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第20話

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「早速ですが参りましょう。どうぞお乗りください」

ムスターが馬車の扉を開け、グレイに乗車を促す。

「失礼致します」

グレイはムスターとは別に御者席にいる御者にもお辞儀しながら馬車に乗り込む。

(アリシアさんが言った通り別の人だな)

グレイはさり気なく先日の御者とは別の人物であることを確認した。

バルム家ほどになると御者も何人も抱えているのでアリシアの御者ではないかもしれないが今乗る馬車の御者が違うというだけで何となく安心する。

「どうぞ右側の席にお座りください」

「はい」

後から聞こえるムスターの声に従い座るグレイ。

グレイの目の前が馬車の進行方向を向く席である。

(馬車なのに、小部屋くらいあるぞ)

グレイはふかふかのソファのような席に座り、周りを見回す。

中々広く、横に4人、正面に4人の合計8人は座れる広さはあった。

バタン

「!?」

馬車の中を見回していたグレイが扉が閉まる音で前を向くといつの間にか目の前にムスターが座っていて驚く。

ムスターはそんなグレイの様子に気がつかないふりをしながらニコリと微笑み、

「ズー様、ご準備は宜しいですか?」

「はい。よろしくお願い致します」

「では、出発致します」

ムスターが御者側に聞こえるように壁を2回叩くとゆっくりと馬車が進み始めた。

(・・・凄いな。馬車に乗ったのは初めてではないが、ここまで振動が少ないなんて)

グレイはバルム家の馬車の性能に驚く。

窓の外を見るとそれなりに速度が出ているので、それでもこれだけ揺れが少ないことから本当に優れた性能を持った馬車なのだということがよく分かる。

「乗り心地はいかがでしょうか?」

ムスターがグレイに尋ねてくる。

「最高ですね。私が寝ている場所より心地良いです」

グレイは割と本気でそう答えると、ムスターは静かに笑うと、

「ズー様はユーモアのセンスもお有りになるのですね」

という。

(・・・本気なんだけどな)

とグレイは思ったがわざわざ言うのも何なので別の話題をすることにした。

「バルム様の家ではこんなにも素晴らしい馬車をいくつも保有されていらっしゃるのですか?」

「はい。・・・と申しましても、こちらの馬車は当家でも最上級ですので、5台ほどですが」

「えっ、最上級・・・ですか?」

グレイは聞かなければ良かったと後悔した。

分不相応にも自分に対して手厚くもてなす気持ちは伝わってきたが、逆に壊したりしたらどうしようと緊張し始めたからだ。

思わず、身を固くし背筋を伸ばす。

「ズー様。遠慮なさらずゆったりとお過ごしください。こちらの馬車を手配させていただいたのはズー様への感謝の気持からくるものです。それに、そもそも余程のことをしない限り壊れたり致しませんので」

ムスターにはグレイの考えが分かるのか何も言ってないのにそのように言ってくる。

グレイはムスターの言葉に素直に従い深く座り直し、背を預ける。

「はい。ありがとうございます」

「とんでもないです。むしろお礼を言うのはこちらです。この度はアリシアお嬢様の命を救ってくださり本当にありがとうございました。私《わたくし》ども使用人一同もズー様に対して感謝しかございません」

ムスターが深く頭を下げながらお礼を言ってくる。

「いえ、とんでもないです。私は出来ることをやっただけですから。頭をお上げください」

グレイが少し慌てながらムスターに言う。

(まさか、自分の十倍は生きている人に頭を下げられる時が来るなんて思っても無かった)

ムスターはグレイの言葉に素直に頭を上げた後、

「本当にありがとうございました」

と再度お礼を言った。



ムスターとのやりとりの後も馬車はバルム家の屋敷に向かって走り続ける。

グレイは快適な馬車からの景色を楽しんだ。

ムスターはそんなグレイの様子を見てニコニコと終始笑顔であった。




「さて、ズー様。あちらがバルム家の屋敷でございます」

ムスターがそう言ってグレイの目線を誘導したのはしばらく馬車が移動した後であった。

風景を楽しんでいたグレイがムスターの声によって目線を変える。

「え?まじか・・・」

敬語を忘れて思わず素の言葉になってしまうグレイ。

バルム家の屋敷。

そう言われて見えた物は見渡す限り続く、頑丈そうな塀であった。

高さは平屋の一軒家の最頂点くらいはあるだろう。

グレイがジャンプしても届かないくらいの高さの石造りの塀が連続していた。

塀の上には等間隔に歩哨がいるのが目に入る。

やがて馬車は一つの大きな鉄扉に辿り着く。

「ズー様。失礼致します」

ムスターがそう言うとグレイは気づかなかったが馬車内の天井の一部が開閉できるようになっておりそこから体を出した。

そして鉄扉近くの歩哨に合図をすると、

ギィィィィ

ゆっくりと開き始める。

(・・・すごいな)

