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学院編 12 悪役令嬢は時空を超える
348 悪役令嬢は二度目の婚約を知る
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「やったー!冬休みだぁあああ!」
終業式を終え、クラスに戻ったジュリアは両手を握って高々と上げ、三軒隣に聞こえそうな声で絶叫した。
「うるせーぞ、ジュリア!」
ジェレミーが太い腕を振り回して威嚇するが、ジュリアは気にも留めない。
「何よ。あんただって、休みになって嬉しいでしょう?」
「……嬉しい……わけねえだろ!俺は毎日訓練ができなくて悔しいんだ!」
苦し紛れに言ったものの、ジェレミーはそれほど訓練が好きではなさそうだ。剣技科の実技の時間も基礎練習を嫌って逃げ出している。
「そう。それなら学院に残ればいいじゃない。剣士や騎士の試験に備えて実家に帰らない三年生もいるし、たっぷりしごいてもらいなさいよ」
「ちっ……口が減らない女だな」
睨みながらこちらへ歩いてくる。ジュリアまで残り数歩となったところで、間に二人の騎士、もといジュリア親衛隊が立ちはだかる。
「おっと、ここは教室だよ。剣の練習は訓練場でね」
レナードが口元に笑みを浮かべて優しい声をかける。目が全く笑っていない。
「練習試合がしたいってんなら、俺が相手になるぜ?」
腕組みをしたアレックスが、ぶっきらぼうに言い放つ。金の瞳は闘志で燃えている。一年生の中で一、二を争う二人を前に、ジェレミーは悔しそうに引き下がった。
◆◆◆
寒風が吹く冬の帰り道。
三人は並んで、外周の道を歩いていた。この頃三人で帰るのが定着している。
「別に、ジェレミーくらい返り討ちにしてやったのに」
ジュリアは両隣のアレックスとレナードに文句を言った。ラスボス化していないジェレミー相手なら、スピードで振り回せば勝てそうな気がする。
「俺が許せなかったんだ。気にすんなよ」
「私が気にするの!二人に守られてたら、腕がなまっちゃうよ」
「いつでも練習相手になるよ?何なら、今からでもいいよ。……アレックス、先に帰って」
「おい。練習に行くなら俺も行くぞ。お前ら二人だけにできねえし」
――二人だけ、か。
ジュリアの頬が赤みを帯びた。先日、レナードと二人だけで練習をした時のことを思い出す。後ろから抱きしめられ、首筋にキスされて齧られた。
――にしても、齧るか?フツー。
「今日はマフラーをしないんだね」
銀髪を高く結い上げた襟足にレナードの視線を感じる。
「あ。マフラー、教室に忘れた!取りに行くから、バイバイ!」
休みに入る前に取って来ないと、とジュリアは二人に手を振った。髪を靡かせて振り返らずに校舎へ走っていく。
「何だよ……忙しい奴だな」
「アレックスは休み中もジュリアちゃんと会うんだろ?」
「うん。まあな。王宮でパーティーがあるから」
「パーティーか……。ジュリアちゃんは出られるのかな?」
「どういう意味だよ」
「ハーリオン侯爵様が外国で捕まったって噂、どうやら本当みたいだからさ。マリナちゃんも殿下の妃候補から下ろされて……ジュリアちゃんだけが参加できるとは思えなくてね」
「それは……」
父・ヴィルソード侯爵からは、ブリジット王女との婚約話を進めるため、ジュリアとの婚約を解消するように迫られている。幼い王女をエスコートする必要はないが、ジュリアを公の場に連れ出せない。アレックスは眉を顰めた。
「ジュリアちゃんは図太いから、多少のことでは動じないと思うよ。でもさ、貴族の噂話は怖いからね。罪人の娘だとか、酷い非難中傷を受けたら……」
「ああ……そうだよな。俺、考えなしだったかも」
口では肩を落とすアレックスを慰めつつ、レナードの唇は弧を描いていた。
◆◆◆
教室に戻ると、自分の席の上に白いマフラーが引っかかっている。
「あった。よかったぁ」
さっと首に巻き、ドアに向かう足が止まる。
――んん?
