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18 宗賀の接触
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離婚後もなんやかんやとあって、多美さんや佐保さん複数の出会いがあって、上の子三人は全員が中学生、郁也は幼稚園児生活。俺もお仕事順調。周りのフォローでようやく生活の形を立て直す事ができていた。しかし何かしら、事件はあるものだ。
「ただいま~」
駅で園の送迎バスから郁也を受け取って部屋に戻る。
玄関をあけたらすぐにキッチンだから食い物の匂いは嫌でも鼻につく。思わず見るのは多美さんがくれた自動調理鍋だったけど誰かが動かした気配はない。
ほんの三十分家を空けてただけなのに、扉を開けたらとってもいい匂いがしてきて、今晩は夕食作らなくていいんだってほっとする。
一応仕事してるし、楽できるの嬉しいんだよ。
肉団子? 酢豚? そんな香り。
留守してる間に多美さんがおかずを置いていってくれたのかな?
俺本当に多美さん大好き。多美さんのご飯も好き。ずっとここにいてねって言われる度に涙でそうになる。
四人の子には内緒ねってお菓子くれるし、料理はまず俺に味見させてくれるし、お祖母ちゃんってこんな感じかなって疑似体験しているみたいな気分になるんだよ。
「郁也、まずは手を洗おう。それからおやつな」
「はーい」
郁也の姿が洗面所に消える。リフォーム済とはいえ洗面所はすぐそこだから、水が跳ねる音がキッチンにも聞こる。
よく見ればダイニングキッチンのテーブルには紙袋。デパ地下の惣菜っぽい。
やっぱり中華? 鼻をくんくんさせていると、怜と光流がリビングに接する自分達の部屋から出てきた。
「怜、帰ってたんだな。おかえり」
「うん、ただいま。これ帰りにお祖母さまがデパートで買ったの持たせてくれたんだ。お金じゃなくて現物ならいいだろうと思ってもらっておいたよ。母さんと一緒に食べてねって言われたし」
「蓉子さんが、俺に食べろと?!」
驚きだった。
元夫を殴って以来、俺と蓉子さんに繋がりはない。手紙のやりとりもメールも、代理人を通しての伝言一つなかった。
二年の月日がたって怒りも鎮火したんだろうか。何かの風の吹き回しってやつだろうか。それが気になった。
今日は学校の代休で平日なのに子供達は休み。郁也だけが保育園に行った。
その代休情報が蓉子さんに入っていたようで、一度宗賀家に遊びに来てはどうかと直接光流に招待がきたのだ。
光流は祖父母のどちらにも二度と会わないと決めているから断った。
空は学校が休みでも部活があるから無理と速攻の返事。その空の巨大な靴も玄関にはなくまだ帰っていない。
怜だけは現在の宗賀家に興味があるからと、わりと素直に話を受けて今朝は早くから出掛けていた。
郁也は誘われておらず、孫差別はまだ続いている。
宗賀が孫に会いたいと連絡してきたのは離婚してから二回目になる。しかも二度とも連絡があったのは最近のことで、たて続けと言っていい。
一度目は三人とも断った。二度目で怜だけが受けたのだ。
やはり孫だけは気にしてくれているのだろうか。自分の孫であると思ってくれるのは有り難く思う、ように意識している。
何しろ俺自身に親がいないから、光流たちにはあの人達以外に祖父母と呼べる人がいない。
何か困った時、例えば俺が死んでしまった時に頼れる人となると、宗賀家に限定されてしまうのは事実だ。もし俺に何かあっても、元夫はあてにならない。実質頼れそうな大人となると蓉子さんしか思い浮かばない。
多美さんも佐保さんも身内同然だけど親族ではない。優しい二人に甘えて自分の死後にまで子供達を託すのは違うだろう。
久しぶりに宗賀家に行って、怜はどう思っただろう。
戻りたいって言い出したらどうしよう。自分たちが育った家は懐かしいし、愛着もあるだろうし。怜は豪華で綺麗なものが好きだし……
