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22 食事会
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その日、史とその子供達四人は佐保の招待で、とある一軒の中華料理店に行くための準備をしていた。
いつも通り電車に乗って目的地へいくつもりでいたのに、突然鳴ったインターホンの向こうにいたのはタクシーの運転手。既に佐保から料金をもらったというのを返すわけにもいかず、有り難く使わせてもらう事にした。
なぜか外で待機していた多美に笑顔で見送られ、しばらく車に揺られた。
夜は雰囲気が違うなあ。
地面に埋め込まれた温かな黄色の灯が、長屋門から建物の扉まで続く小道を優しく照らしている。建物を囲む植栽に潜むライトは白色の壁を上品に浮き立たせ、レトロな美しさを最大限引き出していた。前庭には白い花が咲き乱れ、珍しい形の花弁がまるで妖精のように見える。
以前に二度この店にきた時は昼だった。その時見えたのは歴史を感じる古い洋館。古の富豪が作らせた邸宅が現在は改装され店舗となり、最近は映画の撮影にもしばしば使われるらしい。
元夫を含めた家族で外食はあまりなかった。ずっと子育てでせわしなかったし、母屋には料理専用の雇い人がおり、たまに子世帯にデリバリーしてくれた事もあったからだ。外で気を使うより家にいた方が史も楽だった。
史が外で食べる楽しみを知ったのは、佐保に出会ってからだ。
会えばご馳走してくれる佐保。お金に不自由ない人だから懐はそう痛まないのだろうが、奢られっぱなしなのは気になっていた。その気持ちをくんで今ではたまにお茶代を払わせてくれる。そんな気づかいが嬉しい。
そんな二人が納得できる落としどころは、夜よりも比較的安価にすませられるランチタイムに会う事だった。そんな理由があってディナーで食事に来るのは初めてなのだ。しかも家族五人全員で。
店には到着した。予約は入っているのだからささっと向かえばいいのだが、史は何となく二の足を踏んでしまう。昼と夜との様子が違いすぎて怖気づいているのかもしれない。
そうしているうちに何も考えていない郁也がぴょんぴょんと先頭を歩き、兄三人も躊躇ない足取りで入って小道を歩いて行く。
あれ、母さん何してるの? みたいな目を向けられると、大人は大人の事情が色いろあるんだよ? と言いたくなる。
ちょっといい感じのレストレランディナーって何着ればいいんだ? 俺のこれは正解なのか?
珍しくジャケットを着ている自分が気恥ずかしくなる。
兄弟が着ている物はファストファッションや佐保からの贈り物とごちゃ混ぜなのだが、意外とスタイリッシュに決まっている。後ろ姿は成人した男性にも見えるほどだ。
なるほど、中学生なのに堂々としているから浮かないんだな。
子供の姿に教えられるとは、史は怖気づいていた自分を笑った。
ちょうどその時、佐保の乗った車がやってきて店の前で合流する事になる。先に到着する予定だったが思わぬ渋滞があって遅れてしまった事を詫びてくる。今日の佐保はジャケットにブラックジーンズ姿。無理に若作りしない所が好ましく感じた。
店の前で全員集合となり自然に入店を促される。佐保がいてくれるとちょっと心強い。
店内では佐保の同級生だと言う丸顔の支配人が、にこやかに出迎え挨拶するから、恐縮してペコペコ頭を下げてしまう。その人も佐保の友人らしく優しさが表情に滲み出ているようだった。
「支配人とは大学の同級生でね、数少ない友人だ。私は当時から馬鹿の一つ覚えで、何かとここを利用していたんだ。ここは彼が父親から譲り受けた店で、昔から何も変わらない。しかし君は、年々体が丸くなっていくね」
佐保と支配人は本当に親しいのだろう。支配人はお腹の辺りをさすりおどけていた。
「えっ、何だよ、これ」
史は目の前の光景に足が動かなくなった。
用意された個室に入った途端、目に飛び込んできたのは、テーブルの上にある長方形の巨大なケーキ。
色鮮やかなフルーツがふんだんに使われていて、天井からの光にてらてらと光っている。史が苦手な生クリームを使っていない、タルト生地とカスタードクリームで作られた特製誕生日ケーキだ。