その様子を見ていたグレイが見たことのない様子に素直に驚く。

あれだけの大きさの鉄扉を開くのに複数で開けている様子がなく、魔法を使った様子も無かったからだ。

(外からだと原理が分からないが流石はバルム家ということだと納得しておこう)

と、グレイが自己完結する。

「ズー様、驚きましたか?」

ムスターがグレイの様子に気づき声をかけてくる。

「はい。正直あのような重量物がスムーズに開いていくことに驚きました」

するとムスターがとても嬉しそうに、

「ズー様はとても素直でいらっしゃいますね。アリシアお嬢様が気に入られる訳がよく分かりました」

「気に入る・・ですか?」

グレイは思わぬムスターの言葉に聞き返す。

「はい。アリシアお嬢様はまだ数日しか経っていないにも関わらずよくズー様のことをお話しくださっております。魔法学園に通われて4年目になりますが、あんなにも学園の男子生徒の事をお話しされたことは無かったので余程気に入られていらっしゃると使用人一同考えておりました。感謝の気持ちももちろんございますが、ズー様にお会いできることを楽しみにしている者も多いのですよ」

ムスターの言葉を聞き、グレイは驚く。

(アリシアさんがそこまで俺のことを話してくれていたなんて・・・)

心のどこかでアリシアとの関係性は今日までだと思っていた。

いくら偶然、アリシアの命を救ったとしても平民と3大貴族では身分が違い過ぎる。

お近づきになれるチャンスはあったが長くは続かないとグレイは考えていた。

(一種の夢みたいなものだと思っていたんだがな・・・)

ムスターのリップサービスの可能性ももちろんあるがそうでなかった場合、アリシアは本気でグレイとの関係を続けて行きたいと考えている可能性が高い。

何故なら、家族にならともかく、3大貴族の娘が使用人に対して平民のことを語ったりなどしないからだ。

特に信頼できる使用人1人、2人であればまだ分かるがムスターの口ぶりだと複数人には話しているように見受けられる。

使用人も住み込みのものもいるだろうがそうでない者もいるだろう。

とすると、そこから他の人に噂として回ることが明らかなのだ。

当然他の貴族の耳にも入るだろう。

そのリスクをアリシアが理解していないことはあり得ない。

それにも関わらず使用人たちに話しているということは本気でグレイとの関係を続けていこうと考えているに他ならない。

グレイの様子を見ていたムスターがにっこりと笑い、

「ズー様、あなたはとても賢い方なのですね」

とグレイの考えを読んだかのように呟いた。



「私が賢い・・・ですか?」

グレイはムスターの言葉に驚くというよりも戸惑いながら尋ねる。

ムスターはゆっくりと頷いた後、

「私《わたくし》はこう見えても見た目以上に長生きでしてね。相手の方の考えがなんとなくですが分かるのですよ」

「・・・そうなのですね」

「ですので、ズー様が門扉を見て考えていらしたこと、そして先ほどのアリシアお嬢様の行動をお話しした時に考えていたことを理解致しました。その様子を拝見し、私《わたくし》はズー様が賢いという考えに至りました」

ムスターが何故か本当に嬉しそうに言う。

「ムスターさんがどのように感じ取ったかは分かりませんが私が賢いなんてことありませんよ。言われたことありませんし」

グレイがそうだったらいいのになと思いながらそのように返す。

「ふふふ。分かる方には分かるものですよ。ですがご安心ください」

ムスターが朗らかに笑みを浮かべながらそう言う。

「何をでしょうか?」

グレイがそのうように聞くと、ムスターが待っていましたかといったように、

「私《わたくし》ほど相手の考えを察することができる人族はこの世界においても一握りしかいないと自負しておりますから」

少しだけ得意げに答えた。

ムスターはこう言いたいのだろう。

(ズー様が目立ちたくないのであればそうそう周りには伝わることはないでしょう)

「・・・ムスターさんには敵いそうにありませんね」

(食えないだな)

「お褒めの言葉として受け取っておきます」

どちらかというとグレイの発言よりも心の中で思ったことに対してにっこりとムスターが微笑んだ。

(・・・別に俺は賢くないんだが、変に勘違いをさせてしまったかもな。まぁ、大したことでもなく、いいか)

グレイがそう考えている間に馬車が停止したのが窓からの景色と馬車の揺れ具合から分かる。

「長い間、私《わたくし》目とお話しくださりありがとうございました。到着致しましましたので足元に気を付けどうぞお降りください」

ムスターがいつの間にか馬車の外に降り、グレイを促す。

「こちらこそありがとうございます」

グレイは一言返しながら馬車から降りる。

すると、

「「「ようこそいらっしゃいましたグレイ・ズー様!!!この度はアリシアお嬢様の御命を御救いくださり誠にありがとうございました!!!!!」」」

バルム家の屋敷の入口に向かう道の左右に並んで数十人の執事やメイド達がグレイに向かって頭を下げながらお辞儀をする。

「!?」

本来であればバルム家の屋敷の荘厳さに対して驚くところだが、グレイは使用人一同の『本気の言葉』に驚愕した。

(アリシアさんは余程皆に好かれているんだな)