怜が元の家に出掛けてしまうのは怖かった。複雑な気持ちになってしまったのは事実だ。何時に帰ってくるのかなってずっと時計が気になっていた。だから怜の姿を見てほっとした。
怜に促されて座ると、中華の入った袋がすすっと目の前に移動してくる。けれど中身を確認する気にはなれなかった。
「聞いてよ。家にいるのはてっきりおばあさまだけだと思ってたのに、おじいさままでいたんだよ。あの人苦手だから居なくていいのにさ。社長の仕事って案外暇なのかな。昼間から仕事サボるなよって感じ」
お義父さんがいた!? 惣菜の手土産に続いて二度目のびっくりだ。
「えっと、暇なんじゃなくて、わざわざ怜のために時間を作ったんだと思うけど……」
義父と聞くといまだにびくっと体が反応してしまう。トラウマだ。
「まあ、それもわかるけど、なんか妙でさ。あのおじいさまが愛想いいし、対しておばあさまは愚痴ばっかりだし。二人とも僕の話しはどうでもよくて、自分たちの話聞いて欲しい、みたいな」
郁也が洗面から戻ってくる。いつもの手順で園カバンから水筒を出しシンクへ置き、保育手帳をテーブルのすみにおく。そして着替えるために寝室へ、光流もそれに着いていって二人きりになった。そこまで見守ると怜が続けて口をひらく。
「母さんもふっきれてるみたいだし、せっかく宗賀の家にも行ったし、宗賀家の人間の話ししてもいいよね。辛くなったらすぐやめるから」
怜は俺の体調を心配する。
「大丈夫、無理だと思ったらその時は素直にギブアップする。俺だってあっちの話は気になるよ。縁は切れてるけど、よくしてもらったって思ってるし」
かつては自分もその一員だった宗賀家、気になる。義父母二人は病気もなく元気に……多分ピンピンしているだろう。しぶとそうだし。
「あの家さ、嫁姑問題が勃発してる」
「嫁姑……! あの蓉子さんが、なんか意外」
さっぱりした性格の蓉子さんには無縁な気がするのに何があったんだろうってのが率直な気持ち。
失礼ながら俗っぽすぎてちょっと笑いそうになる。嫁姑ってベタじゃん。
「父さんの番って綺麗なだけじゃなくて家事も完璧なんだって。楽器も趣味だし、在宅でデザインの仕事もしてるし、美しいだけじゃなく旧華族の血も引く才色兼備の男性Ω」
「完璧。文句のつけようがない」
元夫を奪った番であるのに自然に口をつく。
嫁姑ということは、蓉子お嬢様Ωと元華族Ωの対決ってことか。
「おばあさまの実家は懐石やっているって言っても、元々は成金のドンドンチェーンでしょ。それを父さんの番に鼻で笑われたってめっちゃ吼えてた」
「うーん、確かに自分の出自を馬鹿にされるのは嫌だよな」
レベルは全然違うけど、見下されまくって生きてきた底辺の俺にはわかる。
番さんにそのつもりがあったのかわからないけど、蓉子さんはそう思ってしまったのなら問題だ。
蓉子さんは実家を愛しているし、うどんも好きだ。でもプライドは高くて、うどん屋の娘と呼ばれる事には我慢ならないらしい。これは絶対にこじれる。こじれない訳がない。
ドンドンの何が気に入らないんだろう。食べたら気に入ると思うけどな。
番さんは顔が美しいだけでなく他も完璧で隙がないのかな。見事に俺とは正反対の人だ。きっと友達にはなれない。
蓉子お嬢様レベルでも鼻笑い対象なら、俺なんか視界にも入れたくないちっぽけな存在だろう。元夫もすごい人を運命の番にもったものだ。
「そんなだから、父さんたちがあの家にいたのは最初の一ヵ月だけで、それ以降ずっとマンション暮らしだって。滅多に会わないし様子も伝わってこないって愚痴ってたよ」
「十年以上敷地内同居してた俺が言うのもあれだけど、結婚したら別家庭として独立すべきなのが本来なんだよ。同居って揉める原因だし出てよかったんだと思うな」
「母さんは割と上手くやってたよね」