洋館で高級中華を営むこの店では提供していないケーキ。別の店に発注しわざわざ持ち込んだのはすぐに想像がつく。
場を賑わせる派手なクラッカーはないけれど、佐保と子供たち、そして支配人、給仕までそろって手を叩き、誕生日おめでとうと口にする。そこで史はようやく我に返った。
「そうか、俺、明後日が誕生日だ……」
「やっぱりそうだ。母さんならギリギリまで忘れてるって思ったんだ」
大成功だと光流は笑う。
「本当は当日にお祝いしたかったんだが、みんな学生ながら忙しいからね」
「どんなケーキにするか考えたのは郁也だよ。個室に入ってすぐお披露目ってアイデア出したのも郁也。本当は母さんにケーキの事を言いたかったのに、ずっと我慢してたんだ」
空が郁也の頭を撫でる。
得意そうにする郁也だが、つい目はケーキにいってしまう。そんな郁也の頭にさらに怜の手が加わる。
「郁也頑張ったよ。朝からそわそわしてたけど、ずっと母さんに言いたいの我慢してたんだ」
怜に褒められますます機嫌が良くなる郁也。わかりやすく御しやすい我が家のアイドル。今日の主役は史だけど、やはり郁也が中心になってしまいそうだ。
さっそく自分の為に用意されたケーキに近付いて観察する。
三十センチ以上はあるだろこれ。こっちは郁也のリクエストだな。
ケーキの一つの角には、カットされたメロンの実が集中している。でも郁也は自分の大好きな物を独り占めせず、家族それぞれに「どうぞ」と言って配るのだろう。
上に乗っているハート型のホワイトチョコレートのプレートには「おたんじょうびおめでとう」の文字がある。これは自分がもらってしまおうと史は決める。
「みんなありがとう。まさか俺が、こんな誕生会をされるなんてな」
誕生日会なんてされるのは人生初だ。
子供の誕生日は張りきって祝うが、自分の誕生日となると買ってきたケーキを食後に出して食べる位で済ませてきた。自分のイベントに興味がない人間にとっては、これが普通なのだ。
とはいえ、こうして祝ってもらえるのは嬉しいものだ。
どん底にいたこともあった。それを底から引き揚げてくれたのは今ここにる人達だ。
大きな懐で何でも包んでくれる佐保。
そして宝物の子供達四人。
大好き。みんな大好き。
「佐保さん、ありがとうございます」
「あまり凝ったことはできなかったけどね」
一番尽力してくれた、そしてきっと発案してくれた人に思わず抱き付く。
軽いハグではなくしっかりと腰に手を回す。初めて入った佐保の胸は広く温かくいい匂いがする。こうして正面からしっかり腕に抱かれるのは初めての事だ。
αが発する匂いなのは確かだろう。でもこれはΩを惑わせるではなく、いつまでもここにいたいと思わせる安定した穏やかさ、それしかない。
郁也がいつまでも兄達や佐保から離れない気持ちが史にもようやくわかる。
俺にもこの匂いはわかる。これは、くせになる。
かなり長めの抱擁になってしまったが、惜しみながらも何とか腕から抜ける。
光流、怜、空、最後に郁也。史は佐保と同じように抱き付き礼を言い、ようやく席に着くことになった。
六人が座れるテーブルで、史、佐保、郁也の順で座る。向かいが三人の息子。
いつも郁也の隣は史で、食事中もあれこれ世話をやくのだが、今日は佐保がその役を請け負ってくれる。
主役のお誕生日席は謹んで遠慮した。今日は主役の言う事が絶対だから史は扉に近い角の席を選んで落ち着いたのだった。
これまで何度佐保に会っただろう。
史と郁也と佐保で、佐保と上のお兄ちゃんたちで、組み合わせは色いろあって、それぞれ個人的に佐保に連絡を取っている。
他の兄弟や、親の史には言いにくい事も相談しているのだろう。家族外の立場で冷静に話のできる佐保は、子供達にとって心強い存在だ。
この人からの恩恵はありあまるほどに受けている。でもこの人にとって俺たちの存在って……
史はたまに思う。
佐保には一緒に暮らし成長を見守ることができなかった息子がいる。その息子は史や郁也に似ているらしいけれど、それがこれほどよくされる理由には足りない気がする。
年の離れた友達だとしても、距離感が近すぎる事は重々わかっているのだ。
難しく考えなくていいと光流は言うから、流されてここまできた。そうしていたら思ったより長い付き合いになった。
