こうもりのねがいごと

宇井

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 盆にのせたカップを食卓に運び置くと、アスランが微笑む。少し距離と時間を置いたせいか瞳は穏やかだった。
 よかった。
 コウがほっとした瞬間、玄関扉を叩く音がした。

 コンコン

 それは誰かが目的を持ってノックした音で、決して何かが偶然に触れた音ではなかった。
 ここは風も吹かず、虫さえいない。そして入ることのできる人間を選ぶ地であり、今はアスランとコウの二人しかいないはず。だからコウはビクリと肩を揺らしてしまう。

 コンコン

 返事がないのかと、強めの二度目のノックがする。
 もしかして、またロミーがやってきたのだろうか。そうかもしれない。でもノックの主がロミーであれば、ノックとともに声を掛けてきそうなものだ。それに来るのは一か月先だと言っていたばかりだ。

 となると……誰。

 コウは恐ろしさにジリジリとアスランのそばへとにじり寄っていた。

「アスラン様。どなたかが、いらしたのでしょうか……もしかしてロミー様でしょうか」
「ロミ―ではない。恐らく……これは、精霊だ」
「精霊、様ですか」

 精霊というのは、自然界にやどっている神に近い存在だと漠然と思っている。それは物語にあるだけで実在しないと思っていたのだが……

「おい、いつまで客を無視するのじゃ、入るぞ」

 それは随分しわがれた低い声をしていた。
 許可の返事を必要としないのか、扉がギィと音を立てて勝手に内側へひらく。
 精霊とは何なのか、どんな姿をしているのか。人間に近い容姿なのか……凶暴なのか、それとも温厚なのか……
 アスランの様子からするに怯える必要はないのだろうが、コウはそこに何が現れるのかと、思わず両手を握り合わせていた。

 よくわからないけど、精霊様がやってきた……

 扉の向こうの景色が見える。外は小屋の中より明るく、眩しい光が一瞬でさす。しかしそれはまたバタリと閉じられ、室内はしんと静まった。
 誰かが入ってきた、それなのにコウの視界には誰もいない。

「あっと……精霊様は、お姿がないのでしょうか……透明なのでしょうか……」

 扉は開き、閉まった。しかし精霊とされる者の姿はそこにも、どこにもない。どこにも。どこにも。
 
「やれやれ、二人もいるのであれば返事くらいすればいいものを……無精しおってからに……」

 精霊は二人の態度を嘆くが、声音からして怒ってはいないようだ。

「返事をしなくても出迎えなくても、勝手に入ってくるだろう。ガマは」
「客人をいつまでも外で待たせておる方が悪いのじゃろう」

 アスランが椅子の背もたれに上半身を預け、横柄に言う。精霊はそれに怒らずこちらにやってくる。

 コツリ、コツリ。

 その足音が床を鳴らして近付いてくるのだ。
 見えない、けれど音は確実にこちらに来ている。
 コウは恐ろしくなって、それでも精霊様に失礼にならないよう、みっともない声を出さないようにぐっと唇を結んでいた。

「コウ、大丈夫だ。ガマは透明人間ではない。少々不気味なだけだ」

 怯えるコウにアスランが下を見ろと合図する。うんと頷きアスランの言う方をみる。

「……ひっ」

 そこには、両方の手の平ではおさまらない寸法の亀が、食卓の脚を扇のように平べったい手足を使い器用に昇っている最中だった。

 うんしょ、うんしょ。

 そんな風に言っているように一歩一歩進んでいる。
 この亀が精霊であり、アスランの言うガマなのだろうか。

 でもガマってなに?

 そんな疑問も目の前の光景に消える。
 コウは外の自然の中でいろいろな物を見ていた。しかし柱を昇る亀を見るのは初めてだ。
 コウは自分の目が信じられず、何度も瞬きをする。しかし何度見ても亀はいるし、それ以外の生物はいない。そして声と音の発信源はやっぱり亀からだった。
 亀は疲れたのだろうか、柱の途中で小休止する。

「龍よ、今日はガマではないのだ。今日のわしは愛らしい亀なのだ」
「どちらでもいいですが、あんたは小さく不便な者にばかりなりますね。それは趣味ですか?」
「わしは水辺で生きる者なのだ。それに近い方が何かと具合がいい。となるとやはり蛙か亀が愛いと思っての。地上では違うのか」
「まあ、ガマよりは亀の方がましでしょう」
「さよか」

 アスランと精霊である亀が会話をしている。
 会話からわかる通り、やはりこの亀が精霊なのだ。
 
「コウ、精霊は本来の姿をやすやすと他人に見せないものらしい。よって亀のこれは仮の姿。寂しさのあまり時間をかけてこの家までやってくるのだろう。来るのはこれで二度目だ。転移でもできれば便利なのだが、精霊とは言っても万能ではないと言うことだな」
「なるほど、仮の姿……そうなんですね」

 コウは目をパチパチさせるだけで、それ以上のことは言えなかった。それでもやっぱり、失礼だとわかりながらも、一生懸命に上を目指す亀に釘付けになってしまう。じいっと見つめてしまう。

 亀はようやっと天板に辿り着き、一息ついている。やはり疲れたらしい。
 途中で一度足を滑らせてコウを冷やひやさせたが、手を貸せとも言わずに見事昇り切った。到達した満足感もあるのだろう。
 誰も褒めてはくれないが、胸をはり少し誇らしげにしている。かなり人間くさくて今は汗の浮かぶ顔に手をヒラヒラとして風を送っている。

「改めて自己紹介だ。わしはこの地に生まれたもの。お前たちの世界では精霊と呼ぶらしい。よろしくな」
「はい。僕はコウ・エルです。蝙蝠です。縁があってアスラン様のおそばにいることになりました。どうぞよろしくお願いします」
「ふむふむ、そうかそうか。コウとやら、早速だが聞いてくれ。この龍はな、失礼なことにわしの誘いを断ったのだぞ。龍がこの地へやってくるのは久方ぶりのこと、それはそれは楽しみにガマの姿でぴょんと跳ねてやってきてやったと言うのに、こいつは話の途中でわしを窓から放り出したのだ」
「体に草をくっつけた喋るガマガエルがやってきたら、それは捨てるだろう。疫病でも持っていたらどうする」
「疫病だと、お前は本当に失礼だな! この男、無視の次にはわしの言うことに耳もかさず指でつまんで勢いよく放り投げたのだ。こうぶーんと、躊躇いなくぶーんとだぞ。この尊い命を何だと思っておる。まったく最近の龍はなっておらん」

 精霊の亀様の顔色は変わらないが、ぷりぷりと怒っているのは伝わる。興奮して甲羅の底を食卓にガンガン打ち付けるのだ。
 しかしアスランは興味がないと知らんぷりして、一度しか目を合わせていない。視線はまっすぐで亀を通り越した向こうを見ている。

「でっぷりして脂の粒の浮いたガマが気色の悪いことを言うからだ。あの時のことを思い出させるなっ」
「何が気色悪いだと、罰当たりな! 本来のわしはコウより清らかで色白な美少年であるぞ。それがお前に抱かれてやると言うておるのだ。何もガマの姿で交わろうとは言うておらん。相手は地上にはない美少年じゃ、そこは素直に感謝してありがたく抱けばいいのだ」
「感謝なんぞするか。二度と顔を出すなと言っただのに、それを性懲りもなく」

 アスランはおぞましいと言いたげに口を歪める。コウと言えば二人の応酬を眺めているだけだ。
 精霊の亀様はやはり男性であるらしいが、しゃがれ声の亀が美少年であるとは想像しにくい。

「お前はここにやってきた三代目とはそっくりな顔立ちだが、中身は大違いだ。あいつは、それはそれは優しく具合が良かったものだ。奥の奥にまで先が届いてな、それでいて疲れ知らずの絶倫。精霊であるこのわしが泣いて許しを請うても、突いてついて離してはもらえなんだ。あいつがいる間は、ここの泉でよく交わったものよ、懐かしいのお。腹の奥がずんずんする」

 さすがに性に疎いコウも亀様の言っていることがわかり頬を染める。自分とアスランも泉で同じように愛を確かめあったばかりだ。
 亀は遥か昔を追うように遠い目をしていて、口が薄く開いている
 
「あの……亀様……すみません、よだれが出ています……」
「ん……昔を思い出してつい飛んでしまったわ……コウは気が利くな。いい子じゃ」

 コウはさっと布巾を差し出すのだが亀は首をのばすだけなので、その口元を押さえるように拭っておいた。

 三代目の龍とズコバコ。
 アスランは知りたくもない先祖と亀との情交を聞かされ苦い顔をしている。
 亀は器用に口元を拭って、アスランではなくコウに話しかける。

「この龍はもうコウしか目にないようじゃのう。あわよくばと誘いに来たのだがやはり無理のようだ。してコウよ。もうこの龍とは既に交わったのか?」
「えっと……」

 交わったと言えば交わった気がする。しかし、アスランの言う先にはまだ進んでいない。

「わかったわかった。お前たちの声はうっすら聞こえてきたが、合体はまだったか。コウよ、龍との交尾は楽しいぞ。何しろ龍のあれは長く固い。根本の鱗も周りを刺激してくる。普通では届かない所にいい具合に届いてかき混ぜてくるから、天井知らずの昇天、まさにイキ地獄」
「生き地獄? 求め合って交わるのが地獄、なのですか?」

 地獄とは穏やかでないと思うのだが、亀様はまたもうっとりしているように見える。
 地獄? 昇天して地獄?
 やっぱりコウには亀様の言うことが理解できない。

「子どもにはわからぬだろう。それは天国と地獄が背中合わせにあっての、それを交互に味わうことになる。いや……やっぱりあれは天国じゃろうか……まあコウも近く行く道に違いなかろう……龍とわしは互いに水を源とするから、特別相性もよかったのかもしれん」
「ガマ、純粋なコウを毒すのは、そろそろ止めてもらいましょう。コウには私がすべて教えるつもりですので、余計な知恵は入れないでいただきたい」

 ひいっ。
 コウの方が声を上げそうになるほど、アスランの声は低く冷たく、まるでズリズリと地を這うようだ。しかし亀の方はどこ吹く風だ。
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