「うーん、たまたまかな。蓉子さんは人に教えるのが好きだったし、俺は俺で何の教養もなくて、蓉子さんを尊敬してたし頼りにしていたし、上手いこと歯車がかみ合ったみたいな。自分より格上の名家のΩには偉そうにできないけど、親なし中卒の俺だったら蓉子さんも遠慮なく物がバンバン言えてたから、今回は勝手が違いすぎたのかな」
蓉子さんはきつい言葉だって平気で俺に投げてたし。
『まあ、そんなことも知らないの!? あらまあ困ったわね。高校も出てないのじゃ仕方ないのかしら』
なんてのは何気ないようでいて結構胸にくるから。今思えば彼女のストレス解消のサンドバッグになってた節も、あるっちゃある。
子供達も何度か目撃してるんじゃないかな、俺が口撃されているところ。
「おばあさまにとっては『宗賀のしきたり』を盾に虐められる相手ができて、母さんとの敷地内同居は楽しかったんだろうね。その的になったのが母さんはたまったもんじゃないけど」
「やっぱそう思うよな!? 俺も実はちょっとそう思ってたんだよ、ストレス解消に使われてるかもって。やっぱりかよ……くそぉ」
俺が落ち込むと怜がふふっと笑う。
「でもおばあさま褒めてたよ。母さんは何も知らないし何もできない地味な人だったけど、愛嬌があって素直で教えがいがあったって」
「ううっ、事実だけど酷い。でも蓉子さんらしい物言いだよ。でもやっぱりちょっと腹立つわ」
既にあの家を出ている俺だが少しいらっとくる。
今度何か言われたらこっちも言い返してやる! って決めたけど、きっと元夫と同様、蓉子さんとも二度と会うことはないからな……
「あのさ、ここからが本題ね」
怜の声が突然神妙になる。
「父さんとその番って子供ができにくいんだと思う。番はそのプレッシャーもあるし、周りは気を使うしで、宗賀全体の空気が重いんだ、きっと」
「……なかなかデリケートな問題だな」
運命の番は相性がいいのは本当で、避妊の方にこそ気を使うってのは聞いたことがある。
不妊は俺の責任じゃないよな。俺は呪いをかけてないよ。こっちはこっちの面倒だけで凄く忙しかったし。
そりゃ、ちょっとは二人が不幸になればいいのにって思ったことはあったけど……何度か思ったけど……
「不妊は母さんのせいじゃないよ。でも人の気持ちって複雑すぎるから、とんでもない方向から難癖つけてくる可能性あるよね」
怜が俺の顔色を読み取ってフォローしてくれた時、奥の部屋から光流と郁也が戻ってきた。
光流は冷蔵庫から出した牛乳を郁也のグラスに注ぐ。おやつ箱から今日のお菓子を選んで抱えた郁也が俺の隣にきて、光流は怜の隣に座った。
「宗賀の不妊問題で、こっちも無縁じゃいられなくなりそうだよ、兄さん」
怜が光流を流し見た。
「兄さんならとっくにわかってるだろうけど、宗賀の二人は保険が欲しいんだよ。息子夫婦の間に子供ができなかった場合、宗賀を途絶えさせないための保険が。これからはもっとあからさまな接触があると思う。特に光流兄さんへの接触が」
つまりそれって、やっぱり孫たちが必要になったってことだよな。
……そう言うことか。
急速に俺たちに降りかかっていた厄介事の意味がわかった。
あの義父が、義母が、ずっと放置していた孫に今更何のために会いたがるのか? そんな疑問が一気に氷解した。
実は、その辺は俺も少し巻き込まれていたようだ。
何を思ったのか義父が代理人経由で俺に見合いの話も持ち込むようになっているのだ。
『俺がいつまでも一人でいると息子夫婦が気に病むから』という勝手極まりない理由で。
無茶な言いがかりだ。
元夫が今さら気に病むとかないだろ。渋りに渋って滞っていた滞納分の養育費と、それ以降の月々分は振り込まれるようになっているから、自分達の懐が痛んでいる事に病むならあり得るだろうけど。
代理人を挟んだ義父とのやり取りは何度も続いていて、それがストレス過ぎて眠れない夜もあった。
元夫の弁護士も最低だったが、義父の代理人も感じ悪い。
