24 / 35
24 佐保の後悔
しおりを挟む
佐保の結婚は親族へのあてつけに近かった。
後継ぎとされた佐保はいつだってずっと、周囲の言葉に耳を塞ぎたい気分でいた。
優秀なαかΩをもらって会社をつぐように、会社を発展させるように。血を後世に繋げるようにと言われ続けてきた。
大学生になると見合い話も多くなってきた。母が持ってくるのはα女性の写真ばかりで、母親がどれだけαに執着しているかがわかる。ちなみに母の性もαだ。
断るのも疲れてきた社会人の頃、会社に派遣されているΩの女性からアプローチを受けた。
どこかのご令嬢ではない、一般家庭のΩ。気後れせず迫ってくる度胸。そこは気に入ったが必要以上に踏み込ませない態度で接していた。
しかしある時、彼女の発するフェロモンにあてられ結果的に寝てしまった。突発的な事故ではなく作為的に陥れられたのだと、親しい周囲からは心配の声が出ていた。
すべてはタイミングだった。女はその一度で妊娠してしまい結婚する事にした。女の策略があったのだとしても、お腹の子への責任があった。
この結婚を祝福した者はいなかった。
挙式だけをして、顔合わせの小さな食事会をした。
妻の実家は地方の田舎なので、義父母には初めてそこで顔を合わせた。妻の親にしては大人しく気弱な印象だった。
好きだとか、愛しているという感情は持てなかったけれど、しっかりと家庭を守り子供を育ててくれる限り大切にしようと思った。
佐保の仕事は忙しく帰宅はいつも遅い。生まれた史と妻にかまう時間はなかったが、よくできた妻は愚痴をこぼさないし、自分の親とも問題なく付き合っている。史も健康に育っていた。心配は何もなかった。
祖父母から譲られた古い屋敷を手直しして三人で住んでいたが、部屋はいつも綺麗に整えられ、たまに一緒にとる夕食も美味く、生活は独身の時より快適だった。
妻のカード決済額が増えていっている事に気付いていたが、一人で育児を頑張ってくれるのだから仕方ないと見逃していた。
たまに三人で外食に行き、記念日には贈り物をし、問題のない普通の家族ができていると思い込んでいた。
それが覆されたのは突然だった。
仕事中だと言うのに母から緊急だと電話が入る。そこで告げられたのは、妻と子を家から追い出したという事後報告だった。
佐保の母は妻の行動に疑問を抱き、探偵を雇ったという。その報告には浮気の証拠が示されており、居ても立っても居られず、佐保に了解もないまま行動に出てしまったと言い訳していた。
元々息子が連れてきた女は気に入らない。
世間知らずな息子が連れてきた女は、身なりは清楚だが財産目当てで近付いてきた事は明らかだ。でも何かぼろを出さない限り、真面目な息子は妻を捨てはしない事をわかっていた。
結婚前にも身辺調査はしたが、破談になるような大きなボロはつかめなかった。幾つかの醜聞は出てきたが息子はそれに目を通しても気にしないと結婚を進めてしまった。
子育ても落ち着いた頃。今度こそはと、探偵を集中して張りつかせた結果、息子の嫁は自分の子供を放置して遊び歩いている事がわかった。
夫がいない寂しさから走ったというより、贅沢にも慣れてしまい、遊びたい欲への我慢が続かず元の姿に戻ってしまったのだ。
玄人の男を買っては遊び、金が足りなくなっては屋敷の調度品を売り払っていた。
屋敷は週に三度の家政婦サービスに依頼して整え、食事はやはり家政婦の作り置きだった。
息子と淫売の間にはもう子供ができてしまっている。しかし女の奔放さを思えば誰の血を引いているかなんてわかりはしない。市東家の血なんて流れていないかもしれない。
この女を追い出して、新しい嫁を迎えればいい。幸い孫とされる息子はΩだ。αなら血縁があるかの遺伝子検査を受けさせる価値はあるだろうが、Ωならいらない。
浮気の証拠を手に屋敷に向かえば、ちょうど嫁が着飾って家をでる瞬間を押さえられた。そしてそのまま親子を追い払った。
佐保は母から聞かれた事が信じられなかった。しかし家に帰ってみれば妻も子もいない。がらんとした室内には争ったあとがある訳でもなく、ただただ静まっていた。