佐保と出会った頃は小さかった郁也も幾分大きくなり、今は立派なお兄さん園児。佐保の紹介してくれた園は性に合うらしく毎日楽しく通っている。
光流達はかわらず桐城学園にいるが、こちらも何の事件もなく平穏だった。
あれほど厄介だった宗賀の存在も、家自体が勢いをなくしてしまい接触はない。
なんにしても史が幸せである事に変わりなかった。
こうして六人が集結すると中心になって会話するのは佐保と光流と怜になる。郁也と空は食べることに集中して、史は会話に頷くだけの事が多い。
目の前に上の子供が三人ならぶと、以前よりも個性が強くなっているのがわかる。
中でも見た目にわかりやすいのは空だ。
一人だけぴょこっと頭が飛び出していて、兄の光流の身長を軽く抜いている。この一年でぐっと背が伸び男らしさが出て来た。食べる量は以前の倍だ。学校へは朝練後に食べる弁当の他に、パンも二つ三つ持たせている。
元夫に似ていたはずの顔にも変化がでて、なんか誰かに似てる……
自分が見られていることに気付かない空をいいことに、史は堂々と自分の子を見る。じっくりと見る。そこでひらめいた。
「なんか空って、佐保さんに似てない? 顔の輪郭とか耳とか肩とか、何となく。俺とならんで親子ってより、佐保さんと並んで親子の方が説得力ある」
史と光流の二人が度々恋人や友人とみられる事があるように、史と空が並んでも親子らしさはない。でも元夫と現在の空が並んでも、同じ理由で親子らしくないだろう。
なかなかのスピードで、でもお行儀よく食べていた空が箸をとめる。
「佐保さんと僕だったら、似たもの親子ではないよ。だって、一代間に挟むのは隔世だからさ」
「そうか、そうだね」
年齢的には五十代の佐保が祖父とすると、十代の空が孫になる。と言うことは、やっぱり隔世なのか。
もぐもぐもぐと、大好きなエビを口に入れ味わう。ぷりぷりの弾力とピリ辛を楽しみながら史は納得した。
佐保はとても驚いた顔で史を見下ろしていたが、史はそれに気付かない。どうやら空と史の会話に冷や汗を流したのは佐保だけらしい。
史は思った事を口にしただけ。無意識に近いからこそ、それ以上何も思う事がないのだ。佐保は誰にも気づかれないように小さく息を吐き、何事もなかったかのように食事をする。
そんな二人をみて、大きな子供達三人はそっと微笑んでいた。
今日は大きな体の向こう、佐保の向こうに郁也がいていつもと勝手が違う。
何となく佐保越しに郁也を見た史は、ちょうどその場面を目撃して声を張った。
「郁也、無理に食べなくていいって」
「……ふがっ」
返事をしようとしたのか、料理が口からぽろぽろと落ちる。
白地にストライプ柄のシャツの上を、油ののった肉が跳ね転がる。一部はテーブルの上に落ち、一部は床を転がる。
最悪だ。
佐保も三兄弟も大変だと言いながら笑っているが、史的には最悪だ。
郁也は満腹になると残りを口に詰め込む癖がある。以前皿に残った物を箸の先で遊んでいるのを注意したことがあったから、そうなってしまったのかもしれない。とにかく郁也はどんな場面でも次々と面白いことをしてくれるから目が離せない。
せっかくのディナーだとお洒落したのに。
史は素早く立ち上がると、転がった肉を素手で掴み小皿にもどし、ナプキンで服の汚れを叩く。しかしそんなもので油汚れが取れるわけない。すぐシャツを脱がせてジャブジャブ洗ってしまいたい気分だ。
「郁也、洗面所行こうか」
「母さんは主役なんだから座って、僕が行くから」
怜が助けを出してくれたけど、それより早く史は郁也の手を繋ぎ歩き出していた。
「いいよいいよ、俺が行く。佐保さんごめんなさい。すぐに戻りますから。みんなもゆっくり食べてて」
史は反省の色が薄い郁也の手を引き個室を出て行った。
扉がパタンと閉まると和んでいた空気が霧散した。二つの華が消えた室内には静寂が波紋のように広がる。
抜けてしまった空白を見て見ぬふりをするように、佐保は一人そっと笑い、兄弟達はグラスに口をつけたり、食事を進めたりした。
身内であってもそうでなくても、Ωの存在はαに影響を与える。史は自分のことを地味だ平凡だと言うが、大人の落ち着いたΩの存在はαの集団を宥める偉大な力を持っている。
小さな郁也だってそうだ。幼く愛らしいという理由だけでなく、αの視線を集めてしまうのは、そのΩ性が深く関係している。
