訳ありの僕が完璧な恋人にプロポーズしてみた結果

宇井

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21 チコの現在 -オーソンから逃げ出した後-

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 ロイドから逃げるためにブラムと別れる決心をした。
 部屋に置き手紙だけを残し、早朝に古書店から出発して駅へ。そこからは汽車での移動になった。
 チコたちの目的地は国都。そこは名前を変えて以来、当然のように避けてきたリスクの多い土地だ。でも人が多い都市のどこに向かうかを考えた時、最初に挙がったのも国都だった。
 チコやリアナにとっては幼い頃から思春期まで育った場所。ラウルにとっても所属する事務所があり、自分を育ててくれた養父であり所長がいる場所だ。
 国都に住まいを移したとしても、イーヴォ家に行く事はない。それ以外にも昔の友達や知人に会わないように気をつかう事にはなるだろう。
 それでも三人の気持ちが一致しているのなら行ってしまおうと、遠回りしながら各地を見ながら決めてもいいじゃないかと結論がでた。

 道行は割と順調だった。
 途中、豪雨と洪水で二週間も運行がとまった事も、急がない身だけにのんびり構える事ができた。
 汽車を使った旅は他にいい事もあった。
 いつもは運転役をしてくれるラウルの手が空ている事もあって、ラウルもリアナも気持ちに余裕があったのだ。
 車窓から景色を見ては指を差し談笑していると、観光を楽しんでいると錯覚しそうになる。誰の目から見ても、隠れるように町を出た三人にはとても思えないだろう。

 そしてある時、中都市の駅を降りた所で、意外な出会いがあった。姉リアナが女学園時代の後輩女性に声を掛けられたのだ。
 その女性はもうすぐお婿さんをとって結婚する予定があるらしく、もし時間があるなら結婚式に出て欲しいとリアナの腕を取って懇願していた。
 チコにとってとても意外な光景に感じたのは、姉がそんなに他人に慕われてるとは思っていなかったからだ。
 国都を出て年齢も若返り、女学園に進学した事は、やはり姉の大きな転換になっていたようだ。
 その女性の実家は大きいらしく、チコ達も宿泊できる離れがあるから遠慮しないでほしいと、姉の次にこちらに誘いをかけてきた。
 その時、これから乗る予定の列車が出発二十分前だと、駅員さんが構内をアナウンスして回りだした。
 どうする? と三人で顔を見合わせたものの、この場で決定権を持つのは姉だ。
 結局、チコ達三人はその女性の家にお世話になる事になった。
 急いでいる訳でもないし、少し旅に飽きていた所もあったから丁度良かったのだと思う。

 乗せられた馬車の車内では、改めてラウルがリアナの夫、チコは弟と紹介された。
 姉がチコの事をどう説明してるかわからないから、うっかり変な事を口走らないように気を付けた。家族や出身について聞かれたら答えようがないからだ。
 しかし姉がチコが湖の監獄学園の出身だと話すと、後輩女性のミリには滅茶苦茶うけ、根掘り葉掘りとそこでの生活について聞いてきた。
 なんでも監獄学園の出身者は少ないらしく、本当に生徒が存在するかわからないと、面白おかしい噂が昔からあるらしい。
 確かに生徒数は少なかったから都市伝説になってもおかしくないのかもしれない。
 そんな監獄での生活の話が一通り終わると、次は女子学園時代の話が始まった。特に女子寮の話を聞くうちに、チコは姉の別の顔を知ることになった。
 学園に入った姉は、女子学生には珍しい短髪で目立っていた。美しい編入生の登場に校内は沸いたらしい。
 愛想が良く気さく。それでいて謎めいている部分もある。姉は思春期の少女たちに王子様認定され、それはモテモテの学園生活を送ったらしい。
 ファンレターに贈り物。学園祭での劇の主役……
 嘘……と絶句するような乙女の園の話が続く中、姉とミリは盛り上がり、ラウルは居心地悪そうにする。そして馬車はあっという間に屋敷に到着した。

 ミリの家は広大な果樹園と果樹の加工品の製造工場を持つ大企業だった。
 敷地に入り大きな屋敷に着くまで公道のような私道があり、二階建ての屋敷の隣には幾つかの建物が点在している。
 もう少し離れた場所には巨大な農業機械の物置があり、犬だけでなく、猫も鶏も牛も馬もいた。
 聞けば敷地内には小川も流れ、池も森もあるらしい。まるで小さな村のようだ。
 馬車を下りれば、ここにもまたチコが初めて見る景色があった。
 大きな夕日が果樹園の丘に溶けるように沈んでいく様はまさに圧巻で言葉を失った。