家から人間の気配だけが消えてなくなっていた。
妻は浮気三昧。金遣いも荒く、手放せば二度と手に入らないような調度品まで売ってしまった。母は勝手な事をして、言い訳と共に佐保の甘さを責める。佐保はもうどうでもよかった。
両親主導で離婚がすすんだ。
妻には生活に困らない金を養育費として月々支払うことになったから、これ以降は心配するなと言われた。
心配だったのは妻ではなく子供の史だったが、まとまった金を渡してあるから不自由しないだろうと言われた。
妻がネグレクトしていたことがひっかかっていたが、誓約書をかかせたから大丈夫、今後も監視すると言われ納得した。
二人の人間がいなくなった家は寂しいものだった。特に小さな史の気配がしないのが思った以上にこたえる。
離婚の代理人となった弁護士に史への面会を希望した。しかし妻側から良い返事がないと返ってくるばかり。何度申し入れても答えは同じだった。
妻の実家である田舎にも連絡を取った。娘は田舎を嫌っているから実家には来ない、もうこちらに連絡をしないで欲しい、強欲な娘で申し訳ないと電話口で謝り続けた。二度目の連絡はコール音が鳴るだけで繋がる事はなかった。
佐保は史との面会が叶わないまま海外へと赴任した。生活に不自由さはあったが、家庭がないから存分に仕事に没頭できた。
仕事でくたくたになり、異国の洗礼を受け、気絶するように眠る日々。
再婚しろと両親から何度も連絡がきていたが、海外にいるのを理由に断りつづけていた。史は元気にしているだろうかと聞けば、金は送っていると返事がきた。
海外から一時帰国して帰る場所は、実家でも屋敷でもなくホテルだった。
家族で過ごした屋敷にはとても帰る気になれなかった。屋敷は留守の間には多美に世話を任せていた。
多美の結婚以来疎遠だったが、思い出のある屋敷を頼むとしたら彼女しか考えられなかったのだ。多美も生活基盤は海外にあるのだが、サービス会社を使いその采配をしてくれた。
多美は佐保の意図をくみ取り、元妻の私物は捨て、史の部屋やおもちゃは保管し、屋敷が傷まないように取り計らってくれていた。
史はどうしているだろう。
これまで自分に妻や子がいた事を忘れ仕事に没頭していた佐保は、久しぶりに息子のことを思い出していた。
今頃は小学生、高学年か。
佐保は母親に連絡を取り、史に変わりはないのか聞いた。母の返事は怒りに満ちていた。
別れた子の事など気にかけず、これからを考えて結婚しろ、後継ぎをどうすると。いつまで親の期待を裏切り続けるのだと、それはもう凄い勢いだった。
そして元妻はとっくに再婚しており、史には新しい父親ができており、とうに他人の子になっていると告げた。
佐保は何も言えなかった。
確かに自分は史を捨てた。親が離婚を決めてから自分は何一つ動いていない。あの日の事情を聴くために元妻に会う事もなかった。自分を裏切った女に怒りが沸いていたのもある。
気掛かりだった史を諦め、寂しさに負けて海外へ逃げたのは自分だ。
また時間が経過し数年後、日本に戻ってからはグループ会社の社長のポストが与えられていた。疲れていた。もう出世も多忙も望んでいなかったのだから、不満が残る人事だった。
佐保は離婚以来、初めて家族で過ごした屋敷に戻った。覚悟したほど心がざわつく事もなく、この屋敷に再び住む事にした。
数年たちまた海外へ、という話がでた時、史の年齢を思った。
高校生の年齢だ。
時の流れは早く、佐保は変わらず独身のままだった。
どんな子に成長したのか知りたかった。どんな学校へ進学したのか、部活はしているのか、色々と想像した。他家の子供になっていることは承知しているが、大きくなった史を見てみたかった。
そこで仕事を通じて知りあった弁護士を通して、信頼できる興信所に息子の近況を調査してもらった。二日もせずに簡単な調査内容と写真が送られてきた。
覚悟の上で読んで欲しい。ある地点から息子の行方を追うのが難しくなったが、現地に調査員を派遣して続行する。
そう事前に電話があり慌てて開封した報告メールだった。