つい見てしまう、つい構ってしまうのもαの本能に近いのだろう。
いつも通り電車に乗って目的地へいくつもりでいたのに、突然鳴ったインターホンの向こうにいたのはタクシーの運転手。既に佐保から料金をもらったというのを返すわけにもいかず、有り難く使わせてもらう事にした。
なぜか外で待機していた多美に笑顔で見送られ、しばらく車に揺られた。
夜は雰囲気が違うなあ。
地面に埋め込まれた温かな黄色の灯が、長屋門から建物の扉まで続く小道を優しく照らしている。建物を囲む植栽に潜むライトは白色の壁を上品に浮き立たせ、レトロな美しさを最大限引き出していた。前庭には白い花が咲き乱れ、珍しい形の花弁がまるで妖精のように見える。
以前に二度この店にきた時は昼だった。その時見えたのは歴史を感じる古い洋館。古の富豪が作らせた邸宅が現在は改装され店舗となり、最近は映画の撮影にもしばしば使われるらしい。
元夫を含めた家族で外食はあまりなかった。ずっと子育てでせわしなかったし、母屋には料理専用の雇い人がおり、たまに子世帯にデリバリーしてくれた事もあったからだ。外で気を使うより家にいた方が史も楽だった。
史が外で食べる楽しみを知ったのは、佐保に出会ってからだ。
会えばご馳走してくれる佐保。お金に不自由ない人だから懐はそう痛まないのだろうが、奢られっぱなしなのは気になっていた。その気持ちをくんで今ではたまにお茶代を払わせてくれる。そんな気づかいが嬉しい。
そんな二人が納得できる落としどころは、夜よりも比較的安価にすませられるランチタイムに会う事だった。そんな理由があってディナーで食事に来るのは初めてなのだ。しかも家族五人全員で。
店には到着した。予約は入っているのだからささっと向かえばいいのだが、史は何となく二の足を踏んでしまう。昼と夜との様子が違いすぎて怖気づいているのかもしれない。
そうしているうちに何も考えていない郁也がぴょんぴょんと先頭を歩き、兄三人も躊躇ない足取りで入って小道を歩いて行く。
あれ、母さん何してるの? みたいな目を向けられると、大人は大人の事情が色いろあるんだよ? と言いたくなる。
ちょっといい感じのレストレランディナーって何着ればいいんだ? 俺のこれは正解なのか?
珍しくジャケットを着ている自分が気恥ずかしくなる。
兄弟が着ている物はファストファッションや佐保からの贈り物とごちゃ混ぜなのだが、意外とスタイリッシュに決まっている。後ろ姿は成人した男性にも見えるほどだ。
なるほど、中学生なのに堂々としているから浮かないんだな。
子供の姿に教えられるとは、史は怖気づいていた自分を笑った。
ちょうどその時、佐保の乗った車がやってきて店の前で合流する事になる。先に到着する予定だったが思わぬ渋滞があって遅れてしまった事を詫びてくる。今日の佐保はジャケットにブラックジーンズ姿。無理に若作りしない所が好ましく感じた。
店の前で全員集合となり自然に入店を促される。佐保がいてくれるとちょっと心強い。
店内では佐保の同級生だと言う丸顔の支配人が、にこやかに出迎え挨拶するから、恐縮してペコペコ頭を下げてしまう。その人も佐保の友人らしく優しさが表情に滲み出ているようだった。
「支配人とは大学の同級生でね、数少ない友人だ。私は当時から馬鹿の一つ覚えで、何かとここを利用していたんだ。ここは彼が父親から譲り受けた店で、昔から何も変わらない。しかし君は、年々体が丸くなっていくね」
佐保と支配人は本当に親しいのだろう。支配人はお腹の辺りをさすりおどけていた。
「えっ、何だよ、これ」
史は目の前の光景に足が動かなくなった。
用意された個室に入った途端、目に飛び込んできたのは、テーブルの上にある長方形の巨大なケーキ。
色鮮やかなフルーツがふんだんに使われていて、天井からの光にてらてらと光っている。史が苦手な生クリームを使っていない、タルト生地とカスタードクリームで作られた特製誕生日ケーキだ。
洋館で高級中華を営むこの店では提供していないケーキ。別の店に発注しわざわざ持ち込んだのはすぐに想像がつく。
場を賑わせる派手なクラッカーはないけれど、佐保と子供たち、そして支配人、給仕までそろって手を叩き、誕生日おめでとうと口にする。そこで史はようやく我に返った。
