こうもりのねがいごと

宇井

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 コウはひと息ついて人に変異した。
  どうしてだろう、コウの進む方が悪かったのだろうか。
  あの小屋の周りには恵みのような光が溢れていたのに、今のコウの周りにはとぐろを巻くように枝葉が絡んで周囲は一段暗くなっている。
  蝙蝠の姿ではとでもその間を縫うように器用に飛べず、人化することにしたのだ。

  疲れた……

 ここへ来るまでもかなり体には負担をかけている。入ってきた包みを解かれた時だって節々が痛んで大変だった。
  アスランに対面したことでその痛みを忘れていたけれど、一人になってほっとするとまた復活してくる。知らずに右の肩をさすっていた。

  それにしても……ここにいると感覚が狂いそう。

  光りがあっても太陽がみえず、日の傾きがない。だから時間をはかるのも難しい。できるだけ真っ直ぐ走ってきたつもりだけど、微妙にずれているかも。

  明日またアスラン様に会わなければいけないのに、あの場所に戻れるかな。
  言葉一つと置き去りに逃げてしまったことを謝り、そしてそれから……どうしたらいいのだろう。
  条件の合わない僕だけれど、雇ってくれないかと、そう、頼めるだろうか。言えるかな……でも言わなきゃ……
 はあ……眠い。

  ここは快適だ。暑くもなく寒くもない。森の中なのに、顔にたかってくる虫もいない。意地悪なやつもいない。
  体が休息を取れと、強い眠気を起こす。

 「……声の主様……」

  もう少し頑張ります。明日また頑張ります。だから今は寝かせてください。
  ……むにゃ。

  コウが幹に抱きついても腕がまわらないほどの大きな木に背を預け、膝を抱えた。根本から剥き出しになっている根の窪みがちょうどコウのお尻にはまるのもしっくりきてよかった。

  後から木に抱かれているみたいだ。

  人の姿で眠るのはいい。物置は狭くて蝙蝠となっていたけれど、やはり人の形をとっている方が自然なのだ。

  ここはもう春。
  じいちゃん……みんなが待っていた春がもうここには来てるよ……

 じいちゃんを思い出しながら見る夢はいつでも優しい。

  何かがコウの髪をなでる。
  葉が落ちてきて引っかかったのだろうか。しかしそれにしても何度もこう落ちてくるものだろうか。
  確かめたいが確かめられない。
  まだ夢の途中、なのか瞼が重くて開かないのだ。

  気持ちいいよ……

 さらさら、さらさら、髪の上を滑る。自分の指で髪をすく時よりも柔らかくて優しくて、また力が抜けていく。

  アスラン、様……

 出し抜けに彼の名前が浮かんだ。どうしてか、じいちゃんではなくその名を呼びたくなった。

  もっと……もっと…………撫でて……

 そう口が開いて、そのまま、また沈んだ。


  首ががくりと落ち目覚める。
  コウは眠りにつく前と同じ格好をしていた。やはり周りは木ばかりで、右も左も同じ景色。
  だけど木の根には眠る前には気付かなかったコケが生えていて、眠る前より強い湿気を感じる。そのおかげが、いつも寝起きにある咽のイガイガは感じられなかった。
  これほど気分よく目覚めたのはどれくらいぶりだろう。それくらいに目がパチリと開いた。
  優しい夢をみたせいで気分がいい。それに少し体力が回復したようだ。
  手を地面につき慎重に起きあがる。お尻には土も葉もついていないようだが、パンパンと叩いて大きく背伸びをして筋を伸ばし、また辺りを見渡す。
  きっと明日はまだ来ていないはず。今日はまだ今日だろう。
  時間経過が正確にわからないままだが体感ではそうだ。
  この暗い場所にじっとしているのも落ち着かず、とりあえず明るい場所へ出たいとゆっくりとコウは歩き出した。


  なんでかな。

  進むにつれて木の根が土からぼこぼこと顔を出し、石はごろごろと転がり足元が不安定になる。真っ直ぐには進めず右へ左へと通れる道を選んできた。
  戻った方がいいと思い直し引き返してみても、辿ってきた場所には戻ってきたかもわからない。これでは遭難だ。

  のど、渇いたな……

 食欲はなくても体は水分を求めている。
  これまで水たまりも湧水も見つけていない。雨でも降ってこないかなと見上げると、視線の先にある大きな葉がガサリガサリと動きだした。
  やはりここにも何かの生物がいるのかと一瞬怯むのだがそうではなかった。隙間からヤシの実のような硬そうな皮を持つ薄桃色の果実がにょきっと現れ小刻みに揺れ……そして、今にも落ちそうになる。

  ひっ、ぶつかるっ……!