嘘だと思いたかった。そこにあったのは恐ろしい事実だった。
元妻による子供への虐待、逮捕、服役。息子が受けていたのは教育放棄、ネグレクト、そして性的虐待……
添付されていた当時の新聞記事を目で追っていたが、耐えられずにディスプレイを叩き落していた。
椅子にも座っていられず、その場に崩れ落ちた。
なんてことだ。なんという不幸が史を襲っていたのか。自分を責めるだけでは終われなかった。
この子は自分の子だ。そして母にとっても孫ではないのか! 自分だけでなく両親にも怒りが沸いた。
これまで自分が問うた事に対して、母は何と答えてきた。
元妻は再婚した。史は新しい父ができ幸せにしている。今更連絡した所で迷惑になるだけ。すべてが嘘ではないか。
佐保は母親の元へ出向き詰め寄った。
母は自分より最低な人間だった。
元妻を追い出す時、母は持っていた財布からあるだけの現金、数万円を渡しただけ。二度と顔を見せるな、泥棒として訴えられないだけ有り難いと思え、それでも関わろうとするなら警察を呼ぶと、荷物をまとめる暇さえ与えなかった。
妻はともかく、共に罵られた史はどれだけ怖かった事だろう。
母は不貞を理由に史の養育費も渡していなかった。その後の事さえ調べてもいなかった。
年に一度は佐保に対し、元妻も史も元気ですごしているなどと言っていたのは、まったくの出鱈目、嘘だったのだ。
しかし、史が虐待を受けていた事を母は知っていた。
鬼母から虐待を受けた子供のニュースは母の耳に入っていたのだ。あの当時、逮捕者の名前と写真は連日報道されていた。
世間は鬼母をさんざん叩いた後、離婚後の父親の責任を追及するようになっていた。父親はどこにいるのか、なぜ養育費を払わない、この状況を知らなかったのか。そんな風向きに母は焦った。
加熱する報道がこちらに向いてはまずいと、ここで初めて母は動いた。マスコミに先回りし牽制し情報を抑えた。知り合いに依頼し大きなスキャンダルをぶつけ、世間の目をそちらに向けた。
児童相談所や裁判所からの連絡も跳ねつけ、史への面会や保護を依頼されても、父親が海外にいる事を理由に拒否。妻側の親族が責任を負うべきだと追い払っている。
頭の固い母。下劣な嫁が産んだ子は血の繋がった孫ではないと、今でもそう思っているに違いない。
すべてを知った佐保は両親と縁を切り、社長の座を降りた。
知り合いと縁組し、市東から松園へと名字も変えた。
それからは両親だけでなく、親族とも一切の連絡を絶っている。昔なじみで残っているのは多美だけ。史のために涙を流してくれるのも、事を知った多美だけだった。
最初の報告から二週間後、調査の続報が届いた。
そこで史が現在名のある家のαと結婚し幸せそうにしている事がわかった。そして史の過去には何をもってしても行き詰まり、調査が及ばない時期があるとわかった。
過去の史の調査は一部を引きつづき続行し、現在の史の詳しい調査を新たに依頼した。
それと同時に逮捕された元妻の行方も追った。塀の外に出ているのなら、今後史に接触するかもしれない。彼の幸せを潰しかねない女の行方は掴んでおきたかったのだ。
調査の結果、元妻は廃人になっているのがわかった。
一度捕まり刑を受けたのち出所し、ろくでもない男と再婚。体を売るだけ売り最後は薬漬けにされている。身元引受人はおらず、彼女が死んだとしても無縁仏となるだろう。
元妻とともに史の虐待に関わった男も似たり寄ったりの境遇だった。一人は自死、一人は糖尿で障碍を負い歩けず目も見えない。一人は海外に居住しているがスラムのような場所に住み日本に戻る金もない。
母の言う通りだった。妻は碌でもない女で、その女に集まる男たちもまたクズばかりだった。
妻の両親については行方知れず。どうやら離婚時に佐保の両親から賠償請求され家や土地を売り払う羽目になったようだ。時間をかけて調べれば居所がわかるのかもしれないが、そこまで追求する必要は感じず、この人達に関してだけは申し訳ない気持ちにもなった。
