訳ありの僕が完璧な恋人にプロポーズしてみた結果

宇井

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18 チコ青年期 -南部 姉と合流-

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 チコは駅に迎えに来てくれた姉リアナ・セルジに対面してびっくりした。会うのは三年半以上ぶりになる。
 大人の女性になってる……
 長めの髪を一つに結び、日焼けした肌は強い褐色。目元には濃いめの化粧が施されているのだが健康的な印象だ。
 姉は姉でチコの成長に驚いているようで、身長を測るみたいに頭のてっぺんを眺めている。確かに最後に会った時は姉より下だった。それが今では追い抜いている。
 一方、姉の夫を演じているラウル・セルジ。こちらは何も変わっていない事に安心してしまった。
 以前と同じく短髪で、筋肉に覆われた体を維持している。言葉少なだが表情はよく動いて感情がわかりやすい。
 ラウルがシンと言う名前を使っていた時から、チコは彼を慕っていた。
 体育教師としての彼の姿、そして学園の長い休暇中に一緒に過ごした日々が蘇り懐かしくなる。

「ラウル、元気そうでよかった」

 姉よりもラウルとの再会に泣きそうになってしまはい、チコは姉の横を通り越してラウルに熱いハグしてしまった。
 
「あんた変わったわね。子供だったのが立派な青年になちゃって。男の子の成長期ってすごいわ。でも中身はまだままだ子供みたいね」
「いや、姉さんの方がかわってるでしょ」
「そうかしら? 顔も身長も別れた時と同じよ」
「同じじゃないよー」
 
 チコの言葉に同意してくれたのか、義兄のラウルは頷いている。
 チコが言いたかったのは姉の外見の話だけじゃない。内面の話だ。
 姉からはこれまであった険がなくなっていた。表情からも、交わす言葉からも。これを伝えたのならドヤされるだろうから、今後も口にしないだろうが。

 イーヴォ家にいる時から姉はそうだった。チコを突き放す事はなくても、棘のある目で見ている時が何度もあった。
 口にできなかったけれど、たった一人の姉に冷たくされるのが悲しくて、その分イーヴォ夫婦に甘えた。
 確かに自分も成長して変わっているのかもしれないけれど、それは外側だけに限る。中身は少年の頃と大差ない。だから姉ほどの劇的変化ではないと思う。

「それよりも、ここを出てからは私の事を姉さんって呼ぶのは禁止。そもそも苗字が違うしね。今から私たちは親戚よ。リアナさんって呼んで」
「はーい」

 姉とは行動を共にするが姉弟としては振舞えないらしい。それでも久々に姉に会えて嬉しかった.
 留学も進学もしなくてよかったと思った。シスコン、ではないと思う……

 駅からラウルが操作する幌なしの馬車に乗り、しばらくすると長い海外線のある町に入っていった。そこは近年移住者が多く、受け入れ側も寛容だと言う。
 温暖な土地の目玉産業は貿易輸入と漁、そして目玉になりつつある観光業という感じで盛り上がっている。
 初めて目にする海はキラキラと輝いてみえ、目に映るどれもが物珍しかった。

 ゆっくりとした速度で目的地へと向かう道々で聞かされたのは、父と母を殺した男、ロイド・ローパーの事だった。
 久しぶりにロイドの話が出て、チコの心拍は上がる。あれから何年もたった。自分も成長した。 それなのに幼い頃にできた傷がまだ癒えてない事に気づかされる。
 そして姉と二人で父の帰りを待った、あの惨劇の夜の空、夕方と夜の境界線の中に放り込まれる。
 足元がズルズルと沼に埋まっていく感覚。酷い時には頭の中に不快な金属音が鳴り響いて痛みに耐えるしかなくなってしまう。こうなると自分の力ではどうにも抗えない。
 チコが学校にいる間にロイドは恩赦により刑期を全うせず釈放されていた。
 その後は彼は領地に戻り、人前に出る事なく大人しく暮らしていたらしい。しかしすぐに都に戻り、その後は再び住処を変えているという。
 移るたびに近隣と問題を起こし、暴行事件にまで発展しているというのが気になる所だ。