  ひゅっと息を飲んで頭を抱え小さくなると、果実はぼこりと音を立てコウの足先にある岩にぶつかり、その身のど真ん中に亀裂を入れた。そしてその隙間から汁を滴らせている。
  果実を落とした木は手の平より小さな葉を茂らせていて、名前はわからないが見覚えがある。だからわかるのだが、とても実のなるような木ではないはずだ。
  だったら鳥が上空から手を滑らせ落としてしまったのだろうか。
  それとも、まだ姿を見せない動物がうっかり落としたのだろうか。

  でも、そんな落ち方じゃなかったよね……

 しかししばらく経っても誰も現れない。
  コウは不思議だなあと首をひねりしゃがむと、初めて見る果実をたっぷり見つめたあと拾う。

  持ち主がやってこないのなら、もらってもいいよね?

  人差し指で汁を拭い、恐る恐る舌先にのせる。
  毒味は得意だ。しばらく待ってピリピリしなければ食べられる。
  しかしそれは、とても甘かった。これほど甘美な毒があるのならくらって死んでしまっても悔いがないと言うほどに。
  それを耳元で振ってみれば、中からはシャバシャバと音がする。
  コウは思い切って裂け目の部分に口をつけ、実に傾斜をつけ果汁を飲んだ。

  おいしい!
  おいしいよ……甘いよぉ。

  水とは違い粘度があるのだが飲みやすい。食道をねっとりとおりて胃で溜まるようだ。
  もう歩くのに疲れて、迷うのも怖くなっていたけれど、今ならどこまででも歩けるかもしれない。
  飲み干してしまうのはもったいないとは思うのだけど、コウは夢中で全部を飲んでしまっていた。

  夢が、叶っちゃったよ。

  お腹いっぱいになりたいという長年もっていたコウの願いはあっさり叶えられていた。しかも、美味しい物でお腹は満たされているのだから夢のようだ。

  ほんと、嘘みたいだ。

  コウは夢を叶えてくれたその固い実を捨てる気にはなれず、空になったそれを大事に抱えまた歩き出した。
  とにかく前へ、前へ進めばどこかへ出るだろう。状況は今より変わるはずだ。
  そうやって一時間ほど歩くと、ようやく木の数が減った草原へと出た。

  腰までの丈がある草が密集したその先には、ゴツゴツした肌の崖が巨大な壁となりそそり立っている。その崖を昇ることができたら、きっともといた国に繋がるのだろう。
  国へ帰るつもりはない。コウは声の主様との約束を守り、とことん嫌われるまで粘り、雇ってもらえるようアスランに交渉するもりだ。

  崖まで歩き、そっと手をあてる。
  縦に裂けたような筋がいくつもある岩肌。上にむかうほど前にせり出すように出ているのだろう。手や足を引っかけるくぼみがあっても、これを頂上まで、数百、数千メートルも登れる人はいないだろう。
  持っていた実を脇にはさんで岩肌に触れる。

  案外もろい。

  指に力を入れると、砂粒みたいに砕けて粉のように空気の中を漂い、ゆっくりゆっくり落ちていく。

 「崖の上へ……帰ろうとしているのか?」
 「アスラン様!」

  どうしてここまで接近しても気付かなかったのか、振り向けばアスランはコウのすぐ後ろにいた。
  アスランの姿を見るのは何時間ぶりか、それとももっと経過しているのか。コウにはよくわからなかった。ただ、アスランが少し不機嫌なのが気になった。
  もしかしてあれから日を跨いでしまったのだろうか。
  明日また行くと言ったのにも関わらず、訪れることができなかったことを怒っているのだろうか。

 「この上にはお前のいた国があるだろう。崖を登りたいか? もう国に帰りたくなってしまったか?」
 「……帰りたいとか、そんな未練はありません……僕はアスラン様のお世話するために来たので、そうさせて欲しいのです。それに声の主様に首飾りの笛をいただいています。帰る場合にはこれを使えと、迎えに行くからと」
 「ジイの笛?」
 「これです」