そして自分も、自分の子供を追い詰めた最低な人間の一人だった。それを決して忘れないように自責し続けた。
母に任せず自分が主導していれば史が辛い目に合う事はなかった。何度も史を思う日があった。だがその時でも佐保は自分の母に息子の様子を訊ねるだけで、自ら動こうとはしなかった。母など頼らなくとも自分で調査できる力も時間も持っていたのに。
つまり史の不幸のすべては、自分が作り出した。それは佐保が死後も抱える許されない罪だ。
史の小学校は不明。画像や在籍の記録は手に入らず、結論を出さずに調査終了した。
興信所が集められた史の記録は、中学の卒業アルバムが一冊。養護施設の中で撮影された写真が二枚だけだった。
中学生の史はどれも無表情に近く胸が痛んだ。
しかし家族を持った史は表情が柔らかかった。
これは興信所が隠し撮りした物で、ゴミ出しに外に出た姿と、子供を近所の公園で遊ばせる姿が映っていた。
敷地内の二世帯同居は苦労があるだろうが、子供は一人二人と増えているし、画像はどれも穏やかな表情。
史の夫は大企業の後継者になるのだろうが、実力は伴っていないようだと報告を受けている。だが佐保にはどうでもよかった。
史の夫は子煩悩で愛妻家だ。史のお披露目がされていないのが引っかかったが、両親がおらず高校も卒業していない史を受け入れてくれた宗賀家には感謝している。
家の中の様子はわからない。しかし義母との関係は良好な事が伺える。宗賀家に人を派遣し内情を知る手段もあったが、そこまでは踏み込まなかった。
隣にいる夫が誠実であれば、史は幸せでいられるはずだ。
この幸せが継続するようにと、佐保はビジネス面でもささやかながら宗賀を援助できるように動いた。
辛い事の連続だったはずなのに、まっすぐ育った史は佐保の誇りだ。
佐保は史の過去を辿る作業をした。
地道な聞き取りでようやく見つかった中学校と養護施設に向かった。その施設長は退任後も子供達の為に奔走している事がわかった。史の中学時代のアルバムを譲ってくれたのはこの人だった。
史を事務員として雇ってくれた会社。その社長は善良な人で、今も変わらずΩを事務員として優先的に雇っている。
史を慈しんでくれた人に感謝し、佐保はその一人一人に対面してお礼を言って回った。
史のために怒ってくれる人もいたし、父親だと名乗り出てはどうかと説得する人もいた。数は少ないが、史が愛されていた証拠に涙が出た。
その人たちとの関係ができた事もあり、虐待児やΩの支援に繋がる法人を支援するきっかけになった。
最後に会ったのは、史と施設で一緒だった友人の森山夏樹だった。
α男性と結婚し子供を一人生み、現在は夫婦で住居兼店舗で古着店を営んでいる。住んでいる場所は遠くなく。会おうと思えば会える距離だ。
店番をする夏樹は、その綺麗な顔よりも、耳にじゃらじゃらつけたピアスの方が目立っていた。
時間ができたら史に会いたいって伝えておいて、そう言っておきながらスマホの番号は教えないのだから天邪鬼で面白い。
史は暗くて真面目で面白みがなく漫画好き。でも誰よりも優しく、否定しない人だった。今でもただ一人の親友だとしみじみ語った。
ここで初めて史の内面に触れた気がして、また涙がとまらなくなった。
子供達三人には、佐保と妻が結婚から離婚までに至った経緯、佐保が両親と縁を切った理由を話した。
自分の怠慢で、妻の元で育った史が虐待を受けている事に気付けず、苦しんでいる史を長年放置してしまった事を詫びた。
虐待の内容に触れる事はしなかった。
後継ぎとされた佐保はいつだってずっと、周囲の言葉に耳を塞ぎたい気分でいた。
優秀なαかΩをもらって会社をつぐように、会社を発展させるように。血を後世に繋げるようにと言われ続けてきた。
大学生になると見合い話も多くなってきた。母が持ってくるのはα女性の写真ばかりで、母親がどれだけαに執着しているかがわかる。ちなみに母の性もαだ。
断るのも疲れてきた社会人の頃、会社に派遣されているΩの女性からアプローチを受けた。
どこかのご令嬢ではない、一般家庭のΩ。気後れせず迫ってくる度胸。そこは気に入ったが必要以上に踏み込ませない態度で接していた。