 ミリの結婚式は10日後、場所は町の教会で行われる。
 リアナはミリの式の準備を手伝い、チコとラウルは午前中に畑の収穫を手伝った。
 お客様は何もしなくていいと言われてはいるけれど、ただで宿泊して何もしないと言うのは申し訳ない。時間もたっぷりある事だし。
 借りた麦わら帽子と作業エプロンを着けて、小さな椅子に腰かけて黙々と熟れた実をもぐ作業は、なかなかきつく、それでいて新鮮だった。
 作業が終わるとラウルとテラスの寝椅子で昼寝をして、その後は別行動。ラウルは馬を借りて出かける事が多い。
 チコはと言えば、釣り竿を借りて水場で糸を垂らすのが日課になっていた。

 最初はミリのお父さんに釣り場を教えてもらって川に行ったのだけれど、そこで糸を垂れていたら通りがかりの子供達に笑われてしまった。
 なんでも、こんなドブ川で釣りをしてる人間を初めて見た、だそうだ。
 口頭での説明でふらふらと来てしまったから、目指す場所を間違えてしまったのだろう。
 だけど子供達の案内で二つの釣り場に案内してもらう事ができたから、結果としては良かったのかもしれない。
 二つの場所を交互に訪れているけれど、初回に子供達に遭遇して以来誰にも会っていない。
 一度ラウルがふらりとやってきて隣で釣りを始めたけれど、合わなかったのかそれ以来は見ていない。
 
 おかしい……
 そう思いながらチコは糸を垂らす。もはや魚を釣り上げようなんて気持ちはない。
 オーソンを出て移動している時は、あまりブラムを思う事はなかった。それよりも考えなければいけない事が多かったからかもしれない。
 だけど今はたっぷり時間があるせいか、ブラムの事ばかり考えてしまう。
 それでも案外あっさりしている自分の気持ちには驚いていた。自分はもっとこう、ブラムの事を思っては涙し、ブラムに会いたいと願って夜も眠れない、なんて事態になるのではないかと予想していた。でも今のチコはよく動き食べ眠っている。
 この心の静けさはなに……
 ブラムの顔を思い出そうとしても、輪郭からふにゃふにゃと揺れて、気が付けば水の流れをただ見つめている。
 思ってたのと違うな……
 そんな風に日々を過ごしているうちに時間が経過していた。

 ミリの結婚式の前日までには遠くに住む親族もやってきて、屋敷は大勢の人間であふれていた。
 式は教会、披露宴は屋敷の玄関ホールで着席式。その後に屋外も解放した二次会のパーティーが行われる。
 リアナは結婚式から出席したが、チコとラウルは屋敷に残って披露宴の準備の手伝い。本披露宴はチラ見で、その後のパーティーから参加した。
 披露宴での花嫁の父のスピーチには涙がうるみ、その後の二人のダンスでは涙が止まらなくなった。
 いいものを見せてもらったと言うのもある。親の愛が目の前で形になっているようで、不意打ちだったというのもあった。
  新婚旅行へ旅立つ新郎新婦の派手な装飾をされた馬車を見送り、その後は無礼講の二次会となった。
 その時間になると従業員や近所の人もやってきた。それは盛大で賑やかで、時間がたって酒が入るほど騒がしくなっていた。
 ラウルは愛する妻を不埒な目から守る為に忙しく。それでも夫婦で手を取り合って仲良く踊っている。美しい姉と体格のいいラウルは身長差もちょうどよくお似合いだ。
 チコは花嫁の友人たちに誘われるままに踊って、喋って、歌った。
 ピアノの音に重なるラッパの破裂音。床を踏みしめる足音。誰だかわからない中年男性と一緒に肩を組み口笛を吹き、上がりきった熱を冷ますように冷たいお酒を飲んだ。
 思い返せばこれほど酒を飲んだのも、老若男女誘われるままに手を取り踊るのも初めてだった。最初は恥ずかしかったけれど、すごく楽しい。
 これだけ大声を出して足を動かしたのは、人生で初めての事だ。学園時代さえこんなバカ騒ぎはなかった。
 最高……
 限界を感じる前に自分の部屋ふらふらと戻り、ふわふわといい気分のまま眠りに入った。
 
 翌朝、チコより飲んではしゃいでいたはずの姉が起こしにきた。
 こちらはまだまだ覚醒しないのに、薄目でも姉は既に服を着て完璧な化粧をしているのがわかる。そしてなぜが厳しい表情で見下ろしてくる。
 あれ、何か悪い事したっけ? そう昨夜を振り返るほどに冷えた目だ。

「ロイドが殺された」

 姉の口はそれだけで止まった。

「は?」
「今朝の新聞報道で一面になってるって」
「……うそ」

 がばっと起き上がってみるが、その新聞は手元にないらしい。新聞はまず主人から読み、家族が読むもので、娘の客とはいえなかなかこちらには回ってこない。

「予定通り昼にはここを発って、駅で情報を集めましょう。今は特にできる事はないけれど、これはチコも早く知るべきだと思って」
「うん、わかった。起こしてくれてありがと」