「そうか、俺、明後日が誕生日だ……」
「やっぱりそうだ。母さんならギリギリまで忘れてるって思ったんだ」
大成功だと光流は笑う。
「本当は当日にお祝いしたかったんだが、みんな学生ながら忙しいからね」
「どんなケーキにするか考えたのは郁也だよ。個室に入ってすぐお披露目ってアイデア出したのも郁也。本当は母さんにケーキの事を言いたかったのに、ずっと我慢してたんだ」
空が郁也の頭を撫でる。
得意そうにする郁也だが、つい目はケーキにいってしまう。そんな郁也の頭にさらに怜の手が加わる。
「郁也頑張ったよ。朝からそわそわしてたけど、ずっと母さんに言いたいの我慢してたんだ」
怜に褒められますます機嫌が良くなる郁也。わかりやすく御しやすい我が家のアイドル。今日の主役は史だけど、やはり郁也が中心になってしまいそうだ。
さっそく自分の為に用意されたケーキに近付いて観察する。
三十センチ以上はあるだろこれ。こっちは郁也のリクエストだな。
ケーキの一つの角には、カットされたメロンの実が集中している。でも郁也は自分の大好きな物を独り占めせず、家族それぞれに「どうぞ」と言って配るのだろう。
上に乗っているハート型のホワイトチョコレートのプレートには「おたんじょうびおめでとう」の文字がある。これは自分がもらってしまおうと史は決める。
「みんなありがとう。まさか俺が、こんな誕生会をされるなんてな」
誕生日会なんてされるのは人生初だ。
子供の誕生日は張りきって祝うが、自分の誕生日となると買ってきたケーキを食後に出して食べる位で済ませてきた。自分のイベントに興味がない人間にとっては、これが普通なのだ。
とはいえ、こうして祝ってもらえるのは嬉しいものだ。
どん底にいたこともあった。それを底から引き揚げてくれたのは今ここにる人達だ。
大きな懐で何でも包んでくれる佐保。
そして宝物の子供達四人。
大好き。みんな大好き。
「佐保さん、ありがとうございます」
「あまり凝ったことはできなかったけどね」
一番尽力してくれた、そしてきっと発案してくれた人に思わず抱き付く。
軽いハグではなくしっかりと腰に手を回す。初めて入った佐保の胸は広く温かくいい匂いがする。こうして正面からしっかり腕に抱かれるのは初めての事だ。
αが発する匂いなのは確かだろう。でもこれはΩを惑わせるではなく、いつまでもここにいたいと思わせる安定した穏やかさ、それしかない。
郁也がいつまでも兄達や佐保から離れない気持ちが史にもようやくわかる。
俺にもこの匂いはわかる。これは、くせになる。
かなり長めの抱擁になってしまったが、惜しみながらも何とか腕から抜ける。
光流、怜、空、最後に郁也。史は佐保と同じように抱き付き礼を言い、ようやく席に着くことになった。
六人が座れるテーブルで、史、佐保、郁也の順で座る。向かいが三人の息子。
いつも郁也の隣は史で、食事中もあれこれ世話をやくのだが、今日は佐保がその役を請け負ってくれる。
主役のお誕生日席は謹んで遠慮した。今日は主役の言う事が絶対だから史は扉に近い角の席を選んで落ち着いたのだった。
これまで何度佐保に会っただろう。
史と郁也と佐保で、佐保と上のお兄ちゃんたちで、組み合わせは色いろあって、それぞれ個人的に佐保に連絡を取っている。
他の兄弟や、親の史には言いにくい事も相談しているのだろう。家族外の立場で冷静に話のできる佐保は、子供達にとって心強い存在だ。
この人からの恩恵はありあまるほどに受けている。でもこの人にとって俺たちの存在って……
史はたまに思う。
佐保には一緒に暮らし成長を見守ることができなかった息子がいる。その息子は史や郁也に似ているらしいけれど、それがこれほどよくされる理由には足りない気がする。
年の離れた友達だとしても、距離感が近すぎる事は重々わかっているのだ。
難しく考えなくていいと光流は言うから、流されてここまできた。そうしていたら思ったより長い付き合いになった。
佐保と出会った頃は小さかった郁也も幾分大きくなり、今は立派なお兄さん園児。佐保の紹介してくれた園は性に合うらしく毎日楽しく通っている。
光流達はかわらず桐城学園にいるが、こちらも何の事件もなく平穏だった。