しゃがれた低い声は明らかに60才を越えた老年で、こっちを苛立たせる作戦なのか、ゆっくりねっとり喋ってくる。
もう二度と見合いを持ち込むな、連絡しないでくれってお断りしたら、お前ごときが贅沢を言うな的な事をネチネチ言われ、もう本当に心から疲弊した。
でも今回怜が宗賀に行ってくれたおかげで、ようやく真実がわかった。
俺を再婚させようとするのも、孫を宗賀に戻すための計画のひとつだったんだ。俺の気持ちを再婚に向けさせて、子供達から引き離したかった。
あり得ないだろう。もう何なんだあの一族……
そりゃ俺の両親は酷いよ、父親の存在感なんてゼロで、母親は子供を虐待して捕まった犯罪者。どっちも生きてるか死んでるかわかんない。親戚なんていないしルーツだってあるんだかないんだかわからない。
でも名家だって偉そうな宗賀だって大概だ。選民意識には反吐が出る。
ようやくこっちの生活が落ちついてきたって言うのに、優しい人達に出会って幸せだって言えるようになったのに、自分都合で簡単に俺達を巻き込もうとする。
後継ぎとなる孫を取り戻す。その位の事なら悪じゃないって思い込んでる。むしろ子供にとって良い事だと思っている節もある。
「勝手すぎる。絶対に嫌だっ。俺はみんなが自立するまで一緒に暮らしたい。もう口出しなんてして欲しくない。だからもう、関わらせない」
宣言するみたいに声出して、やり場のない怒りで拳を握りこむ。
「うん、僕達だってあの時のこと忘れてない」
光流のいい所は、俺につられてカッとならないところだ。
「だから、どれだけ望まれてもなびくことなんてない。だいたい怜が今回屋敷に行ったのも、あちらを偵察する意味があってのことだろう」
「光流兄さんの言う通りだよ。母さんに見合いの話が来た時から、なんだかヤバイ匂いがぷんぷんしてたもん。だからと言って光流兄さんが行く訳ないし、空はバスケして食べて寝るだけの人になっちゃってるし、となると、ここで突撃するのは僕しかいないでしょ?」
光流の言葉にぐっときて、怜の献身に涙が出そうになる。
「別に嫌々行ったんじゃないからね。久しぶりにあの屋敷を見たかったのもある。この人たち老けて更に悪い顔になってるな観察して楽しかったし。見合いの話はないにしても、母さんもさ、そろそろ恋人でも作ったらいいのにってのは僕も思ってたことだよ。相手が悪い人でなければ反対しないから」
「あ、うん、ありがとう。でも俺はもうそれ系はこりごりって言うか……」
怜の口から恋人なんて飛び出してびっくりだ。
母に恋人作れなんて言ういだすとは。ませてると言うか理解があると言うか、こっちが不甲斐なくてすいませんって感じだ。
にしても、焦った。
恋人なんて話題を出されて内心びくついたのは、実はみんなに言えずにいる事があるからだ。かなり嫌な汗が背中を流れた。
取りあえずこの場で決まったのは、宗賀からの接触があっても直接関わらない事。たとえ祖父母からの電話であっても。
そして間に入ってくれる信頼できる代理人を早急に探す事。
難関は代理人探しだ。離婚後に依頼した弁護士が役立たずだった事もあって、どうしたものかと考えてしまう。
佐保さんに相談したら快く引き受けて探してくれるだろうけど、申し訳なさに躊躇してしまう。
しかし俺が悩んでいる間に、光流がスマホを取り出しさくっと佐保さんに電話してしまっていた。できる息子のおかげで俺の葛藤は速攻で終わった。
「ただいま~」
駅で園の送迎バスから郁也を受け取って部屋に戻る。
玄関をあけたらすぐにキッチンだから食い物の匂いは嫌でも鼻につく。思わず見るのは多美さんがくれた自動調理鍋だったけど誰かが動かした気配はない。
ほんの三十分家を空けてただけなのに、扉を開けたらとってもいい匂いがしてきて、今晩は夕食作らなくていいんだってほっとする。
一応仕事してるし、楽できるの嬉しいんだよ。
肉団子? 酢豚? そんな香り。
留守してる間に多美さんがおかずを置いていってくれたのかな?