閉じられた扉の向こうから、何やら人の話し声がする。生徒はとうに帰っている時間なのにおかしいと思い、ジュリアは聞き耳を立てた。
「ええと……あの……」
「あなたがこの教室に用事があるなんておかしいわよね?」
「それは、……その……」
――誰?
聞き覚えがある声だ。ドアを薄く開けて覗くと、そこにはピンク色の髪が見える。
――アイリーンだ。もう一人は……?
「ビヴァリーさん、あなた、普通科でしょ?剣技科の教室の前をうろうろして、何かしら?」
――あ、そうだ。あの子。ドレスを作ってくれたビヴァリーだ。
「そ、そういうあなたこそ、魔法科ですよね?」
「私は用があったのよ。……帰ったみたいで会えなかったけれど」
「わ、私も、そうです……」
ビヴァリーの胸には、綺麗にリボンがかけられたプレゼントが抱きしめられている。可愛い系ヒロインであるアイリーンは、女子の中では決して背が高い方ではないが、小柄なビヴァリーは常に見下ろされ、びくびくと小動物のように怯えている。
「それ、誰に?」
「えっ……」
「随分大事そうにしているわよね。もしかして、レナード・ネオブリーに渡すの?」
「……っ!」
――ビヴァリーが、レナードを?
学院祭の時からいい雰囲気だったな、とジュリアは思い返した。チャラ男のレナードの言葉は半分嘘だとしても、ビヴァリーが彼を見る瞳は恋する乙女のものだった。アイリーンはレナードも攻略しようとしているのだろうか。『とわばら2』の攻略対象だから、攻略して損することもないか。ここは是非とも、ビヴァリーを応援したいところだ。
「渡しても無駄よ。レナードはあなたのものにはならないわ」
「わ、分かってますっ……レナード君は、ジュリアさんが好きだから……」
ジュリアはいたたまれなくなった。軽口を叩かれてはいるが、レナードの気持ちは本物なのだ。いつかはと思いながら、はっきりしないできた自分を責めたくなった。
――ビヴァリー、ごめん!
「フン。そんなこと、誰が見ても分かるわよ。……私が言いたいのは、あの二人は近々婚約するってことよ」
「婚約!?」
ビヴァリーは泣きそうな声で唇を震わせた。覗き見をしていたジュリアも、つい声を上げそうになり、自分で自分の口を覆った。
――何だってぇええ!?
アレックスに王女との婚約話が来ているのは聞いたが、何故に自分とレナードが?詳しく聞こうにも両親が不在でよく分からない。アイリーンのほら話であればいいのだが。
泣きながらビヴァリーが走り去り、アイリーンが満足そうに後姿を見送ったのを見て、ジュリアはそっとドアを開けて教室から離れた。
――直接レナードに訊くしかないよね……。
マフラーを巻き直し校舎の外に出る。一際冷たい風が吹き、ジュリアは紫の瞳を細めて、顎をマフラーに埋めた。
◆◆◆
校舎を飛び出して走り、アレックスとレナードを探したが、二人は歩くのが速く、寮までの道には姿がなかった。仕方なく男子寮の入口に立つと、中から出てこようとしていた生徒に声をかけられた。制服とネクタイの色から、剣技科の三年生だと分かった。
「おっ、何だ?アレックスに用事か?」
「い、いいえ。レナードに用事があって」
「ふーん。あいつか……」
三年生は目を眇めた。雪が積もった木から視線をジュリアに戻し、
「何か最近思いつめてるみたいだからさ、相談に乗ってやってよ」
と肩をすくめた。
「思い……?」
「俺らと練習していても上の空っつーか、妙に気合入んねえなぁと思ったら、やたらと突っかかってくる時もあるしよ。……なあ、何かあったのか?」
「別に……何もないと思います」
「そっか。うん、それならいいんだ。……すぐに呼んできてやるから、待ってろよ」
人目を気にせずに話ができる場所……とジュリアがレナードを連れてきたのは、背の高い木々が生い茂る中庭の一角だった。一本の木を背にして、ジュリアはレナードに向き直った。
――薔薇園とは違うし、誰かに見られても変な勘繰りはされないよね?
