訳ありの僕が完璧な恋人にプロポーズしてみた結果

宇井

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 だめだ。朝じゃん。
 時が過ぎるのが早すぎて、あっという間にブラムが出張に出る日がきてしまった。

 オイルプレイで何だかあほっぽくもエロい夜には大満足したものの、ちょっと想像とは違う朝を迎えてしまってがっかりする。
 何がどうあっても二人でいる夜はエロに明け暮れてしまう。
 ブラムが強いなら相手を務めるチコも強い。やっぱり相性がすごく良いのだ。

 いつもより早い朝は、部屋の中の空気までしゅと絞まって寒気さえ覚える。
 チコが身じろぎすると隣りでブラムも目を覚ましたので、二人で一緒にシャワーをして、特に何事もなくテーブルに付いた。
 出張に送り出す朝。ブラムに会えなくなると言うのに、あまり動く気分になれない。
 果物をカットした物とチーズとパンを出す。本当なら温かいスープくらい付けたかったけれど何しろやる気がでない。
 
 新しい朝が来た事だし、プロポーズするか。
 そう思っているのに頭が回らず、気の利いた言葉は浮かんでこなかった。
 これまで表面上だけでも明るく、そう思ってやってきた。でも今の自分は疲れている。そしてそれを取り繕う元気もない。
 求婚と言うのは思った以上にパワーがいるらしい。それを断られるのがわかっているなら尚更だ。
 ブラムからの愛情は感じる。以前よりもしっかりと伝わってくる。幸せを感じる時間も増えた。それでも辛い。好きすぎて辛い。全部がつらい。
 
 とはいえ、チコはブラムが身支度するのをいつも通りに遠慮なくガン見して、すぐそこの玄関まで見送りの為について行った。
 朝とは言えまだ日は昇らず、台所の小さな照明だけが灯った部屋は暗い。でも暗さに慣れた目には部屋の隅も、ブラムの表情もよくわかる。
 まだちょっと眠そうだ。

「ブラム、仕事頑張って。気を付けて。怪我しないでね。ご飯しっかり食べてね。それから、それから……」
「それから?」
「僕の事、あっちでも思い出して……大好き」
「ありがとう。俺も好きだ」
「ブラムぅ」

 ぎゅっと抱き付いて、最後だからとブラムの匂いをくんくんする。

「チコ? すぐには無理だが二人の将来の事、きちんと考えてみる」
「え……うそ、なんで? 今になってなんで?」

 思いもかけない言葉に息がとまりそうになる。

「なんでって、好きな人を泣かせるのが辛いから、だな」
「僕、泣いてない」
「朝の顔を見ればわかる。チコは泣いてた。それだけじゃない。チコの言うとおり、皆に祝福されるのもいいと思った。チコは生涯俺としかセックスできないって縛るのも、割といい契約だよな、結婚て」
「縛る契約とか、僕そんな事言ったっけ」
「それらしい事は言ってたから、そう解釈した」
「つまりブラムの気持ちをまとめると、前向きに検討ってこと?」
「そう」
「それって、すごく嬉しいんだけど!」

 わーんわーんと子供のように声を上げて泣いた。
 ブラムのシャツを涙でグシャグシャにしてしまったのに、ブラムは苦笑いだけで許してくれる。
 いつもは扉の前でバイバイだけど、あまりにも離れがたくてアパートの外まで出て、気のすむまで手を振った。

 戻ってきた部屋はいつもより静かな気がした。
 扉を閉めた音も、足音も、一人の音が全部が響く。

 幸せの余韻に浸りながら涙を拭き、チコはクローゼットの中にある大きなザックを取り出した。
 必要最低限の物は元から入れてあるから、既にその半分が物で埋まっている。
 その上に黙々と残りの荷物を詰める。ブラムのシャツを二枚泥棒してもらうのは許してもらおう。だって、これがないとチコはこの先とても生きていけない。

 食器は洗って伏せる。
 ブラムの散らばっている服を畳んでベッドに重ねる。
 今後もブラムの生活に必要になる物は置いておく。
 自分の物はまとめて箱につめ、この後店まで持って行って捨ててもらう。
 元々物を少なくして暮らしてきたし、頭の中でシミュレーションした通りに動けたから、予定していた通りの時間で片付けは終わってしまった。
 部屋を見渡してこんなものかな、と区切りをつける。
 誘拐かと心配させるといけないから手紙を置いていく。
 内容も頭の中で考えておいたから、あとは書き出すだけだ。

『ブラム
 おかえりなさい。お仕事お疲れ様。
 突然で驚かせてしまうけど、僕と姉さんたちはここを発ちます。
 事情があってここに住むのは難しく、新たな土地を探す事にしました。
 遠い場所へ、長い旅になりそうです。
 大事な事なのに何も相談できなくてごめんなさい。僕の心配はしないでね。
 この数日、僕の気持ちに向き合ってくれてありがとう。すごく嬉しかった。一生の宝物になりました。
 どうかお元気で』
 
 頭の中にあった事を上手く書きだす事ができず、思っていたのと違う文章ができあがる。でも時間がないから書き直しはしない。
 いつも二人で食事をするテーブルの真ん中に置き、部屋をあとにした。


 ザックを背負い箱を抱えて姉たちが待つ古本屋に向かえば、薄暗がりに溶けるような恰好をした義兄が既に馬車の御者台に座っていた。
 姉は静かにチコの到着を待っていたようだ。持ってきた箱は店の中に置き鍵を閉める。
 二人は黙ったまま。チコは素早く幌の下に乗り込む。
 姉夫婦の荷物はチコより少し多いくらいだった。
 足音や馬車が軋む音ががやけに響くのは、早すぎほどの時間だからだろう。
 
「チコ、大丈夫?」
「うん」

 姉の小さな問いかけに答えると馬車はすぐに出発した。
 日が昇り始める前の商店街、ポツリと人はいる。しかし開店準備か何かで忙しいのか、こちらをちらっと見るだけですぐに視線を外す。
 しばらくして駅へと真っすぐに続く大通りに出ると、そこは既に多くの馬車が走っていた。
 六台が並走できる幅広の通りではあるが、右側通行のルールがまだ浸透していないせいで混沌としている。
 しかし駅へと向かう流れと反対へ向かう流れを見極め手綱を操るラウルの運転は完璧だ。
 
「店の中は片付いた?」
「ええ。残りはラウルの手配に任せて処分してもらうわ。そっちはどう?」
「お別れの手紙を置いてきた。もしブラムが結婚に同意してくれたのなら、僕はここでチコとして書店を続けたのになあ……残念」

 そうなったら店長はチコで、一人で店を切り盛りする。
 だけどブラムの仕事がない時は店を定休日にして二人で遊んじゃう。アパートを引き払って店の上に住んでもよかった。
 置手紙だけの別れにブラムはきっと悲しむ。もしかしたら凄く怒るかもしれない。だけど僕にふられた傷を抱えて生きていけばいいんだ。この先もずっと。一生……忘れられずに。
 そんな意地悪な気持ちもある。

「私はね、まだチコと一緒にいられる事が嬉しいのよ。実を言うと」
「僕も、ちょっとホッとしてた所ある。まだ姉さんとラウルと一緒にいられるから」

 無理に笑ってみせるチコの手を姉がとる。

「それにね、いくらブラムが強いって言っても心配なものは心配。あの男、ロイドが近くにいるってだけで問答無用に心配なの。理屈じゃなく怖いの」

 ロイドが老体にも関わらず、ここからほど近い場所に身を移した。そんな知らせが来たのはつい最近だった。
 ぞっとした。全力疾走した後みたいに胸がバクバクして、すぐさま頭の中では歪な金属同士がこすれ合う音が始まった。
 わかってる。これは自分を守る音。思考を排除して酷い記憶を掘り起こさないように防御しているんだ。
 そう思う事で痛みを乗り切った。

「僕も怖いよ。でも、逃げるのはこれで最後にしたい。ラウルは奴が死ぬまで待てって言うだろうけはど、それは嫌かも」
「あいつの寿命は、もうそれほどないと思うわ。きっとあと少しよ」

 二人が幼い時にはすでにロイドは老いていた。もう寿命は近いと言えるだろう。

「だけどそれはいつか分からない。最悪、十年先かもしれないよ」
「チコの気持ちわからないでもない。こっちだけが振り回されてすごく理不尽。この生き方に意味があるのかって思う時もあった。だけど今は違うの」

 姉はぽつぽつと語り始めた。
 父と母の死は確かに悲劇だった。でも両親が生きていたら、チコと姉は今でも辺鄙な田舎で暮らし、外の世界を知る機会はなかった。
 きっと町の学校へは行けただろう。だけど仕事も結婚も、全部があの町で完結していた。
 それが皮肉なことに、親の死をきっかけに、二人はこの国の上流と言われる人達と同じような生活をすることができた。
 都会の大きな屋敷に学校。品のある友達。上等な食事に衣服。血がつながらなくとも二人への愛情を惜しまない養父母。その愛情は離れてしまった今も続いている。

「商店街の古物店に私と同じ年の子がいたのわかる?」
「わかる。サシャでしょ」
「そう。その子ね、来月にお見合い相手と結婚するの。たった二回だけ会った人よ。親が決めたからってそれを受け入れたの。相手の家に入って同居。労働力としてあてにされてるってわかってるみたい。サシャがお見合いで初めてオーソン領を出たって聞いた時、すごく驚いた」

 それを聞いたチコだって驚いた。
 サシャの親は都会の商人で店も繁盛している。だからその娘は何からも自由なのだと思っていた。店先で働く彼女に不満はなさそうに見えたし。
 それが仕事も結婚も自分の自由にはならない。それどころか生まれ育った地域から一歩も出る機会がなかったのだ。

「ここは都会だからましな方。地方には農地を放棄できなくて村から一生出られない人がいる。貧しいまま休みなく働き続けるだけの人もいる。元は私もチコもそちら側の人間。今の私たちはすごく幸運で恵まれてる。だから……父さんには悪いけど、私はこの人生でよかったって、心から言える」

 これでよかったのよ……
 姉は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
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