こうもりのねがいごと

宇井

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 その後、裸のままの方がちょうどいいと、アスランの手によってコウのざんばらだった髪は整えられた。
  これまで鋏で人の髪など切ったことのないアスランだったが、長い時間をかけたこともあってまずまずの出来となっていた。
  前髪は瞳がはっきり見えるように、横は耳が隠れる程度の長さ。これまでと違い襟足は短くなり、丸出しになった首の後ろが何だかスースーとする。自分では切ることができなかった後ろ髪の処理がされて、頭だけでなく肩までも軽くなったようだった。
  それから二人で洗濯をして干し、ようやく泉をあとにし小屋に戻ることになった。

  昨日は生まれて初めて十分に腹が満たされ深く眠れたせいか、体力を消耗するような動きの後も足がもたつくことはなかった。
  小屋の正面にまわってすぐに目に入ってきたのは、扉の前に置かれた包みだった。
  その中にはコウの服が五組とそれに合わせた靴、他にも下着類が入っていた。
  コウには着古したウールの上下の一組しかない。きっと声の主様がそれに気付いて急いで届けるように手配したに違いない。コウはその心遣いに感謝するしかなかった。

 「これは、アスラン様の国の衣装でしょうか」
 「いや、その辺りの国で調達したものだろう。国に戻りここに帰ってくるにはかなり時間がかかる」
 「アスラン様の国は遠い。ではロミー様はあの後すぐに国に戻らず、わざわざ僕ためにこれを買いに行ってくれたのですね」

  自分のために動いてくれた人がいる。
  それは何だか申し訳ないような気がするし、嬉しい気もする。
  見ているだけで胸が一杯になり、一向に手を触れようとしないコウにかわり、アスランが服を手に取り広げる。
  大きさをはかるようにコウの胸にあてられるのだが、服は綺麗すぎて、とても自分が着ていいものではないとコウは硬直してしまう。
  それをアスランに宥められ脅されながら、何とか着替えた。
  サイズは少し余裕がある。これはきっとここで体が成長すると予測した配慮だろう。
  クリーム色のシャツは質がよく、布の重みはちっともなくて空気のように軽い。
  これほど上等な物を着るなんて夢のようだ。このまま家事をしていいのいかまよってしまう。
  しかしアスランの見立てによればそれほど高価な物ではなく、気を使わず汚しても破いても気にしなくていいと言う。
  シャツをズボンの中に入れ、腰回りの緩いズボンはサスペンダーで吊るす。どこかのいい所のお坊ちゃんになった気分がする。
  上等な服を着る自分に違和感がありながらも、コウは自分のやるべきことに意識が向いていた。
  声の主とロミーの恩に報いる為にも、コウはここで頑張りたいのだ。

  さて、働くぞお。

  アスランとの仲を深めたとはいえ、そもそも自分の役割はこれなのだ。それにコウはのんびりするより体を動かしていたい。
  アスランに快適に過ごしてもらうためにも、まずはこの住処を整えなければならないのは明白だ。

 「コウ、遅くなったが食事にしよう」

  っと、その前に食事か……
 アスランの呼び掛けに、起きてから何も口にしていないことを思い出す。コウは空腹を感じていないけれどアスランはそうではないかもしれない。

 「あの、アスラン様は、いつも食事の支度をどのようにされているのですか?」

  部屋の荒れ具合、そしてかまどを使った形跡がないことからコウは疑問を持つ。

 「森へいって食べる物をわけてもらっている。調理はしないから、そのままを食べるだけだ。そう……これだ」

  アスランが指さす台所のシンクには、いくつかの果物が転がっている。青い色した細長い果実はきゅうりに近い。赤い真四角の果実は表面に荒いおうとつがついている。どれもコウが見た事のない植物ばかりだ。
.
「この青いのはパンの味。こっちは魚肉。贅沢言わなければそれなりに満足できる」
 「パンに魚肉……これが……」

  コウはそんな味がする果実に出会ったことがない。しかしここが神域ならそれもありえるのだろう。コウはこの目で何度も奇跡を見てきた。

 「ここにある木々は世界と繋がっている。その根を伸ばして私の願いがどのようなものかを探り近い物をつくりだす。それを枝に実らせる」

  パンと魚そのものが届くのではなく、それに近い物が果実となって出てくるらしい。とっても不思議な現象だけど、森の木々たちからしたらそれが最大限できることなのだろう。そして完成度はそれなりに高い。

 「今朝もそれで朝食としよう。というか昼食の時間だ」
 「もうそんな時間なのですね。では、これを僕が切ればいいのですね」
 「ナイフの扱いなら私の方が上手いだろう。教えるから一緒にやってみよう」
 「自信がないので、教えてくださるなら嬉しいです。早く覚えて、料理も覚えて、アスラン様のお世話の全部をしたいです」

  変に隠し立てをせず、できないことを正直に伝えるコウにアスランは好感を持った。
  また実を切ることさえ不安があるコウには嬉しい申し出だった。アスランは優しい人だ。きっと自分をどやしたりせずに、色々なことを教えてくれるだろう。コウもまたアスランを信頼していた。

  まずアスランが水栓をひらき果実をざっと洗う。隣に並んだコウはその手元を見つめていた。

 「水洗いも必要ないだろうが一応な。水は泉のものだが、コウは抵抗ないか? 浄化の泉ではあるが、洗濯に入浴……役割は広い」
 「アスラン様が気にしないのに、僕が気にするわけありません。これほど美しい水はきっと地上のどこにもないと思います」
 「あの泉も不思議でな、いつもあの水位を保っている。水泡があるから湧き出ているはずだが溢れもしない。しかし水がどこかへ流れている気配はない」
 「ここでは上での常識が通じないのですね、本当に」
 「よし……コウ、食べてみるか」

  アスランは小ぶりのナイフで青い果実の皮を切り取り、一切れをコウの手に落とす。
  主より先に口にしていいのだろうか、逡巡してからコウはそれを口にいれる。
  見た目はあまりよくない。その実も外と同じく青色なのだ。
  コウは表に出さないものの興奮していた。これが本当にパン? と口に放り込む。
  それはコウの知る硬いだけのパンとは似ても似つかぬもので、しっとりとした甘みを舌に伝えた。

 「あ、ふうっ……うわぁ、すごく美味しいです……」
 「すごいな。コウはすぐに適応したか。私はその色で食欲が減退したものだが」

  アスランは笑うが、コウのこれまでの食生活を思えば、色なんて何でもないことだった。
  コウが知るパンは釘が打てるほどにカチカチで、温かなスープに入れてどうにかかみ切れるいわば保存食だった。ところがこれはお城の王様が食べるような、小麦でできたパンと同じなのだ。感激せずにはいられない。
  続けて試食に入った果実も、たしかに魚肉で塩とハーブがきいている。見た目に惑わされなけれなくても大満足だ。
  この果実で調理ができればもっと美味しく完璧となるのだろう。
  果実は美味しい。これまで生きてきた中で一番おいしい食べ物だ。
  アスランが次々とあーんとしてくるので、あーんと口を開ければ入れられる。

 「おいしいです。ほっぺが落ちそうって、このことなんですね」

  コウの一口ごとの笑顔の度に、アスランはいそいそと果実を剥く。
  窓から優しい光がさす台所で、まるで母鳥が雛に餌をやっているようだった。
  そんな中でもコウは唯一の肉親であったじいちゃんにこれをと食べさせたかったなと思ったりして、もぐもぐしながらちょっとだけ涙ぐんだ。

 
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