しかしある時、彼女の発するフェロモンにあてられ結果的に寝てしまった。突発的な事故ではなく作為的に陥れられたのだと、親しい周囲からは心配の声が出ていた。
すべてはタイミングだった。女はその一度で妊娠してしまい結婚する事にした。女の策略があったのだとしても、お腹の子への責任があった。
この結婚を祝福した者はいなかった。
挙式だけをして、顔合わせの小さな食事会をした。
妻の実家は地方の田舎なので、義父母には初めてそこで顔を合わせた。妻の親にしては大人しく気弱な印象だった。
好きだとか、愛しているという感情は持てなかったけれど、しっかりと家庭を守り子供を育ててくれる限り大切にしようと思った。
佐保の仕事は忙しく帰宅はいつも遅い。生まれた史と妻にかまう時間はなかったが、よくできた妻は愚痴をこぼさないし、自分の親とも問題なく付き合っている。史も健康に育っていた。心配は何もなかった。
祖父母から譲られた古い屋敷を手直しして三人で住んでいたが、部屋はいつも綺麗に整えられ、たまに一緒にとる夕食も美味く、生活は独身の時より快適だった。
妻のカード決済額が増えていっている事に気付いていたが、一人で育児を頑張ってくれるのだから仕方ないと見逃していた。
たまに三人で外食に行き、記念日には贈り物をし、問題のない普通の家族ができていると思い込んでいた。
それが覆されたのは突然だった。
仕事中だと言うのに母から緊急だと電話が入る。そこで告げられたのは、妻と子を家から追い出したという事後報告だった。
佐保の母は妻の行動に疑問を抱き、探偵を雇ったという。その報告には浮気の証拠が示されており、居ても立っても居られず、佐保に了解もないまま行動に出てしまったと言い訳していた。
元々息子が連れてきた女は気に入らない。
世間知らずな息子が連れてきた女は、身なりは清楚だが財産目当てで近付いてきた事は明らかだ。でも何かぼろを出さない限り、真面目な息子は妻を捨てはしない事をわかっていた。
結婚前にも身辺調査はしたが、破談になるような大きなボロはつかめなかった。幾つかの醜聞は出てきたが息子はそれに目を通しても気にしないと結婚を進めてしまった。
子育ても落ち着いた頃。今度こそはと、探偵を集中して張りつかせた結果、息子の嫁は自分の子供を放置して遊び歩いている事がわかった。
夫がいない寂しさから走ったというより、贅沢にも慣れてしまい、遊びたい欲への我慢が続かず元の姿に戻ってしまったのだ。
玄人の男を買っては遊び、金が足りなくなっては屋敷の調度品を売り払っていた。
屋敷は週に三度の家政婦サービスに依頼して整え、食事はやはり家政婦の作り置きだった。
息子と淫売の間にはもう子供ができてしまっている。しかし女の奔放さを思えば誰の血を引いているかなんてわかりはしない。市東家の血なんて流れていないかもしれない。
この女を追い出して、新しい嫁を迎えればいい。幸い孫とされる息子はΩだ。αなら血縁があるかの遺伝子検査を受けさせる価値はあるだろうが、Ωならいらない。
浮気の証拠を手に屋敷に向かえば、ちょうど嫁が着飾って家をでる瞬間を押さえられた。そしてそのまま親子を追い払った。
佐保は母から聞かれた事が信じられなかった。しかし家に帰ってみれば妻も子もいない。がらんとした室内には争ったあとがある訳でもなく、ただただ静まっていた。
家から人間の気配だけが消えてなくなっていた。
妻は浮気三昧。金遣いも荒く、手放せば二度と手に入らないような調度品まで売ってしまった。母は勝手な事をして、言い訳と共に佐保の甘さを責める。佐保はもうどうでもよかった。
両親主導で離婚がすすんだ。
妻には生活に困らない金を養育費として月々支払うことになったから、これ以降は心配するなと言われた。
心配だったのは妻ではなく子供の史だったが、まとまった金を渡してあるから不自由しないだろうと言われた。
妻がネグレクトしていたことがひっかかっていたが、誓約書をかかせたから大丈夫、今後も監視すると言われ納得した。