 上半身を起こすとぶるっと身震いした。すぐに身支度をして荷物をまとめた。
 ロイドが死んだ。
 何をしていてもその事だけが頭の中にあった。あの金属の耳鳴りはなかった。

 
 買い集めた新聞を三人で回し読みをする。駅の広い構内の雑踏にいるせいかそれほど目立った行為ではない。
 わかったのはロイドが死んだ事。その亡くなり方は異常で、吊るし刑で殺されていた事だ。
 その吊るし刑が過去に行われた事は数度だけで、息絶えるまでの長時間に渡って痛みが続く為に、極悪人にだけ使われた拷問刑だったらしい。
 それもあって私怨から殺されたのではないかと書かれている。犯人はまだ見つかっていない。

「殺してくれた人に感謝しかないわ。私がしたかった事をしてくれた……」
「僕も犯人にお礼が言いたいよ。どこの誰だかわからないけど、僕たちみたいな被害者なのかな。ロイドを苦しめる事が目的だよね」

 ベッドの上で安らかには死なせない。そんな強い意志しか感じ取れない。
 死後もさらし者となった上、こうしてまた新聞に過去の非道が書かれ非難されている。
 恐れていた事、被害者である父はイニシャルでMとだけ表記され、写真は載っていなかった。チコが紙面にざっと目を通して最初に確認したのはそこだった。
 父の死後、何度も何度も記事にされた。何年たとうが事ある毎に父は叩かれ、世間のおもちゃにされたからだ。
 自分達が事故死した時も、事件は再び掘り起こされて父は非難された。自分達の死も娯楽として消費されたのを忘れられる訳がない。

「でもさ、もっと早くしてくれても良かったよね。だってさ……」
 
 チコは悔しそうに口をゆがめる。
 そしたらブラムと別れなくても済んだのに!

「だって、あと少し早かったらオーソンを出る事もなかったのにっ。ブラムといられたのにっ」

 悔しがるチコをラウルは宥め、姉はおかしそうに笑う。すっかり沈んでいた空気が綺麗になくなったようだった。

「でもこれで何の憂いもなくなったわね。私たちが逃げる理由はもうない。チコはどうするの? オーソンへ、ブラムの元へ戻る?」
「まさか。まだ帰らない。このまま国都へ行く」
「そう。だったら決まり。すぐに行きましょう」
 
 姉が宣言するように言うと、チコは頷き切符の手配へ走った。


 国都を目指す列車内で姉はただ泣いていた。向かい合っている座席の正面に姉がいるのだから、嫌でも目に入ってしまう。

「……生きていてほしかった……」

 お父さん、お母さん……
 絞りだすような声に胸が締め付けられる。
 ラウルは硬い表情のまま、姉に寄り添い流れる景色を見ている。
 今はそれぞれが自分の気持ちに向き合う時間なのかもしれない。
 チコはまだ頭の中が混乱している状態だ。そんな中でも記憶の順に人の顔が浮かんでは消える。
 かっこいいお父さん。柔らかい笑顔のお母さん。
 優しさで包んでくれたおじい様、おばあ様。
 初めて行った学校、チコを女みたいな顔と言ってからかった男の子。それを諫めるたくましく凛とした女の子たち。
 この頃からチコの記憶は色が付き鮮明になっていく。
 監獄と呼ばれる寄宿舎には、優雅な猫のような子から、直情系のやんちゃ坊主のような子までいた。
 仲の良かった友達。手紙のやり取りしかしていないけれど、元気にしているだろうか。
 生徒だけでなく先生の国籍も様々で、学校や学年、個人が抱える問題はそれなりにあって、今振り返ればその時がどれほど濃厚だったかがわかる思い出深い青春時代。
 そうだ。定住先を決めたら同窓会に登録しよう。
 そうしておけば同窓会の会報がやってくる。特殊な環境をともに過ごした友人たちと大勢で再び会える機会があるかもしれない。
 そうそう。アダム父さんの残してくれたスケッチを額装して飾ろう。ガチャガチャした縁じゃなくてシンプルなのがいい。
 それと大きな本棚を買って、いつでも取り出せる場所に置きたい。そこは好きな本を並べる。空いている空間は時間をかけて埋めていこう。
 これまで殊更身軽でいようと意識してきたけれど、もうその必要はない。だってチコは本当に自由になったのだから。
 ようやく終わった……
 ロイドが死んだ事で、ひとつ終わったんだ。
 そう思った途端に涙が流れて、とまらなくなってしまった。
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