  コウは首の紐をたぐり首飾りを見せる。アスランは明らかに驚いたが、それに決して触れることなくまじまじと見て溜息をついた。

 「わかった。コウのことは、たった今、受け入れることとする」
 「えっ、本当ですか? 本当にいいのですか?」
 「嘘は言わない。よって、その笛は必要ない。しかしそれはジイがお前に与えたものだ。ジイに会って直接返すといい」
 「わかりました。僕はまた声の主様に会えるのですね」
 「ここを出る時には会えるだろう」
 「ここを出る……ここでの滞在はどのくらいになるのでしょうか」

  声の主様に聞けなかったことは沢山あることに今になって気付く。
  アスランはずっとここにいるわけではないらしい。となると使用人である自分もここにいる期限が決まっているということだ。

 「そうだな。おそらく、三か月ほどだろう」
 「三か月……」

  それは思ったより短い時間だった。その三か月後、コウはまた自分の見の振り方を決めなければいけなくなる。
  声の主は『孫』などと優しいことを言ってくれたが、真に受けたりはしていない。

 「とりあえず、それはしまっておけ。大切な物だ」
 「主様にとって大切な物なんですね。わかりました」

  手の平にとってじっと見つめる。
  宝石が埋まってもおらず、意匠も凝っていない、しかし薄く繊細で光があたると七色に輝く。声の主様の大切な物、また対面するその時まで壊さずに扱わなければいけないと緊張してくる。

 「それは見かけによらず案外頑丈だ。踏んでも石を叩きつけても欠けも壊れもしない。ずっと胸に下げて身に着けておくといい。その方が失くさずにすむ。コウのお守り代わりにもなるだろう」
 「そう、なのですね」

  それはもうっとっくにコウの肌になじみ、着けているのを忘れてしまうほどに軽い。

 「さて、帰るか。歩くのに邪魔だ『道を開けてもらおう』」

  アスランが命令する。コウにではなく誰かに。

  道を、開ける?

  ここには二人しかない。だからアスランの命令は自分に下されたのかと思ったのだが、何をすべきかわからず、その横顔だけを見てしまう。
  しかし次には、足元の草が倒れ、道のように足元から拓けていくのが視界の隅に見えた。
  自分は何もしていない。アスランも動いていない。
  ならばこれは何? 何が起こったのか?
  誰もいない、風も吹いていないのに、どうして。

 「……アスラン様は魔法が仕えるのですか!?」

  驚きではなく感激だった。
  すごいものを自分は目撃したのだとコウは小さく興奮する。

 「がっかりさせるようだが、これは私の力ではなくこの地が持つ力だ。この地はどんな生き物の侵入をも阻む。しかしここに最初に到達した私の先祖のおかげで龍だけは入ることができるのだ。ただ、先祖がどのように入り交渉し、盟約を交わしたかは伝承にも残っていないのだがな。コウは経験したからわかるだろう。龍であると言う許しがない者が入るのは容易ではない」

  コクコクとコウは同意して頷く。
  コウはずっと布にくるまれていたから実際何が起こったのかわからないが、それでも寒くなったり強く押されたりで肉体的にもきつかった。できればあんな思いは二度としたくない。

 「コウが入っていたあの布は、何十もの結界が張られた防護布だ。特殊ゆえ今では三枚しかない上に、もう製造する者もいなくなり新たに入手することはできない。その残りも摩耗も激しいゆえに気安く使うなと言っているのだが……」
 「あの黄色の布は、特別な上に希少なんですね」
 「ジイは特殊な能力を持っていて作ることが可能だが、裁縫は得意ではないと逃げている。まあ、使い方が限定されているから無くなっても構わないが」

  あれはただの手触りのいい布ではなかった。
  特殊な能力のある声の主様は布を作れるかもしれないが、裁縫が得意でないから作れない……らしい。

 「この地は私のが龍である限り、どのような願いも叶えようとする。つまり、こうして足元から道が続いているのは私の命に従ったから、地が聞き届けたからだ。しかし容易く願いが叶ってしまうのも、ある意味不便なことだ」
 「そう、なんですね。僕には想像もつきません」

  願いを叶えてくれる、それも無償で。それはとても幸運なのではないだろうか。
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