二人の人間がいなくなった家は寂しいものだった。特に小さな史の気配がしないのが思った以上にこたえる。
離婚の代理人となった弁護士に史への面会を希望した。しかし妻側から良い返事がないと返ってくるばかり。何度申し入れても答えは同じだった。
妻の実家である田舎にも連絡を取った。娘は田舎を嫌っているから実家には来ない、もうこちらに連絡をしないで欲しい、強欲な娘で申し訳ないと電話口で謝り続けた。二度目の連絡はコール音が鳴るだけで繋がる事はなかった。
佐保は史との面会が叶わないまま海外へと赴任した。生活に不自由さはあったが、家庭がないから存分に仕事に没頭できた。
仕事でくたくたになり、異国の洗礼を受け、気絶するように眠る日々。
再婚しろと両親から何度も連絡がきていたが、海外にいるのを理由に断りつづけていた。史は元気にしているだろうかと聞けば、金は送っていると返事がきた。
海外から一時帰国して帰る場所は、実家でも屋敷でもなくホテルだった。
家族で過ごした屋敷にはとても帰る気になれなかった。屋敷は留守の間には多美に世話を任せていた。
多美の結婚以来疎遠だったが、思い出のある屋敷を頼むとしたら彼女しか考えられなかったのだ。多美も生活基盤は海外にあるのだが、サービス会社を使いその采配をしてくれた。
多美は佐保の意図をくみ取り、元妻の私物は捨て、史の部屋やおもちゃは保管し、屋敷が傷まないように取り計らってくれていた。
史はどうしているだろう。
これまで自分に妻や子がいた事を忘れ仕事に没頭していた佐保は、久しぶりに息子のことを思い出していた。
今頃は小学生、高学年か。
佐保は母親に連絡を取り、史に変わりはないのか聞いた。母の返事は怒りに満ちていた。
別れた子の事など気にかけず、これからを考えて結婚しろ、後継ぎをどうすると。いつまで親の期待を裏切り続けるのだと、それはもう凄い勢いだった。
そして元妻はとっくに再婚しており、史には新しい父親ができており、とうに他人の子になっていると告げた。
佐保は何も言えなかった。
確かに自分は史を捨てた。親が離婚を決めてから自分は何一つ動いていない。あの日の事情を聴くために元妻に会う事もなかった。自分を裏切った女に怒りが沸いていたのもある。
気掛かりだった史を諦め、寂しさに負けて海外へ逃げたのは自分だ。
また時間が経過し数年後、日本に戻ってからはグループ会社の社長のポストが与えられていた。疲れていた。もう出世も多忙も望んでいなかったのだから、不満が残る人事だった。
佐保は離婚以来、初めて家族で過ごした屋敷に戻った。覚悟したほど心がざわつく事もなく、この屋敷に再び住む事にした。
数年たちまた海外へ、という話がでた時、史の年齢を思った。
高校生の年齢だ。
時の流れは早く、佐保は変わらず独身のままだった。
どんな子に成長したのか知りたかった。どんな学校へ進学したのか、部活はしているのか、色々と想像した。他家の子供になっていることは承知しているが、大きくなった史を見てみたかった。
そこで仕事を通じて知りあった弁護士を通して、信頼できる興信所に息子の近況を調査してもらった。二日もせずに簡単な調査内容と写真が送られてきた。
覚悟の上で読んで欲しい。ある地点から息子の行方を追うのが難しくなったが、現地に調査員を派遣して続行する。
そう事前に電話があり慌てて開封した報告メールだった。
嘘だと思いたかった。そこにあったのは恐ろしい事実だった。
元妻による子供への虐待、逮捕、服役。息子が受けていたのは教育放棄、ネグレクト、そして性的虐待……
添付されていた当時の新聞記事を目で追っていたが、耐えられずにディスプレイを叩き落していた。
椅子にも座っていられず、その場に崩れ落ちた。
なんてことだ。なんという不幸が史を襲っていたのか。自分を責めるだけでは終われなかった。
この子は自分の子だ。そして母にとっても孫ではないのか! 自分だけでなく両親にも怒りが沸いた。
これまで自分が問うた事に対して、母は何と答えてきた。
