オメガの家族

宇井

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12 新生活

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 そして俺は名字が旧姓の曽山に戻った。子供達からしたら変わったことになる。
 曽山史、曽山光流、曽山空、曽山怜、曽山郁也の誕生だ。
 立派な屋敷から、二階建てのボロアパートへの引っ越し。一階五部屋、二階も五部屋のティッシュ箱を横に倒したみたいな建物。
 外壁汚い。設備が古い。なんか暗い。ただ駅近で立地だけがいい。そんな建物。
 古さを隠すように塗装された外壁のせいか、昼間は借り物みたいに浮き上がっているのに、夜になれば輪郭は闇に溶け朽ちているような怖い建物だ。
 部屋は二LDK。玄関を開けたらすぐ部屋で、廊下なんて無駄なものはない。救いは水回りが十年前にリフォームされていること。
 二口コンロに水洗洋式トイレ、風呂の追い炊きもできるんだぞ、と俺がアピールしたところで、生まれた時から高級住宅地の一軒家で生活をしてきた子供たちのつぼにははまらなかった。
 子供たちはやはりショックを受けていた。事前に見た画像で覚悟していたようだが、いざ来てみたら実物はより残酷だったみたいだ。

『あと数年住むだけの場所だから。ははっ』

 そうやって弟たちを励ます光流の声はかすかに震えていた。無理しているのがバレバレだ。気の毒だけどしょうがない。これが現実だ。

『そうだね。光流兄さんと僕と空は、ほとんど学校に行っているし……ね。うん』
『うん。怜の言う通り、慣れる、と思う』

 郁也は不思議そうに低い天井を見上げていた。
 きっと宗賀の家を出たことを四人は後悔したに違いない。だけどもう遅い。
 帰りたいって言っても俺は許さない。一人でも戻っていったら俺きっと寂しくて死ぬから!
 こんな風に心の中で強がってみせても俺の心はボロボロで、それなのに子供たちにはこれまでに近い生活をさせたくて頑張った。
 あらかじめ家にあった金目の物は現金化しておいたよ。離れの家にある物はゴミになるから好きにしていいと合意をもらったから。
 電化製品は引き続きアパートで使うけど、それ以外の物はリサイクル店に売却。全部で二百万円になったのは貴金属があったおかげだ。だけど敷金礼金、諸々を払ったら半分消えた。その後の生活を考えたらむしろ足りない位だ。
 残念ながら俺を正社員で雇ってくれるような会社は見つからなかった。おっさんなのに社会経験がほぼゼロ。しかもΩで就労に役立つ特技なしだもん。
 だからって求職だけしているなんて無理。とにかく少しでも多く稼がなきゃいけないと、いつも求人サイトを見ていた。

 最終的な慰謝料は一千万円で決着していた。
 もう少しあるかと思ったけど、これまでの出産にかかった高額の医療費の分を差し引いたと言われた。
 しかも余計なおまけまであって、それは一千万が十年にわたる分割払いだって事。年間で百万って少なくない!?
 それとは別で誠からの養育費は月に三十万。でも三分の一は家賃で消えてしまいますよ。
 世間と照らし合わせれば悪くないと主張されたけど、財産がたっぷりある宗賀家である事と不貞が離婚理由となれば、思えばもう少し色がついてもよかったんじゃないのかなあ。
 俺が依頼した弁護士は離婚の無料相談をしているNPOの紹介で、思えば相談している時から一抹の不安があった。
 俺の依頼先が悪かったのか、それとも宗賀の弁護士の方が強すぎたのか。こちらの言い分は跳ねのけられてばかりだった。
 しかも月々の養育費が、初回の振込み以降滞る状態になった。
 これって誠と義父からの嫌がらせかな、絶対そうだよな。これが兵糧攻めってやつ?
 間に二つの関係者を挟んでいるせいか、抗議に対する返答も全然返ってこない。
 子供達の大学進学費用までは保障されていない。だったら俺が用意しなきゃ。
 頭の中は金の工面の事だけでいっぱいになった。
 金はどうすんだどうすんだどうすんだどうすんだ……ぐるぐる頭の中で回る。
 でも迷っている時間ももったいない。俺が働けるうちに働いて工面するしかないじゃん。
 金はなくなるのが早い。やっぱり怖い。だから働いた。
 俺の体を心配する光流の言葉も、右から左へ流した。
 体動かして汗流していれば頭の中が一時空っぽになる。そうしたら自分がΩな事も、離婚の事も、義父の言葉もどこかに飛んでいく。
 そして家で待ってくれている子供たちの笑顔を思い浮かべたら、どんな無理を通すこともできた。体を使って時間を切り売りして働いた。
 幸い郁也は一時的保育が必要と認められて保育園に入る事ができたから、平日は朝から夕方まで冷蔵倉庫の作業。深夜に短時間の飲食店の清掃作業。土日はフルで学習塾の雑務員として仕事を入れた。
 再び広い世界に出る事になって、世の中がΩに厳しい事を改めて思い知った。
 シングル家庭である事を隠していたけれど、俺がΩだとわかる嗅覚を持った人間はいて、どの現場でも尻を貸せって囁いてくる奴が一人はいる。
 貸すかよばーか! そう言ってやりたいのを堪えて、服に留めてあった機械を指す。録音した会話はクラウドで管理している、それを持って警察に相談しようか、それともセクハラで会社に通報する方がいいか? 内心はガクブルなんだけどそう言って撃退した。
 ボイスレコーダーは光流に持たされていたマイク型。拾った音を本体に飛ばして録音し続ける優れもので、これだけは絶対にと説得されて、外に出る時は渋々持っていたのだった。
 俺より危機管理能力がある光流のおかげで助かった場面は幾つもあった。幾ら俺がおっさんでも男性体Ωは性的興味の対象、その事実が辛かった。
 そんな事まで重なって俺は肉体だけでなく精神まで疲弊していった。
 ずっと誠の作った巣の中にいて、家族以外の人間関係なんかない状態だったから余計だ。離婚してから緊張状態が解けた事は一度もなかった。
 結果、無茶が続いたのは半年だけだった。
 その半年でも子供達には寂しい思いをさせたし、俺は体を壊すことになって、発情のサイクルも乱れた。
 バイトもできずに休養。もう残っている貯金が尽きたらαの三人は頭を下げて宗賀に面倒見てもらうしかない。それとも思い切って福祉に頼るか、そう考え始めた頃だった。
 疲労困憊だった俺たち家族に、頑張った俺達に、手を差し伸べる神が降臨した。
 そして俺の人生はまた別の方向へと転がり始めた。
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