 自宅となる場所に到着して思ったのは湿気の強さだった。
 空だけを見ればカラッと晴れているのに、汗がじんわりと浮かんでくる。
 同じ国でも大陸の端と端では、まったく気候が違う。
 都では四季を感じられた。寄宿舎は冬が厳しい場所だった。新たなこの地ではどことも違う体験ができそうだ。
 この土地の建物は高さがない物が多く、戸建ては平屋、集合住宅や公共の建物の多くは二階建てだ。それにも意味があるのかもしれない。
 チコは新しい生活の始まりにどきどきしていた。

 姉リアナとラウルはすでにここで生活していて、すっかり町に馴染んでいる。
 夫婦は倉庫が並ぶ海岸近くのアパート住まいで二階に部屋を借りている。チコの部屋はその隣だ。
 この二人が見せかけで夫婦を演じることになったのは理由がある。
 姉のように魅力的な外見を持っている女性が独身だと、面倒な事が起こりやすくなるからだ。注目されてしまうのは得策ではない。 

 姉は私塾の講師として子供達に勉強を教えている。
 姉は単科学校で教職を学んでいたから免許持ちだ。学んだ事をきちんと生かしていて楽しそうだ。学校で人より学ぶ時間が増えてよかったと喜んでいた。
 ラウルは一人不動産業を営んでいる。
 職場は人が多く集まる市民市場近くのアパート。主に物件管理や家賃回収をしているから、看板を出さずにひっそり営業しているらしい。情報力に社交力、その他もろもろの能力が必要な仕事だ。尊敬する。
 
 肝心のチコの仕事は役所の臨時職員。
 任期は半年で再契約していく形になっている。
 履歴書を提出しただけで採用されたのは、紹介者のラウルに信用があったからだと思う。
 役所の中の受付業務はこの辺りでは人気のない職種だ。というのも町には港湾関係の稼げる仕事が多くあるからだ。

 姉の命令によって度のない眼鏡をかけているのだが、これを掛けると途端に真面目な印象になるのが気に入っている。役所にはぴったりではないか。
 それにチコにはこの内勤業務が合っていた。
 役所二階のカウンターの奥には膨大な持ち出し禁止資料があり、それを閲覧したい人に館内で貸し出す作業を任された。
 申請書の記入の仕方から、求められる資料を探し出すまで、それがチコの仕事だ。
 流れとしては簡単で、来訪者も一日数人と少ない。
 けれど日々なにかしらの事件はあった。
 図書館と間違えてやってくる人は普通にいたし、あるはずの資料が棚になく探し回った事もあった。
 何の資料が必要なのか、それは文書なのか図面なのか、請求者本人さえ理解していなかったりする例が度々あって、これにはチコも一緒に困り果てたりした。
 外国観光客のトラブル、親善で訪れた要人の訪問があったときには、チコが通訳として呼ばれる事もあった。多言語を習得したチコは意外と重宝された。
 
 就職してから三か月が経過したころには、資料の保管場所と、手元にある目録をようやく一致させる事ができた。
 来訪者がいない時は自由にしていていい事から、チコは一人になると専ら読書にふけった。
 これは寄宿舎の時にはなかった趣味だ。
 学校では毎日友達に会って喋るのは楽しかったし、寮の私室では膨大な宿題をこなすために机に向かう事しかなかったからだ。
 今のチコには同僚はいても、休みに約束して遊ぶような友達はいない。
 姉夫婦はそれぞれ仕事で忙しいし、部屋は隣り合うだけで生活はまったくの別だ。
 仕事の後は帰宅してすぐに料理をして、寝るまでの時間に語学の復習をしたり、学園時代の友達に手紙を書いたりしている。それでも時間が余ってしまうから自宅でも本を手に取るようになった。
 