元妻は再婚した。史は新しい父ができ幸せにしている。今更連絡した所で迷惑になるだけ。すべてが嘘ではないか。
佐保は母親の元へ出向き詰め寄った。
母は自分より最低な人間だった。
元妻を追い出す時、母は持っていた財布からあるだけの現金、数万円を渡しただけ。二度と顔を見せるな、泥棒として訴えられないだけ有り難いと思え、それでも関わろうとするなら警察を呼ぶと、荷物をまとめる暇さえ与えなかった。
妻はともかく、共に罵られた史はどれだけ怖かった事だろう。
母は不貞を理由に史の養育費も渡していなかった。その後の事さえ調べてもいなかった。
年に一度は佐保に対し、元妻も史も元気ですごしているなどと言っていたのは、まったくの出鱈目、嘘だったのだ。
しかし、史が虐待を受けていた事を母は知っていた。
鬼母から虐待を受けた子供のニュースは母の耳に入っていたのだ。あの当時、逮捕者の名前と写真は連日報道されていた。
世間は鬼母をさんざん叩いた後、離婚後の父親の責任を追及するようになっていた。父親はどこにいるのか、なぜ養育費を払わない、この状況を知らなかったのか。そんな風向きに母は焦った。
加熱する報道がこちらに向いてはまずいと、ここで初めて母は動いた。マスコミに先回りし牽制し情報を抑えた。知り合いに依頼し大きなスキャンダルをぶつけ、世間の目をそちらに向けた。
児童相談所や裁判所からの連絡も跳ねつけ、史への面会や保護を依頼されても、父親が海外にいる事を理由に拒否。妻側の親族が責任を負うべきだと追い払っている。
頭の固い母。下劣な嫁が産んだ子は血の繋がった孫ではないと、今でもそう思っているに違いない。
すべてを知った佐保は両親と縁を切り、社長の座を降りた。
知り合いと縁組し、市東から松園へと名字も変えた。
それからは両親だけでなく、親族とも一切の連絡を絶っている。昔なじみで残っているのは多美だけ。史のために涙を流してくれるのも、事を知った多美だけだった。
最初の報告から二週間後、調査の続報が届いた。
そこで史が現在名のある家のαと結婚し幸せそうにしている事がわかった。そして史の過去には何をもってしても行き詰まり、調査が及ばない時期があるとわかった。
過去の史の調査は一部を引きつづき続行し、現在の史の詳しい調査を新たに依頼した。
それと同時に逮捕された元妻の行方も追った。塀の外に出ているのなら、今後史に接触するかもしれない。彼の幸せを潰しかねない女の行方は掴んでおきたかったのだ。
調査の結果、元妻は廃人になっているのがわかった。
一度捕まり刑を受けたのち出所し、ろくでもない男と再婚。体を売るだけ売り最後は薬漬けにされている。身元引受人はおらず、彼女が死んだとしても無縁仏となるだろう。
元妻とともに史の虐待に関わった男も似たり寄ったりの境遇だった。一人は自死、一人は糖尿で障碍を負い歩けず目も見えない。一人は海外に居住しているがスラムのような場所に住み日本に戻る金もない。
母の言う通りだった。妻は碌でもない女で、その女に集まる男たちもまたクズばかりだった。
妻の両親については行方知れず。どうやら離婚時に佐保の両親から賠償請求され家や土地を売り払う羽目になったようだ。時間をかけて調べれば居所がわかるのかもしれないが、そこまで追求する必要は感じず、この人達に関してだけは申し訳ない気持ちにもなった。
そして自分も、自分の子供を追い詰めた最低な人間の一人だった。それを決して忘れないように自責し続けた。
母に任せず自分が主導していれば史が辛い目に合う事はなかった。何度も史を思う日があった。だがその時でも佐保は自分の母に息子の様子を訊ねるだけで、自ら動こうとはしなかった。母など頼らなくとも自分で調査できる力も時間も持っていたのに。
つまり史の不幸のすべては、自分が作り出した。それは佐保が死後も抱える許されない罪だ。
史の小学校は不明。画像や在籍の記録は手に入らず、結論を出さずに調査終了した。
興信所が集められた史の記録は、中学の卒業アルバムが一冊。養護施設の中で撮影された写真が二枚だけだった。