俺本当に多美さん大好き。多美さんのご飯も好き。ずっとここにいてねって言われる度に涙でそうになる。
四人の子には内緒ねってお菓子くれるし、料理はまず俺に味見させてくれるし、お祖母ちゃんってこんな感じかなって疑似体験しているみたいな気分になるんだよ。
「郁也、まずは手を洗おう。それからおやつな」
「はーい」
郁也の姿が洗面所に消える。リフォーム済とはいえ洗面所はすぐそこだから、水が跳ねる音がキッチンにも聞こる。
よく見ればダイニングキッチンのテーブルには紙袋。デパ地下の惣菜っぽい。
やっぱり中華? 鼻をくんくんさせていると、怜と光流がリビングに接する自分達の部屋から出てきた。
「怜、帰ってたんだな。おかえり」
「うん、ただいま。これ帰りにお祖母さまがデパートで買ったの持たせてくれたんだ。お金じゃなくて現物ならいいだろうと思ってもらっておいたよ。母さんと一緒に食べてねって言われたし」
「蓉子さんが、俺に食べろと?!」
驚きだった。
元夫を殴って以来、俺と蓉子さんに繋がりはない。手紙のやりとりもメールも、代理人を通しての伝言一つなかった。
二年の月日がたって怒りも鎮火したんだろうか。何かの風の吹き回しってやつだろうか。それが気になった。
今日は学校の代休で平日なのに子供達は休み。郁也だけが保育園に行った。
その代休情報が蓉子さんに入っていたようで、一度宗賀家に遊びに来てはどうかと直接光流に招待がきたのだ。
光流は祖父母のどちらにも二度と会わないと決めているから断った。
空は学校が休みでも部活があるから無理と速攻の返事。その空の巨大な靴も玄関にはなくまだ帰っていない。
怜だけは現在の宗賀家に興味があるからと、わりと素直に話を受けて今朝は早くから出掛けていた。
郁也は誘われておらず、孫差別はまだ続いている。
宗賀が孫に会いたいと連絡してきたのは離婚してから二回目になる。しかも二度とも連絡があったのは最近のことで、たて続けと言っていい。
一度目は三人とも断った。二度目で怜だけが受けたのだ。
やはり孫だけは気にしてくれているのだろうか。自分の孫であると思ってくれるのは有り難く思う、ように意識している。
何しろ俺自身に親がいないから、光流たちにはあの人達以外に祖父母と呼べる人がいない。
何か困った時、例えば俺が死んでしまった時に頼れる人となると、宗賀家に限定されてしまうのは事実だ。もし俺に何かあっても、元夫はあてにならない。実質頼れそうな大人となると蓉子さんしか思い浮かばない。
多美さんも佐保さんも身内同然だけど親族ではない。優しい二人に甘えて自分の死後にまで子供達を託すのは違うだろう。
久しぶりに宗賀家に行って、怜はどう思っただろう。
戻りたいって言い出したらどうしよう。自分たちが育った家は懐かしいし、愛着もあるだろうし。怜は豪華で綺麗なものが好きだし……
怜が元の家に出掛けてしまうのは怖かった。複雑な気持ちになってしまったのは事実だ。何時に帰ってくるのかなってずっと時計が気になっていた。だから怜の姿を見てほっとした。
怜に促されて座ると、中華の入った袋がすすっと目の前に移動してくる。けれど中身を確認する気にはなれなかった。
「聞いてよ。家にいるのはてっきりおばあさまだけだと思ってたのに、おじいさままでいたんだよ。あの人苦手だから居なくていいのにさ。社長の仕事って案外暇なのかな。昼間から仕事サボるなよって感じ」
お義父さんがいた!? 惣菜の手土産に続いて二度目のびっくりだ。
「えっと、暇なんじゃなくて、わざわざ怜のために時間を作ったんだと思うけど……」