 色々なジャンルの本に手を出してわかったのだが、チコには小説が合っていた。それも単純明快で絶対的に強いヒーロー物が好ましい。
 物語の起伏としてヒーローが危機に陥る場面があったとする。それでも安心して続きを読めるのがいい。
 王子、海賊、警察、スパイ、医師……身分や立場が違っても彼らは強く最後に必ず勝つ。かっこよかった。

 仕事と読書しかないチコだったが、町の観光業の最盛期がやってきた時には副業をする事になった。
 町に住む働き手以上に観光客が訪れることになって、数時間だけでも手を貸してほしいと姉を介して助っ人を頼まれたのだ。
 こうして勤務後の二時間と休日二日のうちの一日を海沿いの通りのカフェで給仕としてバイトをする事になった。
 日頃あまりお金を使う事がないチコだったが、この割り増しされたバイト代はありがたかった。
 これまで当たり前のようにおじい様からの金銭援助を受けてきたけれど、今はそれをストップしてもらっているからだ。
 留学を跳ね除けてしまった罪悪感もあるし、何より社会人になったのだから、自分の面倒を見るのは自分で見るべきだと思ったからだ。
 その考えは姉も同じだったようで、姉もまた自分の力で生活をしている。
 父の裁判後にローパー側から遺族へ支払われた慰謝料が幾らかあるのだが、それに手を付ける事になるのはよほど困った時になるだろう。
 そうなると先々を考えて少しでも蓄えがあった方がいい。
 環境を整えてくれたのはおじい様、名前をくれたのはアダム父さん。充分すぎる。贅沢を言うつもりはない。だけど正直、ここに長く住む自分をチコは想像できないでいる。
 悪い町ではないのだけれど、なんとなく相性が合わないというのは当初から感じていた事だ。
 もしここを出る事になれば、チコは一人で次の移動先を探し、一人で仕事を探す事になるだろう。
 やっぱりお金は大事だよね。
 改めてそう思った。
 
 繁忙期を終えて無事にカフェのバイトを終えた。約一か月のバイトだが手元に入ったお金はなかなかの額だ。
 また誘いがあったら働こうとほくほくしていたのだけれど、チコの周りでは不穏な兆候が表れていた。

 最初は部屋のドアノブに袋がかけられていた事だった。
 中身は町で有名店の名物のクッキー。姉の差し入れだろうと軽い気持ちでその時は食べた。
 しかしその差し入れが二回目となった時にようやく疑問がわいた。リアナってこんな事をするタイプだっけ?と。
 そこで直接確認すれば、そんな得体の知れない物を食べるな! と怒られたのだった。
 翌日仕事から帰るとまたドアノブに置き土産、今度はパンに何かを挟んだ物だった。食べずに捨てた。一方的すぎて断る手段もなく、気持ち悪さがひどくなった。
 その置き土産が五個目を数えた時、ラウルは犯人を特定した。
 その男はこの町に住む男で、倉庫会社の事務社員。見た感じは内向的で神経質に見えるのだが、荷役を手伝っているせいかガタイはいいらしい。
 男はカフェでチコの存在を知ったと思われる。でもそれを聞かされるチコにはまったく覚えがない男だ。
 ラウルは男に部屋に来るのはやめるように言ったのだが、男はびびりながらもチコと自分は両想いなのだと主張したらしい。
 チコは自分がその男に直接会って誤解を解くべきだと思ったのだが、それは逆効果だと却下された。
 そこから数日は何の接触もなくなったと思ったのだが、やはりドアノブには袋がかけられる。
 中身のパンには、おぞましい何かがかかっていた。
 一瞬で目を逸らしたから、本当にそうだったかはわからないけれど。
 それからチコは、大事な物と貴重品を持って二人の部屋に移動し、仕事へ出る時には必ずラウルが付き添った。食事はリアナが作った物しか口に入らなかった。
 任期が終わったら、すぐに引っ越ししよう。
 リアナとラウルは問題なくここで生活できている。出ていくなら一人だ。
 任期が終わる一か月先を心の支えにチコはなんとか生活した。仕事も休まず、二人に心配かけないように振舞っていたけれど、チコの不眠は続き大好きな本も読めなくなっていた。
 