グレイは自分のことのように嬉しくなりながら、

「とんでもないです。皆様方のお気持ちは十二分に伝わりましたので頭をお上げください」

そのようにお願いするとようやく使用人一同が頭を上げ、そしてグレイのことを見る。

グレイは続けて、

「私がアリシア様をお救いすることができたのは偶然の連続でしたし、やりたくてやったことなのですから皆様方が頭を下げる必要ありません。それでも少しでも私に対して感謝の気持ちがおありでしたら」

グレイはわざとここで言葉を切り、使用人一同が注目していることを確認した後、

「私がバルム様の家で道に迷っていたら助けてくださいね」

とおどけたようにいった。

使用人一同は一瞬ぽかんとしてから、

パチパチパチパチパチ

一同全員が微笑みながら拍手をし始める。

「ふふふふふ、ズー様はユーモアのセンスもお持ちなのですね。では、参りましょう。私《わたくし》について来てください」

黙ってグレイの後ろで聞いていたムスターが笑いながら、グレイを案内するために前を歩き始める。

(ユーモアのセンス?俺はああいう雰囲気が苦手なのと本気で迷子の心配をしただけなんだが・・・)

使用人一同が頭を下げたときにバルム家の屋敷の大きさもよく目に入って不安に思ったグレイはつい空気を柔らかくするついでに言っただけだったのでムスターに褒められた理由がいまいち分からないもののムスターの後についていった。



「・・・」

(言葉も出ないとはこのことだな)

グレイがムスターの案内でバルム家の中を歩いている。

グレイが見たことのない豪華な調度品や心を震わせる絵画、足に負担がかからないくらいのふかふかなカーペット。

どれもこれも目に映るものすべてが圧巻であった。

(一人で歩いてたら絶対に迷うな)

外敵が来たときのためなのか単純な作りではなかった。

広さも大きいが中の通路も複雑なのだ。

「到着いたしました。まずはこちらにお入りください」

ムスターがグレイをある部屋に案内する。

ノックしてからまず、ムスターが入り、グレイを部屋の中に案内する。

ムスターの仕草で予めわかっていたが中にはまだ誰もいなかった。

(それはそうだ。俺が来るのを部屋で待っていたら恐縮してしまう)

グレイを呼びつけたのはあの3大貴族のバルム家当主なのだ。

執務室に案内されたならまだしもここは朗明らかに応接室。

その場に既にバルム家当主がいるわけがない。

「どうぞ座ってお待ち下さい」

「ありがとうございます」

グレイがムスターに誘導され見ただけで馬車の中以上のものと分かるソファに腰掛ける。

(・・・まいったな。こんなソファに座ってしまったらもう二度と他の椅子に座りたくなくなりそうだ)

あまりの座り心地にグレイは思わず心の中で呟く。

ムスターはグレイのそんな様子をまたもや察知したのか微笑んで見ていたがそれには触れず、

「では、私《わたくし》は旦那様を呼んで参りますのでしばらくの間お待ち下さい」

お辞儀をしながら言う。

「畏まりました。心の準備もありますので焦らなくて大丈夫ですよ」

グレイが本心でそう返す。

ここに来るまでに覚悟は決めていたハズだったが館の大きさ内装、そして応接室の豪華さを見てしまいすっかりと覚悟が揺らいでしまっていた。

「ふふふ。このような時でもユーモアの心を忘れないとは流石ですね、ズー様。では、しばらくの間、お寛ぎください」

ムスターがグレイに一方的に言い、頭を下げてから素早く応接室を出ていった。

「・・・本心なんだけどな」

グレイの言葉は既にムスターが居なくなってしまったため大きな応接室に虚しく響くだけであった。

(なんか、さっきからムスターさんの俺への評価が上がり過ぎな気がする)

グレイはムスターからの評価が妙に高くなっているのに少しだけ危機感を持ち始めた。

筆頭執事の言葉だ。

バルム家当主に対してもいくらかの発言力はあるかもしれない。

自分の身の丈を少し超える評価であれば成長する上では効果的だが、身の丈を遥かに超える評価は苦しいだけだ。

(ま、まぁ、リップサービスだろうし大丈夫だろう)

グレイは楽観的に考えようと深呼吸を繰り返し行い、気持ちを落ち着けていく。

コンコンコン

「!?」

まだ深呼吸を数回しただけなのに、すぐに応接室の扉がノックされて驚くグレイ。

(え!早すぎだろっ!?)

まだムスターが出ていってから数分しか経ってない。

気持ちの整理などまだまだであった。

「ど、どうぞっ!!」

とにかく返事をしなければと慌てて声を出したためどもってしまう。

(あ、座ったままというのはまずいよな)

グレイはなんとかその事に気づきソファから立ち上がると、

ガチャ

グレイが立った瞬間を見計らったかのように扉が開き始めた。
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