義父と聞くといまだにびくっと体が反応してしまう。トラウマだ。
「まあ、それもわかるけど、なんか妙でさ。あのおじいさまが愛想いいし、対しておばあさまは愚痴ばっかりだし。二人とも僕の話しはどうでもよくて、自分たちの話聞いて欲しい、みたいな」
郁也が洗面から戻ってくる。いつもの手順で園カバンから水筒を出しシンクへ置き、保育手帳をテーブルのすみにおく。そして着替えるために寝室へ、光流もそれに着いていって二人きりになった。そこまで見守ると怜が続けて口をひらく。
「母さんもふっきれてるみたいだし、せっかく宗賀の家にも行ったし、宗賀家の人間の話ししてもいいよね。辛くなったらすぐやめるから」
怜は俺の体調を心配する。
「大丈夫、無理だと思ったらその時は素直にギブアップする。俺だってあっちの話は気になるよ。縁は切れてるけど、よくしてもらったって思ってるし」
かつては自分もその一員だった宗賀家、気になる。義父母二人は病気もなく元気に……多分ピンピンしているだろう。しぶとそうだし。
「あの家さ、嫁姑問題が勃発してる」
「嫁姑……! あの蓉子さんが、なんか意外」
さっぱりした性格の蓉子さんには無縁な気がするのに何があったんだろうってのが率直な気持ち。
失礼ながら俗っぽすぎてちょっと笑いそうになる。嫁姑ってベタじゃん。
「父さんの番って綺麗なだけじゃなくて家事も完璧なんだって。楽器も趣味だし、在宅でデザインの仕事もしてるし、美しいだけじゃなく旧華族の血も引く才色兼備の男性Ω」
「完璧。文句のつけようがない」
元夫を奪った番であるのに自然に口をつく。
嫁姑ということは、蓉子お嬢様Ωと元華族Ωの対決ってことか。
「おばあさまの実家は懐石やっているって言っても、元々は成金のドンドンチェーンでしょ。それを父さんの番に鼻で笑われたってめっちゃ吼えてた」
「うーん、確かに自分の出自を馬鹿にされるのは嫌だよな」
レベルは全然違うけど、見下されまくって生きてきた底辺の俺にはわかる。
番さんにそのつもりがあったのかわからないけど、蓉子さんはそう思ってしまったのなら問題だ。
蓉子さんは実家を愛しているし、うどんも好きだ。でもプライドは高くて、うどん屋の娘と呼ばれる事には我慢ならないらしい。これは絶対にこじれる。こじれない訳がない。
ドンドンの何が気に入らないんだろう。食べたら気に入ると思うけどな。
番さんは顔が美しいだけでなく他も完璧で隙がないのかな。見事に俺とは正反対の人だ。きっと友達にはなれない。
蓉子お嬢様レベルでも鼻笑い対象なら、俺なんか視界にも入れたくないちっぽけな存在だろう。元夫もすごい人を運命の番にもったものだ。
「そんなだから、父さんたちがあの家にいたのは最初の一ヵ月だけで、それ以降ずっとマンション暮らしだって。滅多に会わないし様子も伝わってこないって愚痴ってたよ」
「十年以上敷地内同居してた俺が言うのもあれだけど、結婚したら別家庭として独立すべきなのが本来なんだよ。同居って揉める原因だし出てよかったんだと思うな」
「母さんは割と上手くやってたよね」
「うーん、たまたまかな。蓉子さんは人に教えるのが好きだったし、俺は俺で何の教養もなくて、蓉子さんを尊敬してたし頼りにしていたし、上手いこと歯車がかみ合ったみたいな。自分より格上の名家のΩには偉そうにできないけど、親なし中卒の俺だったら蓉子さんも遠慮なく物がバンバン言えてたから、今回は勝手が違いすぎたのかな」
蓉子さんはきつい言葉だって平気で俺に投げてたし。
『まあ、そんなことも知らないの!? あらまあ困ったわね。高校も出てないのじゃ仕方ないのかしら』
