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しおりを挟む大きな龍の口の中は狭かった。それでも人間のコウが余裕で入るのだから、その表現は違うのかもしれない。
コウはアスランの口の中に入ってから膝を抱えて身を縮めた。しばらくもしないうちに、中がうねうねとし、奥へと転がされ暗闇の狭く長い場所を一回転する。喉を鳴らしたアスランがコウを胃へと運んだのだ。
バリバリと皮膚と骨を砕かれることなく丸呑みされたせいで意識を保っていられる。この後じわじわと溶かされるのだろう。頬が地面こすりつけらた後みたいに、ぴりぴりと痛みだした。
それさえ除けば、胃の中は真っ暗でとても静かで湿っていて温かい、コウの好きな場所そのものだ。
あの時は怖かったけど、たいしたことじゃないみたいだ……
最初にアスランに食べたいと言われた時は震えが止まらなかったけれど、想像していた怖さなんて何一つない。それどころか温もりに眠ってしまいそうだ。
さっきまでの騒ぎはもうコウの中で過去になっている。心配だったのはアケメのことだけだ。自分は大丈夫だと伝えたつもりだけど、アケメは納得できたのだろうか。やはり心配しているのだろう。
ごめんなさい、アケメさん、でも僕は帰るべき場所へ帰ることが出来て幸せなんです。
コウは腕をとき、ぬらつきのある肉にもたれた。
遠く声が聞こえる。
「もう、何て雑な迎えをするんです。胃の手前だってコウを溶かすには十分な機能があるでしょう。ほら、ぺっしてください、ぺっ」
聞き覚えのある男性の声だ。
「別に昼間に龍の姿でうろつくなって法律はありませんよ。ですが、町は大騒ぎです……ひぃ……その姿で睨まないでください。私はジイの元へ戻りますから、早く出してください。いいですね、コウは食べ物ではありません。しかも服を着たままの丸のみなんてがっつきすぎなんです……フレイマリクと言う尊名い相応しい行いをしてください」
ぶつぶつとした、半ば文句のような声が消えてしまう。
何だか懐かしい声で、丁寧だけど砕けていて、ついコウはにやけてしまう。
あっ……
大きな何かに体を押され一方へと否応なしに押し出される。
そして、バシャーンと水に落ちて目が覚めた。
そうコウは眠りからすっかり目覚めていた。
瞼の裏に光を感じていたから、きっと天国へ着いたのだろうと思っていた。それにゆらりゆらりとした浮遊感もあって、コウは気持ち良くて、何もかもから解放されたようで、自分の頬が持ち上がっているのがわかった。
冷たいっ。
何秒かたって、ようやく冷たさに気付く。心臓が縮み上がり、閉じていた目を開けるだけでなく剥いてしまった。
コウは頭から水につっこみ、口から出る気泡は頬をかすめて上へと向かっている。
こ、これは……
それほど深さはなかったようだが、はっきり覚醒した途端慌てて手をかいてしまう。
しかしそれより早くコウを水面に引き上げた腕があった。それに強引に引き上げられ水の圧力を感じながら、ぶはっと口をあけ呼吸する。その後にじりじりと肩の関節が痛んだ。
コウが落ちたのは泉だった。見上げれば空がどこまでも抜けている。
深いと思った底はそれほどでもなかったようで、コウの脇の下のあたりで水がちゃぷちゃぷと波を立てている。
泉を囲うように芝がありどこかへと続くタイルの一歩道があり、身長ほどの壁が囲うようにある。壁は大理石でできているようだ。
お城の中?