中学生の史はどれも無表情に近く胸が痛んだ。
しかし家族を持った史は表情が柔らかかった。
これは興信所が隠し撮りした物で、ゴミ出しに外に出た姿と、子供を近所の公園で遊ばせる姿が映っていた。
敷地内の二世帯同居は苦労があるだろうが、子供は一人二人と増えているし、画像はどれも穏やかな表情。
史の夫は大企業の後継者になるのだろうが、実力は伴っていないようだと報告を受けている。だが佐保にはどうでもよかった。
史の夫は子煩悩で愛妻家だ。史のお披露目がされていないのが引っかかったが、両親がおらず高校も卒業していない史を受け入れてくれた宗賀家には感謝している。
家の中の様子はわからない。しかし義母との関係は良好な事が伺える。宗賀家に人を派遣し内情を知る手段もあったが、そこまでは踏み込まなかった。
隣にいる夫が誠実であれば、史は幸せでいられるはずだ。
この幸せが継続するようにと、佐保はビジネス面でもささやかながら宗賀を援助できるように動いた。
辛い事の連続だったはずなのに、まっすぐ育った史は佐保の誇りだ。
佐保は史の過去を辿る作業をした。
地道な聞き取りでようやく見つかった中学校と養護施設に向かった。その施設長は退任後も子供達の為に奔走している事がわかった。史の中学時代のアルバムを譲ってくれたのはこの人だった。
史を事務員として雇ってくれた会社。その社長は善良な人で、今も変わらずΩを事務員として優先的に雇っている。
史を慈しんでくれた人に感謝し、佐保はその一人一人に対面してお礼を言って回った。
史のために怒ってくれる人もいたし、父親だと名乗り出てはどうかと説得する人もいた。数は少ないが、史が愛されていた証拠に涙が出た。
その人たちとの関係ができた事もあり、虐待児やΩの支援に繋がる法人を支援するきっかけになった。
最後に会ったのは、史と施設で一緒だった友人の森山夏樹だった。
α男性と結婚し子供を一人生み、現在は夫婦で住居兼店舗で古着店を営んでいる。住んでいる場所は遠くなく。会おうと思えば会える距離だ。
店番をする夏樹は、その綺麗な顔よりも、耳にじゃらじゃらつけたピアスの方が目立っていた。
時間ができたら史に会いたいって伝えておいて、そう言っておきながらスマホの番号は教えないのだから天邪鬼で面白い。
史は暗くて真面目で面白みがなく漫画好き。でも誰よりも優しく、否定しない人だった。今でもただ一人の親友だとしみじみ語った。
ここで初めて史の内面に触れた気がして、また涙がとまらなくなった。
子供達三人には、佐保と妻が結婚から離婚までに至った経緯、佐保が両親と縁を切った理由を話した。
自分の怠慢で、妻の元で育った史が虐待を受けている事に気付けず、苦しんでいる史を長年放置してしまった事を詫びた。
虐待の内容に触れる事はしなかった。
44
お気に入りに追加
517
あなたにおすすめの小説
私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。
石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。
自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。
そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。
好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。

白い部屋で愛を囁いて
氷魚彰人
BL
幼馴染でありお腹の子の父親であるαの雪路に「赤ちゃんができた」と告げるが、不機嫌に「誰の子だ」と問われ、ショックのあまりもう一人の幼馴染の名前を出し嘘を吐いた葵だったが……。
シリアスな内容です。Hはないのでお求めの方、すみません。
※某BL小説投稿サイトのオメガバースコンテストにて入賞した作品です。

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる