こうもりのねがいごと

宇井

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 小さな扉の向こうにある広い部屋のベッドには誰かが横たわっていた。
 それが声の主様であるのは当然のはずなのにコウはそれを否定したくなった。
 まず部屋の中は外とは違う匂いがした。人から発せられる隠しようのない死の匂いのようなものが満たしている。
 ベッドの周りには幾つかの椅子が置かれ、大きな台には医療用具が乗せられている。
 椅子のひとつにはロミーが背もたれにもたれかかり、コウを確認すると手を軽く上げた。
 相変わらずひょろ長いのだが、飄々とした印象は消えている。
 他には誰もいない。
 コウはそこでゆっくりとアスランの肩から降ろされた。
 薄いシーツをかけられている人の胸がわずかに上下しているのを見る。

 近づいてもいいだろうか?
 そんなふうにアスランを見れば頷いてくれる。
 ロミーが立ち上がるのをきっかけにロミーの隣、主様の元へと歩いた。

 こんなお顔をしていたんだ。

 目を閉じている主様は、とてもアケメから聞いていたはつらつとした人には見えなかった。
 ただ日に焼けた肌もあって若々しく見えるかもしれない。
 目は大きそうだ。その瞼が開けばまた印象は大きく違ってくるのかもしれない。

「じいちゃん……」

 眠るひとはコウを十まで育ててくれた人とはまったく違っているのに、思わずそう口についていた。誰もコウをとがめなかった。

「……ウタメ様、コウです。ビブレスからリジルヘズへ来ました。これ、お返しします」

 コウはアスランから受け取ったペンダントを枕許に置こうとしたのだが、考えなおしてシーツをめくり手に触れさせてみた。
 反応はない。
 一度ロミーの顔を見て、後ろにいるアスランの顔を見て、枕元にそれを置く。

「また眠っちゃったんだ。これまでにも何度か反応はしてるんですけどね……コウ、来てくれてありがとう。アスラン様が急かしたのかな、ずぶ濡れのままじゃないですか。頬と手も少しただれてしまいましたね」
「濡れたのなんて何てことないです。痛くもないですし。ロミー様にはご心配をおかけしました」
「いいんですって。謝らなければいけないのは私の方です。あの時、私があの場に残るべきあったのです。本当に、無事でよかった」

 ロミーはコウの手をとり両手で包むと顔を下げ隠してしまった。何も言えずにうっうっと声を抑えている。

「聞いてください。コウがいなくなったと知ってから散々でした。アスラン様からは更に酷い扱いを受けて、休む間もなく国のあちこちを移動。移動探索、移動探索、移動執務、執務執務。私の方が先にジイより先に死ぬかと思ったし。アスラン様は鬼だしぃ」

 数回あっただけのコウにも友情を感じていたのか、それとも責任感から泣いているのか、という問題ではなかったらしい。ロミーにはロミーの苦労があったようだ。
 でも、それは意図せず流してしまった涙からくる羞恥を隠すための方便に思えた。
 握った手の力の強さから、ロミーがどれくらい自分を心配してくれたかが伝わってくるのだ。
 とてもわかりにくく、それが何だかロミーらしさのような気もした。

「ん?……ちょっと待ってください。ずっと引っかかっていたんですが、あれ……それって……もしや」

 ずっとうつむいていたロミーがふと一点を凝視する。
 
「それって、鱗? その色って?」

 ん?ん?
 とロミーの興味はコウからペンダントへと移っている。それを手にとりはせず、鼻息がかかり目が寄る位置まで近づける。

「っ……なんてことをしてくれてるんですか、このジジイはっ!」

 今にも寝ている人を張り倒しそうな勢いだ。

「うわぁ、ロミー様、落ち着いてください。ウタメ様の耳元です。びっくりして心臓がとまってしまうかもしれません」
「眠っているのだし聞こえないでしょう。大丈夫です私は落ち着いていますよ。ですからこれは、すぐに処分しなければ。池の浮島で焼いてきますっ」

 キッパリと言いきると、そこでウタメの瞼がかすかに開いた。

 だ、め。

 コウにも読み取れるほど、ウタメの口はゆっくりはっきり動いた。ただし息は出ていない。
 
「いや、だめがだめでしょう。それを教えたのはあなたですよ。ん? 垂れ目なのを武器に悲しそうにしても許されません。私は決まりには忠実でありたいので」

 あれ、ウタメ様が目を覚ましてるんだけど。

 こういった時は医者などの専門家を呼ぶべきだと思うのだが……そうではないらしい。
 ロミーは容赦ない。
 切れ切れにでも声をだそうとする病人を睨みつける。

「えっ、聞こえませんよ。声を出したいのであれば水を飲んでください……どうしてでしょうね、管から入れても同じだと思うのに、自ら飲むのとでは大きな違いがあるんだそうです。体とは謎だらけですね、不思議なものです」

 ロミーは台にある容器を手にとりウタメの口もとに水を流す。ほとんどは口から伝って零れてしまったけれど、ウタメが死の淵から帰ってきたと期待できるように、喉がごくりと大きく動いた。
 
「ようやく、生き帰りましたね。長かった、長かったですよ」

 しんで、おらん。

「いいえ、二度心臓が止まっているので死んでいるんですよ。生還してくれて本当によかった。ジイが死んだら私が宰相をしなければいけないんですよ。死ぬまで無位無官であり続けるのが目標なのに阻まれるところでした。ほんとうに、よかったぁ……宰相なんてまっぴらです。私は自由でいたいんです。だからジイにはもう少し生きてほしいんですよ。死なれては、困るんです、本当に……ぐずっ」

 ロミーの言葉を聞くうちにもっと意識がはっきりしたのだろう。ウタメはゆっくりと辺りを見て、コウとアスランがいるのを認識し、合図のような瞬きをした。
 ロミーがうるさいと伝えたいみたいだった。
 目元を軽くこすってロミーが照れ隠しのように笑う。

「精霊直々にいただいた水というのも、回復の助けになったんでしょうね。やはりあの森は生かしておきましょうか、アスラン様」
「しかしな……ロミーは知らないだろうが、あれはたいした変態で、龍に対しての執着が激しいのだ」
「とすると、これは精霊渾身の命の水?」
「いつかウタメと交わる可能性も無きにしも非ずという、浅ましさを感じる。狙いはお前に移る可能性もあるぞ」
「まあ、何でもいいですよ。生きかえったのですからね。私はもうあの土地に行く気はありませんし、そうなると襲われもしないでしょうし」

 アスランとロミーがぽんぽんと言葉を交わす間、ウタメとコウは目で静かに会話していた。

 コウ、よかった。

 ウタメはコウに何があったのかを知らない。それでも、何もかもをわかったかのうように、よかったと言うのだ。
 苦しみに倒れ、はっきりと目が覚めた今、周りにはアスランがいてコウがいる。
 それだけでウタメには十分だったのだろう。
 
 コウ、ありがとう。
 お礼を言いたいのはこちらです。神域はとても楽しい場所でした。とても優しい人に出会いました。
 わしは縁を結ぶ力を持っているからなあ。
 くすっ。

 見つめ合っている間にウタメはまた眠りに入った。
 意識が途切れるようにすうっと入眠してしまったが、コウが初めてウタメの顔を見た時よりも血色がよく、力強い寝息を立てていた。
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