コウの目の先にはアスランの足。視線を上へと上げれば不機嫌そうに腕を組み見下ろしている顔がある。
「僕を、食べなかったのですね」
「もちろん噛み砕くつもりだった。しかし、コウがそれを持っている限り食べることはできない。それだ」
アスランの視線はコウの首にかかる笛に向けられていた。濡れて張りつくシャツの上に二つが揃っている。
人の姿となっているアスランだが、龍の時に感じたまま変わらない。コウを睨みつけるように目を細めている。
泉に身をつけて頭から水滴を垂らすコウをピクリともせず見下ろしている。
着ているシャツは胸まではだけて着崩しているが、腰にはしっかり文様入りの帯をしている。その姿は初対面の時を思い出させた。
「それは、恐らくジイの伴侶の鱗でできている。同族を腹に入れるのは嫌悪でしかない」
「これが主様の伴侶の鱗、龍の鱗。主様の伴侶は龍だったのですね」
薄く削られた石、貝殻だろうと思っていたのに、自分が身に着けていたのは体の一部だったのだ。
初めてあったあの日、確かに主様は自分には愛する番がいるとノロケていた。その大切な番の大切な体の一部をコウは預かっていたことになる。
「ビブレスでそれを見た時はとても驚いた。一つは大切な物をお前に預けたことに。もう一つは、ジイが掟を破っていたことに」
アスランの顔は増々苦々しいものとなる。
「龍が亡くなった時、その身はこの地上に一片たりとも残してはならない。髪の一本も、爪の先も。そう私に教えたのはジイ本人だ。鱗など残すなど到底考えられない。もしその欠片が流出すれば、それは拝む対象となってしまうかもしれない。ともすれば、神ともなる恐れがあると」
我々は決して神ではない。
自分達の体の一部がよしとしない方向へと人々を導く恐れがあるとわかった時、龍たちは真偽のわからない物を含めて全てを回収し燃やした。
そしてそれ以降、同族が亡くなった時には火葬で灰になるまで焼き尽くし、その灰も王城内にある池の浮島に撒って弔うようになったのだ。
「それであると言うのに、ジイは持っていてはいけない物を、存在してはいけない物を加工までしてもっていた。しかもそれを他人に渡すとはと驚きを越えてあきれたものだ」
えっ……?
コウはアスランの話を聞きながらずっと言葉にひっかりを感じていた。
龍はその身を残してはいけない。してはいけないことを主様はしていた。
地上に残っている龍は四。アスラン、ロミー、国王、老龍のみ。
ということは、主様の伴侶、この鱗の持ち主は……
「あの、声の主様の伴侶の方は……」
「とうに亡くなっている」
ズキンとコウの胸に痛みが差し込んだ。
「でも主様はっ、あの時自分には番がいると、だから僕はてっきり生きているものだと」
「亡くなったからと言って、番が解消される訳ではない。思い繋がる相手は生涯一人だ」
自分の思い込みとはいえ心が苦しかった。
てっきり主様には側に寄り添ってくれる人がいると思っていたのに。
「あの……僕があそこにいるとわかったのは、これのおかげですか」
コウはペンダントの先にある鱗を握りしめる。それは泉の冷たさが伝わっていて手に痛かった。
コウが使っている泉は季節に合っておらず温度が低い。
「ジイは笛と言ったようだが私には何も聞こえなかった。ただ、ジイが反応したのだ。コウを迎えに行かなければとでも思ったのか、唇がお前の名を呼んでいるように開いて、動かない体をよじっているように見えた。その時の私を突き動かしたのは、怒りだった」
「……ご心配をおかけして申し訳ありませんでした……」
「よい。詳しいことはビブレスで精霊に聞いている。コウに責任はない、むしろ私にあるとわかっている。しかし、ここでジイの回復を祈り、コウの行方を探している間に思ったのだ。これほどの思いをするくらいであれば、その種となるコウを見つけた時にはこの手で殺してしまおうかと」
「アスラン様のお気持ちはわかりました」
じわりと涙が浮かんだ。
「アスラン様はとてもお優しい方です。ビブレスでは一生分の幸せをもらったのに、僕はそれ以上のものを今いただいてしまいました。お腹が減っていないか虐められて泣いていないかと、僕以上に苦しんでくれていたのですよね。僕はそれだけで幸せです。アスラン様にはもう二度と僕の為に苦しんで欲しくない。だから、いいです」
コウは首にかけていたペンダントを二つはずし、アスランが受け取ることができるようにと手を伸ばした。
同族の鱗さえ身に着けていなければ、アスランは嫌悪感なくコウを食べることができる。
「アスラン様、どうかこれを主様に返してください。それで僕は心の残りがなく逝けます。あとこれは、亀を被っているのですが金貨です。どうして亀かと言うと精霊様が亀だったので、アケメさんに作ってもらったのです……アケメさんと言うのは、僕がここへ来てからずっとお世話になっている方で、あっ、すみません、アケメさんが丘に残されているので、できれば迎えを……これで僕は心置きなく……えっと、警備のサイラスさんにもそれを伝えて頂けると嬉しいです。あっ、アケメさんがくれたベルト、僕はいなくなるので、返してきてもらえるでしょうか」