「レナード、ここで話そうか」
「うん。……男子寮に来て、アレックスじゃなく俺を呼び出すなんて、何の用かな?」
明るい青の大きな瞳が優しく細められる。この人たらしの笑顔に、ビヴァリーも騙されたに違いない。
「婚約のことなんだけど」
ジュリアは単刀直入に切り出した。回りくどいのは嫌いだ。レナードならズバリ聞いても答えてくれそうな気がしたのだ。
「誰の?」
「私達の」
「ジュリアちゃんはアレックスと婚約しているんだよね?」
「うん。少なくとも、アレックスも私もそう思ってた」
「思ってた?ってことは、過去形なのかな。いよいよ僕にもチャンスが巡ってきた?」
いつもの調子でおどけて見せる。知らないふりをしているのか、本当に知らないのか。とんだくわせ者だ。調子が狂う。
「ふざけないで。何か知ってるんでしょ、レナード。さっき、学院の廊下でアイ……ある人が話してるのを聞いたの。レナードと私が婚約間近だって」
「ふうん。そうなんだ?俺はまだその噂、聞いたことなかったよ?」
「噂……」
「俺達、普通の友達より仲がいいからさ。噂になるのも仕方ないよ」
「単なる噂なんかじゃなくて、その人はね、本当のことみたいに言ってて……」
「ねえ、その人ってもしかして、魔法科の子?」
――ぎく。話していいのかな?どうなんだろう……レナードは誰とでも(特に女子)仲がいいし。
「う、うぅーん」
「フッ。分かりやすいなあ。アイリーン・シェリンズだよね?」
「……その通りよ」
「俺、あの子に何度か呼び出されてさ」
「えっ!」
「その度に魔法をかけられそうになったんだけど、一応魔法剣が使えるくらいには魔力があるから、ヤバいって気づいて逃げてた」
「嘘ぉ!」
――全然知らなかった。レナードがアイリーンに操られたら、とんでもないことになるよね?
「ん。知られないようにしてたし?」
「無事でよかったよ」
「あの子さあ、校内の何人かの男を狙ってるみたいだよ。家柄がいい順って感じ?王太子殿下に、オードファン先輩に、アレックス。伯爵家以下は問題外ってところかな。俺は平民スレスレだから、使い走りにはしたいけど狙われてはいないよ」
「ふ、ふぅん」
「俺をジュリアちゃんにあてがって、アレックスを奪おうって魂胆かな」
「奪わせないもん」
「意気込みは結構だけれど、俺はね、アイリーンの策に乗るのも悪くないって思ってる」
大きな掌がジュリアへ向かって伸ばされた。
ザザッ……。
強風に木の葉が揺れた。微かに漂うバラの香りに、ジュリアは酷く狼狽した。
――ここ、薔薇園の外れだったんだ!
『とわばら』でイベントが起こるのは薔薇園なら、『とわばら2』も恐らくは同じはずだ。レナードは攻略対象で……この状況は非常にまずい。何か知らないイベントへつながる扉をこじ開けてしまった気がする。気づくと二人の距離が恋人同士のように縮まっていた。
「ご期待に応えて、本当に婚約しよっか?」
背後の木に手をつき、レナードはジュリアに顔を近づけた。
「はは……レナード、冗談でしょ?」
――って躱せたらいいな。……わあ、レナードの目が本気なんだけど……。
前世から通算の恋愛経験値が低いジュリアでも、今の彼が危険だと分かる。指先が頬に触れ、唇に視線がロックオンしている。一周回って、ジュリアは冷静にレナードを観察した。
「俺は、いつだって本気だよ?ねえ、……どうしたら俺の気持ちを分かってくれるの?」
――睫毛長いな、唇の形も綺麗……って、ガン見してる場合じゃない!
「分かるとか、分かんないとか、考えたことないし」
近すぎる距離を離そうと、ジュリアはレナードの胸を押した。が、鍛えられた身体はびくともしない。体幹を鍛えていると言っていたのは嘘ではなかったらしい。
「考えてよ。……アレックスじゃなく、俺のことだけ考えてほしいな」
少し掠れた囁き声がジュリアの頭を痺れさせる。
「ねえ……ダメかな?」
「……っと、ね……」
――こういう時、どうしたらいいの?