「チコ、気分転換に隣町に行こう」
「あんまり、そんな気分には、ならないけど」

 仕事終わりに迎えに来てくれたラウル。いつもは徒歩で職場まで送迎してくれるのに、今日は見慣れない箱馬車だ。
 座席にはリアナの姿があり軽く手を振っている。

「やつが忙しくしてるのは確認してきた。リアナもいるから行こう」
「そっか、ありがと」

 気乗りしないものの了承すると馬車はゆっくりと町の通りを過ぎる。
 あの男はここにいない。来ない。布に遮られ誰にもこっちは見られていない。わかっていてもチコはうつむいていた。姉も口を開かない。
 乗り込んでからどれくらいの時間がたっただろう。急に馬車のスピードが速まり振動が大きくなる。異変に気付いたチコはようやく顔を上げた。

「もうあそこには戻らない。悪いけどチコの部屋に残っていた物は大方処分したわ」
「あっ、引っ越し……ってこと、だよね。僕だけ……」
「そんな訳ないじゃない! 私たち三人で出るのよ」
「え……なんで」

 意外過ぎて声を失う。

「安心して。あそこに永住したいほど思い入れはないの。私は仕事を辞める事を決めたし、ラウルも動いた。誰にも悟られないようにこっそり。だから別れの挨拶なんて誰にもしてないの」

 そしてチコが塞いでいる間に、二人は荷物の仕分けをして処分していたらしい。
 今部屋に残っているのは据え付けの家具だけ。室内を徹底して掃除をし拭き上げたのは、あの男にチコの髪の毛一本だって持ち去られないためだ。
 
「え、あ、僕、仕事、は」
「チコの仕事は今日で正式に終わり。ちゃんと上と交渉済みよ。チコが今日で最後だなんて誰にも思われないように根回しておいたの。こんな風に連れ出したのはそれが一番いいって思ったから。初動が悪くてこうなっちゃったのは、悪かったって思ってる」
「姉さんたちは悪くない。それに、僕、すごくほっとしてる。でも本当に姉さんたちはこれで良かったの?」
「いいに決まってるじゃない。私はね、チコがあんな汚い男に苦しめられるなんて許せないの。チコの姿を見られるのも嫌。傷つけられるのも嫌。それ以上の事をされるとか絶対に無理」

 引きこもっていた自分と違い、男と直接対峙していた姉やラウルからすれば、そんな危険も感じられたのかもしれない。
 ただ自分は何も知らされていなかっただけで。

「もっと早くに、異変に気付いた時に、チコだけでも遠くにやるのが正解だった。私たち、仕事とか、お世話になった人とか、そんなの気にしないでよかったのよ……頭のおかしい奴に正論は通じない。警察なんて当てにならないって、わかってはずなのに」
 
 詫びるようにつぶやいた後、馬車はスピードを落としていく。
 逃げるのが遅いと姉は言うけれど、チコが最初に恐怖を感じてからここまでの時間は二週間だ。普通そんな速さではできない。
 チコは姉が泣いている姿を久しぶりにみた。泣くなんて可愛いものじゃなく、子供のようにしゃくりあげている。
 そっか。
 急にチコは腑に落ちた。
 自分は父と似たような道をたどりそうになっていたのかもしれない。そんな危険もあったのだと。

「この事っておじい様に伝わっちゃうかな……」
「隠すのは無理よ。それもラウルの仕事なんだから」
「心配かけてばっかりだ」
「その分だけ、いつか恩返しできるようにしましょう」
「会いたいな……」
「私も、会いたい。だからその時がくるって信じてる」

 いつの間にか長閑な景色はなくなっていて、左右は同じような馬車が行き交っている。
 着いた場所はチコの知らない大きな町だった。
 休む間もなく別の馬車に乗り換える。空が明るいうちにできるだけ距離を取るつもりのようだ。体は疲れるけれどチコもその方がいい。
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