これで最期だと言うのに、頭には世話になった二人の顔が浮かんで、そうなると出掛けにアケメにもらったベルトが気になり始めてしまう。
コウは自分も作り手になったからわかる。皮でできたこれを編むには多くの時間がかかったはずだ。それをもらったとはいえ無にしてしまうのは勿体ない。
「そうだ、アケメさんはウタメ様をイメージして作ったので、やはりこれは主様に渡してもらえると嬉しいです。アケメさんもその方が喜んでくれるかもしれません。僕がアケメさんのためにできる孝行はこれしかないので」
思いついたことを語り終わるのだが、二つのペンダントはいつまでたっても受け取ってもらえず、コウはそれを握ったままズボンからベルトを外し、アスランの足元へそっと置いた。
これで、何も問題ない。大事な物も返せそうだし、なによりアスランの顔を見ることができた。
急に静かな気持ちになって、そっと目を閉じる。
怖くない。またあの場所へ、アスランの中へ入るだけなのだから。
冷えが足元から上がってきて、ふるっと大きく一度震える。
あっ……
泉の中からアスランに引き上げられ、水が飛沫をあげ水面に落ちる。
「うっ……」
お腹に強めの圧迫を感じ目を開けると、コウはアスランの肩に荷物のように抱え上げられていた。
「えっ」
別の場所で食われるのだろうか。
「濡れてしまいます。ではなくてアスラン様まで濡れています」
水をたっぷり含んだ服の水分が下へと沁みていくのがわかる。
アスランはずんずんと歩き、その弾みでコウのお腹が何度も押される。
泉から近い場所に建物があったらしくそこへと入っていく。
コウは揺られながら、視界もぶれる中で辺りを見渡す。人の気配はまったくない。勝手にイメージしていたお城の様子とは違っていた。
コウの足からしたたる水が床に水玉を点々と描く。それを辿れば二人がどこからやってきてどこへ向かったのかを追うことができるだろう。
「コウ、お前の手で渡すのだ。そうでなければ意味がない。そんな気がする」
アスランの手にはいつの間にかペンダントが握られている。
「それが終わったら食べるのですよね」
「そのつもりだった。しかしお前は……人の気を削ぐのがとても上手い」
「えっと、もう僕からは美味しそうな匂いが消えてしまったのですか?」
「違う……そう言う意味ではない」
「だったらどういう意味なのでしょう」
「一度は私に食われたと言うのに泉に落としてからもヘラヘラと笑っているし、最後にまくしたてたのは何が何やらわからん。そうなっては、お前がこのリジルヘズで何をどうして生きていたのか気になるではないか……あとは、ジイの気持ちだ」
「主様のですか?」
「ジイがコウに託したペンダント、いくらジイの魔力があったとしてもビブレスからリジルヘズまで届く音は出まい。ジイはそれを知った上でコウに迎えの笛だと言って託したのだろう。つまり、私とコウは上手くやっていける、そのペンダントなど必要となる時など来ないだろうと。そしてコウの支えるお守り代わりになればと渡したと思ったのだ。老龍の力は強い。それにはまだ隠れた力が隠されているのかもしれない」
鳴らない笛でもなんら問題ない。それはコウならばアスランとやっていけるだろうと言う、老龍としての直感。
「つまり私はコウに生きろと言っている。それに何か不満があるのか。お前はまた私を夜も眠れない状態にするつもりなのか」
「アスラン様は、眠れていなかったのですね。アスラン様は僕がリジルヘズにいるとわかっていたのですか?」
「精霊がそう言うのであればそうだろうと、各地の水源に人をやっていた。気になった場所には足を運んだ……それでもお前は見つからなかった。しかしコウは、すぐ近くにいたのだな」
「はい。流されて着いたのは広場の噴水でした」
はぁっと大きな息継ぎがアスランの口から漏れる。
「そうだったか。探索部隊はビブレスの方角にある辺境を中心にしていたのだ。このままお前が見つからなければ、ビブレスに火を放って精霊ごと焼いてくるつもりだった」
「……冗談、ですか?」
「冗談など言わん。それにはロミーも賛成してくれたのだ。もちろん国王もだ」
「それだけは、やめてください。亀様はとてもいい人です。命の恩人なので焼かないでください」
コウの声にアスランは答えず、否定してくれなかった。
本気だろうか、焼き亀様にならないだろうか……
黒こげになって倒れる亀様を想像して、コウはここへ来て初めて震えあがった。
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