「はっ!」
「えっ!?」
ジュリアはその場でさっと膝を曲げた。腕から逃れようとしたのに、勢い余って木の根元に座り込んでしまう。視界からジュリアが消えてレナードは驚きの声を上げた。
「全く……ジュリアちゃんは……」
レナードはやれやれと肩を竦め、敷石に膝をついてジュリアに視線を合わせた。背後の木に手を伸ばし、ジュリアを完全に囲い込んだ。
「レ、レナード、ちょい、待っ」
「待たない」
止めようと伸ばした手を簡単に掴まれて、頭の上にがっちり固定される。
「キスでもしたら……俺のことしか考えられなくなるよね?」
「だ、ダメ、私、浮気は嫌いっ……」
顔を傾けて、蕩けるような視線を絡めてくる。
――もう、絶体絶命だっ……!
ジュリアは身を硬くして、ぎゅっと目を瞑った。
終業式を終え、クラスに戻ったジュリアは両手を握って高々と上げ、三軒隣に聞こえそうな声で絶叫した。
「うるせーぞ、ジュリア!」
ジェレミーが太い腕を振り回して威嚇するが、ジュリアは気にも留めない。
「何よ。あんただって、休みになって嬉しいでしょう?」
「……嬉しい……わけねえだろ!俺は毎日訓練ができなくて悔しいんだ!」
苦し紛れに言ったものの、ジェレミーはそれほど訓練が好きではなさそうだ。剣技科の実技の時間も基礎練習を嫌って逃げ出している。
「そう。それなら学院に残ればいいじゃない。剣士や騎士の試験に備えて実家に帰らない三年生もいるし、たっぷりしごいてもらいなさいよ」
「ちっ……口が減らない女だな」
睨みながらこちらへ歩いてくる。ジュリアまで残り数歩となったところで、間に二人の騎士、もといジュリア親衛隊が立ちはだかる。
「おっと、ここは教室だよ。剣の練習は訓練場でね」
レナードが口元に笑みを浮かべて優しい声をかける。目が全く笑っていない。
「練習試合がしたいってんなら、俺が相手になるぜ?」
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「別に、ジェレミーくらい返り討ちにしてやったのに」
ジュリアは両隣のアレックスとレナードに文句を言った。ラスボス化していないジェレミー相手なら、スピードで振り回せば勝てそうな気がする。
「俺が許せなかったんだ。気にすんなよ」
「私が気にするの!二人に守られてたら、腕がなまっちゃうよ」
「いつでも練習相手になるよ?何なら、今からでもいいよ。……アレックス、先に帰って」
「おい。練習に行くなら俺も行くぞ。お前ら二人だけにできねえし」
――二人だけ、か。
ジュリアの頬が赤みを帯びた。先日、レナードと二人だけで練習をした時のことを思い出す。後ろから抱きしめられ、首筋にキスされて齧られた。
――にしても、齧るか?フツー。
「今日はマフラーをしないんだね」
銀髪を高く結い上げた襟足にレナードの視線を感じる。
「あ。マフラー、教室に忘れた!取りに行くから、バイバイ!」
休みに入る前に取って来ないと、とジュリアは二人に手を振った。髪を靡かせて振り返らずに校舎へ走っていく。
「何だよ……忙しい奴だな」
「アレックスは休み中もジュリアちゃんと会うんだろ?」
「うん。まあな。王宮でパーティーがあるから」
「パーティーか……。ジュリアちゃんは出られるのかな?」
「どういう意味だよ」
「ハーリオン侯爵様が外国で捕まったって噂、どうやら本当みたいだからさ。マリナちゃんも殿下の妃候補から下ろされて……ジュリアちゃんだけが参加できるとは思えなくてね」
「それは……」
父・ヴィルソード侯爵からは、ブリジット王女との婚約話を進めるため、ジュリアとの婚約を解消するように迫られている。幼い王女をエスコートする必要はないが、ジュリアを公の場に連れ出せない。アレックスは眉を顰めた。
「ジュリアちゃんは図太いから、多少のことでは動じないと思うよ。でもさ、貴族の噂話は怖いからね。罪人の娘だとか、酷い非難中傷を受けたら……」
「ああ……そうだよな。俺、考えなしだったかも」
口では肩を落とすアレックスを慰めつつ、レナードの唇は弧を描いていた。
◆◆◆
教室に戻ると、自分の席の上に白いマフラーが引っかかっている。
「あった。よかったぁ」
さっと首に巻き、ドアに向かう足が止まる。
――んん?