なんてのは何気ないようでいて結構胸にくるから。今思えば彼女のストレス解消のサンドバッグになってた節も、あるっちゃある。
子供達も何度か目撃してるんじゃないかな、俺が口撃されているところ。
「おばあさまにとっては『宗賀のしきたり』を盾に虐められる相手ができて、母さんとの敷地内同居は楽しかったんだろうね。その的になったのが母さんはたまったもんじゃないけど」
「やっぱそう思うよな!? 俺も実はちょっとそう思ってたんだよ、ストレス解消に使われてるかもって。やっぱりかよ……くそぉ」
俺が落ち込むと怜がふふっと笑う。
「でもおばあさま褒めてたよ。母さんは何も知らないし何もできない地味な人だったけど、愛嬌があって素直で教えがいがあったって」
「ううっ、事実だけど酷い。でも蓉子さんらしい物言いだよ。でもやっぱりちょっと腹立つわ」
既にあの家を出ている俺だが少しいらっとくる。
今度何か言われたらこっちも言い返してやる! って決めたけど、きっと元夫と同様、蓉子さんとも二度と会うことはないからな……
「あのさ、ここからが本題ね」
怜の声が突然神妙になる。
「父さんとその番って子供ができにくいんだと思う。番はそのプレッシャーもあるし、周りは気を使うしで、宗賀全体の空気が重いんだ、きっと」
「……なかなかデリケートな問題だな」
運命の番は相性がいいのは本当で、避妊の方にこそ気を使うってのは聞いたことがある。
不妊は俺の責任じゃないよな。俺は呪いをかけてないよ。こっちはこっちの面倒だけで凄く忙しかったし。
そりゃ、ちょっとは二人が不幸になればいいのにって思ったことはあったけど……何度か思ったけど……
「不妊は母さんのせいじゃないよ。でも人の気持ちって複雑すぎるから、とんでもない方向から難癖つけてくる可能性あるよね」
怜が俺の顔色を読み取ってフォローしてくれた時、奥の部屋から光流と郁也が戻ってきた。
光流は冷蔵庫から出した牛乳を郁也のグラスに注ぐ。おやつ箱から今日のお菓子を選んで抱えた郁也が俺の隣にきて、光流は怜の隣に座った。
「宗賀の不妊問題で、こっちも無縁じゃいられなくなりそうだよ、兄さん」
怜が光流を流し見た。
「兄さんならとっくにわかってるだろうけど、宗賀の二人は保険が欲しいんだよ。息子夫婦の間に子供ができなかった場合、宗賀を途絶えさせないための保険が。これからはもっとあからさまな接触があると思う。特に光流兄さんへの接触が」
つまりそれって、やっぱり孫たちが必要になったってことだよな。
……そう言うことか。
急速に俺たちに降りかかっていた厄介事の意味がわかった。
あの義父が、義母が、ずっと放置していた孫に今更何のために会いたがるのか? そんな疑問が一気に氷解した。
実は、その辺は俺も少し巻き込まれていたようだ。
何を思ったのか義父が代理人経由で俺に見合いの話も持ち込むようになっているのだ。
『俺がいつまでも一人でいると息子夫婦が気に病むから』という勝手極まりない理由で。
無茶な言いがかりだ。
元夫が今さら気に病むとかないだろ。渋りに渋って滞っていた滞納分の養育費と、それ以降の月々分は振り込まれるようになっているから、自分達の懐が痛んでいる事に病むならあり得るだろうけど。
代理人を挟んだ義父とのやり取りは何度も続いていて、それがストレス過ぎて眠れない夜もあった。
元夫の弁護士も最低だったが、義父の代理人も感じ悪い。
しゃがれた低い声は明らかに60才を越えた老年で、こっちを苛立たせる作戦なのか、ゆっくりねっとり喋ってくる。
