやろうか。
悪戯心が芽生えて、エミリーは誰にも気づかれないくらいに微かに笑った。
「それなら、許可して」
「……エミリー。やはり……」
マシューは絶望しているようだ。赤い瞳が昏く輝く。
「……好きな、人……がいるの。多分、ずっと……好きだったんだと思う」
「……そう、か」
「……名前、聞かないの?」
「聞いたら最後、俺は何をするか分からない」
「私が好きなのは……ぅんう……!」
華奢な身体を抱きしめて強引に唇を奪い、エミリーの言葉を遮った。口づけの後、少し涙目になったエミリーは、無言でマシューを見つめた。
「……泣くほど嫌か。俺にキスされるのは」
「息ができなくて……」
「その男がいいんだな」
マシューの周りに濃密な闇魔法の気配が立ち込める。
――しまった!からかいすぎた!
「ち、違うの!」
「何が違う?好きな男がいるんだろう?」
「いるけど、違うの!……好きなのは、マシューだから」
「……」
赤い瞳を瞬かせ、マシューはぐっと息を呑んだ。周囲の黒い気配が霧散した。
「……それでも、私が恋愛するのは面白くない?」
畳み掛けるとマシューがやっと動いた。エミリーの頬を撫で、熱い視線を絡めながら
「ああ、最悪だ」
と呟いた。
「ねえ、拘束を解いてよ」
「嫌だ。……言っただろう。お前が好きな男の名前を言ったら、俺は何をするか分からないと」
鬱陶しい前髪の向こうで赤い瞳が強い魔力を帯びて煌めいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄をいたしましょう。

見丘ユタ
恋愛
悪役令嬢である侯爵令嬢、コーデリアに転生したと気づいた主人公は、卒業パーティーの婚約破棄を回避するために奔走する。 しかし無慈悲にも卒業パーティーの最中、婚約者の王太子、テリーに呼び出されてしまうのだった。

悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない

陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」 デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。 そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。 いつの間にかパトロンが大量発生していた。 ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?

転生したら攻略対象者の母親(王妃)でした

黒木寿々
恋愛
我儘な公爵令嬢リザベル・フォリス、7歳。弟が産まれたことで前世の記憶を思い出したけど、この世界って前世でハマっていた乙女ゲームの世界!?私の未来って物凄く性悪な王妃様じゃん! しかもゲーム本編が始まる時点ですでに亡くなってるし・・・。 ゲームの中ではことごとく酷いことをしていたみたいだけど、私はそんなことしない! 清く正しい心で、未来の息子(攻略対象者)を愛でまくるぞ!!! *R15は保険です。小説家になろう様でも掲載しています。

婚約破棄ですか。ゲームみたいに上手くはいきませんよ?

ゆるり
恋愛
公爵令嬢スカーレットは婚約者を紹介された時に前世を思い出した。そして、この世界が前世での乙女ゲームの世界に似ていることに気付く。シナリオなんて気にせず生きていくことを決めたが、学園にヒロイン気取りの少女が入学してきたことで、スカーレットの運命が変わっていく。全6話予定

【完結】死がふたりを分かつとも

杜野秋人
恋愛
「捕らえよ!この女は地下牢へでも入れておけ!」  私の命を受けて会場警護の任に就いていた騎士たちが動き出し、またたく間に驚く女を取り押さえる。そうして引っ立てられ連れ出される姿を見ながら、私は心の中だけでそっと安堵の息を吐く。  ああ、やった。  とうとうやり遂げた。  これでもう、彼女を脅かす悪役はいない。  私は晴れて、彼女を輝かしい未来へ進ませることができるんだ。 自分が前世で大ヒットしてTVアニメ化もされた、乙女ゲームの世界に転生していると気づいたのは6歳の時。以来、前世での最推しだった悪役令嬢を救うことが人生の指針になった。 彼女は、悪役令嬢は私の婚約者となる。そして学園の卒業パーティーで断罪され、どのルートを辿っても悲惨な最期を迎えてしまう。 それを回避する方法はただひとつ。本来なら初回クリア後でなければ解放されない“悪役令嬢ルート”に進んで、“逆ざまあ”でクリアするしかない。 やれるかどうか何とも言えない。 だがやらなければ彼女に待っているのは“死”だ。 だから彼女は、メイン攻略対象者の私が、必ず救う⸺! ◆男性(王子)主人公の乙女ゲーもの。主人公は転生者です。 詳しく設定を作ってないので、固有名詞はありません。 ◆全10話で完結予定。毎日1話ずつ投稿します。 1話あたり2000字〜3000字程度でサラッと読めます。 ◆公開初日から恋愛ランキング入りしました!ありがとうございます! ◆この物語は小説家になろうでも同時投稿します。

シナリオ通り追放されて早死にしましたが幸せでした

黒姫
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢に転生しました。神様によると、婚約者の王太子に断罪されて極北の修道院に幽閉され、30歳を前にして死んでしまう設定は変えられないそうです。さて、それでも幸せになるにはどうしたら良いでしょうか?(2/16 完結。カテゴリーを恋愛に変更しました。)

悪役令嬢の居場所。

葉叶
恋愛
私だけの居場所。 他の誰かの代わりとかじゃなく 私だけの場所 私はそんな居場所が欲しい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ※誤字脱字等あれば遠慮なく言ってください。 ※感想はしっかりニヤニヤしながら読ませて頂いています。 ※こんな話が見たいよ!等のリクエストも歓迎してます。 ※完結しました!番外編執筆中です。

ヒロインではないので婚約解消を求めたら、逆に追われ監禁されました。

曼珠沙華
恋愛
「運命の人?そんなの君以外に誰がいるというの?」 きっかけは幼い頃の出来事だった。 ある豪雨の夜、窓の外を眺めていると目の前に雷が落ちた。 その光と音の刺激のせいなのか、ふと前世の記憶が蘇った。 あ、ここは前世の私がはまっていた乙女ゲームの世界。 そしてローズという自分の名前。 よりにもよって悪役令嬢に転生していた。 攻略対象たちと恋をできないのは残念だけど仕方がない。 婚約者であるウィリアムに婚約破棄される前に、自ら婚約解消を願い出た。 するとウィリアムだけでなく、護衛騎士ライリー、義弟ニコルまで様子がおかしくなり……?

処理中です...