あれほど厄介だった宗賀の存在も、家自体が勢いをなくしてしまい接触はない。
なんにしても史が幸せである事に変わりなかった。
こうして六人が集結すると中心になって会話するのは佐保と光流と怜になる。郁也と空は食べることに集中して、史は会話に頷くだけの事が多い。
目の前に上の子供が三人ならぶと、以前よりも個性が強くなっているのがわかる。
中でも見た目にわかりやすいのは空だ。
一人だけぴょこっと頭が飛び出していて、兄の光流の身長を軽く抜いている。この一年でぐっと背が伸び男らしさが出て来た。食べる量は以前の倍だ。学校へは朝練後に食べる弁当の他に、パンも二つ三つ持たせている。
元夫に似ていたはずの顔にも変化がでて、なんか誰かに似てる……
自分が見られていることに気付かない空をいいことに、史は堂々と自分の子を見る。じっくりと見る。そこでひらめいた。
「なんか空って、佐保さんに似てない? 顔の輪郭とか耳とか肩とか、何となく。俺とならんで親子ってより、佐保さんと並んで親子の方が説得力ある」
史と光流の二人が度々恋人や友人とみられる事があるように、史と空が並んでも親子らしさはない。でも元夫と現在の空が並んでも、同じ理由で親子らしくないだろう。
なかなかのスピードで、でもお行儀よく食べていた空が箸をとめる。
「佐保さんと僕だったら、似たもの親子ではないよ。だって、一代間に挟むのは隔世だからさ」
「そうか、そうだね」
年齢的には五十代の佐保が祖父とすると、十代の空が孫になる。と言うことは、やっぱり隔世なのか。
もぐもぐもぐと、大好きなエビを口に入れ味わう。ぷりぷりの弾力とピリ辛を楽しみながら史は納得した。
佐保はとても驚いた顔で史を見下ろしていたが、史はそれに気付かない。どうやら空と史の会話に冷や汗を流したのは佐保だけらしい。
史は思った事を口にしただけ。無意識に近いからこそ、それ以上何も思う事がないのだ。佐保は誰にも気づかれないように小さく息を吐き、何事もなかったかのように食事をする。
そんな二人をみて、大きな子供達三人はそっと微笑んでいた。
今日は大きな体の向こう、佐保の向こうに郁也がいていつもと勝手が違う。
何となく佐保越しに郁也を見た史は、ちょうどその場面を目撃して声を張った。
「郁也、無理に食べなくていいって」
「……ふがっ」
返事をしようとしたのか、料理が口からぽろぽろと落ちる。
白地にストライプ柄のシャツの上を、油ののった肉が跳ね転がる。一部はテーブルの上に落ち、一部は床を転がる。
最悪だ。
佐保も三兄弟も大変だと言いながら笑っているが、史的には最悪だ。
郁也は満腹になると残りを口に詰め込む癖がある。以前皿に残った物を箸の先で遊んでいるのを注意したことがあったから、そうなってしまったのかもしれない。とにかく郁也はどんな場面でも次々と面白いことをしてくれるから目が離せない。
せっかくのディナーだとお洒落したのに。
史は素早く立ち上がると、転がった肉を素手で掴み小皿にもどし、ナプキンで服の汚れを叩く。しかしそんなもので油汚れが取れるわけない。すぐシャツを脱がせてジャブジャブ洗ってしまいたい気分だ。
「郁也、洗面所行こうか」
「母さんは主役なんだから座って、僕が行くから」
怜が助けを出してくれたけど、それより早く史は郁也の手を繋ぎ歩き出していた。
「いいよいいよ、俺が行く。佐保さんごめんなさい。すぐに戻りますから。みんなもゆっくり食べてて」
史は反省の色が薄い郁也の手を引き個室を出て行った。
扉がパタンと閉まると和んでいた空気が霧散した。二つの華が消えた室内には静寂が波紋のように広がる。
抜けてしまった空白を見て見ぬふりをするように、佐保は一人そっと笑い、兄弟達はグラスに口をつけたり、食事を進めたりした。
身内であってもそうでなくても、Ωの存在はαに影響を与える。史は自分のことを地味だ平凡だと言うが、大人の落ち着いたΩの存在はαの集団を宥める偉大な力を持っている。
小さな郁也だってそうだ。幼く愛らしいという理由だけでなく、αの視線を集めてしまうのは、そのΩ性が深く関係している。
つい見てしまう、つい構ってしまうのもαの本能に近いのだろう。
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