もう二度と見合いを持ち込むな、連絡しないでくれってお断りしたら、お前ごときが贅沢を言うな的な事をネチネチ言われ、もう本当に心から疲弊した。
でも今回怜が宗賀に行ってくれたおかげで、ようやく真実がわかった。
俺を再婚させようとするのも、孫を宗賀に戻すための計画のひとつだったんだ。俺の気持ちを再婚に向けさせて、子供達から引き離したかった。
あり得ないだろう。もう何なんだあの一族……
そりゃ俺の両親は酷いよ、父親の存在感なんてゼロで、母親は子供を虐待して捕まった犯罪者。どっちも生きてるか死んでるかわかんない。親戚なんていないしルーツだってあるんだかないんだかわからない。
でも名家だって偉そうな宗賀だって大概だ。選民意識には反吐が出る。
ようやくこっちの生活が落ちついてきたって言うのに、優しい人達に出会って幸せだって言えるようになったのに、自分都合で簡単に俺達を巻き込もうとする。
後継ぎとなる孫を取り戻す。その位の事なら悪じゃないって思い込んでる。むしろ子供にとって良い事だと思っている節もある。
「勝手すぎる。絶対に嫌だっ。俺はみんなが自立するまで一緒に暮らしたい。もう口出しなんてして欲しくない。だからもう、関わらせない」
宣言するみたいに声出して、やり場のない怒りで拳を握りこむ。
「うん、僕達だってあの時のこと忘れてない」
光流のいい所は、俺につられてカッとならないところだ。
「だから、どれだけ望まれてもなびくことなんてない。だいたい怜が今回屋敷に行ったのも、あちらを偵察する意味があってのことだろう」
「光流兄さんの言う通りだよ。母さんに見合いの話が来た時から、なんだかヤバイ匂いがぷんぷんしてたもん。だからと言って光流兄さんが行く訳ないし、空はバスケして食べて寝るだけの人になっちゃってるし、となると、ここで突撃するのは僕しかいないでしょ?」
光流の言葉にぐっときて、怜の献身に涙が出そうになる。
「別に嫌々行ったんじゃないからね。久しぶりにあの屋敷を見たかったのもある。この人たち老けて更に悪い顔になってるな観察して楽しかったし。見合いの話はないにしても、母さんもさ、そろそろ恋人でも作ったらいいのにってのは僕も思ってたことだよ。相手が悪い人でなければ反対しないから」
「あ、うん、ありがとう。でも俺はもうそれ系はこりごりって言うか……」
怜の口から恋人なんて飛び出してびっくりだ。
母に恋人作れなんて言ういだすとは。ませてると言うか理解があると言うか、こっちが不甲斐なくてすいませんって感じだ。
にしても、焦った。
恋人なんて話題を出されて内心びくついたのは、実はみんなに言えずにいる事があるからだ。かなり嫌な汗が背中を流れた。
取りあえずこの場で決まったのは、宗賀からの接触があっても直接関わらない事。たとえ祖父母からの電話であっても。
そして間に入ってくれる信頼できる代理人を早急に探す事。
難関は代理人探しだ。離婚後に依頼した弁護士が役立たずだった事もあって、どうしたものかと考えてしまう。
佐保さんに相談したら快く引き受けて探してくれるだろうけど、申し訳なさに躊躇してしまう。
しかし俺が悩んでいる間に、光流がスマホを取り出しさくっと佐保さんに電話してしまっていた。できる息子のおかげで俺の葛藤は速攻で終わった。
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そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
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