閉じられた扉の向こうから、何やら人の話し声がする。生徒はとうに帰っている時間なのにおかしいと思い、ジュリアは聞き耳を立てた。
「ええと……あの……」
「あなたがこの教室に用事があるなんておかしいわよね?」
「それは、……その……」
――誰?
聞き覚えがある声だ。ドアを薄く開けて覗くと、そこにはピンク色の髪が見える。
――アイリーンだ。もう一人は……?
「ビヴァリーさん、あなた、普通科でしょ?剣技科の教室の前をうろうろして、何かしら?」
――あ、そうだ。あの子。ドレスを作ってくれたビヴァリーだ。
「そ、そういうあなたこそ、魔法科ですよね?」
「私は用があったのよ。……帰ったみたいで会えなかったけれど」
「わ、私も、そうです……」
ビヴァリーの胸には、綺麗にリボンがかけられたプレゼントが抱きしめられている。可愛い系ヒロインであるアイリーンは、女子の中では決して背が高い方ではないが、小柄なビヴァリーは常に見下ろされ、びくびくと小動物のように怯えている。
「それ、誰に?」
「えっ……」
「随分大事そうにしているわよね。もしかして、レナード・ネオブリーに渡すの?」
「……っ!」
――ビヴァリーが、レナードを?
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「渡しても無駄よ。レナードはあなたのものにはならないわ」
「わ、分かってますっ……レナード君は、ジュリアさんが好きだから……」
ジュリアはいたたまれなくなった。軽口を叩かれてはいるが、レナードの気持ちは本物なのだ。いつかはと思いながら、はっきりしないできた自分を責めたくなった。
――ビヴァリー、ごめん!
「フン。そんなこと、誰が見ても分かるわよ。……私が言いたいのは、あの二人は近々婚約するってことよ」
「婚約!?」
ビヴァリーは泣きそうな声で唇を震わせた。覗き見をしていたジュリアも、つい声を上げそうになり、自分で自分の口を覆った。
――何だってぇええ!?
アレックスに王女との婚約話が来ているのは聞いたが、何故に自分とレナードが?詳しく聞こうにも両親が不在でよく分からない。アイリーンのほら話であればいいのだが。
泣きながらビヴァリーが走り去り、アイリーンが満足そうに後姿を見送ったのを見て、ジュリアはそっとドアを開けて教室から離れた。
――直接レナードに訊くしかないよね……。
マフラーを巻き直し校舎の外に出る。一際冷たい風が吹き、ジュリアは紫の瞳を細めて、顎をマフラーに埋めた。
◆◆◆
校舎を飛び出して走り、アレックスとレナードを探したが、二人は歩くのが速く、寮までの道には姿がなかった。仕方なく男子寮の入口に立つと、中から出てこようとしていた生徒に声をかけられた。制服とネクタイの色から、剣技科の三年生だと分かった。
「おっ、何だ?アレックスに用事か?」
「い、いいえ。レナードに用事があって」
「ふーん。あいつか……」
三年生は目を眇めた。雪が積もった木から視線をジュリアに戻し、
「何か最近思いつめてるみたいだからさ、相談に乗ってやってよ」
と肩をすくめた。
「思い……?」
「俺らと練習していても上の空っつーか、妙に気合入んねえなぁと思ったら、やたらと突っかかってくる時もあるしよ。……なあ、何かあったのか?」
「別に……何もないと思います」
「そっか。うん、それならいいんだ。……すぐに呼んできてやるから、待ってろよ」
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――薔薇園とは違うし、誰かに見られても変な勘繰りはされないよね?
「レナード、ここで話そうか」
「うん。……男子寮に来て、アレックスじゃなく俺を呼び出すなんて、何の用かな?」
明るい青の大きな瞳が優しく細められる。この人たらしの笑顔に、ビヴァリーも騙されたに違いない。
「婚約のことなんだけど」
ジュリアは単刀直入に切り出した。回りくどいのは嫌いだ。レナードならズバリ聞いても答えてくれそうな気がしたのだ。
「誰の?」
「私達の」
「ジュリアちゃんはアレックスと婚約しているんだよね?」
「うん。少なくとも、アレックスも私もそう思ってた」
「思ってた?ってことは、過去形なのかな。いよいよ僕にもチャンスが巡ってきた?」
いつもの調子でおどけて見せる。知らないふりをしているのか、本当に知らないのか。とんだくわせ者だ。調子が狂う。
「ふざけないで。何か知ってるんでしょ、レナード。さっき、学院の廊下でアイ……ある人が話してるのを聞いたの。レナードと私が婚約間近だって」
「ふうん。そうなんだ?俺はまだその噂、聞いたことなかったよ?」
「噂……」
「俺達、普通の友達より仲がいいからさ。噂になるのも仕方ないよ」
「単なる噂なんかじゃなくて、その人はね、本当のことみたいに言ってて……」
「ねえ、その人ってもしかして、魔法科の子?」
――ぎく。話していいのかな?どうなんだろう……レナードは誰とでも(特に女子)仲がいいし。
「う、うぅーん」
「フッ。分かりやすいなあ。アイリーン・シェリンズだよね?」
「……その通りよ」
「俺、あの子に何度か呼び出されてさ」
「えっ!」
「その度に魔法をかけられそうになったんだけど、一応魔法剣が使えるくらいには魔力があるから、ヤバいって気づいて逃げてた」
「嘘ぉ!」
――全然知らなかった。レナードがアイリーンに操られたら、とんでもないことになるよね?
「ん。知られないようにしてたし?」
「無事でよかったよ」
「あの子さあ、校内の何人かの男を狙ってるみたいだよ。家柄がいい順って感じ?王太子殿下に、オードファン先輩に、アレックス。伯爵家以下は問題外ってところかな。俺は平民スレスレだから、使い走りにはしたいけど狙われてはいないよ」
「ふ、ふぅん」
「俺をジュリアちゃんにあてがって、アレックスを奪おうって魂胆かな」
「奪わせないもん」
「意気込みは結構だけれど、俺はね、アイリーンの策に乗るのも悪くないって思ってる」
大きな掌がジュリアへ向かって伸ばされた。
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「ご期待に応えて、本当に婚約しよっか?」
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「はは……レナード、冗談でしょ?」
――って躱せたらいいな。……わあ、レナードの目が本気なんだけど……。
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「俺は、いつだって本気だよ?ねえ、……どうしたら俺の気持ちを分かってくれるの?」
――睫毛長いな、唇の形も綺麗……って、ガン見してる場合じゃない!
「分かるとか、分かんないとか、考えたことないし」
近すぎる距離を離そうと、ジュリアはレナードの胸を押した。が、鍛えられた身体はびくともしない。体幹を鍛えていると言っていたのは嘘ではなかったらしい。
「考えてよ。……アレックスじゃなく、俺のことだけ考えてほしいな」
少し掠れた囁き声がジュリアの頭を痺れさせる。
「ねえ……ダメかな?」
「……っと、ね……」
――こういう時、どうしたらいいの?
「はっ!」
「えっ!?」
ジュリアはその場でさっと膝を曲げた。腕から逃れようとしたのに、勢い余って木の根元に座り込んでしまう。視界からジュリアが消えてレナードは驚きの声を上げた。
「全く……ジュリアちゃんは……」
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「レ、レナード、ちょい、待っ」
「待たない」
止めようと伸ばした手を簡単に掴まれて、頭の上にがっちり固定される。
「キスでもしたら……俺のことしか考えられなくなるよね?」
「だ、ダメ、私、浮気は嫌いっ……」
顔を傾けて、蕩けるような視線を絡めてくる。
――もう、絶体絶命だっ……!
ジュリアは身を硬くして、ぎゅっと目を瞑った。
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殿下を好きだというピンク髪の男爵令嬢から恋のキューピッド役を頼まれてしまい、自分も殿下をお慕いしていたと気付くが時既に遅し。不本意ながらも婚約破棄を目指す事となってしまう。
※糖度甘め。イチャコラしております。
第一章は完結しております。只今第二章を更新中。
本作のスピンオフ作品「モブ令嬢はシスコン騎士様にロックオンされたようです~妹が悪役令嬢なんて困ります~」も公開しています。宜しければご一緒にどうぞ。
本作とスピンオフ作品の番外編集も別にUPしてます。
「小説家になろう」でも公開しています。
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